第25話 双子貴族とギルド体系
──再開。
“モンブランタウン 宿屋 ブルーモンブラン”
「その日、この町へ、一人の鎧姿の従者を連れた、双子の兄妹がやってきた。」
椅子に腰掛け、語りの態勢へ入ったアオさんに、ナナたちもソファーにて表情を整える。
「名を──”クラット”と”アリス”。彼らは自らを”貴族”と名乗ったが、訳あって住む場所を無くしたがために、暫くこの町に在住させて欲しいと願い出てきた。」
アオさんが腕を組み、顔を顰めさせる。
「しかし、どうも不可解。確かに、服装はどこかの貴族のような出で立ちではあったが、兄妹は十代半ばほどの子ども。それに対して、連れてる従者は顔からつま先までの全身を鎧で包んだ長身の男、ただ一人だけ。」
貴族の子どもを守るにしては、明らかに護衛の数が少な過ぎる。
かといって、貴族でないのであれば、なぜ、旅装束に貴族服を選んで着ているのか。
結局、これらを踏まえて、一番、現実的に考えられのは、子どもによる、ごっこ遊びの延長線。
聞こえは幼いが、世の中には実用性よりも着飾ることを生き甲斐にする者も多い。
見た目をより派手に、可愛いくかっこ良く、己の内なる個性を爆発させる。今時、珍しい話ではない。
ゆえに、町の人たちもそう判断したのだろうということが、次のアオさんの言葉から分かった。
「だが、事実として床を探している以上、子どもを路頭に迷わせるわけにはいかないと考えた町の住人たちは、彼らの在住を許したんだ。」
言い終えた後、ふと、アオさんが姿勢を整え、僅かに話題を逸らす。
「この町には、とある資産家が居てな。と言っても、もう亡くなったが……。国を離れてからはこの町に屋敷を建て、高価な調度品や芸術品を集める変わり者だった。」
前置き、話を集束させる。
「彼が亡くなったのは、大体、二年ほど前。それから、その屋敷は解体されることなく、僅かな遺留品だけを遺して空き家となった。──兄妹はそこに住み着いた。」
その言葉に、ナナがハッとする。
町並みを歩いている時に目に入った、巨大な宮殿が、その屋敷なのではないのか、と。
しかし、腑に落ちない点もある。
なぜ、『宮殿』ではなく『屋敷』と言い換えるのだろうか。価値観の違いか?
「在住を許したとはいえ、この町で一番デカい屋敷へ勝手に住む遠慮のなさは、ある意味、貴族らしいな。」
皮肉を箸休めに、アオさんは続ける。
「それから、一ヶ月──意外にも、彼らとの間に何かが起きるということはなかった。たまに、鎧の男が買い出しへ降りてくるくらいで、その時も、これといった会話はなかったと聞いている。」
関わりがなくとも、争いもなく、平和な日々を過ごしたという。
「実は言うと、この異臭が発生したのも、つい数日前のことなんだ。だから、正直、いつか収まるのではないか、と期待している節もある。」
長く喋り過ぎたことに気がついたのか、アオさんが改めて、ナナの質問に対する回答を用意した。
「と、まぁ、色々話したはいいが、結論を言っちまうと、あいつらが何者なのかは分からない。ただ──町の中には、奴らが”闇ギルド”なのではないか、と考える者も居るという話だ。」
「闇ギルド?」
ナナが復唱したのと同時に、ピピがピクッ、と反応したのを、ナナは見逃さなかった。
…………………………
“旧街森林”
その頃、フォレストハントとの争いが勃発した、とある大自然の広場では、ポップが木の器に纏めた果物を運んでいた。
即席で用意した木の台に、ぽん、と器ごと果物を置き、ひと仕事を終えた呟きを漏らす。
「えーと、これで今日の分の果物はおっけーっと……。あとは、兄ちゃんの取ってきてくれた魚があれば、夜ご飯は大丈夫かなぁ。」
縛られたフォレストハントを見張り、ワールドテールの到着を待つ三日目の夕方手前。ギルドに所属するまでは、兄弟、二人三脚で生きてきたこともあり、国より遠く離れた大自然でも苦なく過ごせている様子だ。
口振りと情景から察するに、兄であるロップは夕食の魚を獲りに出掛け、果物係であった弟のポップはその責務を終え、あとは兄の帰り待ち。
木の台の前で座り、両手で頬杖をつきながら僅か空を眺め呆けている。
そんな視線より下、眠り薬の効力が切れた一部のフォレストハントが目を覚ましてはいるが、縄に縛られ身動きが取れないことに変わりはないため、実質、放置状態。
しかし、念のためということもあり、彼らを一望できる正面に木の台を構え、ポップも一応、背を向けず、真っ正面にて視線を通す。
特に、一人で見張るときは、絶対に目を離すな、という兄の強い言いつけもあり、ポップはそれを、体の向きにて守っているのだ。
だが、やはり三日目となれば、多少なりとも気が緩む。退屈そうに斜め上を見てしまっているあたり、ポップの警戒心は薄くなっているのだろう。
不意に、一匹の蝶々がひとつの果物に止まった。
真っ赤に熟した甘い香りに引き寄せられてきたのだろうか。
翅を休める小さな生き物に、まるでベンチを共有しているかのような温かい気持ちになるポップだが、そんな時間も僅か、蝶は何かに煽られたように飛び立つと、ポップの後方へと舞っていった。
脅かしてしまったのかな、と首を捻りながら蝶を目で追おうとするポップの耳朶へ──。
「──これは、どういう状況だ……?」
掠れたような、奥底から響くような声が聞こえた。
聞き覚えのある声にポップが慌てて顔を正面へ戻すと、顔面蒼白──青白い顔に青線を引いた、緑髪の男と目が合った。
──”グリルニード”が目を覚ました……!
