傲慢なる戴冠と、放蕩の日々
王都の煌びやかな中心街――。下町の泥臭い空気とは無縁の、白亜の石造りビルがそびえ立つ『フルーリア商事』の本社社長室にて、ルカス・モルツは極上の革椅子に深く腰掛け、最高級のブランデーを揺らしていた。
彼の向かいにある豪華な長椅子には、フリルとレースをふんだんにあしらった、目がチカチカするようなピンク色のドレスをまとった小太りの若い女――フルーリア商事の頭取の娘であり、ルカスの婚約者であるクロエが、宝石の散りばめられたカタログを広げて退屈そうにつまみ食いをしていた。
2人にとって、一ヶ月前はまさに「人生最高の瞬間」だった。
フルーリア商事の創業者であり、唯一の重石であったクロエの父親が、急な心臓の病で急逝したのだ。悲しむ素振りを見せたのは葬儀の数時間だけで、残された莫大な遺産と、商会の全権を手に入れたルカスとクロエは、まるで世界の支配者にでもなったかのように歓喜した。
「おい、そこの。早く次の葉巻を持ってこい。気が利かない奴だな、お前は。だからいつまで経っても安月給の平社員なんだよ。お前なぞいつでもクビにできるんだぞ」
ルカスは、部屋の隅で控えていた初老の秘書に向かって、顎で指図しながら灰を床に落とした。
全権を握ってからのルカスとクロエの傲慢さは、目に余るものがあった。長年、先代の頭取を支えてきた熟練の番頭や会計士たちが、現実的な資金繰りやリスク管理について少しでも進言しようものなら、「老害の戯言だ」「俺たちの最先端のビジネスについてこれない無能は去れ」と、容赦なく怒鳴り散らし、次々と解雇していった。
残ったのは、2人の権力と金にへつらう、イエスマンの社員ばかり。
従業員たちの給与を「経費削減」と称して一方的にカットする一方で、ルカスとクロエの贅沢はエスカレートする一方だった。
「ねえ、ルカス。今度の週末の夜会には、この『人魚の涙』って呼ばれる東方の真珠のネックレスをつけていくわ。金貨50枚なんて、今の私たちの商会なら、一日の儲けにもならないでしょう?」
「ハハハ、お安い御用さ、クロエ! お前はフルーリア商事の新しい女王なんだ、王都中の女が嫉妬するような宝石で身を飾ればいい。金ならいくらでもある。いや湧いてくる。俺の天才的な運と経営手腕にかかれば、金貨なんて庭の雑草みたいにいくらでも生えてくるんだからな」
ルカスは高笑いした。
毎晩のように王都の高級カジノへ繰り出し、金貨を湯水のように賭博につぎ込むルカス。
両手に抱えきれないほどの高級ドレスや毛皮、特注の家具を買い漁るクロエ。
下町でエルサに「金がないなら泥水すすってろ」と言い放った通り、ルカスは自分が完全に「神に選ばれた特別な人間」になったのだと、心から信じていた。
儲けに完全に目が眩んだ2人は、さらなる巨万の富を得るため、先代が築いた堅実な基盤を無視し、事業の爆発的な拡大へと舵を切った。
ルカスが発案した『極冷鮮度便』の事業拡大計画は、確かに一時的に貴族たちの間で大流行していた。それに乗じて、大陸中の、それこそ王都から何千キロも離れた遠方の領地を持つ大貴族や、異国の豪商たちから「異国の幻のフルーツを新鮮なまま届けろ」「北海の生きた最高級魚を夜会までに用意しろ」という、桁違いの贅沢な注文が殺到したのだ。
「いいか、クロエ。このチャンスを逃す手はない。注文をすべて受ければ、フルーリア商事はヴァルター商会すら超える、大陸一の怪物商会になれる!」
