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【連載完結】どうぞ、ご勝手に。その真実の愛とやらで、精々人生を楽しんで下さい【↗】  作者: 逆立ちハムスター


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7/7

新世界の到来

王都の中央、ヴァルター商会が管轄する特設一等区に建てられた白亜の魔導工房。

あの下町の古い家を出て、新天地へと移り住んでから、すでに1年の月日が流れようとしていた。


かつては泥道とカビ臭い干し野菜の匂いに包まれていた私の生活は、今や一変していた。

最新式の魔導錬金台が数百台も並び、常に清浄な空気が循環する完璧な環境。最初は操作の繊細さに失敗続きだった量産体制も、商会のバックアップと私の血の滲むような調整のおかげで、数ヶ月前には完全に軌道に乗っていた。


「みんな、魔力の流速を一定に保って。食材の細胞が完全に固定されるまで、決して呼吸を乱さないこと」


「はい、エルサ師よ!」


工房には、私の真剣な声と、それに応える若い弟子たちの小気味よい返事が響いていた。

提携後の大きな変化として、レイナード様の提案通り、私は「後継者の育成」と「技術の次世代への継承」にも力を入れていた。下町から集められた、身分は低いが才能のある、真面目で地道な努力ができる少年少女たち。彼らは私を「師」と慕い、熱心に私の技を学んでくれている。


彼らの成長のおかげで、下町への安価な保存食の供給は安定していき、遠方の街への輸出も順調そのものだった。


しかし――完璧に見えるこの生活の中で、私の心には、底冷えするような深い悩みの影がつきまとっていた。


「……また、ダメだったわね」


弟子たちへの午前中の指導を終え、静まり返った私個人の研究室。

大釜の中に残された、濁った灰色の液体を見つめながら、私はぽつりと溜息をついた。


私の悩み、それは【秘薬(保存の素)の改良研究が、この1年間まったく進展していないこと】だった。


「保存期間を現在の2倍まで延ばし、かつ、どんな悪環境でも劣化が進行しない『究極の保存液』を作りたい」

それが、この高名な工房を与えられた私の次なる目標だった。レイナード様は私の熱意を全面的に支持し、「予算のことは一切気にしなくていい」と、国中の希少なハーブや高級な触媒、さらには高価な魔力結晶を惜しみなく提供してくれた。


この1年間で使った研究費は、下町の庶民が一生かかっても見ることのできないほどの膨大な額に上っていた。

それなのに、成果はゼロ。


やることなすことすべてが失敗に終わり、元のレシピの完成度を超えることがどうしてもできない。

大金をドブに捨て続けているような罪悪感と、レイナード様の期待に応えられていないという焦燥感が、じわじわと私の心を蝕んでいた。


「私は、ただの『一発屋』だったのかしら……。偶然、レシピを形にできただけで、本当の錬金術師としての才能なんて、最初からなかったのかもしれない……」


冷え切ったデスクに両肘をつき、私は顔を覆った。正午を告げる王都の鐘の音が、今の私の心には、まるで自分を責め立てるかのように重く響いていた。


────


コンコン、と。

研究室の扉が、あの頃から変わらない、聞き慣れた愛おしいリズムでノックされた。


「エルサ、入ってもいいかい?」


「あっ……レイナード様」


慌てて涙を拭い、表情を繕って扉を開ける。

そこに立っていたのは、上質な白いシルクのシャツに、深いエメラルドグリーンの上着を羽織ったレイナード様だった。今や、彼は私の大切な「ビジネスパートナー」であり――そして、半年前にお互いの気持ちを確かめ合った、最愛の【婚約者】だった。


「やはり、ここにいたね。午前中の講義が終わったら、きっと一人で根を詰めているだろうと思ったよ」


レイナード様は私の暗い表情を一目で察し、困ったように眉を下げると、私の手元にある失敗作の灰色の液体に目をやった。


「また、研究がうまくいかなかったのかい?」


「はい……。申し訳ありません、レイナード様。今日も、商会の貴重な素材を無駄にしてしまいました。私、こんなにたくさんの予算を使わせてもらっているのに、1年間何も成果を出せなくて……本当に、自分が情けなくて……」