驚いたように目と口を開き、対応に困っているポップの姿を、乱れた髪の隙間から覗く血の気のない黒目が刺すように捉える。
鈍い光を帯びさせ、状況を知ってか知らずか、焦る様子もなく淡々と言葉を吐いた。
「さっさと、この縄を解け。」
気絶するほどの傷を負い、血を流し、ろくな食事も与えず、数日眠りっぱなし。これだけあって、生きているだけでも超人そのものだが、そこからの開口一番──さすがに生気は感じられないが、それゆえに、陰気な圧が周囲を覆っている。
怯えるほどではないが、唐突な出来事に冷や汗を垂らすポップ。
縄を解けと言うくらいなのだから、このまま放置しても問題はないのかもしれない。しかし、この目と圧に晒され続けていては、正直、気が気ではない。
彼の能力のことも含めると、自力で脱出以前に、縄で縛られた状態でも、この場を制圧し兼ねない。
もちろん、そんな体力が残っていれば、の話なのだが、できるかどうかは本人にしか分からない。だからこそ、ピピは彼の意識を奪う術を用意したのだ。
今、それが解けた。つまり、非常にまずい。
「ぐ、グリルニードさん……。」
衰弱し切っているとは思えない静かで不気味な圧に、近くで縛られている部下たちも怯えている。
自らが助かるかもしれない──。そんな考えすらも忘れるほどに。
「え、えっとぉ……。」
ポップが辺りをキョロキョロと見渡す。見渡しても意味がないと分かっていても、本能が何かに縋りたくて、反射的に見渡してしまう。
──どうしよう……。縛られてるし、弱ってるし、戦う? 戦うしかないの? でも、正直、普段の時より怖いんだけど?
木の台の前であわあわと、対処に困るポップだったが、不意に──。
「あ──。」
何かに気がついたかのように、グリルニードの背後で視線を留めると、驚きを浮かべるフォレストハントの男たちの中央にて、グリルニードの首筋へ目掛け、水色の柄頭が叩きつけられた。
鈍い打撃音と共に、ガクッとグリルニードの頭が下を向く。
「ポップ。今のうちに眠り薬を。」
衝撃の対処に、身が凍った様子で驚愕を見せるフォレストハント。それを差し置き、グリルニードの首へ打撃を加えた兄──ロップがポップへ促す。
諭されたポップが慌てた様子で眠り薬の入った小瓶を手に持つと、ロップのもとへと駆け寄った。
風上を確認し、ポップがグリルニードへ向けて小瓶の蓋を開けようとする。
「──なるほど。それがお前たちの選択か。」
項垂れ、緑の髪が覆った横顔から声が響いた。
まだ意識があるのか、顔は上げないが、間近の呟きにポップが唾を飲み込む。
「やはり、お前たちを連れていくには、まだ時期が早過ぎたらしい。信頼の構築とは難しいものだ。」
しかし、意外にも吐かれたのは自責のようなもの。てっきり、怒号や罵倒、こちらを引き込むような言葉が飛んでくるとばかりに思っていたため、妙な冷静さにポップは訝しげな表情を浮かべる。
そんな弟をロップが静かに窘めた。
「ポップ。」
「あ、うん。」
耳を貸すなとばかりに我に返し、ポップが小瓶の蓋を開け、粉状の眠り薬を風に乗せる。
舞った眠り粉がフォレストハントとグリルニードの間を漂い、巻き込まれたフォレストハントの男たちは強制的に嗅がされる薬に嫌な顔をするが、当のグリルニードはなんの素振りも見せず、ただ淡々と言葉を繋いでいた。
「これがお前たちの選択というのなら、別に止めはしない。だが、あの小僧──ピピの背負う運命は変わらない。たとえ、俺を退けたとしても、誰かの手を借り逃げ延びたとしても、闇が現存する限り、あのガキは生涯狙われ続ける。」
不穏な言葉に眉をひそめるロップとポップ。小瓶から舞った眠り粉は確実にグリルニードへ届いているが、精神力が高いのか、即効とはいかない。
「お前たちは知らない。あのガキが何を持っているのかを──。闇に住まう世界中の怪物たちが、それをどれほど欲しているのかを。」
薬が回り、周囲のフォレストハントが眠りへ落ちていく。
同時に、その情景がまるで暗示のように、ロップとポップは想像してしまう。
闇へ呑まれるピピの姿を──。
「あのガキをそばに置いておくことが、どれほど危険な行為か……。世界中の闇がその存在を知れば、一国ですら容易く破滅させられるだろう。」
そば──今、ピピの一番近くに居る者たちは、自分たちがよく知る人物たちだ。
グリルニードが嗤った気がした。
「そのうち、あのガキの周囲から人は居なくなる。誰も、他人のために人生を棒に振いたくなどないからな。」
国を破滅させてまでも、闇が奪い取ろうとする存在。それほどの存在。
周りから人が居なくなるというのは、誰も、関わろうとしなくなるという意味だろう。
「いずれ思い知る。ここで大人しく、俺に捕まっておけば、まだ幸せだった、と。まぁ、今は精々、限られた自由を楽しむがいいさ。」
言いたいだけ言い切り、さすがに薬が回ってきたのか、グリルニードの周囲から圧が無くなっていく。
失われる意識に、これが最後の会話のチャンスと見たロップが問いかけた。
「最後に訊きたい。おれたち……フォレストハントに依頼をしてきたのは、一体、誰なんだ? なぜ、あの子が狙われてるんだ?」
質問は二つ。理由と依頼主。
しかし、それを知るということは、闇へ足を浸からせるということだ。
ゆえに、興味はあるが、怖くもある。ロップの表情からも、それが窺えた。
