2-1
「……ひっ!?」
想定していない展開に、口から情けない声が飛び出した。恐怖感から顔も身体も動かせず、ストーカー女と正面から向き合うことになる。まるで蛇に睨まれた蛙の心情である。
「「…………」」
似合っていないサングラス越しでも、俺を凝視していることがわかった。
まさか、俺の呪詛が聞こえたわけではあるまい。唾を飲みこむ音がやけに大きく頭に響く。
はたして、膠着状態は数秒だったか数十秒だったか、もしくは数分か――、
「よ、夜明」
俺が夜明に助けを求める声と、ストーカー女が近づいてくるのはほとんど同時だった。
「なに、アサに…………い…………」
振り返った夜明が、俺に向かって歩いてきているストーカー女の存在を見とがめる。
慌てて駆け寄ってきてくれるかと思った。だが、手を合掌の形にして黙礼してくる夜明。
おいこら、うまく鳴らせないくせに口笛を吹きながら目を逸らすんじゃない。兄の危機的状況を目の当たりにしておきながら他人を装うんじゃない。太ももを見せつけてまで関心を引こうとしたさっきまでの執着はどこへ行ったんだ、妹よ。
「……う、うお」
夜明から視線を戻すと、ストーカー女が眼前で歩みを止めて佇立していた。
その距離、手を伸ばせば触れられる程度。
近距離になって再認識させられたが、やっぱりこいつ、かなりかわいいんじゃないか?
帽子とサングラスとマスクのせいで見える顔の範囲は少ないわけだけど、それでも透明感がうかがえる肌の白さと肌理の細かさは一目瞭然だ。ストーカーをする側ではなく、される側であったほうが納得いく気がする。外見では人を判断できないとはよく言ったものである。
うっすらと透けて見えるサングラスの奥――くっきりとした平行型の二重瞼は……んん?
「あの子は、彼女?」
「へ?」
夜明に人差し指を向けながら、おもむろに問い尋ねてきたストーカー女。
対象となった夜明は、まるで針にでも刺されたみたいに身体をビクッと硬直させた。
見覚えがあるような目だな、と合致する記憶を探していた俺は完全に意表をつかれた。
「い、いや、妹……ですけど」
同学年であることがわかっているはずなのに、未知の恐怖心からか無意識に敬語になる。
「あの制服、第二中学校のものよね」
「え、ええ、まあ」
「何年生?」
「3年、ですけど」
「クラスは?」
無遠慮に問われてからはたと気づく。そういえば、俺は夜明のクラスを知らない。
「それはちょっと……どこだったかな」
「あなた、死にたいのかしら?」
「えっ!?」
「なにかしら?」
「え……い、いまなんか、殺すとかなんとか聞こえた気がしたんで」
「そこまでは言っていないわ」
どこまでは言ったんだ。
「たぶん夜明も――って、妹ですけど、きっとあいつも俺のクラスは知らないですし、べつに知らなくても問題ないかなって思うんですけど。兄妹だからって全部が全部の情報を共有しているわけじゃないですし、俺もそんな詮索しませんし」
素性の知らぬ変態に対して、素直に妹の情報を教えている俺。
警戒する猫ぐらいの距離で、あくまでも俺たちを傍観する当事者の夜明。
「そう、そうなのね」
「ええ、まあ、はい」
というか、この声もなんだか聞き覚えがあるような気がしてきたぞ。
べつだん俺は交友関係が広いタイプではない。同じ中学校出身の知り合い関係でしか、ほかのクラスの連中とは関わり合いがない。それにも関わらず、ここまで目元に見覚えがあり、聞き覚えがあるほどに声音が記憶に残っているとなると、必然、存在感の強い近しい存在ということになる。そこにはさらに、同じ高校の同じ学年だという条件が加味される。
ちょっと、待て。
その意味するところは、もしかして――同じクラスということなのでは?
……マジで?
