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9話 ~危機~

 

 二人の表情が、石のように引き締まる。桜は咄嗟に仕込み杖のグリップを握りしめ、流星は周囲の景色を「点」ではなく「面」で捉える警察官の眼差しへと切り替えた。


(半径三十メートル以内……いるな)


 計太から渡された、あの不気味な指人形の鈴。それが鳴るということは、物理的な距離だけでなく、明確な「悪意」が射程距離に入ったことを意味していた。


 二人は一言も発さない。犯人に気づかれたことを悟らせてはならない――それは事前に打ち合わせていた「鉄則」だった。


「……大丈夫だ、落ち着け。こういう時のために術科訓練をしてきたんだ」


 流星が耳元で、さざ波のような小声で囁く。


「はい……っ」


 人気の観光スポット。行き交う家族連れや、楽しげなカップルの喧騒。その平和なモザイク画の中に、一人だけ、色調の狂ったピースが混じっている。


 二人は自然な足取りを崩さぬまま、けれど網膜の端々まで使って、群衆の中の「異物」を精査した。


「あ……」


 桜が、喉の奥で息を呑んだ。


 神社の巨木の影。


 その深い暗がりに、地面から生えた岩のように一人の男が立っていた。


「宮司さん……」


 桜は、自分の体が鉄のように硬直していることに気がついた。

 はっきりと、恐怖を感じていた。


 警察官になってから、凶悪な犯人を何人も見てきた。凄惨な腐乱死体に立ち会ったことだってある。だが、そこに立つ白髪の坊主頭の男――根元太蔵の視線に宿る意思は、心臓を直接貫かれたかと思うほどに強烈で、禍々しかった。


「大丈夫か?」


 隣から、低く落ち着いた声が届いた。流星だ。その声に、桜はわずかに平静を取り戻す。


「……どうやらその杖は、私が預かっていた方が良さそうだ」


 流星が手を伸ばしかける。だが、桜はそれを制した。


「……いえ、私がやります」


 桜の気力を呼び戻したのは、自分自身への烈火のような「恥ずかしさ」だった。


 これまで、実戦には自信がある、防刃ベストなど不要だと、流星の前で散々大見得を切ってきたのだ。それなのに、いざ対峙してみれば、たった一睨みで縮こまってしまった。

 その無様さが許せなかった。


(しっかりしなさい、上原桜……!)


 信じられないほど、体が熱い。


「少し驚きましたけど、もう大丈夫です。……私、やれます!」


 杖の先端に仕込まれた金属の確かな重みが、手に、そして心に自信を取り戻させてくれる。彼女の瞳に、再び鋭い光が宿った。


「……あ」


 桜が小さく声を漏らすと同時に、巨木の影にいた根元が、ゆっくりと背を向けて社務所の方へと消えていった。


「放っておくんだ。犯人を特定するという第一の任務は達成した。あとは計太と合流し、確実な包囲網を組む作戦を考える」


「……分かりました」


 去っていく宮司の広い背中を見送りながら、桜は自分の指先から力が抜けていくのを感じた。


 自分を追い詰めていた恐怖の正体が、この街の信仰を司る「宮司」という存在だった。


 鈴は、まだ微かに、震えるように鳴り続けていた。まるで、一度向けられた悪意は、距離が開いても決して消えることはないと警告するかのように。




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