だが、そんな緊張を嘲るように、グリルニードは鼻で笑い飛ばし──思わず、ムッとした表情を浮かべるロップへ向けて──。
「知らないほうがいい。新たな人生を歩みたいのであればな。」
意外な言葉を吐き捨て、眠りへ沈んだ。
最後の最後に、まさか身を案じてくれたのか、力なく吊り上がった口角からは、その真意は読み取れない。
「…………。」
再び、静寂を取り戻した罪人たちを前に、ロップが空を見上げる。
たとえ、部下として認められていたとしても、これ以上、悪事に手を貸すことはできない。今更、この選択に迷いはない。
しかし、ただ利用されていただけではないのかもしれないという事実に、なんともいえない歯痒さを感じつつも、ある意味では、フォレストハントの隊員として、正式なケジメをつけることができたのかな、とも考える。
そう思えば一応、自身たちは後腐れなく、前へ進めそうだが、グリルニードがピピへ残した言葉だけが気がかりだ。
「──闇ギルド……。」
何も解決していないように思える。ピピへの心配は増すばかりだ。
…………………………
“宿屋 ブルーモンブラン”
「…………。」
心ここに在らずといった様子で、正面を見詰めるピピ。
それは、アオさんを見ているようで、何も見ていない空虚な視線。
しかし、そんな表情も僅か二秒ほどのことであり、ピピがハッと意識を引き戻すと共に、アオさんがナナとルナを見て、ニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「反応を見るに、世界の情勢には疎そうだな。特に、そっちの兄ちゃんとお嬢ちゃんは。」
図星を突かれ、ピピの反応を一旦流し、ナナは苦笑いにて応える。
──”闇ギルド”。
想像に難しくはないが、実際に、その内情を知っているかと訊かれれば、首を縦には振れない。
一重に、『悪いことをしているギルド』といってしまえばそれまでだが、なぜ、”闇ギルド”と呼ばれているのか。普通の犯罪組織との違いはあるのか。など、疑問を挙げればキリがない。
そもそも、闇ギルドというものが本当に存在しているのかどうかすらも、知識のない自分には怪しく思えてくる。
ルナに関しては、その名すら知らないといった様子だ。
ただの都市伝説か空想上の存在──。しかし、チロットやピピ、アオさんの真剣な面持ちが、確かにそれが現存しているということを裏づけていた。
話好きのアオさんが道楽を得たように胸を張る。
「仕方ない。そういうことなら、この俺が今一度、”ギルド”について教えてやろう。俺の髭に感謝するんだな。」
別に、髭に感謝するつもりは一切ないが、フォレストハントとの対峙のこともあり、ギルド情勢には興味がある。
知識を得られるのであれば、ここはありがたく甘んじてもいいだろう。
アオさんがナナたちへ視線を合わせた。
「まず、ギルドというのは一般に創立された組織の総称だ。名乗るための手続きもなければ、それに必要な規則も何もない。メンバーが一人であれ二人であれ、子どもであれ浪人であれ、これがギルドと言えば、それは”ギルド”になる。」
自由……というよりは、『ギルド』というもの自体に法がないのだろう。ゆえに、規則もなければ権利もない。
名乗るも自由。誇示するも自由。場所も金も必要ない。しかし、社会的な権利や地位は得られない。
人権は守られても、組織として『ギルド』の名は守られないし、保護も干渉もされない。
まさに、名ばかりの空虚な存在といえよう。
組織として確かに存在しているが、社会的にはなんの力もない。だが、どこか可能性を秘めた、未だ、光にも闇にも染まらない不透明な存在──。
ゆえに、社会はこれらの存在を”OP”と呼ぶ。
「個人がギルドを立ち上げると、それらは総じて”OPギルド”と呼ばれるようになる。特に、最近のギルドの伸展は凄まじいもので、OPギルドでも名が売れれば依頼が舞い込んでくるらしいが、あくまで個人間のやり取り。依頼をするほうも請け負うほうも自己責任だ。何が起きても、政府は助けちゃくれない。」
しかし、近年の目覚ましい伸展により、OPでも契約書の作成や、国の権威者から支援を受けられるというケースも増えてきている。もちろん、そのためには実績と名声が必要になるが……。
「それと、最近は戦いや狩りが主軸ではない、商業ギルドや飲食店ギルドなんかも、OPギルドと呼ばれる。今時、全てのOPが無名というわけではないということだな。」
時代の流れと共に、呼称の使われ方も変化してきているということなのだろう。
ともかく、後に語る区別に含まれない、その他のギルドは、総じてOPギルドと覚えておこう。
とはいえ、そもそも法すらも確立されていない『ギルド』が、なぜ、これほどまでに認知される伸展を遂げたのか。
世間に『ギルド』を浸透させるきっかけとなった最も大きな要因は、『世界魔導王政がギルドを公認し、正式なものとして権限を与える制度』の確立だ。
──それを”OF”と呼ぶ。
「ギルドの中で唯一──それも、世界王政より直接、正規の権限を与えられた正式なギルド。それが”OFギルド”だ。」
別称を”正規ギルド”。ナナたちが深い森林にて出会った偽りの正規──フォレストハントもこれに含まれる。
「OFギルドには確かな信頼と実績が不可欠。そして、何より、戦闘の面において圧倒的な実力が求められてくる。闇を祓う光として抜粋された彼らは、とにかく強い。強力な魔物から国を守るという意味でも、大国では必須な存在といえるな。」