下を向いてポロポロと涙をこぼす私の肩を、レイナード様は優しく、しかし確かな力強さで抱き寄せた。彼の胸の温もりと、落ち着く白檀の香りが私を包み込む。


「バカなことを言わないでくれ、エルサ。君が素材を無駄にしたことなんて、一度だってないさ。……よし、今日の午後は仕事は全面禁止だ。君を、私の特別な場所へ連れていくよ」


「え? でも、まだ片付けが……」


「命令だよ、私の愛しい婚約者」


レイナード様は悪戯っぽく微笑むと、私の手を引いて工房の裏口へと向かった。


馬車に乗って数十分。辿り着いたのは、王都の喧騒から完全に隔絶された、ヴァルター家が所有する私有地の広大な森の奥だった。

木々のトンネルを抜けた先に広がっていたのは、息を呑むほどに美しい【秘密の空中薔薇園】だった。


崖の上から王都を一望できるその場所には、見たこともないような大輪の、純白や深紅、そして淡い青紫色の薔薇が咲き乱れ、中央のガラス張りの東屋ガゼボには、温かい紅茶と色鮮やかなお菓子が用意されていた。


「ここはね、私が本当に疲れた時や、大きな決断を迫られた時に一人で来る、特別な場所だったんだ。君の為に改築が済むまで、つまりサプライズだね。……今は、君と二人だけの場所だ」


レイナード様は私を東屋の椅子に座らせ、自ら温かいアールグレイの紅茶を淹れてくれた。

目の前に広がる、青空と薔薇のコントラスト。そして、大好きな人が隣にいるという事実だけで、頑なになっていた私の心が、すうっと軽くなっていくのが分かった。


「……綺麗。レイナード様、連れてきてくださって、ありがとうございます」


「君の笑顔が見られたなら、この薔薇たちも本望さ」


レイナード様は私の隣に腰掛け、そっと私の手を握りしめた。その指先から伝わる体温が、愛おしくてたまらない。


「さあ、エルサ。弱音を吐いてもいいよ。君がこの1年、どれほど苦悩していたか、私はずっと隣で見てきたからね」


彼の優しい言葉に促され、私は胸の奥に溜まっていたおりを、ポツリ、ポツリと吐き出した。


「私は……下町のみんなや、遠くの貧しい人たちを、もっと直接的に、もっと劇的に助けたかったんです。保存期間が延びれば、冬の間だけでなく、飢饉の時だって乗り越えられる。だから、もっとすごい秘薬を作りたかった。なのに、私のやっていることは、いつも本筋から外れた『失敗』ばかり。みんなを救うための研究なのに、何もできなくて……ごめんなさい」


悔しさと申し訳なさで、再び視界が滲む。

しかし、レイナード様はそんな私を哀れむのではなく、どこか愛おしそうに、そして誇らしげにクスリと笑った。


「エルサ。君は本当に、視野が広くて、同時に自分のことに関してはひどく不器用だね。……君は、自分がどれほど凄まじい『奇跡』を起こしたか、本当に気づいていないのかい?」


「え……? 奇跡、ですか?」


私は涙を瞬かせ、彼の灰色の瞳を見つめた。


────


レイナード様はポケットから、親指ほどの大きさの、不思議な輝きを放つあおい結晶の破片を取り出し、テーブルの上に置いた。


「君は、保存液の改良研究の中で、何度も何度も『魔力が浸透せずに、素材の表面で弾かれて結合してしまった失敗作』を作っていただろう?」


「ええ……。触媒の配合を間違えて、魔導回路のエネルギーが結晶化して、器具の底にこびり付いてしまった失敗作です。あれのせいで、器具の掃除が本当に大変で……何台か、ダメにしてしまいましたし……」


「そう、君にとっては『保存液の失敗作』だ。だがね、エルサ。君がその掃除の度に削り落として捨てようとしていたその物質を、君の弟子の一人――ほら、下町出身の熱心な補佐の少年がね、『先生の作ったものだから、何か意味があるはずだ』と、我が商会の魔導研究部に持ち込んだんだ」


