第二十八話 本気
「ぁ……」
尿意という物はいきなしに来るものではない。膀胱の中に徐々に徐々に溜まっていくソレの感覚があって、あぁ、トイレに行きたいなという感覚が先行し、それでもまだ大丈夫だと考え我慢して、それでも膨れ上がった感情がソレ、である。
当然ながら、牟六も鳴もそして調もその徐々に溜まっていく感覚、というのは確かにあった。人間なのだから当たり前のことだ。しかし、まだ大丈夫、まだトイレに行くには早すぎる。
結果論だが、もしも彼女達がどこかのタイミングでトイレに行っていたらこんな事になっていなかっただろう。
あたかも、公園の水飲み場の蛇口を勢いよく開いたときのような音が三つ、盛大に鳴り響いた。それと同時に、三人がそれぞれに履いているスカートやズボンにとても大きなシミが生まれる。
三人は当然羞恥心を感じた。当たり前だ。鳴や牟六は高校生。調に至っては大人の女性。それが、こんな真昼間の外で、いわゆるお漏らしなんてしてしまって、恥ずかしくないわけがない。
下腹部に感じるじめっとした感触と、生暖かいソレが、パンツやズボンを伝って彼女たちの快楽中枢を刺激するかのように弄び、そして大きくなっていく何か。
恐らく、羞恥心とはまた別の存在。好奇心か、それとも懐かしき恥辱の感触を味わったからなのだろうか。牟六と鳴は、両足をこすりながら、徐々に徐々にその感覚を懐かしみ、そして楽しんですらいた。
当然そんな記憶のない調は自分がなしたことにただただ恥ずかしがることしかできなかった。特に彼女だけスカートであるために、パンツからあふれ出たソレが足を伝って、靴を汚し、そして地面に染みになっていく様子すらも見て取れる。
恥ずかしいと言う言葉すらも憚られるくらいの光景。しかし、ソレに快楽を覚えてしまった二人をよそに、調は一人、前と後ろからあふれ出る殺気に顔をこわばらせていた。
いつからだ。
一体いつから、ソコにいた。
だって、アナタはついさっきまで、百メートル位離れた場所にいたはず。ついさっきまでトガニンと戦っていたはずでしょう。なのに、どうして今、自分の後ろに立っているの。そう、疑問を呈したかった。
でも、できなかった。声が出せなかった。
あまりにも、恐ろしすぎた。
止められなかった。
今も下半身を汚しているソレを、止めることなんて、できなかった。
だったら、いっそのこと二人と同じように快楽に身をゆだねるとしよう。
この、もう二度と味わえないかもしれない快楽を。
二度と味わいたくない羞恥心を。
二度と感じたくない絶望を。
感じながら、頭の回転を止めよう。そう、調は思っていたと言う。
一方で。
「……」
「……」
「え、クライム……パニッシュ?」
アメンドは、ただただ二人の姿に呆然となるだけだった。
早すぎた。あまりにも突然の行動過ぎて頭が回転しなかった。
ふと横を見てみると、クライムは両手に≪マシンガンを二丁組み合わせた≫ような何かを持っていて、その引き金に指をかけていた。
いや、それだけじゃない。少しクライムの後ろをちらっと見てみると、まるで大仏の後光のように広がった四角い何かが鎮座している。その穴の形状からして、恐らく中身は≪ミサイル≫、であろうか。何とも、物騒な物を持ちだしている。そう、アメンドは思った。
一方で、パニッシュもパニッシュである、というか気がついたら彼女は自分たちの近くからいなくなっていた。一体どこに、と周囲を見渡してみれば、鳴と牟六と、そしてもう一人の女性、調。その三人に≪背中≫を見せる形で立っているのが、アメンドの目には映った。
だが、只立っているだけではない。構えからして、恐らく空手、いや八極拳であろうか。離れていてもオーラが伝わってくるくらいの猛々しい、そして肌を焼け焦がすくらいの殺気を放っているのが、鈍感なアメンドにすら分かった。
パニッシュは微動だにしない。ただその姿形を保ったまま、まるでフィギュアにでもなったかのようにその場に鎮座して、待ち構えた。その、当該人物が来る時を。
≪三秒≫。
ソレが彼女達が武器を、構えの動作を完了させるまでにかかった時間。
そして。
「遅いわね、貴方たち……」
二人が、本気の姿勢を見せたのは、その人物の気配を察知してから≪一秒≫後の事、だった。
強い。それが、その女性の気を感じた時の二人の共通認識だった。トガニンを倒して、和気藹々と話していた時から一片した空気の重さ。それを敏感に察知したクライムとパニッシュはまるで示し合わせたかのように即座に動き出したのである。
そう、少し前にその時が来たら一瞬で戦う姿勢に入ると、その言葉を体現したかのように、今自分たちが出せる一番の本気を、見せたのである。
クライムは、自分の家で≪ひそかに≫改造していた二丁のマシンガンを組み合わせた簡単なガトリング砲を両腕に、そしてこれまた≪ひそかに≫作り上げていた巨大ロケットランチャーのセットを出現させ、その女性が来るである方向。つまり、鳴達がいる方向に向けて殺気を向けた。
パニッシュに至っては、考えるよりも先に足が出た、と言った方がいいだろう。一瞬で鳴達の背後に立つと、いつどんな敵が来ても、そしてどんな攻撃が来ても≪三人を守れる≫ようにと構えを取った。音を置いて行ったと錯覚するようなその動きは、ともすれば早過ぎて現世組の三人を吹き飛ばしかねないものだった。良く持ちこたえた物である。それか、自分が無意識のうちに加減をしたのか。