アオさんには申し訳ないが、直近でフォレストハントと対峙したナナたちは、少し頭が痛くなる思いだ。
もちろん、フォレストハントは例外中の例外。本来、真っ当な組織であることがOFの最低条件だ。
しかし、フォレストハントしか知らないナナたちにとって、正規ギルドを持ち上げる発言は、あまり気持ちのいいものではない。
特に、一番の被害者であるピピは、より複雑な心境だろう。
──これではいけない。固定観念は捨てなければ。
元より、あれは正規ギルドなんかではなかったのだ。
正規という肩書きを隠れ蓑に利用していただけで、奴らの生き方も信条も、端から”闇”でしかなかった。
そういう意味では、ナナたちは既に、”闇ギルド”に会っているともいえる。
今回の主題である”闇ギルド”──正式表記を”ILL”。
「”ILLギルド”は……まぁ、平たく言えば犯罪組織だ。難しいことはない。社会からのはみ出し者。無法者。犯罪者。そんな奴らが集まってできたギルド、或いは、それ自体を目的しているギルドを”闇ギルド”と呼ぶ。」
ただの悪党集団といえば容易いが、実は、闇ギルドの存在は一種の社会問題にもなっている。
『ギルド』というものが伸展すると共に、『闇ギルド』も近年、急速に勢力を増しているという。
軍隊レベルの大きなギルドから、小悪党を寄せ集めた小さなギルドまで、大小含めれば、その数なんと、OFの約三十倍。
仮に、OFが百、居たとして、ILLの数は三千となる。
もちろん、OFは確かな実力を以て選ばれるものであり、そう簡単に数を増やせないことは明らかなのだが、それにしても、闇ギルドの数が多過ぎることが懸念されている。
特に、数年以上活動しているような上位の闇ギルドは、OFに匹敵する実力か──それ以上であることも珍しくはなく、それほどの組織が易々と存在していることが、何より恐ろしい。
ゆえに、人々は闇ギルドを畏怖している。
「名が知れ渡っている闇ギルドほど危険だ。奴らとは関わらないほうがいい。たとえ、町ひとつを滅ぼされたとしてもだ。」
そう言うアオさんの表情には、語りのうえでの大袈裟な表現などは一切なく、ただただ本心で冷や汗を垂らし、警告を発しているようだった。
──町ひとつ滅ぼされても、闇ギルドには関わるな。
どこかそれは、この町の現状をいっているようで、なんとも歯痒い気持ちになる。
話を戻して、この町に存在する双子の貴族と鎧の従者。彼らが、それほどの存在だとでもいうのだろうか。
アオさんが区切りを入れるように息を吐く。
「とまぁ、以上がギルドというものの大まかな説明だな。しかし、実際にもっと深掘りするなら、OFやILLの中にも、立場や実力によって細かい呼び分けがあったりするんだが、俺も随分と昔に聞いた話だ。詳しいことは忘れちまった。」
一度に入れる情報としては十分と判断し、ナナたちも、それ以上の解説は催促しない。
何より、隣に座っているルナがうとうととし始めているところを見るに、話も切り上げ時だろう。
ナナがルナの肩を爪先で軽く叩くと、彼女はハッと顔を上げて捲し立てた。
「だ、大丈夫! まだ食べられるから……!」
そこまで言って、現実へ帰る。
ナナの顔へ呆けたような目を向けると同時に、アオさんが腰に手を当てて笑った。
「ハッハッハッ! すまんすまん。少々、長話し過ぎたみたいだな。お嬢ちゃんには少し退屈だったか。」
話好きには、一番悲しい態度にも思えるが、寛容に受け入れてくれるアオさんの対応に、ルナは照れ隠しも込めて否定する。
「そ、そんなことないよ!」
しかし、アオさんは笑顔を緩めず宥めた。
「いいっていいって! さすがの俺も、話しっぱなしで疲れてきたところだしな! それで──。」
アオさんが頭を掻く。
「──なんで、ギルドの話をしてたんだっけ?」
肝心なところで躓く言葉に、思わずソファーからずり落ちそうになるナナたち。
なんとか踏ん張って、ナナが小さく「兄妹の話」と囁くと、アオさんは思い出したように手を叩いた。
「あ、そうだったな! というわけで──そういうことだ!」
「最後のほう雑だな!!」
杜撰に話題が締め括られたため、自ら話を纏めると、要は『この町に異臭をばら撒いている兄妹が闇ギルドかもしれないから、気をつけろ』といった内容だ。
得体の知れないものほど怖いものはない。
貴族服を纏った兄妹。たった一人しか居ない鎧の従者。正体不明の異臭。町並みに不相応な宮殿。
何もかも、異質なものばかりだ。
果たして、本当に闇ギルドなのだろうか。
だとしたら、目的はなんなのだろうか。
ふと、思考に入り込むようにルナが口を開く。
「ところで、鎧の兄妹がおじさんの髭に感謝したところまでは聞いてたんだけど……その後はどうなったの?」
「どこのなんの話だよ!!」
話を聞いていた聞いていなかった以前の発言に、ナナが驚愕の声を上げる。
ほかの皆も思わず苦笑いを浮かべるなか、アオさんがふと、思い出したように投げかけてきた。
「そういや、最初に訊こうと思ってたんだが──お客さんら、この町に何しに来たんだ……? 観光……って雰囲気でもないだろ。」
突如、声色が落ちるアオさんの言葉に、ナナたちは一瞬、萎縮する。
しかし、無理もない疑問だろう。
現在、この町に蔓延っている異臭は、町中だけに留まらず、外にまで広く這い出ている。
