19 地下闇市場からの大脱出
「……ちょっと待て」
俺は奴隷商の前で足を止めた。
目の前には、檻に閉じ込められた少女。その周囲を取り囲むように、黒い服を着た男たちが立っている。
少女が借金を抱えているという話は聞いた。だが、よく見ると、檻の中にいるのは彼女だけではなかった。
「……なあ」
俺は奴隷商の男に声をかけた。
「そこの少女は借金があるって話だったよな?」
「ああ、そうだが?」
「じゃあ、ほかの女たちは何なんだ? なんで全員、檻に閉じ込められてる?」
俺が尋ねると、商人は面倒くさそうに鼻を鳴らした。
「なんだ、お前。事情も知らねえのか?」
「知らねえから聞いてんだよ」
「ふん。こいつらは全員、問題を起こした女どもだ」
商人は檻を指差した。
「ある女は借金を踏み倒そうとした。ある女は商品を盗んだ。別の女は契約を破って逃げ出した。こいつなんか、恩を仇で返しやがったんだ」
「ちょ、ちょっと待って!」
檻の中にいた女性の一人が、慌てて声を上げた。
「私は盗んでなんかいません! あの人たちが勝手に荷物を押しつけてきたんです!」
「私だって、借金なんてしてないわ! 家族を助けるって言われて連れてこられたのよ!」
「私も! 契約書に書いてあった内容と全然違ったんです!」
次々と女性たちが声を上げる。
「ふざけないで! 私たちを騙したのはそっちでしょう!」
「そうよ! 私たちは何も悪くない!」
「ここから出して!」
……いや、ちょっと待て。全員の話が本当なら、こいつら完全に冤罪じゃねえか。
俺は商人を睨みつけた。
「おい。今の話、どういうことだよ」
「どういうことも何もねえ。こいつらは全員、俺たちに借りがある。それだけだ」
「いや、本人たちは全員否定してるだろ」
「だからなんだ?」
商人は鼻で笑った。
「こいつらが本当のことを言ってるかどうかなんて、俺たちが決めることだ」
「…………なんだと?」
「それとも何か? お前がこいつらの無実を証明してくれるのか?」
商人が一歩、こちらへ近づいてくる。
「証拠もねえのに、勝手なことを言ってんじゃねえぞ」
「証拠って……」
「こいつらを助けたいなら、金を払え。払えねえなら、とっとと帰りな」
商人は、しっしっと手を振った。
「お前に、こいつらの罪を決める権利なんかねえんだよ」
「…………」
その瞬間、俺の中で何かが切れた。
「……ふざけんなよ」
「なんだ?」
「ふざけんなって言ってんだよ!」
俺は思わず拳を握りしめた。
「冤罪じゃねえか! 本人たちが違うって言ってんのに、ろくに話も聞かずに閉じ込めてんじゃねえ!」
「おいおい。正義の味方気取りか?」
商人が嘲笑する。
「ここはお前らが普段暮らしてる街とは違うんだよ。文句があるなら、金で解決しな」
「……っ!」
殴りたい。今すぐ、この下品な笑みをぶん殴ってやりたい。
俺は一歩踏み出した。
「タツヤさん、待ってください!」
リナが慌てて俺の腕を掴む。
「落ち着け、タツヤ!」
ヴィルも反対側から俺を押さえた。
「離せ!」
「離したら殴るだろうが!」
「当たり前だ!」
「当たり前じゃねえよ!」
くそっ……! このまま殴りかかれば、俺たちまで捕まるかもしれない。そうなったら、檻の中にいる女性たちを助けるどころじゃなくなる。
俺は歯を食いしばり、どうにか拳を下ろした。
「……分かった」
「おっ。ようやく話が分かったか?」
商人がニヤリと笑う。
「で、どうする? 金がねえなら帰りな」
「……誰が帰るかよ」
俺は商人を睨みつけた。
「いくらだ?」
「ほう?」
「こいつら全員を解放するには、いくら必要なんだって聞いてんだよ」
商人は少し考える素振りを見せた後、下品な笑みを浮かべた。
「そうだな……こいつら全員合わせて、金貨百枚ってとこか。値切られても下げねえぜ。これが俺の提示できる最低限の金額だ」
「金貨百枚……」
俺は思わず息を呑んだ。
高い。明らかに高すぎる。多分、ぼったくられている。
だが、ここで値段交渉をしている時間も惜しい。目の前で助けを求めている人たちを放っておくことはできなかった。
「……分かった。これで払う」
俺は視界の端に表示されているログを開いた。持ち物一覧から金貨を取り出す。
――九十九枚。
俺の全財産だ。
「…………」
少しだけ手が止まった。
この金を失えば、宿代も食費も危うくなる。これから先、どうやって生活していくかも分からない。それでも――。
「ほらよ!」
俺は金貨の入った袋を、商人の足元へ投げつけた。
ジャラッ!
