6.大変な儀式
6.大変な儀式
私にとってシャワーを浴びるというのはライフラインだ。
何をするにもシャワーから始まる。
私の儀式はシャワーで、その儀式をもって聖域等を行き来する。
一度のシャワーで使う石鹸の量は異常で、上から下まで念入りに洗う。
それこそ耳の穴まで石鹸で洗う。
ガスが止まって、お湯が出なくなった冬場であっても絶対にシャワーを浴びる。
実際にお湯はよく止まった。
定期健診で室内に人を入れる事ができないからだ。
そんな時は冬であっても冷水でシャワーを浴びる。
歯を磨いて、体を洗って、約40分の作業で、これを1日に数回こなす必要がある。
お決まりの、朝出かける前と帰宅後のリセットで2回だ。
ここに洗濯が加わると増えるし、買い物に出かけたりすれば更に増える。
下手したら1日に数時間もの間シャワーを浴びる。
実家暮らしだった頃はプロパンガスで、お湯をタンクに溜めておきそれを消費していた。
お湯の量に上限があったのだが、私がシャワーを浴びすぎるせいで、よくお湯が無くなった。
まとめて、大量の衣類を洗濯する時にはシャワーを浴びっぱなしだ。
石鹸が体の周りに膜を作るくらいに石鹸を使う。
全身カサカサだ。
昔、どうしようもなく強迫観念にとらわれた時に8時間シャワーを浴び続けた事があった。
その後、私は気絶した。
よく不潔恐怖は手洗いが酷いと思われがちだけど、私の場合は手洗いよりもシャワーが酷い。
手洗いで済まずにシャワーまでいってしまうのだ。
手洗いで済まない理由は、何処まで石鹸を付ければ脳が許してくれるのかってところだ。
手だけでは我慢できず、手首、肘と増えていく。
脳を納得させるためには、シャワーを浴びてしまうのが手っ取り早く確実なのだ。
私は浴槽には浸かれない。
浴槽につかるという事は、肛門に触れた水が体全体に触れるということだ。
もう随分と長い間、湯船につかったことがない。
きっと物凄く気持ちいいんだと思う。
そんな、簡単な事すら満足にできない。
儀式は他にも存在する。
洗濯の仕方、服の着方、汚れてしまったと思った物の洗浄作業。
汚れたと感じたら、それがお札であっても洗わなければ納得できない。
洗えない電気製品ならビタビタになるまでエタノールをかけて布で丁寧に拭くって作業を脳が許してくれるまで何度も繰り返す。
許されなかったら、それは諦めるしかないし、例えば本の様な紙製品で洗えないものだった場合はどうしようもない。
やっかいな儀式は日常生活のあらゆる場面に登場して私を悩ませ疲弊させる。