匂いは町へ近づくほどに強くなり、普通であれば、そんな場所へ向かおうなどとは思わない。事実、この異臭が漂い始めた以降、外来人の数はめっきり減ったとも言っていた。
ナナたちがここに居るということは、この悪臭の中を掻い潜りながら、それでも退けない目的を持って、この町へ来たことになる。
現状を考えても、疑問に思うのは当然だ。
しかし、ここまでやり取りを交わしておいて、今更、ただの警戒というわけでもないだろう。
演出好きの彼のことだ。恐らく、試されている。
本来なら、客と店員の関係。個人の目的など、話してやる義理も理由もないのだが、やましいことがあるわけでもなし。
信頼を得るためにも、ここは話しておこう。
「俺たちは、とある依頼を受けて、この町まで来たんです。」
冷静に言うナナの言葉に、アオさんが眉をひそめる。
「依頼……?」
「はい。まぁ、正確には、俺たちじゃなくて……。」
そこまで述べながら、ナナはピピへ目配せすると、話のバトンを渡した。
ピピが真剣な表情を携え、請負人としての責務を遂行する。
「ぼくたち、この町からの治療代行依頼を受けて、スリープから薬を届けに来ました。」
実際にスリープから来たのはピピだけなのだが、そもそも、依頼を受けたのもピピだけなので、詳しくは省く。
アオさんが警戒を緩めた表情で目を丸くした。
「お客さん、医療関係者なのか。その年で凄いな。」
感心を見せるアオさんの手前、ルナが自分のことのように自慢する。
「ピピはくすぐり師なんだよ!」
「薬師な。」
ルナとナナの戯れを横目に、アオさんが納得したような表情を浮かべた。
「なるほどな。そう言われてみれば、確か近所の年配夫婦の奥さんが、喉を痛めたって寝込んでたな。この町の診療所にある薬じゃ治せないってんで、国の依頼施設へ支援依頼を要請したとかなんとか。」
その言葉を聞き、ピピが僅かに目を輝かせる。
「はい! ぼくが受理しました! よろしければ、その診療所の場所を教えていただけませんか?」
すっかり仕事モードへ移行したピピに、アオさんが町の地図を取り出し、目的の場所を共有する。
薬師としての一面を見せるピピの仕事ぶりに、ナナたちの入り込む隙間はない。
感心と呆けの狭間、数分後には、薬や調合道具が入っていると思われるリュックを背負い、ピピが宿屋の出入口でアオさんに頭を下げていた。
医療に関しては、全く知識がないナナたちだが、この異臭の中、外へ出かけるピピを一人にするわけにもいかず、ナナたちも護衛として付いていく。
……………
屋外は相変わらず、悪臭が漂っていた。
ルナは、自身の腰に巻いていたブランケットを──ナナたちは、アオさんから借りた麻地の手巾を鼻に当てているため、来訪時よりいささか楽だ。
しかし、やはり静か。
五分ほどで診療所には着いたが、結局、それまでの間に人とは一度もすれ違わなかった。
診療所に着いてからは、何やらピピが係員と会話を交わし、そのまま例の、喉を痛めて寝込んでいるという年配夫婦の家へ。
ピピが診察を行い、症状は気管の炎症と判明。なんでも、化学火傷の一種だという。
素人目には、薬品でも誤飲したのか、と考えてしまうのが精一杯だが、老夫婦曰く、そういった心当たりはないらしい。
結果、直接の診察で正確な症状が判ったため、この場で仕上げの調合を行い、それに少しの時間がかかるとのことなので、ナナとルナは時間潰しに、誰も居ない町並みをぶらついていた。
チロットはピピの手伝いと護衛に残ったため、この時間はナナとルナの二人っきりである。
「おー! 見て見て、ナナ! 今まで気づかなかったけど、ここの家、全部モンブランみたいな形になってるよ! これなら期待できるね!」
指を差したり、額に手を翳したり、見ている物と感動を共有しようと催促するルナに、ナナは「本当だなー」と相槌を打ちつつも、最後の言葉には「何がだ?」と疑問符を浮かべる。
「それにしても、いつもの調子が出てきたな。匂いには慣れたのか?」
ナナが微笑み問いかけると、ルナは複雑そうな顔をしながらも、小さく頷いた。
「うん。これだけ嗅いでると、さすがにね。それに、僕、気づいたんだ。匂いに負けてる場合じゃない! って。」
首を傾げるナナに、ルナは正面を見据え、グッ、と決意のようなものを固める。
そして、そのままその表情をナナへ向けると、とある欲の渇望を以て──。
「僕は、モンブランを食べるためにこの町へ来たんだよ! 匂いを気にしてちゃ、モンブランが美味しくない……!」
燃え滾る拳と瞳で僅か上を見上げ、後ろで小さな背景と化すナナは、彼女の欲求と目的が何であったのか、冷や汗にて思い出した。
しかし、肝心なことを忘れている。冷や汗を拭えていないなかでも、冷静に投げかけてみた。
「モンブランを食べるのはいいが……こんな状況だ。たとえ店があっても、開いてないんじゃないのか?」
ナナの真っ当な指摘に、ルナは首を横に振る。
「ダメだよ、ナナ。」
「ダメ……?」
続けて冷や汗が増えるナナに、ルナは煌めく空色の両目でしっかりと視線を合わせると、自分の意志を強く示しながら──。
「モンブランがないと、僕、困るんだよ!」
「俺にどうしろと……?」
無茶苦茶な言い分に、もはや震え声で困惑するしかないナナ。
そんなこんなで、気がつけば町の中心地まで来ていた。