「これで全員解放しろ!」
「…………」
商人は一瞬ぽかんとした。だが、すぐに顔を輝かせる。
「おおっ! 話が分かるじゃねえか!」
商人は地面に落ちた袋を拾い上げると、中身を確認し始めた。その間に、男たちが檻の鍵を開けていく。
「……よかった」
リナがほっと胸を撫で下ろした。
「これで、みんな助かりますね」
「ああ」
俺は短く頷いた。
……これでよかったんだ。金はまた稼げばいい。だが、目の前で苦しんでいる人たちを見捨てることだけは、どうしてもできなかった。
その時だった。
「一枚、二枚、三枚……」
商人が金貨を数え始めた。
……なんか、めちゃくちゃ嬉しそうだな。
俺が呆れていると、解放された少女がこちらを向いた。
長く尖った耳。透き通るような肌。金色がかった髪が肩から流れ落ちている。やはりエルフらしい。ただし、普通のエルフとは少し違う。瞳には悪戯っぽい光が宿り、口元には不敵な笑みが浮かんでいた。
「……あんた」
「ん?」
少女は俺の顔をじっと見つめた。そして――。
「マジでかっこいいじゃん!」
「……は?」
次の瞬間、少女が勢いよく抱きついてきた。
「ちょっ!?」
「いや~、あたしを助けるために全財産を投げ出すなんて! あんた、最高じゃん!」
「お、おう……」
近い。めちゃくちゃ近い。しかも、本人はまったく気にしていないらしい。
「ねえ、名前なんていうの?」
「綾瀬達也だけど……」
「タツヤね! 覚えた!」
少女は嬉しそうに笑った。
「へえ~。見た目のわりに、意外と男気あるじゃん。ちょっと見直したかもぉ♡」
「見た目のわりにってなんだよ……」
「そのまんまの意味だけどぉ?」
少女はニヤニヤしながら、さらに俺に顔を近づけた。
「ま、あたしを助けたことだけは褒めてあげる♡ 感謝してよね?」
「いや、助けたの俺なんだけど……」
「細かいこと気にしすぎぃ」
「お前な……」
……なんだ、この距離感。
「タツヤさん……」
隣からリナの声が聞こえた。
「本当にいいんですか? 金貨九十九枚も渡しちゃって……」
「……ああ」
俺は少女に抱きつかれたまま、遠い目をした。
「まあ、なんとかなるだろ」
「なんとかなる額じゃないと思うんですけど……」
ヴィルも呆れたように頭を抱える。
「お前、これからどうやって生活するつもりなんだよ……」
「うるせえ。人助けだ、人助け」
「格好つけてる場合か!」
その時だった。
「……ん?」
商人が袋の中身を数え終えたらしい。男の手が止まる。そして――。
「……九十九枚?」
男の顔から笑みが消えた。
「おい」
低い声が響く。
「おい、お前ら……」
男がゆっくりと顔を上げる。
「一枚足りねえじゃねえかあああああああっ!!」
「…………」
あ。やべ、バレちゃった。
「お前ら! そいつらを捕まえろおおおおっ!!」
「「「おおおおおおっ!!」」」
周囲にいた商人の手下たちが、一斉にこちらへ走ってきた。
「金貨一枚くらい、まけてくれよ!」
「ふざけんな! 百枚って言っただろうが!」
「九十九枚も払ったんだから十分だろ!」
「あと一枚だ! たった一枚だろうが!」
「その一枚がねえんだよ!」
「じゃあ、なんで解放したんだよ!」
「先に数えるべきだったああああっ!!」
俺たちは一斉に走り出した。
「タツヤさん、こっちです!」
「おい、待て! そっち行き止まりだぞ!」
「だったら反対だ!」
「反対も塞がれてる!」
「どうすりゃいいんだよ!」
そんな俺たちの後ろで、少女は楽しそうに笑っていた。
「あははっ! あんたたち、面白すぎ!」
