第八章 プロローグ
日の落ちた後の暗闇の様な部屋の中。電球の光、窓から入る光すらも闇に包まれて吸収し、消し去ってしまいそうにな部屋の中に、椅子に腰かけている男性が一人。そしてその前に立つ二人の女性がいた。
「本当に行くのかね?」
「はい」
「……」
女性は、男性の質問に一切の妥協なく答えた。そこには、人間らしい猛々しい感情と熱意、そしてそれとは真逆のどこか非人間的な感情が籠っているように感じた。
男性は、そんな彼女らの顔から眼を逸らしながら、窓の外を見る。
「分かっているのかね。我々は、神江家には一切かかわってはならない」
「えぇ、勿論。経済界どころか警察内部の機密情報を握られて動けなくなっている……それが、神江家に手を出してはならない秘密」
「……」
ちょっとだけカマをかけたのだが、押し黙っているところを見ると、図星なのだろう。
警察が神江家に手を出せない理由。それはひとえに、神江家のもつ莫大な資産以上に膨大な人脈、そして取引に使う事の出来る道具の数、という物がある。
勿論、この男性だって神江家の黒い噂をいくつも聞いたことがある。神江家当主、神江任三郎が社長、もしくは相談役として並び立っている会社の中で起こる神隠し。
神江家に接触を図った人間が、記憶を無くして戻って来る謎の現象。
そして、彼が理事長を務めている神江女子高等学校の卒業生の居所。
それこそ、上げればきりがないほどに神江任三郎という男には常に悪いうわさが付きまとっている。当然、その孫娘たちにも。
そう男は語るが女性は心の中で『嘘つき』と男性を罵っていた。
彼女は勘づいているのだ。警察が動けない、いや動きたくない理由を。もし勇気ある人間が動いたとしても男性は神江の名がつく物を見た瞬間に記憶や士気と言った物を封じられて帰ってき、うらわかき女性は二度と帰って来ることはない。
この場所にいる女性二人は、しかしそんな触れてはならない様な物にあえて立ち向かおうというのだ。知っていても、なお。
「例え、それで自分や、その子の人生が狂ったとしても……か?」
男性は、明後日の方向を向いたままで女性に問いただした。自分の人生、ソレを狂わせてでも追うべき存在があるのか。ソレを知ってもなお、神江を追い詰める覚悟があるのかと。
そして、自分の相棒たる人間を犠牲にしてもいいと思える、そんな事件であるのかと。
果たして、女性はとても爽やかな凛とした笑顔を浮かべる。
「私は、私の母に繋がれた因果を、そしてそこから連なった悪意……その悲劇を二度と繰り返したくない。ただ、それだけです」
「……キミも、それでいいのかね?」
「……はい!」
と、女性よりもやや歳の離れた女の子が自信を持ち、胸に手を置く。思いを、隣にいる女性にも伝える様に、心をこめられる様に。
「元々私の人生は終わっていたような物……そんな私を、先輩は救ってくれました。先輩と一緒なら、例えその道が……≪地獄≫に続いていたとしても、着いて行きます!」
男性には見えていない。見えるはずがない。その目には確かに女性と同じ≪正義≫という不確かな、しかし彼女たち自身が持つハッキリとした形を保った行動原理が映っていた。
自分たちの正義、それが全て正しくないことを知っている。
この世界には他人の正義を、純粋な心を、人権を無視する人間が山ほどいることを痛いほどに知っている。
だから、彼女たちは向かうのだ。そんな人権を無視させる原因となった、元凶となった人物をこの世から消すために。
これまで、大義名分がなかったが故に動けなかった。神江任三郎という人間と会う、あるいは町に行くことすらも許されないという煩わしさ。
それが、今回の神江女子高等学校がある町で起こった大量殺人事件。そしてそれとほぼ同時期に活動を開始したアイドルグループ≪デッドゴッドエンジェルズ≫のあるメンバーの名前によって状況が完全に変わった。
