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「それに夜明。べつに俺は、鼻の下を伸ばしてなんかないぞ」
ストーカー女をあらためて一瞥してから、俺は抗弁する。
ちょっと足が細くて色白で綺麗だな、とか。ちょっと腰が細いわりに出てるところは出てるな、とか。制服に身を包む女性らしい華奢な身体つきはいいな、とか。……それくらいだ。
「……変態」
ぼそっと、毒づく夜明。付帯するのは侮蔑の瞳。だから兄に向けるものじゃない。
「ちょ、ちょっと待て。これは断じて免罪符とするわけじゃないんだが、男っていう生き物はそういうものなんだって。だから、そういう意味では俺は充分に健全なんだって。容姿の整った女性――それも同年代のかわいい女子を見てなにも思わないほうがよっぽど不健康なんだよ」
「ふーん、つまりアサ兄はあの女に鼻の下を伸ばしたことを認めるんだ?」
「いや? 認めないけど?」
というか、俺は妹に向けてなにを力説させられているのか。
「それに帽子とサングラスとマスクで顔が見えないのに、どうしてかわいいってわかるの?」
「いやでも、あの後ろ姿は絶対――」
「視姦したから?」
「してないよ!?」
むーと頬をふくらませて、納得のいかない様子の夜明。
「……ねえ、アサ兄? よ、夜明は、どうなの?」
「なにがだ?」
「1歳違いだから同年代と言ってもいいし……、アサ兄から見て夜明は、か、かわいいの?」
思わず失笑。なんだ、そのわかりきった質問は。俺は嘆息し、半ば呆れながら即答した。
「ああ、夜明はかわいいよ」
「なんか違う!」
「なにがだよ!?」
いまのは満点の花まる回答でしょうが。
「妹として、じゃなくて答えて」
「どういう意味だよ」
夜明が「だーかーらー」と語気を強める。
「夜明をひとりの女性として見て、かわいいと思うかどうかって訊いてるの」
「うーん、唐突にそんなことを言われてもなあ」
言いながら、とりあえず考えてみる。
御手洗朝陽の妹である御手洗夜明。兄の俺とは1歳違いの現在中学3年生。バスケ部に所属する明朗快活な妹だ。生意気なところもあるが、それも愛嬌だと感じさせるのが妹である。
綺麗に整えられた眉の下に鎮座するくりっとした大きな目。小鼻に乾燥知らずの薄い唇。
背中まで伸ばされた髪の毛は後頭部でひとつにまとめて垂らされた、いわゆるポニーテールとかいうやつ。まるで犬の尻尾のように左右に揺れ動く様子は、夜明の感情豊かな性格を表しているようでよく似合っている。
結論。
妹は妹である。
かわいいことには疑う余地がないが、家族を女性として見るのは無理な相談だった。
「まあ、夜明は整った顔立ちだからな」
俺とは違って。それだけは厳然たる事実なので、あらためて伝える。
「うん。夜明はかわいいと思うよ」
「そうでしょう、そうでしょう」
さっきと同じ回答にうんうんと頷きながら、満足げに頬を弛緩させて平板な胸を反らす夜明。
「だからアサ兄には夜明の太ももを見せればいいんだよね!」
「どういう理論!?」
言って、またしてもスカートを掴む夜明を「やめい、やめい」と慌てて制止する。
「いったいどうしちゃったんだ、夜明」
「どうしちゃったもこうしたも、お兄ちゃんが言ったんでしょ?」
はて? はたして俺は、妹を露出狂にするような破滅的な失言をしたんだろうか。
「夜明は、同年代。夜明は、かわいい」
一言一句を区切って強調しながら、人差し指を自分の顔に向ける夜明。
言い終えると、今度は手のひらを『どうぞ』といった感じで俺に向けてくる。
「はい、復唱」
「よ、夜明は……同年代。夜明は、かわいい」
「つまり――」
意気込むような間を挟み、夜明はビシッと人差し指を俺に向けて、決然と言い放った。
「アサ兄は、夜明で興奮する健全な男子高校生!」
「しないよ!?」
「アサ兄は、家族団らんの場で夜明を視姦する健康優良児!」
「通報されるわ! もしくは勘当されるわ!」
「アサ兄の嘘つき!!」
「なんで!?」
理不尽だろ! 意味がわからん!
「ぶーぶー、不健全男子ぃー」
とにかく夜明は、俺の回答や反応が気に入らなかった様子である。
「ぶーぶー、ド変態高校生ぃー」
不貞腐れたように唇をとがらせて、俺を置いていくようにして先を歩きはじめた。
まさか先刻の『容姿の整った女性――それも同年代のかわいい女子を見てなにも思わないほうがよっぽど不健康なんだよ』って俺の発言を論拠にした行動だっていうのか?
まあ、難しいお年頃ってやつなんだろうな、きっと。
しかしなんだ。夜明の後ろ姿を微笑ましく思うのを自覚しながらも、俺は困惑していた。
御手洗夜明は――俺の妹はこんな子だっただろうか?
この数分間のあいだに、俺たちは幾度、『視姦』だの『変態』だのといった単語を交わしたのだろうか。世の一般的な兄妹の数年分――いや、一生分を交わしたんじゃないだろうか。なにより、いったいいつから夜明は俺のことを変態だと認識していたのだろうか。いったいいつから夜明は変態になってしまっていたのだろうか。
そこまで考えて、俺は失念していたストーカー女の存在を思い出した。
そうだ。夜明が変態と化したのは、あいつのせいなんじゃないか。そうに違いなかった。
俺と同じように、生のストーカーを目撃したのは夜明もはじめてのはずだ。ただでさえリアルな変態との遭遇は衝撃的なものなのに、それが兄と同じ高校の同じ学年ともなればなおさらだろう。強く動揺して、少しばかし言動に異常が生じても無理からぬことであるはずだ。
責任転嫁だろうがなんだろうが知ったことではなかった。
警察に通報するつもりなんて毛頭なかったけれど、やっぱりしてやろうか。
おまわりさん、ここに妹をたぶらかした変態がいます。あくまでも主題はそっちで、ストーカーの罪はおまけだ。俺の妹を穢した罪のほうがよほど重い。
件のストーカー女は、俺が夜明と無為なやり取りをしていたあいだにも、しっかりと尾行を継続していた。若干の距離は生まれていたが、そう離れてはいなかった。
夜明を追うようにして歩いているだけでも、ほんの数メートルにまですぐに近づいた。
「この野郎ッ、よくも夜明をッ!!」
あくまで小声で、ストーカー女の背中に向けて呪詛を飛ばした。
その瞬間――、
ぐりん、と音でも鳴りそうな動きで、ストーカー女の顔が俺に向けられた。
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