2-1
いったいいつのまに登校してきたんだ。クラスメイトと思しき女子ふたりと会話にいそしんでいる様子だが、なぜかこのタイミングで俺と目が合った。そして視線が交わされた瞬間に卑しい笑みが口元に浮かんだのを俺は見逃さなかった。
「あら? おはよー、有栖川さん」
俺の動きにつられて後ろを振り返った琴吹が、有栖川の存在に気づいて挨拶をする。
「おはよう、琴吹さん」
見たことのない笑顔の有栖川。有栖川以外のふたりについては、俺は名前を知らない。
健全な男子高校生たるもの、会話をする間柄でなければ特徴のない女子の名前など覚えることはないのだ。もしかしたら違うクラスの女子が遊びに来ているだけかもしれんしな。……これで同じクラスだったら、俺に有栖川のことをどうこう言う資格がないわけだが。
挨拶を交わし終えた琴吹が、不思議そうな顔で俺の顔を覗き込んでくる。
「御手洗くん、挨拶は?」
「え? だれに?」
「有栖川さんたちに」
俺は昨日の女王然とした態度とは異なり、可憐な姿の有栖川を一瞥してから言った。
「あ、ああ。おはよう、琴吹」
「うん、おはよう、御手洗くん――じゃなくて!」
「これは失礼。おはよう、たまちゃん」
「たまちゃんはやめて?」
テンプレのやり取りを行いながら、俺は有栖川の顔をちらと見遣り、さっきの仕返しとばかりに口元に笑みを浮かべてやった。その瞬間、あいつの額に青筋が浮かんではすぐに消えたのを見た。……恐ろしく速い感情抑制。俺でなきゃ見逃しちゃうね!
「琴吹さん、ずいぶんとその…………仲がいいのね?」
不自然なあいだがあった。だからいい加減に名前くらい覚えろよ。
いったい何度、琴吹が「御手洗くん」って言ったと思っているんだ。
「え? ああ、御手洗くん? 中学1年のときからずっとクラスが一緒だから、それなりにね」
「へえ、それはずいぶんと苦行――じゃなくて、珍しいこともあるものね」
「ねー。高校が同じなのはもちろん知ってたけど、まさかまたクラスが一緒になるなんて思いもしなかったよ。ほんとビックリ!」
ほんとビックリ。有栖川がずっと一緒のクラスなことを苦行って言ったのにそこスルーするの? 聞こえてなかったの? なるほど、本性を知っている俺でなきゃ聞き逃しちゃうね!
そして俺は、この絶好のからかいチャンスを見逃しちゃうわけがなかった。
「なあ、有栖川。おまえいま、俺と一緒なクラスのことが苦行とか言わなかったか?」
「ん、なっ!?」
まさか俺から突っ込まれるとは思っていなかったのだろう。あいにくと俺はずっと素なので、変に言動を注意する必要もないんだ。所々で人格を装うだなんて面倒くさいことよくやるぜ。
「もう、御手洗くん。なにを言ってるの? 有栖川さんがそんなこと言うわけないでしょ?」
「そうか? いまにも俺のネクタイを掴んで机に引き倒しそうな顔で睨んできてるけど?」
そう言ったときには眉間にしわを寄せていた有栖川だったが、琴吹を含め、名無しの女子ふたりが確認しようとした瞬間には柔和な表情を浮かべていた。
仮面をかぶっているかのような変貌ぶりに、素直に感心した。それと同時に恐怖も感じた。
「もう、御手洗くんってば。有栖川さんがそんな野蛮なこと考えるわけないでしょ? いつもの素敵な有栖川さんじゃない。ねえ?」
「そうだそうだ。アリスはそんな子じゃないから」
「ぷっ、モテない男子が緊張して変なこと言ってるだけじゃないの?」
琴吹が名無しの女子ふたりに同意を求めて、図らずも有栖川がアリスと呼ばれている新情報を得る。まあ不思議な国のアリスじゃなくて、不思議な顔のアリスだったけどな、いま。
それに野蛮なことを考えるわけのない女子は「死にたいの?」が口癖なわけがない。「いつもの素敵な有栖川さんじゃない」と言われても、俺の知る有栖川は素敵じゃなくて変態なんだ。実際にネクタイを掴んで引き倒した前科だってあるんだ。どうして俺が責められる。
「苦行だなんてそんな……でも、勘違いさせてしまって、申し訳ないわね」
ずいぶんと殊勝な態度で俺に頭を下げる有栖川。気のせいじゃなければ、肩が震えている。
「もう、御手洗くん。有栖川さんに謝りなさい!」
「え、俺? なんで?」
マジでなんで?
「アリスはまったく悪くないのに、それでも頭を下げてくれてるんだよ?」
「そうだそうだ、この非モテ代表みたいな顔して!」
うん、名無し女子その2のおまえ、さっきからモテないモテないうるせえ。その言葉を聞いた有栖川の肩の震えが大きくなってるし。絶対に床を見ながら笑ってんだろ、こいつ。
こんなとき、クラスカースト下層の俺の取るべき行動は……悔しいが、仕方あるまい。
「……陰キャで非モテのくせに変な勘違いをして悪かったよ」
ことさらに己を卑下して、相手が求めているであろう行動を選択するのだ。
「アリスが御手洗の思ってるような子じゃないってわかったならいいよ」
「自分で非モテとか言ってんの? 陰キャまで追加してるし、マジでウケる!」
マジでウケねえよ。名無し女子その1はまだいいが、その2、おまえはぜってー許さんぞ。
「まあまあ、べつにお互いに悪意があったわけじゃないんだから、ね」
あくまでも中立の立場を守る琴吹には悪いが、有栖川はきっと悪意しかなかったからな。見てみろ、俺の謝罪の言葉を耳にしたとたんに顔を上げた有栖川の表情を。してやったりって顔してるだろうが。これがいつも素敵だって? んなアホな。へそで茶が沸かせちまうぜ。
「はい、だから――仲直りの握手、しよ?」
「は?」
「え?」
ニコニコと、自分の提案が素晴らしいと疑わない顔をしているクラス委員の琴吹珠美。
この隠れ巨乳、なんだか聖母じゃなくて保育士みたいなこと言い出したぞ。
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