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「……………………は?」
え、なにその反応やめて。こんなやついたっけ、みたいなのやめて。
状況が状況なだけに知らない風を装っているんだと思っていた。その反応では、まるでほんとうに御手洗朝陽という存在を認知していないみたいだ。……おい、嘘だろ。やめてくれよ。
「あなた、名前は?」
「御手洗だけど。御手洗朝陽。窓際の席の」
「…………………いたかしら?」
すんげー小声で自問しながら、眉間にしわを寄せて視線を斜め下に落とす有栖川。
俺って、そんなに存在感ないのかな。たしかに俺は有栖川とまともに喋ったことがない。だけど俺はべつにボッチじゃないし、クラス委員になった女子とは中学からの付き合いで親しいから、教室で浮いているということもないはずだ。顔を見て名前が出てこなくても『同じクラスのやつじゃん』くらいの認識はあってもいいんじゃないか。
まあ、誌的な表現をさせてもらうならば、有栖川は誰もが目を奪われるクラスに咲く一輪の可憐な花であり、相対する俺は、だれの気に留められることもない、雑草にも劣る苔草のような男。記憶になくても仕方がない。……自分で考えておきながら落ち込んできたわ。
「そもそもあなた、3年生じゃないの?」
「……なんだって? おまえ、大丈夫か? ネクタイの色を見ろよ」
この期に及んでなにを言ってるんだ、こいつ。
しかも先輩だと思っていたならその傲慢な態度をどうにかしろよ。
「見たから3年生だと思ったんじゃない。あなたバ……だいぶ頭がおかしいんじゃないの?」
「言い直したところでたいして変わってねーよ!?」
俺のこと虚仮にしてんのか!? クラスの苔だけに――ってやかましいわ!
「ならどうして1年のくせに赤色のネクタイをしてるのよ」
この女は徹頭徹尾なにを言っているのだろうか。間違えて親父のネクタイを着用してきたかと思って確認してみるが、間違いなく青色だ。というか……段々と腹が立ってきたぞ。
「有栖川、おまえの目……」
腐ってんじゃねーのか。
そう言いかけて、俺は思い当たった。どうしてネクタイの色を誤認しているのか。
「サングラス外してみろよ」
「…………あ」
自分でも気づいたらしい。サングラスの偏光レンズ越しでは色覚に齟齬が生じているはずだ。
「ちょっと持っていなさい」
まるで奴隷に告げるかのような冷酷な命令語調で、中身の飛び出した食べかけのあんパンと、容器がべとべとの牛乳パックを手渡される俺。このふたつで連想されるのは刑事の張り込み捜査なわけだが、有栖川はなにをとち狂ったのかストーカー行為でそれを持ち出したわけだ。
まさかとは思うが、カモフラージュのつもりなんだろうか。
「……ほんとうね、青色のネクタイ」
サングラスとマスクを外して、己の過誤に対する反省の色もなく、ただ淡々と告げる有栖川。
「それでも私……あなたのこと知らないわよ?」
困惑げにひそめられた眉の下の、腹立つくらいに綺麗な顔。めちゃくちゃかわいいじゃねーか。しかしその口から紡がれた悲しい現実が、言葉のナイフとなって俺の心臓に突き刺さる。
「な、なぜ知らない?」
「なぜもなにも私に責任転嫁しないでちょうだい。あなた、もしかしてクラス間違えてない?」
「んなわけねーだろ!! どんなホラーだそれ! クラスの苔だからって虚仮にしてんのか?」
「……苔? あなた、いったいなにを言っているの?」
「さ、さあ……なにを言っているんだろうな?」
業腹したあまり、思いがけない形で心のなかのツッコミが飛び出してしまった。
「ま、まあとにかくだ」
俺はわざとらしく咳払いをして、苔発言を追求される前に話題を変えることにする。
「おまえが知っていようがそうじゃなかろうが俺はおまえと同じクラスなわけだ。べつに見て見ぬ知らぬ存ぜぬをしてもよかったんだが、こうして会話をしちまった以上、俺も真相が知りたくて仕方がない。どうして有栖川伊織が男子中学生と女子高生をス……尾行しているのか」
「なんですって? 真相が知りたい?」
心底からバカにした態度で、俺のことを鼻で笑う有栖川。
「あなた、高校生になってまで探偵のつもり?」
「さっきまであんパンと牛乳を持ってたおまえには言われたかねーな!?」
「う、ううう、うるさいわね!」
「あなた、高校生にもなって刑事のつもり?」
俺はさっきの有栖川を極端に誇張して、模倣して言ってやった。
「ぐっ、ぐぬぬ……」
アニメや漫画以外で『ぐぬぬ』なんて悔しがるやついるんだな。なまじ有栖川の容姿がとてつもなく整っているだけに、貴重なものを見たようで愉快な気分になってきた。
「ほら、返すよ。大事なものなんだろ?」
有栖川の顔の前に、あんパンと牛乳パックを差し出してやる心優しい俺。
親の仇であるかの如くそれらを睨む有栖川が、なにやらぶつぶつと呟きはじめる。
「…………ス…………ロス…………ス………………ロス」
ス……ロス? エロス? 被虐されて興奮したのかこいつ。俺は耳を澄ましてみた。
「コロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス――……」
エロスだなんてとんでもない、1文字違うだけでとんでもなくバイオレンスだった。
「お、おい有栖川!? そんな心にもない物騒なことを口にするもんじゃないぞ?」
「――こ、これは私のじゃない!」
怨嗟を吐き出し終えた有栖川が、顔を上げて主張する。興奮からか、頬が上気していた。
「あ、あなたのパンと牛乳でしょ? 私のじゃないから勝手にしてちょうだい。なにを勘違いしているのか知らないけれど、食べるにも捨てるにも、あなたの好きにしたらいいじゃない」
「……さすがにそれは無理がないか?」
「は、はあ? あなたのほうが、無理があるでしょ。自分のなんだから自分で処理しなさいよ」
「………………ほう」
有栖川をからかうことに楽しさを見出してきた俺に、そんなことを言うのか。そうか。
いいんだな? ほんとうにいいんだな?
自分とは縁のないと思っていた美少女と会話したことに――クラスの連中は知りえない姿の有栖川を知った事実に、俺は激しく高揚しているようだった。
有栖川の『あなたのパンと牛乳でしょ』という言葉を聞いて、頭のなかに浮かんできた行動。それを実行したら、どんな反応を見せるだろうか。想像するだけで口元がゆるむ。一方で、それをしてしまったが最後、俺が変態に成り下がってしまうことは確実だった。
「おまえのじゃなくて、俺のものなんだな? 食べるにも捨てるにも、好きにしていいんだな?」
俺は再度、有栖川に問うた。自分のためでもあった。
思い直してくれれば、あんパンと牛乳を返却してことは終わる。意地を張って肯定したら、俺は反応の見たさに行動を我慢することができず、変態に成り下がる。
いまここに、社会的地位の分水嶺が誕生していた。
有栖川のリアクションが見たい!
俺までもが変態にはなりたくない!
はたして、俺の運命を決める神となった有栖川の最後の審判は――、
「さ、さっきからそう言ってるじゃないの」
肯定。この日、俺は変態となる。
「……はむっ」
「……………………は?」
「……ちゅー」
「……………………………………」
俺は有栖川の歯型のついたあんパンを食み、有栖川の噛み跡がついたストローをすすった。
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