変態ストーカー女が俺と同じクラスに? 候補になるような女子はいただろうか。
正味、男ならばいくらでも変態というカテゴリーの範疇にいるような気はする。しかしそれでもストーカーレベルとなると話が変わってくる。それが女子ともなると、完全に想像の埒外になってくる。繰り返すが、交友関係が広いわけではないから余計である。
怪訝に思われるのを覚悟して、あらためてサングラスの奥を注視する。そして、身長から髪型から――なによりその秀でたスタイルから、俺はストーカー女の正体を類推する。
うん、確信した。
この変態ストーカー女は、俺と同じクラスの――、
「おまえ、有栖川……だよな? B組の。有栖川伊織」
「えっ!? あ、え、あ………………………………え?」
どうやらそのようだった。
有栖川伊織。すでに説明したとおりの優れた容姿のおかげで、男子からの人気が非常に高い女子である。だからといって女子から嫉妬を起因とした嫌悪を向けられることもなく、世渡り上手な……まあ、端的に言ってしまえば、男女問わずに人気の女子である。
そうなってくれば話は変わってくる。敬語を使う必要もあるまい。というか、もう使っていなかった。失礼なのは承知しているが、有栖川よ、あえておまえと呼ばせてもらおう。
「おまえ、なにやってんの?」
投げかけたのは、これ以上の過不足ない実にシンプルな質問である。
有栖川はしかし、複雑な感情が全身を駆け巡ったかのような珍妙な動きをしたのち――、
「…………違うわよ」
急にキリッとした感じで否定してきた。
だが、悲しいかな、平静を装えることができたのはその瞬間だけだった。
生まれたての小鹿の如くぶるぶると震える手足。手に握られたあんパンは余計な力が加えられて中身の餡が飛び出し、押しつぶされた牛乳パックからも中身がこぼれ出ている。
この狼狽ぶりは、目の前のストーカー女が有栖川伊織であることを雄弁に物語っている。そう、物語ってはいるのだが、俺にはどうも一抹の不安が払拭できないでいた。
はたして、ほんとうに俺の知る有栖川伊織なのだろうか、ということだ。見れば見るほど俺の知る有栖川伊織である。一方で、話せば話すほど俺の知る有栖川伊織とは異なっている。
「違うならそんな動揺しないだろ? おまえは磯原高校に通う1年で、B組の有栖川伊織だろ」
「だ、だだだ、だれがBカップよ! 失礼ね!!」
「胸の話じゃねーよ!?」
つい視線が有栖川の胸に行く。シミひとつない細くて白い首筋。ゆるめられたリボン。ワイシャツの首元からのぞく浮き出た鎖骨。その下には……うん、まあもっと上のサイズですよね。でもちっぱいって言われることを失礼って言い方はどうなんだろうな。夜明なんてきっとBも――おっと、殺気を感じたのでそれについての思考を止める。
「仮に胸のサイズの話だとして、だ」
「……はあ? あなた変態なの?」
「…………」
ざっけんな、おまえが最初に勘違いしたんだろーが!
悪態は腹の底に押し留め、変態かどうかの可否についても無視して話を続ける。
「クラスのBをバストサイズと勘違いして否定したのはいいとして、おまえは磯原高校1年の有栖川であることを否定しなかったな?」
「さ、さっきからなんなのよ、あなた。いったいどれだけそのありす……がわ? イオリ? その子に執着してんのよ。え、なに? あまりにもかわいいから彼女にしたいとか夢に見ちゃってるわけ? 残念だけれど、あなたみたいな芋くさい男は相手になんてしないわよ、私」
「なんかおまえすげーな」
語るに落ちている気がするが、有栖川にそれを自覚している様子はない。ずいぶんと強気なことを言ってくれているが、相変わらず身体は震えているところが滑稽である。
「執着もなにも……いや、だっておまえ、俺と同じクラスだろ」
「……………………は?」
え、なにその反応やめて。こんなやついたっけ、みたいなのやめて。
状況が状況なだけに知らない風を装っているんだと思っていた。その反応では、まるでほんとうに御手洗朝陽という存在を認知していないみたいだ。……おい、嘘だろ。やめてくれよ。
読了ありがとうございました。
感想や反応をいただけると、とても励みになります。
次回更新は本日中を予定しています。
更新予定に変更がある場合は、X(Twitter)にてお知らせいたします。
@Inuyoshi_Chacha