「笑ってる場合か!」
俺は少女の手を引き、さらに走る。その時だった。
「……あっ!」
少女が何かを思い出したように声を上げた。
「ちょっと、あんたたち!」
「今度はなんだよ!」
「後ろ、見てみなって!」
「後ろ?」
少女に言われて振り返る。
そこには、先ほどの奴隷商だけではなく、無数の檻が並んでいた。よく見ると、檻があるのは一か所だけじゃない。地下通路の両側には、いくつもの奴隷商が立ち並んでいた。それぞれの店には別々の商人がいて、その奥には女性たちを閉じ込めた檻が置かれている。
ある商人は檻の前で客と話し、別の店主は捕らえた女性を怒鳴りつけていた。
……なるほど。ここは一つの奴隷商じゃない。複数の商人が、それぞれ奴隷を扱っている闇市場なのか。
「……まさか」
俺が呟くと、少女はニヤリと笑った。
「そっ! あたし以外にも、捕まってる子がいっぱいいるんだった!」
「忘れてたって、お前……!」
「だって、あたしも捕まってたんだも~ん」
「も~んじゃねえ!」
俺が叫んでいる間にも、少女は楽しそうに笑っていた。
「ま、せっかく逃げるんだし、みんなまとめて逃がしてあげよっか!」
「おい、待て! そんなことしたら――」
「大丈夫、大丈夫!」
少女は走る足を止めることなく、片手を掲げた。
指先に淡い紫色の魔法陣が浮かび上がる。幾重にも重なった紋様が回転し、まるで鍵穴に鍵を差し込むように形を変えていった。
「閉ざされた扉よ、鎖よ――今すぐ、その口を開きなさい!」
少女が笑う。
「《鍵喰い(キーイーター)》!」
パキンッ!
何かが砕けるような音が響いた。
次の瞬間、並んでいた檻の扉が次々と開いていく。最初の奴隷商だけではない。隣の店も、その向こうの店も、さらに奥にある店までも。まるで見えない鍵が一斉に砕け散ったかのように、地下市場のあちこちで檻が開いていった。
「えっ!?」
俺が振り返る。
檻の中にいた女性たちが、驚いた顔で外へ飛び出した。
「扉が……!」
「開いたの!?」
「今のうちに逃げて!」
少女が走りながら叫ぶ。
「もう誰にも捕まるんじゃないわよ!」
その声に、女性たちは一斉に走り出した。
「ありがとう!」
「早く逃げて!」
逃げ惑う人々の声が、地下通路に響き渡る。
そして――。
「……は?」
最初に俺たちを捕まえていた奴隷商の商人が、呆然と立ち尽くしていた。目の前には、空っぽになった檻。逃げていく女性たち。そして、何が起きたのか理解できていない部下たち。だが、商人はすぐに我に返ると、再び俺たちを追いかけてきた。
「待てえええええっ! 俺の女あああああっ!」
「いや、俺の女って……」
思わずツッコミを入れてしまった。
だが、騒ぎはそれだけでは終わらなかった。
「おい! うちの檻まで開いてるぞ!」
隣の奴隷商の商人が、慌てて檻の中を確認する。
「な、何だと!? 俺の商品がいねえ!」
さらに向こうの店でも、店主が血相を変えて飛び出してきた。
「誰だ! 俺の奴隷を逃がしたのは!」
「こっちも全員いなくなってるぞ!」
「ふざけんな! 見つけたらただじゃおかねえ!」
別々の奴隷商から、次々と怒号が上がった。商人たちはそれぞれ自分の店を飛び出し、逃げていく女性たちを追いかけ始める。そして、そのうちの一人が俺たちを指差した。
「おい! あいつらだ! あいつらがやったに違いねえ!」
「何だと!?」
「待ちやがれ!」
「俺の商品を返せええええっ!」
「逃がすな! 全員捕まえろ!」
気づけば、通路のあちこちから男たちが集まってきていた。