レイナード様は、その碧い結晶を愛おしそうに指でつついた。


「その結果、とんでもない事実が判明した。君が偶然生み出したその結晶は、魔力の劣化を完全に防ぎ、純度100パーセントのまま回路へ伝える、世界初の【劣化抑止魔力伝導体】だったんだよ!」


「まさか……」


聞き慣れない大仰な単語に、私は小首を傾げた。レイナード様は興奮を隠しきれない様子で、私の手をギュッと握りしめる。


「簡単に説明しよう。この世界にあるすべての魔導具は、原動力を『魔力結晶』に頼っている。しかし、従来の金属や回路では、結晶から流れる魔力の半分近くが、移動中に『熱』や『放出』として空気中に霧散(劣化)してしまっていたんだ。つまり、ものすごく燃費が悪かった。……ところがだ!」


レイナード様は碧い結晶を掲げた。


「この君が生み出した伝導体を、魔導具の心臓部にほんの少し含めるだけで、魔力の劣化がほぼゼロになる。結果として、【従来の半分程度のエネルギー(魔力結晶)コスト】で、あらゆる魔導具を運用できるようになったんだ! これはね、エルサ……魔導の歴史が始まって以来の、実質的な【エネルギー革命】なんだよ!」


「え、エネルギー革命……!? あの、こびり付いた失敗が!?」


あまりのスケールの大きさに、私の頭の理解が追いつかない。


「そうさ! そしてね、今日君をここに連れてきた最大の理由は、その報告なんだ。君の弟子たちの一部が協力してくれて、工房の地下でこの『劣化抑止魔力伝導体』の【完全な量産体制】が、ついに本日、整ったんだよ」


レイナード様は、悪戯が成功した子供のように不敵に笑った。


「これにはね、普段は滅多に人を褒めない私の父――ヴァルター商会の会長も、腰を抜かして驚いていたよ。『あの娘は、ただの天才職人ではない。商会の歴史を、いや、世界の歴史をひっくり返す女神だ!』ってね。……実はね、エルサ。父が私たちの婚約を、あんなに満面の笑みで快諾してくれたのは、君がこの伝導体を発見してくれたからなんだよ」


「まあ……! お義父様がそんなことを……」


半年前、大商会の会長であるお義父様に挨拶に行った際、怖そうな外見に反して「よく来た! ヴァルター家へ大歓迎するぞ!」と、熊のような勢いで抱きつかれた理由が、ようやく分かった。てっきり、私の新作トマトスープが気に入ったのだとばかり思っていた。


「今や、国中のギルドだけでなく、他国の王室からも、この物質の注文が殺到している。ヴァルター商会には、笑いが止まらないほどの莫大な利益が転がり込んでいるんだ。すべて、君のおかげだよ、エルサ」


レイナード様は私の手の甲に、そっと愛おしそうに唇を寄せた。

その甘い仕草に胸がトクンと跳ねる。けれど、私はやはり、少しだけ複雑な表情を隠せなかった。


「……すごいです。それは本当に素晴らしいことだと思います。でも……」


私は視線を落とした。


「私は、お高くて便利な魔導具を作る人たちを豊かにしたかったわけじゃないんです。私の原点は、下町のおじいちゃんやおばあちゃん……お金がなくて、冬の寒さに怯えている貧しい人たちを救うこと。この伝導体がどれだけ高値で他国に売れても、彼らへの直接的な救いには、なっていない気がして……」


職人としての、私の我儘わがままだった。

富裕層ビジネスで大儲けして破滅したルカスの事を耳にしていたからこそ、私は「大きなお金」に、どこか恐怖を抱いていたのかもしれない。


そんな私の頑固な、けれど純粋な心を、レイナード様は深く、深く包み込むような眼差しで見つめていた。


────


「エルサ。本当に君という人は……どこまでも優しくて、愛おしい人だ」


レイナード様は椅子から立ち上がると、私の前に跪き、私の両手を包み込んだ。

薔薇の香る風が、彼の美しい灰色の髪を揺らす。


「勘違いしないでほしい。君の起こしたエネルギー革命はね、貴族や裕福な商人のためだけのものじゃない。むしろ――君が最も愛し、守りたかった『貧しい庶民』を、底辺から救い上げるための、最大の光なんだよ」