彼女が、≪特能犯罪捜査課≫の二名が動くには十分すぎる理由、そして最初で最後のチャンスになると考えていた。
「はぁ……」
と、ため息をついた男性はもはや諦めたかのように呟く。
「分かった、許可しよう。ただし危険だと思ったら直に、引き返すことだ」
「ありがとうございます。警視総監」
女性は女の子と共に惚れ惚れとする敬礼をした後、踵を返して部屋の外に出て行った。
警視総監、と呼ばれた男性は、その姿を見ることもなく、ただただ窓の外にいつものように見える青空と雲を見上げるだけ。
鬱陶しいくらいの青空、そしてまぶしすぎる太陽が目に入る中、彼はその目を細めて微笑みながら呟いた。
「残念だよ。キミのような有能な人物が、いなくなることが。そして、タノシミだ。キミたちのような人間があの中に入ることが……」
今、この部屋には正義なんて物はない。あったのは、欲によってがんじがらめにされてしまったとてつもなく情けないたった一人の俗物だけであった。
「それで、どうするんですか先輩?」
「まずは例の町に行ってみる。その後は、神江家……の前に、あのアイドルグループに接触する事ね」
少女は先輩、と呼称した女性に足早の中での問いかけを行う。女性は、立ち止まることなく、また少女に顔を向けるわけもなく早歩きのまま、警視庁内部を迷路を踏破しようとしているかのように進みながら自分の考えを伝える。
「そのアイドルグループ、そんなに重要なんですか?」
少女は素朴な疑問を呈した。そう、彼女が神江家捜査を行うための大義名分として提示したものの一つ、アイドルグループ≪デッドゴッドエンジェルズ≫。どうやら高校生五人と日本国外の小学生一名で構成されたグループであるようなのだが、その中のとある人間の名前に彼女は見覚えがあったらしい。
その、見覚えという物について少女は詳しく聞けていない。聞いても、はぐらかされたり、聞いてはならないことと厳守されたりしていたからだ。
結果、彼女は何も知らないままに女性についていくことになる。何も知らないまま、でもそれが一番幸せであるかのように。
しかし、女性は一瞬立ち止まり、少女に振り返る。
「引き返すなら、今の内よ」
まるで、それが最終通告であるかのように。ここから先、一緒に着いて来たら絶対に後悔することになる。そう、伝えているかのように。
けど、少女は不敵な笑みを浮かべると言った。
「さっきも言いました。例えこの先に続く道が≪地獄≫だろうと、私は先輩と一緒にその≪地獄≫へと行きます。それが……」
私たちを救ってくれた、先輩への恩返しだから。彼女は最後に心の中で呟いた。
その姿を見た女性もまた不敵に、しかし今度は自信たっぷりに微笑むと言った。
「神江家に関わった女性が辿る道を私は知っている……いえ、確証はある。はっきりとした証拠はないけど……正直恐ろしさに立ち止まりそうになるわ。けど、私も……貴方と一緒なら、≪地獄≫でも怖くない」
「先輩……」
そうでしょ、母さん。彼女もまた心の中で呟いた。
神江家に迫った人間の末路。それが地獄への道。そうと知ってもなお自分の信ずる正義のために歩みを止めることのない女性と、その女性についていく少女。
これは、地球という星にとっては小さな、しかし世界という一つの視点から見れば大きな分岐点となったとある出来事。
その、顛末を記した物語である。
この時、少女の目には女性の姿に虹がかかっていたように見えたと言う。あの日、自分たちが作り出し、そして救い出された時にも見た、あの綺麗な虹。
ソレを見た瞬間、少女は確信したと言う。
この事件が、一筋縄ではいかない物である、という事を。
ある意味で、今更感のある感想であるが、彼女にとってはその感想が今ようやく表面化した、と言う事実の方が重大な事であったのだろう。深く知らないままに、何も知らないままに、童の様に大人にただついていくだけの大人の体をした、心が半分子供のまま止まってしまった。止まらされてしまった女の子にとっては。