最初の奴隷商の手下だけじゃない。ほかの店の商人や、その手下たちまで俺たちを追いかけてくる。
「……おいおいおい!」
俺は背後を振り返り、思わず叫んだ。
「なんか、追手がめちゃくちゃ増えてるんだけど!?」
「あははっ! 大人気じゃん、あたしたち!」
「人気の意味が違うわ!」
ヴィルが叫ぶ。
「お前、いったい何人解放したんだよ!?」
「ん~? 数えてな~い。そんな細かいこと気にするなんて、ざっこぉ♡」
「誰のせいだと思ってんだあああっ!」
俺は少女の手を引き、さらに走る。前方の通路にも男たちが現れた。
「いたぞ! こっちだ!」
「逃がすな!」
「うわっ! 前からも来たぞ!」
リナが慌てて声を上げる。
「タツヤさん、どうするんですか!?」
「どうするって……逃げるしかねえだろ!」
「でも、後ろも塞がれています!」
「だったら横だ!」
「横も奴隷商です!」
「じゃあ上は!?」
「地下ですよ!?」
「知ってるわ!」
その時だった。
「逃がすかよ!」
追手の一人が手をかざした。
「《雷槍》!」
バチバチッ!!
「うおっ!?」
青白い雷の槍が、俺たちの頭上をかすめて壁に突き刺さった。壁が砕け、火花が散る。
「ちょっ、危ねえだろ!」
「文句言ってる場合か! 次が来るぞ!」
ヴィルが叫んだ直後、別の男が両手を地面に叩きつけた。
「《岩棘地獄》!」
ゴゴゴゴゴッ!!
足元の石畳が盛り上がり、鋭い岩の棘が次々と飛び出してくる。
「うわあああっ!」
俺は少女の腕を引っ張り、間一髪で横へ飛び退いた。岩の棘が、さっきまで俺の足があった場所を貫く。
「何だよ、この魔法! 殺す気満々じゃねえか!」
「実際、捕まえる気ないんじゃないですか!?」
リナも必死に走りながら叫ぶ。
前にも後ろにも男たちがいる。しかも、次々と魔法を撃ってくるせいで、立ち止まることすらできない。
くそっ! どこを見ても商人の従えている男ばかりだ! 最初の奴隷商から追ってきた連中に加え、別の商人や手下まで混ざっている!。
完全に逃げ道を失いつつあった。その時だった。
「……あっ」
俺はふと、自分の身体を見下ろした。
そういえば――今日は朝から買い物やら何やらで忙しくて、耐性を上げるのをすっかり忘れていた。
「やべえ……」
「何が?」
隣を走る少女が首を傾げる。
「俺、今日まだ耐性を上げてないんだよ!」
「……耐性?」
「そう! だから、あいつらの魔法をまともに食らったら面倒なことになる!」
「ふーん」
少女は軽く頷いた。
「じゃあ、あたしに任せて!」
「……え?」
少女は走りながら、追いかけてくる男たちへ片手を向けた。
「まったく、しつこい男って嫌われるよ? 雑魚どもぉ♡」
その指先に、赤黒い魔法陣が浮かび上がる。空気が熱を帯び、地下の空間全体が低く唸るような音を立て始めた。
「燃え盛る紅蓮よ、地を裂き、天を焦がせ――」
少女の周囲に赤い光が集まっていく。
「逃げ惑う雑魚どもに、最高の花火を見せてあげる!」
少女はニヤリと笑った。
「《紅蓮焼野》!」
…………。
「……あれ?」
何も起きなかった。
「……え?」
少女の指先に浮かんでいた魔法陣が、すうっと消えていく。
「おい、今の失敗か?」
「ち、違うわよ! ちょっと調子が悪かっただけ!」
「そうか! じゃあ、もう一回!」
「言われなくても!」
少女は再び片手を掲げた。
「《紅蓮焼野》!」
――ポンッ。
小さな火花が一つ、指先で弾けた。
「……今の何?」
「うるさいっ!」
少女が俺を睨みつける。