「……どういうことですか?」


「考えてごらん。下町の人々が、冬の間に最もお金を払っているものは何だい? 食べ物もそうだが、それ以上に彼らの生活を圧迫しているのは、暖房の魔導具を動かすための、あるいは街灯や生活のエネルギーとなる『低級魔力結晶』の代金……つまり、エネルギーコスト(生活費)だろう?」


ハッと、息が止まった。

言われてみれば、その通りだ。下町の冬は過酷だ。魔力結晶を買うお金がない家は、冷たい部屋で凍えながら過ごす。私の保存食が売れたのも、それがあれば「火をおこして長時間スープを煮込むための魔力結晶の代金」が浮くからだった。


「君が生み出した伝導体のおかげで、すべての魔導具の燃費が半分になった。我が商会は、国と掛け合って、まずは下町の共同暖房施設や、民間の格安魔導具にこの伝導体を無償で組み込む計画を進めている。そうすれば、彼らの今月の、そして今年の冬のエネルギー代金は、一気に【従来の半分】にまで下がるんだ」


レイナード様は、私の目を真っ直ぐに見つめ、一文字一文字を噛み締めるように言った。


「生活費が半分になる。それはね、エルサ。彼らにとって、毎日金貨や銀貨を恵んでもらうよりも、ずっと確実で、持続可能な『救済』なんだよ。君は保存食という枠を超えて、その存在自体で、困窮しているすべての人々の生活を、根底から救ったんだ」


「あ……」


涙が、今度は溢れて止まらなくなった。

失敗だと思っていた。無駄なゴミだと思っていた。

けれど、私の「みんなを救いたい」というあの狂おしいほどの祈りは、大釜の底で、碧い結晶という全く別の、しかし最も完璧な形で結実していたのだ。


「さらにね」と、レイナード様は私の涙を親指で優しく拭いながら、話を続けた。


「エネルギーコストが下がったおかげで、これまで高価なコストで行き届かなかった医療魔導具や、遠方への運送用運搬も、圧倒的に安く運用できるようになる。今までお金がなくて便利な魔導具を使えず、過酷な労働を強いられていた地方の人々も、これからはそれを使って、生活水準を劇的に改善できるようになるかもしれない。……君の失敗の副産物は、この世界を、今よりもずっと優しくて、便利な場所に変えたんだよ。エルサ」


「レイナード様……」


私は堪えきれず、彼の首に腕を回し、その胸へと飛び込んだ。

胸の奥を占めていた焦り、不安、罪悪感。そのすべてが、彼の優しい声と、もたらされた真実によって、綺麗な光となって消え去っていく。


「私……失敗して、なかったんですね。みんなを、助けられていたんですね……」


「ああ、もちろんだ。君は私の自慢の婚約者であり、この世界の救世主さ」


レイナード様は私の背中を優しく、何度も何度も撫でてくれた。

東屋の周りで咲き誇る薔薇たちが、私たちの未来を祝福するように、甘い香りを一段と強く放った。


ルカスといた頃の私は、いつも暗い台所で、自分の限界に怯えていた。

でも、今の私には、私の技術を世界一の価値へと変えてくれる、こんなにも誠実で、聡明な人々が側にいてくれる。


遠くに見える王都の街並みは、心なしか、私が生み出した副産物の光によって、新しく、温かい世界を迎えているように見えた。私はレイナード様の腕の中で、これからの私たちの未来へ向けて、心からの幸福に満ちた笑顔を浮かべた。

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ギャンブルにはまった人間はどんな事になっても抜け出せないからルカスが一からやり直す未来は難しいかも。 ちゃんと新しい事業をやるときは費用対効果、リスクヘッジ、経営構想、それらを実現化するためのロジック…
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