なんにしても、二人がこれまでに一度も出したことのない様な殺気を醸し出していたのは確かだ。
結果、そんな二人の、いや≪化け物≫も含めて三人の間にいた物だから三人の何の罪もない女の子たちは力が抜け、下半身から出るソレを抑えきることができなくなってしまったのだ。
このことに関しては後で謝罪するとしてだ、今は目の前の敵。自分たちが動き出して≪一秒後≫に姿を見せた女性から目を離してはならない。そう、二人は考えて居た。
「……」
パニッシュは唾を呑み込んだ。いつ以来だろうか。こんなに緊張感を持ったのは。死の直前に至ってもなお緊張感を持てなかった自分が、まるで病かのように目を見開き、唇を噛みしめ、自分の中で一番の力を持っているその肉体を曝け出したのは、一体いつ振りか。
それほどまで、女性が強い存在であることを認識していた。
「フフフ……貴方たちがエンジェル、ねぇ」
「あなた、誰? 私たちの事を、知ってるの?」
「えぇ、よ~く知ってるわよ」
と言った女性。あまりにも人間離れした肉体をしている。
大きなバストと谷間、というのはパニッシュやクライムと同じだからそれはそれとしていいし、露出度の高い服装と言うのも人それぞれに趣味があるからこの際無視しておくとしよう。
だが、何だ、あの≪髪≫は。一本一本が小さな蛇のような姿をしていて、まるでギリシア神話に出て来るメデューサを思わせるその髪。それらが一本一本自分たちを威嚇し、挑発してくる姿を見ると腹が立ってくる。
霊力とも超能力とも違う、禍々しきオーラ、妖気とでもいうのだろうか。それも纏っていて、恐らく人間ではないだろうなという予測を立てるのにはそれだけで十分な話。
だが、何より恐ろしいのはその女性がパニッシュから見て、≪一キロ近く離れたビル≫の屋上からその姿と、そしてどこからともなく出している声だけで威圧感を与えているという事実。
これまでのトガニンがお遊びに思えるくらいの迫力と恐ろしさ。そして、背後にいる三人の正者を≪正義の味方≫として守りたいと言う信念がなかったのならば、六人まとめて≪殺されていた≫。そう思わんばかりの強さを醸し出している。
できれば、この武器は使いたくない。クライムは背後にあるロケットランチャーのスイッチを足下ですぐに押せる準備をしてそう思っていた。
今あの怪物がいる場所は、天使たちが使用している粉による防御がなされていない。だから、そんなものを撃てば彼女がいるビル事木っ端みじんになるはずだ。そうなれば、中にいる何の罪なき、というのもアレかもしれないが、人間たちに多大なる被害が出ることは確実。≪正義の味方≫となってしまった自分には、そんな事できなかった。
「ッ!」
ここで、仕留める。瞬間、クライムは手に持ったマシンガン二つを地面に落とす。地面に落ちた二つのマシンガンは掘削機で地面を削った時のような激しい音と金属音を出してその場所を陥没させ、消えた。
そして、瞬時に彼女はその手に≪スナイパーライフル≫を取り出す。勿論、ただのスナイパーライフルではない。本来人間たちが想像するスナイパーライフルは、細くて、長い物だろう。
だが、彼女が取り出したソレは、大砲のような口径をして、その後ろ半分はクライムの肩に乗せられるほどに大きい。こんなもの使いたくなかったが、そう考えながら、クライムは申し訳程度の小さな望遠レンズを覗く。それに目を合わせると、ビルの屋上にいる女性に照準を合わせることができるはず。そう、クライムは考えて居た。
しかし、その行動が命取り。
「なッ!」
いない。女性が。一瞬だけ、本当にその望遠レンズに目を移したその瞬間に、女性はその場からいなくなっていた。それと同時に、先ほどまで感じていた妖気のようなオーラもまた影を潜め、最初からそこには何もいなかったかのような空気が漂い始める。
いや、違う。この感覚は、まだ何かが近くにいる。二人はそう考え、殺気を収めることはなかった。
そして―――。
「近いうち、あるいは遠い未来にまた会いましょう」
と、言う言葉を言い放った二匹の蛇をクライムとパニッシュは踏みつぶし、その殺気を消した。
クライムは出した武器をどこかにしまい込み、パニッシュは警戒を解く。と言っても、常時警戒態勢を取っている形の二人にとって、警戒を解くと言う言葉自体不釣り合いであるのだが。
とかく、一時の脅威は去ったと判断していいだろうと、二人は考えて居た。
「な、なにがあったんですか? クライム……」
アメンドは、武器を出し入れしたクライムの姿に、ただそれだけしか聞くことができなかった。クライムはその言葉を聞き流すと、ただ一言。
「別に……」
というだけだった。だが、アメンドにはそれで十分だった。
たった一言。しかし、その一言がそれまでのクライムの、悪く言えばお茶らけた物じゃなかったこと。それから考えるに、なにかとてつもないものが現れ、そして消えて言った。それを想像することは簡単な事であった。
いつも通りに、トガニンを殺す簡単な仕事だったはずのソレは、しかし最後にはクライムとパニッシュの本気、という物を一瞬でも引き出すとんでもない物となった。
果たして、二人をちょっとでも本気にさせたその人物の正体とは一体。
また、新たな謎が産まれた瞬間、であった。




