(初稿版)第四章・第三節:記録という真実
> 「つまり、あの金属は……ただの合金だった」
クレア・モリスは、小さくうなずいた。
その動作には迷いがなかったが、どこか、言葉を選ぶ慎重さがにじんでいた。
> 「中央材料解析室の最新報告です。分類は“安定型ナトリウム・カルシウム合金”、地球由来。特異な性質は確認されず……と、明記されています」
A.N.Hは報告書のページをめくる手を止めた。
指先が一瞬、紙の端をつかみかけて、離れた。
コーヒーの香りが、ぬるくなった空気とともに鼻をかすめたが、彼の意識には何も届かなかった。
> (……そうか。そう来たか)
彼は目を伏せたまま、何かを整理しているようだった。
仮説は否定された。
だが、それは事実か、あるいは“そう記録された”というだけなのか――
その判断を、今この場で下す気にはなれなかった。
> 「報告書の記述は……確定なんですね?」
> 「はい。CIAとしては、公式記録として保管し直すと通達されています」
クレアの声には変化がなかった。
だが、A.N.Hはふと、彼女の視線がほんの一瞬、彼の机上から離れ、部屋の壁を見たように感じた。
そこには、旧記録の棚。封を切られていない書類束が積まれている。
ほんの数秒のことだった。
だがA.N.Hの脳裏には、かすかな違和感が残った。
> 「この物質……D3群は、ずっと分類未定だったんですよね」
> 「ええ。1947年の一次調査以降、棚上げされていたようです。要するに、手が回らなかった案件でしょう」
> 「“たまたま27年、手が回らなかった”?」
A.N.Hの声に棘はなかった。だが、間の取り方が変わった。
クレアは軽く首を傾げた。
> 「偶然とは、そういうものじゃないですか?」
言葉は柔らかかったが、それ以上の追及を避けるような空気があった。
A.N.Hは報告書を閉じた。
ゆっくりと椅子にもたれ、天井を見上げるでもなく、机の隅を見つめていた。
> (魔法の弾丸は、否定された。だが……)
> (あの物質の報告書が今このタイミングで更新され、なおかつ自分の仮説をピンポイントで打ち消すように提出される確率は……)
彼は、自分の中で何かを問いかけ、それをまだ外には出さないと決めた。
その瞬間、クレアが鞄を閉じ、立ち上がる。
> 「では、私はこれで。もし他の資料請求があれば、また手配します」
A.N.Hは小さくうなずいた。
> 「ありがとうございます。……ただ一つだけ」
クレアが振り向いた。
> 「あのとき、僕が“思考する金属”と言ったこと、覚えてますか?」
彼女は、一瞬だけ目を細めた。
> 「ええ、覚えてますよ。あれは、いい表現でした」
そして、そのまま何も言わずに去っていった。
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A.N.Hは一人、報告書をデスクの最下段にしまった。
鍵もかけず、ラベルも貼らずに。
> (仮説は終わった。だが、疑念は残った。
そして、疑念はやがて次の仮説を育てる)
沈黙の中で、再評価課の空調が一度だけ、深く息を吐いたような音を立てた。