しかし、遠方へ生鮮食品を冷やしたまま運ぶには、先代が行なっていたような、ヴァルター商会の一部輸送ルートの事業提携など、コストよりプライド重視で切り替え、独自路線を始めた。それは大陸中の無謀極まる【巨額の借金】だった。
多くの中央銀行から、商会の土地や本社ビルなど、全財産を担保に、金貨数億を借り入れた。
集まった天文学的な大金を使って、ルカスは最新・大型の『魔導冷却貨物船』や、特注の『極冷大型魔導馬車』を数千台も一挙に購入した。これらは、維持するだけでも毎日大量の高級魔力結晶を消費する、恐ろしい金食い虫だった。
さらに、ルカスの傲慢さは加速する。
陸路や海路での安全を他に頼らないため、ルカスは著名な傭兵団などを丸ごと大量に雇用し、最新の重装備を購入して私兵として配置した。これによって、毎月の人件費と維持費は、先代の時代の数十倍以上にまで膨れ上がった。
そして極め付けは、南国の島国『ソラリア諸島』の生産者組合との間で交わした、あまりにも無知で強欲な契約だった。
「今後10年間、ソラリア諸島で採れる高級フルーツや特産品は、すべて我がフルーリア商事が【全量】、他社の1.5倍の【固定高値】で買い取る。その代わり、他社には一切売るな。独占契約だ!」
ルカスは、これで競合他社を完全に市場から締め出せる、完璧な戦略だと自画自賛した。
市場価格がどう変動しようが、天候がどうなろうが、10年間、山のような特産品を高い固定価格で買い続けなければならないという、恐ろしい呪いの契約であることにも気づかずに。
「俺は世界の流通を支配してやるのさ!」
ルカスは、哀れむようなせせら笑いを浮かべていた。
莫大な投資という名の「爆弾」の導火線に、自ら火をつけたことも知らずに。
────
ルカスたちの無謀な超大型事業が、まともに軌道に乗るよりも早く――社会の変化と、自然の猛威という名の「自然の鉄槌」が、前触れもなく到来した。
それは、従来の気象を完全に覆す、大陸全土を襲った【未曾有の天候不順】だった。
南国から特産品を運ぶはずの海路は、突如として発生した記録的な大寒波と嵐によって、数十年ぶりに一部が氷結。巨大な氷山が航路を塞ぎ、最新の魔導冷却貨物船は、海の上で一歩も動けなくなってしまった。
陸路でも、数ヶ月も降り続く異様な長雨と大規模な地滑りによって、王都へ続く主要な街道が完全に泥の海と化し、重い魔導馬車は車輪を取られて立ち往生した。
さらにルカス達の不幸は連鎖する。
フルーリア商事が独自に開拓した、他社が使わない未舗装の辺境ルートの周辺で、想定外の「局地的な部族紛争」が勃発。ルカスが雇った傭兵団は、当初は契約通り奮闘し、勝利を収めていたが、賃金の支払いや物資の供給が滞り始めると勝手な行動を取るようになり、本来の守るはずの輸送物資すら奪うようになった。これにより、主要な輸送ルートが【数完全に閉鎖】されるという、最悪の事態が発生したのだ。
「お、おい! どういうことだ! 南国からの物資が、まだ王都の港に入ってこないとは!」
社長室で、ルカスは若い社員の胸ぐらを掴んで揺さぶった。
「す、すみません! 異常天候で足止めを食らっている間に、船の魔導冷却装置の魔力が切れ……積んでいた物資が、すべて船倉の中で【黒く腐敗したドロドロのゴミ】に変わってしまったと……!」
「な、なんだと……っ!?」
届かない商品。届いたとしても、魔法が切れて悪臭を放つ、ただの生ゴミ。
しかし、南国の生産地との間には、あの『10年間全量固定買い取り契約』が存在している。
