10話 ~人間性~
穴熊神社の重苦しい空気から逃れるように路地を抜けると、香ばしい小麦粉と小豆の甘い香りが漂ってきた。
「いらっしゃい! 今日は一段と暑いねぇ」
軒先に下がった「たい焼き」の暖簾をくぐると、鉄板の前で小気味よく手を動かすおばちゃんが、威勢のいい声で二人を迎えた。
流星は「天然物」と呼ばれる一丁焼きの型で焼かれるたい焼きを眺め、桜は慣れた様子で二つ注文する。
「おばちゃん、今日も一つおまけしとくよ。……おや、お隣のハンサムさんは彼氏かい? 隅に置けないねぇ、桜ちゃん」
「あはは、ありがとうございます。……ねぇおばちゃん、ちょっと聞いてもいいですか? さっき神社を通ったら、宮司さんと目が合っちゃって。なんだか、怖い顔してて、私何かしちゃったのかなって不安になった」
桜がさりげなく、けれど計算されたトーンで水を向ける。おばちゃんは焼き上がったたい焼きを紙袋に包みながら、声を潜めて話し始めた。
「……あんまり気にしない気にしない方が良いよ。そういう人だからさ………」
「そういう人って、どういう人?今までに何度かお見かけしたけど、直接話したこともないから分からないの」
「名前は『根元 太蔵』って言うんだよ。もともとは婿養子でこの神社にやって来た人でね」
おばちゃんの手が止まり、遠い目をする。
「奥さんの美恵さんが一人旅の最中に彼と出会って、お互いに意気投合してすぐに結婚したんだよ。最初は太蔵さんの一目惚れだったらしい。美恵さんは元々は太陽みたいに明るい性格でね、子供が欲しいって話してたんだけど……なかなか上手くいかなくて悩んでいたみたい。結婚して年月が経つうちに、あんなに明るかった子が愚痴ばっかり言うようになって。夫婦仲も、外から見てて心配になるくらい冷え切ってたね」
流星は無言で、おばちゃんの言葉を一つも漏らさぬよう耳を傾ける。
「それが三年ほど前だったかね。美恵さんがパタッと行方不明になっちまったんだよ。警察も随分調べたみたいだけどね。太蔵さんは『妻は趣味の一人旅に出かけて、そのまま戻ってこない』って届け出たんだ」
そこでおばちゃんは、さらに顔を近づけて声を落とした。
「でも、私はちょっとおかしいなと思ったよ。確かに美恵さんは独身時代は一人旅が好きだったけど、結婚してからの十数年は一度もそんなことしてなかったんだから。……あんまりはっきりとは言わないけどさ、太蔵さんは相当な嫉妬深さでね。美恵さんが一人で出かけるなんて、絶対に許さなかったはずなんだよ」
「……結局、今も見つかっていないんですか?」
桜の問いに、おばちゃんは重く首を振った。
「太蔵さんはもともと人付き合いが苦手だったけど、美恵さんがいなくなってからは余計に酷くなったね。皆、気味悪がって近寄らなくなっちゃった。境内で子供が遊んでいると、ちょっと普通じゃないくらい怒鳴りつけるしさ……。何を考えてるんだか分からないっていうか、正直、ちょっと怖いくらいだよ」
おばちゃんから渡されたたい焼きは、持っていられないほど熱かった。流星は、その熱を手のひらで感じながら、脳内で情報を整理する。
(一目惚れ、強すぎる嫉妬、そして不自然な『一人旅』での失踪……)
おばちゃんが去っていく背中を見ながら流星は呟くように言った。
「……どうやら、この事件の根は、思っているより深そうだ」
甘い香りが漂う商店街の中で、二人の背後にある「穴熊神社」の影だけが、いっそう濃く、不気味に伸びていた。
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