石畳の広場の中央には、栗のような柱から四方へ水を発射する、噴水がある。
これだけの栗推しだ。モンブランがなければ、いよいよ、この町が悪いとすら思い始めてきた。
「…………。」
じとりした瞼を起こし、顔を上げる。
噴水より奥へ目を向ければ、曇り空に旗を靡かせる、場違いな巨大宮殿の姿が見えた。
あそこに、人々を脅かす存在──闇ギルドが居るとでも言いたいのだろうか。
雄大なはずが、どこか不明瞭なそれは、人の気配を感じさせない。
実際、三人しか居ないと聞いていたので、それも致し方ないといえばそうなのだが、なぜだか睨まれているかのようで落ち着かなかった。
遠方より見下す御殿より、今のナナができる抵抗は、睨み返すことで、その不快感を相殺することのみ──。
……………
時間を潰し終え、ナナとルナはピピたちのもとへ合流。丁度、薬師としての仕事を完了したようで、二週間分の飲み薬を処方し、夫妻の家を出た。
後、診療所にて依頼の完了を報告。報酬は、スリープの依頼案内所で支払われるとのことなので、実質、現地での作業は終了となった。
──お疲れ様、ピピ。
チロットが労い、共に、アオさんの営む宿屋へと帰った。
……………
時刻は夕方──。
「ただいま!」
扉を潜ると同時に、ルナが元気良く帰還を提示。
声を聞いたアオさんが厨房の奥から返答する。
「お、お帰り! 今、夕飯の準備するからな!」
「家族か。」
あまりに違和感のないスムーズなやり取りに、ナナが思わず指摘する。
中華鍋を用意するような音を背景に、ナナたちは再び、共有スペースのソファーへと腰掛けた。
色々あった一日を労るように、各々、深い寛ぎを見せる。
そんななかでも、何やらピピが難しい顔をしているのに気がつき、ルナが首を屈めて顔を覗き込んだ。
「どうしたの、ピピ? 疲れたの?」
ルナが問いかけると、ピピは優しく首を振りながら、それでも、表情を崩すことなく口を開いた。
「いえ……少し気になることがあって……。」
「気になること?」
ルナが首を傾け、そのやり取りに、ナナとチロットが顔を向ける。
厨房の金属音や何かをかき混ぜる音に紛れるように、ピピが気になることを話した。
「あの……依頼を受けたご婦人のことなんですが……あの人、元々体が弱かったらしいんです。」
依頼にて、老夫婦へ診察をした際の話だろう。
今のところ、特に不自然な点はない。
「最近は外に出ることもなく、日常の大半をベッドの上で過ごしていたとか……。」
病いや年齢には抗えない人間の脆さを憂いているのか、そんな話を続けるピピ。
一方で、その場に居なかったナナとルナは老夫婦の内情を知らないので、聞き入るほかない。
「それで、ここからが本題なんですが……その方、数日前から喉風邪も拗らせていたらしく、三日ほど前に換気のために窓を開けたそうなんです。」
外気を取り込んだということだろう。
少し、先の展開に察しがつく。
「……その時に、例の異臭が入り込んできて、盛大に咽せてしまったと聞きました。思えば、喉が痛み出したのは、その時からだといいます。」
ナナたちも味わったあの異臭が、人の粘膜を蝕んだとでもいうのか。
「ぼくが診たところ、あれは化学熱傷の一種──。つまりは外傷です。ウイルスや菌による炎症の上から、炙られたかのような損傷の跡があったんです。」
風邪や衰弱以外の、物理的な皮膚の損傷。火傷。
一体、あの悪臭といかなる関係があるというのか──これらの状況のもと、ピピが憶測を話した。
「それで思ったんです。今、この町で漂っている異臭──もしかして、これ、気化された”化学物質”なんじゃないか、って。」
──『気化された化学物質』。
いまいち、情景が浮かばないルナが首を傾げ──僅かながらもニュアンスを捉えたナナとチロットが納得を見せる。
「まだ、成分を分析したわけではないので、確証はありませんが……あの、薬品のような刺激臭──可能性はあると思います。」
薬品を扱うことが多い、本職のピピがそう言うのであれば、実際、可能性は高いのだろう。
しかし、それならばひとつ、分からないこともある。
チロットが些細な疑問を呟いた。
「でも、それだったら、なんで僕たちは平気なんでしょう? 僕たちも、ここに来る途中、結構な量を吸っちゃってると思うんだけど……。」
「それにそれに! 喉を痛めたのって、あの人だけでしょ? なんで、ほかの人たちは大丈夫なの?」
よく分からないながらも、ルナも真っ当な問いを投げかける。
しかし、ピピは特に悩む素振りを見せることもなく、ふたりの疑問に答えてみせた。
「恐らくは、抵抗力の違いです。さっきも言ったように、ぼくが診察した方は、元々体が弱く、そのうえ、風邪も拗らせていました。抵抗力の低さと免疫力の低下が重なったがために、僅かな化学物質でも炎症を引き起こしたのでしょう。」
重ねて、年齢による身体能力の衰退も要因として考えられるが、とりあえずは納得できる。
ピピが悲しそうに付け加えた。
「体感上、健康な人であれば、特に害はないと思うのですが……。この異臭が原因で体を壊した方が居る可能性を考えると、このまま放置していいものではないと思います……。」
様々な患者に寄り添い、怪我や病気と接し、薬を作ることに精を出してきたピピにとって、薬品を不衛生にばら撒いているこの情景が、薬師として許せないところがあるのだろう。