「ルカス様! ソラリア諸島の組合から、今月分の買い取り代金、金貨500万枚の請求書が届いています! 『商品が腐ろうが届かなかろうが、契約通り全額直ちに支払え。さもなければ武力行使も問わないと!」
「払えるわけないだろう! 今月の売り上げは赤字なんだぞ!」
「それだけではありません! 大型船と馬車を購入した王都中央銀行から、今月分の借金返済と、独自航路の維持費、残った傭兵たちの手切れ金、合わせて金貨700万枚の期日が明日に迫っています! 口座の残高は……もう、数枚の金貨しかありません!」
頭の中が、一瞬で真っ白になったルカス達。
どこを見渡しても、入ってくる金貨はほぼない。しかし、出ていく金は、毎月容赦なく、それも一般庶民の生涯賃金を超えるような大金が、自動的に支払いが発生する。
ルカスはガタガタと震えながら、藁にもすがる思いで、これまでお得意様だった大貴族たちの屋敷へと、お詫びと泣きつきの書状を送った。
「天候不順による不可抗力です。どうか、次回の注文まで猶予を……」と。
しかし貴族たちは、ルカスが思っていた以上に冷酷で、現実的だった。
「商品が期日に届かない? そんな無能な商人の言い訳など、誰が聞くか。我が公爵家の夜会に泥を塗る気か」
「代わりの生鮮食品なら、他の商会が、確実な保存技術を使って、別のルートからいくらでも仕入れてくれた。フルーリア商事? ああ、あの成金の品のない店ね。もう二度と我が家の敷居を跨がせないで頂戴」
貴族たちは、あっさりとルカスたちを見捨てた。
それどころか、契約不履行による「莫大な違約金」と「損害賠償」の請求書を、容赦なくフルーリア商事へと突きつけてきたのだ。
昨日まであれほどチヤホヤしてくれていた投資家や銀行の回収官たちも、手のひらを返したように厳しい表情で、連日、本社ビルへと押し寄せてきた。
「ルカス殿。期日までに返済が滞る場合、担保となっているこのビル、およびフルーリア商事の全資産を、直ちに差し押さえさせていただきます」
黄金に輝く蜃気楼の中にいたはずのフルーリア商事は、わずか数ヶ月で音を立てて急激に、真っ逆さまに没落していった。
数週間後。
かつて華やかだった社長室の高級家具や、壁に飾られていた絵画、ルカスが愛飲していた高級ブランデーのボトルには、すべて銀行の「差し押さえ」を示す、忌々しい赤い魔導封印紙が貼られていた。
空調の魔導具も止められ、白い息が出るほど冷え切った、がらんとした部屋。
そこに、かつての輝きを完全に失い、目の下に真っ黒なクマを作ったルカスと、ドレスの裾が汚れ、化粧がドロドロに崩れたクロエが、ひとつの机を挟んで猛烈に睨み合っていた。
「――全部お前のせいよ、この無能なドブネズミ!!」
静寂を破ったのは、クロエのヒステリックな絶叫だった。彼女は手元にあった、差し押さえを免れた安物のガラスの灰皿を、ルカスの顔面めがけて投げつけた。
灰皿はルカスの耳元をかすめ、背後の壁に当たってガシャーンと派手な音を立てて砕け散った。
「何だと!? 俺のせいだと!? ふざけるな、このデブ女が!」
ルカスも椅子を蹴り飛ばし、血走った目でクロエに怒鳴り返した。
「事業を拡大しろって毎日毎日、俺の耳元でギャーギャー騒いでいたのはどこのどいつだ! 『ヴァルター商会を見返してやれ』『もっと私に宝石を買いなさい』って、商会の資金を湯水のように使い込んでいたのは、お前だろうが!」
「私はこの商会の正当な跡取りよ! 私が自分の金で何を買おうが自由でしょ!? それを、あんたが『天才的な経営手腕』だなんて大口を叩いて、御父様が残してくれた大事な航路やベテランの職人たちを全員追い出したから、こんなことになったのよ! この、ギャンブル狂いのイカサマ男!」
