5-1
放課後のことである。
帰りのホームルームが終わり、そそくさと退散しようとした俺を阻んだのは、もちろん有栖川伊織であった。5限と6限の授業のあいだも有栖川から黒い霧が消えることはなく、戦々恐々と過ごしていた俺は、休み時間に謝罪する勇気を出すこともできず、結果、とりあえず今日はもう関わることはよそうと帰宅することを決断したのだった。すぐさま捕獲されたわけだが。
そうして俺は、有栖川に連行されるような形で昨日訪れたスターバックスまでやってきた。
人生初の来店からあいだを置かずに二度目の来店である。立派な陽キャになった心地である――と言いたいところだが、そうではない。いまの俺には取調室みたいなものである。
おまけに、昨日俺たちに注意をした店員がいた。うるさい客がまた来やがった、とでも思われているかもしれない。こうした被害妄想こそが俺を陰キャたらしめる由来なのかもしれない。
有栖川はてきぱきと自分の注文を済ませると「じゃ、あとはお願いね」と座席に向かってしまった。仕方なく俺はメニューを指差す形で注文を済ませて、支払いを行った。
テーブル席に着くなりそのことを確認したら「約束を破った迷惑料よ」と言ってのけた。
「それで? いったいどういうことなのかしら?」
「……と、言いますと?」
「死にたいのかしら?」
有栖川の眼光が鋭く光り、俺を睨みつける。
「待て、待て。俺だってちゃんと行くつもりだったんだよ。けど、やむを得ない事情がだな」
「やむを得ない事情? それは、ほんとうに私との約束を違えるほどの事情なんでしょうね?」
「あ、ああ。それはもちろん」
有栖川は「ふーん」と、怪しむ目つきを崩さず俺を見据えたまま、コーヒーを口元に運ぶ。
「そう。それなら、その事情とやらを30字以内で簡潔に説明しなさい」
俺は出た、と思った。フィクションの世界でしか見聞きしないようなセリフである。そんな瞬時に文字数計算できるわけねーだろ、と思いながらも、一応は考えてみる俺。
えーと、朝の時点で件の女子が天城久遠であることは掴んでいたが、休み時間に話を聞くことができなかった。そのまま約束の昼休みを迎えてしまったものの、一縷の望みをかけて探しに行ったら、久遠の後ろ姿を見かけた。あとを追いかけようとしたら茉城志麻に捕まり、雑談に興じる。しかし、結果としては久遠と食堂でごはんを食べながら情報を引き出すことに成功した。その内容は、今回の事件の疑問点を解消させるのに値するものである。
これを30字以内だと? 不可能じゃね?
「なにをぶつぶつと喋っているのよ。陰気くさいわね」
「う、うるせーな。おまえの30字以内って要求に応えようと考えてるんじゃねーか。瞬時に言えるわけないだろ。それに、あいにくと俺は物事を端的にまとめるのが苦手なんだ」
「ぐちぐちぐちぐちと。まったく、言い訳と他責ばかりは達者よね。なんでもいいからさっさと説明しなさいよ。やっぱり死にたいのかしら?」
そこまで言うなら仕方ない。俺は発言した文字を指で数えながら、言ってやることにした。
「かけるくんといっしょにいたじょしをつきとめたから、そのこからは――……」
「その子から『は』……なによ?」
「文字数オーバー」
「……………………」
「熱ッ!?」
急に満面の笑顔になったかと思えば、俺の手にコーヒーカップを当ててきやがった。
「気をつけなさいよ。あんまりふざけたことばかり言っていると、さすがの私でも手が出てしまうところだったじゃないの」
「もう出てますけど!?」
その『さすがの私でも』発言が、どこにかかっているのかもわからない。
「まったく、もう文字数制限は無視していいわよ」
有栖川は俺の手に当てたコーヒーカップを口元には運ばず、そのまま机の上に戻した。こいつ、コーヒーカップを凶器かなにかだと思っているんじゃないだろうな。俺は地味な攻撃をなかったことにする有栖川に見せつけるよう、ことさらに手をさすりながら説明をはじめた。
「じゃあ、あらためて言わせてもらうが、朝の時点で翔琉くんと一緒に歩いていた女子を突き止めることができたんだ。それで……その子から話を聞くチャンスが昼休みにあったから情報を引き出していたら、思いのほか時間が経ってしまっていてだな。当初の予定ではサクッと終わらせて、おまえに呼び出された場所に行く予定だったんだ」
嘘はついていないはずだった。大幅に省略したり、物事の言い方を変えただけである。
「そう、なんだか節々に気になる箇所があるわけだけれど、それは、まあ、いまはいいわ」
「……理解してくれたか?」
「勘違いをしないでちょうだい。理解はしたけれど、まだ、納得はできていないわ。あなたを許すかどうか、どんな懲罰を与えるかも含めて、まずは、私との約束よりも優先して引き出したというその情報を聞いてから判断させてもらうわ」
懲罰に関してはコーヒー代じゃないのか、と思いつつも、この展開は想定内のことだ。
もとより俺は、翔琉くんと一緒にいた女子を突き止めただけでは情報が弱いと思って、有栖川との約束ではなく、久遠から話を引き出すという行動を優先したのだ。
昨日と同じエスプレッソアフォガードフラペチーノで喉を湿らせてから、有栖川に説明した。
当該日、翔琉くんは複数人の不良に絡まれて、天城久遠に救われたこと。
そのことを契機に久遠に一目惚れをして、告白までしたこと。
その後の変化については俺の見解に過ぎないが、ひとりの男として立派になるために有栖川に甘えることをやめて、スキンシップも拒むようになったであろうこと。
有栖川は不良に絡まれていたと説明したところで「なんですって?」と殺意むき出しに憤慨したり、久遠に惚れたと説明したところでは「なんですって?」と顔面蒼白になったりと、終始、落ち着かない様子で黙って聞いていることができなかった。しかしそれはあくまでも自問のようなもので俺に問うているわけではなかったため、一息に開陳することができた。
「それで?」
説明が終わって数秒ほど黙り込んでいた有栖川が、なにかを問い尋ねてくる。
「その、天城久遠とかいう女は信用できるのかしら?」
「うーん、信用もなにも、べつに嘘をつく理由もないと思うがな」
「翔琉を騙すような女かしら?」
「……それはないと思うが」
「その女の語ったことが真実だと判断できる根拠は?」
なんだろう、弟を溺愛しているがあまり多少は懐疑的になるのは仕方がないと思っていたが、いささか度が過ぎてはいないだろうか。もはや心配を通り越して狂気になりかねないぞ。
「最初に言ったが、久遠に嘘をつく理由はないだろう?」
有栖川が「久遠?」と眉をひそめる。
「あなた、今日はじめて会った女のことを名前で呼んでいるの?」
「ああ、そう呼んで欲しいって言われたからな」
「騙されているわよ、あなた」
いや、なんでだよ。
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