もちろん、外の異臭が化学物質と決まったわけではないのだが、不快な悪臭を町へ放出しているという事実はある。
ピピが視点を下げたまま、そもそもを考える。
「……なんで、こんな異臭をばら撒いているのでしょう……。」
失念していたが、確かに、”理由”が分からない。
『町に悪臭をばら撒く』──この行為に、一体、なんの意味があるというのか。
ふと、室内に漂い始めた香ばしい匂いに気がつく。
アオさんが中華鍋を煽り、食材同士を絡めているのだろう。
強火で炒める爽快な音が響くなか、こちらの話に耳を傾けていたであろうアオさんに、ナナが話を振った。
「──さっき、宮殿を見てきました。話にあった兄妹が居るのも、匂いが発生しているのも、あの宮殿ってことでいいんですよね?」
今までの話を繋ぎ合わせて考えると、全ての元凶は一つの場所に集約する。
あとは、その場所があの宮殿であるかどうか、を確認しておきたい。
しかし、アオさんは中華鍋の動きを緩めると、妙なところに首を捻った。
「宮殿……?」
宮殿は宮殿だ。この町で最も目立っているともいえる、最奥にある派手な建物だ。
分からないはずはない。なぜ、疑問形なのか。
訝しむのも間もなく、アオさんが何やら自己解決をする。
「ああ、そうか。お客さんたちにはそう見えてるんだったな。すまんすまん。」
無邪気に笑うアオさんだが、ナナたちの疑問は増すばかり。
それを察したように、アオさんは視線を合わせると、意味深長なことを言った。
「あんなものは、ただの張りぼてだよ。」
「張りぼて……?」
ナナが不思議がったのに気がつかない様子で、アオさんが再び、中華鍋を煽りながら話を進める。
「そんでもって、例の兄妹が居るのも匂いが発生しているも、お客さんが見てきた建物で間違いないだろう。何せ、この町で一番大きな建物だからな。」
『一番大きな建物』という言葉で、元凶の震源地は『宮殿』であると確信できた。
しかし、訊けば訊くほど生まれる新たな謎。
正直、今日一日で情報を入れ過ぎたこともあり、今はこれ以上、何かを訊く気にはなれなかった。
……………
暫くして、考えることをやめたナナたちのもとに、夕食が提供される。
「さぁ、できたぞ! これが、アオさん特製、焼き飯だ!」
アオさんが人数分、用意した料理を覗き込むように、ルナが目を輝かせた。
飾りのない真っ白な平皿に盛られたのは、誰もが知る焼き飯。
ほんのりと焼き色が付いた卵と、黄金に包まれたお米たち。
刻まれた加工肉が旨味と香りを引き立て、散らされたネギが彩りを加える。
特別な物は一切入っていない。しかし、大抵の飲食店で、常に上位の人気を博しているそれは、どこか懐かしさすら与えた。
「悪いなぁ。最近は買い出しに行けてないもんで、ろくな食材が残ってなかったから、こんなものしか作れなかったが……。」
アオさんが申し訳なさそうに言うが、頭を使い、足を動かし、疲労と空腹が迫った一日の最後に、これ以上、そそられる物はない。
ナナたちは感謝を込めて「いただきます!」と手を合わせると、銀の匙を手に取った。
ひと口食べる前に、何やらルナが不敵な笑みを浮かべる。
「ふっふっふっ……。でもナナ、所詮はご飯と卵を炒めただけだよ……? そんな大したことないでしょ。」
そう言う割に、顔はニヤついている。
なんの遊びかは分からないが、分かりやすい前座に冷や汗を垂らすナナを見ながら、ルナがゆっくりと自身の口へ焼き飯を運ぶ。
瞬間──。
「美味ーーい!!」
勢いよくソファーの上へ立ち上がったかと思えば、スプーンを掲げて心のままに叫んだ。
「ソファーの上に立つな……。」
呆れたように静かに指摘するナナの言葉を聞いて、ルナが照れたようにソファーの上を払いながら着席する。
それを見て、チロットも口を尖らせて同調した。
「そうだよ、ルナー。せっかく作っていただいたんだから、もっとお行儀良く食べないと。」
言いながら、チロットも焼き飯をひと口──。
「美味ーーい!!」
「おい……。」
ソファーに登りはしなかったが、その場でルナのように立ち上がり、スプーンを掲げて叫ぶチロットにナナの冷や汗が増える。
かなり大人びている子だとは思っていたが、こういうルナのノリへ乗っかるところは、やはり子どもっぽい。
だが、彼女らの反応自体には同感していた。
材料は簡素でシンプル。基本の味付けは塩と胡椒のみ。
しかし、それゆえに安心する味わい──間違いのない味わいに仕上がっている。
それでいて、高火力で手早く混ぜられたお米はパラパラと個々を主張し、確かな食感と香ばしさは、アオさんの技量によるものであると確信できた。
「えーと……。」
ふと、左隣を見ると、ピピが焼き飯を掬ったスプーンを持ち上げて止まっていた。
恐らくは、これがひと口目。
事情を察知したナナが静かに諭す。
「いや……別にやらなくていいからな……? 俺たち特有の恒例行事とかじゃないから……。」
立ち上がり、スプーンを掲げ叫ばなくてもいいことを報せられたピピは、少し照れながらも安心したように食事を始めた。
それを見て安堵し、ナナも匙を動かす。
……………
皿の半分ほどを食べた頃、不意に視線を感じたナナが隣へ横目を向けると、何やらルナが羨ましそうな顔で、ぼー、とこちらを見詰めているのに気がついた。
相変わらずの凄まじい速度で自分の分は完食したのか、机の上にある皿の中は綺麗に空だ。
(な、なんだ……?)