クロエは顔を真っ赤にして、ルカスの胸元を激しく突き飛ばした。
「あんた、私が知らないとでも思ってるの!? 商会がこんなに苦しい時期にすら、あんた、夜中に裏通りのカジノへ行って、逃亡用に隠していた大切な……お金を、一晩で金貨100枚も負けて帰ってきたじゃない! 挙げ句の果てに、毎日毎日、昼間から酒の匂いをプンプンさせて! あんたがまともにリスク管理をしていないから、すべてが腐るのよ!」
「うるせえ! あれは付き合いだ、付き合い! ストレス発散だよ! お前の方こそなんだ! この請求書の山を見ろ!『特注のシルクドレス』『純金のベッドフレーム』……こんな、今すぐ生きるのに必要のないゴミみたいな無駄買い物ばかりしやがって! お前の贅沢のせいで、商会のキャッシュ(現金)がどれだけ圧迫されていたか、その足りない頭で少しは計算してみろ!」
ルカスはテーブルの上の書類を乱暴にぶちまけた。
空中に舞うのは、支払いの滞った督促状と、お互いの放蕩の証拠である領収書の数々。
2人の間にあった「愛」や「絆」なんてものは、最初から存在していなかったのだ。
あるのは、金という名の甘い蜜に群がる、虚栄心と利害関係だけ。その金が綺麗に消え去った今、残されたのは、お互いへの激しい嫌悪と、醜悪な擦りつけ合いだけだった。
「ああ、思い出すわ……! あんたが最初に私に近づいてきた時、下町に『陰気で生意気な元妻』がいるって言ってたわよね? あの女が『あんたはいつか酷い目に遭う』って忠告してたって、あんたが笑い話にしてたじゃない!」
クロエのその言葉に、ルカスの身体が、ピクリと硬直した。
「……そ、それが、どうした」
「あの女の言う通りじゃない! あの女の方が、あんたの本質をよっぽど見抜いていたのよ! あんたは、ただ口先だけで、調子に乗ると周りが見えなくなる、ただの【疫病神】よ! あんたなんかと結婚するんじゃなかった! お父様の商会を返してよ! 私の人生を返してよ!」
「黙れ……黙れ、黙れ、黙れ、黙れぇ!!」
ルカスは頭を抱えて叫んだ。
クロエの罵倒が、かつてエルサが自分の目の前で、あの真っ直ぐな、本気の心配を込めた目で放った言葉と、完全に重なったからだ。
『他人の虎の威を借るだけの栄華は、長くは続かないわよ』
『一攫千金のギャンブルで得た幸運なんて、一瞬で弾ける泡のようなもの』
『いつかまた、あの牢屋の時よりも、もっと、もっと酷い目に遭ってしまうわよ』
あの時、ルカスはそれを「貧乏人の僻み」だと笑い飛ばした。豪華な馬車で泥をはね上げ、一生泥水をすすっていろと見下した。
しかし、今、泥水をすすっているのは、一体どちらだ? と絶望した。
エルサは、ヴァルター商会という大陸一のバックアップを得て、王都の最高級の工房で、着実に、誠実に、自身のビジネスを大きくしていると噂に聞いた。市場での大行列、衛兵の警備、そして貴族たちすらも、彼女の「保存食」の価値を認め始めているという。
それに比べて、自分は――。
「クソッ……クソオォォォ!!」
ルカスは、自分の髪を掻きむしりながら、冷え切った床に崩れ落ちた。
背後では、クロエがなおも金切り声を上げて、ルカスの背中に向かって罵詈雑言を浴びせ続けている。
外では、ゴロゴロと、次の大嵐の接近を告げる不穏な雷鳴が轟いていた。
栄華の頂点から一瞬にして転落し、泥沼の底でお互いを引き裂き合う2人の行く末に、救いの光は、もうどこにも残されていなかった。