「次こそ発動するんだから!」
「頼むから早くしてくれ! こっちは耐性を上げ忘れてるんだぞ!」
「分かってるわよ!」
直後、頭上を雷の槍がかすめた。
「うわっ! もうすぐ当たるって!」
「だから、集中させなさいよ!」
少女は悔しそうに唇を噛み、もう一度両手を前に突き出した。
「《紅蓮焼野》!」
……発動しない。
「おいぃぃぃ! また失敗かよ!」
「うるさい! あたしだって必死なの!」
ヴィルが飛んできた岩片を避けながら叫んだ。
「二人とも、漫才してる場合じゃねえぞ!」
「漫才じゃないわよ!」
「こっちは命懸けなんだよ!」
その間にも、追手との距離は縮まっていく。
「逃がすな! 次で仕留めろ!」
男の一人が叫び、青白い雷を手元に集め始めた。
「頼む! 次で決めてくれ!」
「分かってるわよ……!」
少女は深く息を吸い、両手を前に突き出した。
「……今度こそ!」
彼女の指先に、赤黒い魔法陣が浮かび上がる。――その瞬間、空気が変わった。先ほどまでとは比べものにならないほどの熱が周囲に広がっていく。赤い光が渦を巻き、足元の石畳が小刻みに震え始めた。
「……え?」
俺は思わず足を止めかけた。
少女の髪が熱風に煽られ、ふわりと舞う。
「……やっと」
彼女はニヤリと笑った。
「やっと発動したぁぁぁっ!」
「おおおっ! よっしゃあああ!」
俺たちが歓喜した、その直後。
「燃え盛る紅蓮よ――地を裂き、天を焦がせ!」
赤黒い魔法陣が、天井を覆い尽くすほどに拡大した。
「逃げ惑う雑魚どもに、最高の花火を見せてあげる!」
少女は手を振り下ろす。
「《紅蓮焼野》!!」
――ゴオオオオオオオオオッ!!
「…………ん?」
地面が赤く染まった。次の瞬間、闇市場のあちこちから巨大な火柱が噴き上がった。天井を舐める炎。燃え上がる露店。次々と崩れ落ちる建物。逃げ惑う男たち。そして、闇市場全体に響き渡る悲鳴。
「ぎゃあああああっ!」
「うそだろおおおっ!」
追手たちの悲鳴が響き渡る。
俺は呆然と燃え盛る闇市場を見つめた。
……いや、威力がすごいのは分かった。分かったけど。
「お前、三回も失敗する必要あったか!?」
「うるさぁい! 発動したんだからいいでしょおおおっ!」
少女の声は、燃え盛る炎の轟音にかき消されていった。
「火事だあああああっ!」
「水! 水を持ってこい!」
「俺の店があああああっ!」
「誰だ、こんなことしやがったのはああああっ!」
……地獄絵図だった。
「おい! やりすぎだああああっ!!」
俺が叫ぶ。
「そうですよ! こんなに燃やしたら大変なことになります!」
リナも顔を青くしていた。
「えー? だって、追いかけてきたじゃん?」
「だからって、地下市場ごと燃やす奴があるか!」
「市場であって街じゃないわよ?」
「そういう問題じゃねえ!」
ヴィルが頭を抱える。
「お前、いったい何なんだよ……!」
「え~? ただの可愛いエルフだけどぉ?」
「自分で言うな!」
少女はケラケラと笑いながら、燃え上がる闇市場を眺めていた。
……こいつ、本当にとんでもない奴だ。
問題は、能力の強さじゃない。加減というものを知らないことだ。
「ほら、こっちから出るわよ!」
少女が走り出す。
「出口があるのか!?」
「当然! この闇市場を囲うように、四方から大きな階段が備えてあるらしいわ! 奴隷の女の子たちに聞いたの!」
俺たちは慌てて後を追った。少女が向かった先には、壁の陰に隠された大きな階段があった。
「……階段?」
「あった! ここを上れば地上に出られるわ!」
階段の上には、外からの光が差し込んでいる。入口も十分に広く、何人もの人間が一度に通れそうだった。
「よし、行くぞ!」
俺たちは階段を駆け上がった。一段、二段、三段。
……長い。
「おい! まだ着かねえのか!」
「もうちょっと!」
「さっきからそれしか言ってねえぞ!」
さらに階段を上る。五十段、百段。
「……いや、どんだけ地下に作ってんだよ!」
「はあっ、はあっ……」
リナが息を切らしている。
「だ、大丈夫か?」
「だ、大丈夫です……!」
ヴィルも肩で息をしていた。
「くそっ……こんなことなら、もっと体力をつけておくんだった……!」
「お前、元冒険者だろ!」
「元、だからな!」
先頭を走る少女は、相変わらず余裕そうだった。
「ほらほら、置いてくわよ~!」
「待てええええっ!」
そして――。
「……っ、やっとか!」
ようやく階段の先に光が見えた。俺たちは最後の段を駆け上がり、地上へ飛び出した。
「はあっ……はあっ……」
外の空気を吸い込み、俺は膝に手をついた。
「……生きてる」
「タツヤさん、大丈夫ですか?」
「なんとか……」
振り返ると、階段の入口から人が次々と這い出してきていた。まるで地下から人間が湧き出しているようだった。
「……なんだ、この光景」
「闇市場から逃げてきた人たちね」
少女は何でもないことのように言った。
「さっきの騒ぎで、みんな逃げ出したんでしょ」
「お前が燃やしたからな!」
「あははっ!」
「笑うな!」
俺は大きく息を吐いた。
……本当に、とんでもない少女を助けてしまった。
すると、少女がこちらを振り返った。
「そうだ! あたしの行きつけのお店があるんだけど、そこに行かない?」
「行きつけの店?」
「そう! 落ち着いて話せるし、何よりご飯がおいしいの!」
「……お前、今の状況で飯の話ができるのか?」
「お腹すいたんだもん!」
「自由すぎるだろ……」
ヴィルが呆れたように呟いた。
だが、ここに立ち止まっているわけにもいかない。俺たちは少女の案内に従い、街の通りへと歩き出した。
セレナードの街は、相変わらず不思議な光に包まれていた。その一方で、遠くからは悲鳴や怒号が聞こえてくる。
……絶対、後で大問題になるよな。
俺は嫌な予感を覚えながら、少女の後を追った。そして――。セレナードの中心にそびえ立つ巨大な樹木。その頂上に築かれた城では、まさに大騒ぎが起きていた。
「ご報告申し上げます!」
城の広間に、一人の兵士が駆け込んできた。
「闇市場が……闇市場が、焼け野原になりました!」
「……何?」
玉座に腰掛けていた人物が、ゆっくりと顔を上げる。
黒い肌。長く尖った耳。鋭い眼光。そして、王族を思わせる豪奢な衣装。その人物こそ、セレナードを治めるダークエルフの領主だった。
「もう一度申してみよ」
「はっ! 闇市場が大規模な火災に見舞われ、現在、甚大な被害が出ております!」
「何をしておるのだ!」
領主が玉座から立ち上がった。
「報告などしている暇があったら、さっさと火を消さんか!」
「は、はいっ!」
兵士が慌てて頭を下げ、広間を飛び出していく。
残された領主は、怒りに震える拳を握りしめた。
「……闇市場を焼き尽くすとは」
低い声が、広間に響く。
「我がセレナードの財政を支える、最も重要な場所の一つだぞ……!」
その声には、冷たい怒気が込められていた。
「我が街の財産を焼き払った愚か者……この私が、必ず成敗してくれようぞ!」
領主は窓の外、煙が立ち上る街の一角を睨みつけた。