としても、こちらを見詰める理由にはならない。
自身の頭の上に虫でも乗っているのか、それとも、何か言いたいことでもあるのか。
どちらにしろ、こう見詰められては、食べることに集中できない。
手が止まるナナに、ルナも自身へ向けられる視線に気がつくと、ここぞとばかりに顔を明るくさせ、おねだりをした。
「ねぇねぇ、ナナ! ナナのもひと口、ちょうだい?」
突然の願い出に、ナナは目を丸くさせて疑問符を浮かべる。
「俺のもって……お前が食べてた物と同じ物だぞ……?」
食べ物をシェアしたいという気持ちは解るが、それは、お互いが別々の物を食べているときの話だ。
全く同じ物をひと口貰う理由などないはずだが──。
「だめ……?」
こう上目遣いでねだられては断れない。
同時に、ひと口を渋るほど、一日の食事に対する独占欲もない。
ナナは軽く溜め息を吐きながらも「仕方ないな」と了承すると、スプーンで焼き飯をひと口分、掬い、ルナの口元へと持っていった。
ルナはそれに、ぱく、と食いつき、もぐもぐと口を動かしながら満足げな表情を浮かべる。
そして、ある程度の咀嚼の末、こくん、と飲み込むと、満面の笑みで言った。
「うん! ナナのも美味しい!」
実際、ナナのもルナのも同じ物なのだが、無邪気に笑う彼女の姿に、それを言うのは野暮というもの。
ゆえに、ナナも微笑みで返した。
「そいつは良かったな。」
……………
後、ナナたちも食事を終え、アオさんが食器を片付ける。
窓の外は、既に夜も更け、ただでさえ静かな町並みに沈黙が訪れる。
夜闇を背景に、一日の終わりによる脱力感と満腹感から迫る眠気の合間、ナナは今後のことを考えていた。
「さて……ピピの仕事も終わったことだし、正直、明日にはこの町を出てもいいんだが……どうする?」
同時に、そう投げかけられた言葉に、チロットとピピが僅かに俯いた。
何を思っているのかは、なんとなく分かる。だからこそ、彼らの口から直接、意見を聞きたい。
意図を汲み取ったのか、まずはピピが、おずおずと口を開いた。
「えっと……ぼくとしては、この町をなんとかしたいという気持ちはあります……。しかし、ぼく一人でどうにかできる問題ではない以上、大きなことは言えません。ぼくは……ナナさんたちの判断に従います。」
柔らかく優しい口調ながらも消極的な言葉は、実に彼らしいといえる。
出会いから日は浅いが、良くも悪くも自分を推し出さないという性質が、ピピの根幹にあるのだろう。
尤も、この中で一番年下であり、フォレストハントの件で恩を感じているというところも、消極的な要因のひとつと予測できる。
それはそれとして、ピピの気持ちは尊重したい。
次に、チロットが口を開いた。
「僕も、ピピと同じ意見です。この町のことは気になりますが、僕はナナさんたちの傭兵ですから、それに従うまでです。ですが、ひとつ気になることがあるとすれば──。」
何やら気づいたことがあるのか、考えを巡らせるチロットに、ナナが顔を向ける。
同じく顔を合わせて、チロットが続けた。
「ナナさん。この町に来る途中、古株樹に襲われましたよね。元々臆病な魔物が、どうしてわざわざ、人が使う旧道に降りてきてまでも襲いかかってきたのか、ずっと気になっていたんですが……もしかしたら、あいつらも、この町から漂ってくる悪臭のせいで、凶暴になっていたんじゃないでしょうか。」
忘れかけていたが、そういえば、そんなこともあったか。
深く気にしていなかったが、古株樹たちを倒した後に、そんな会話を交わしたことを覚えている。
「古株樹に嗅覚があるのかどうかは分かりませんが、匂いを感知するなんらかの器官があってもおかしくはありません。人間が不快に感じるほどの匂いですから、魔物でもストレスを感じるはずです。それで、気が立っていたのではないでしょうか。」
魔物を含めた動物というのは繊細なものだ。
この町から放流された異臭が付近の森まで流出しているとしたら──。
「もし、このまま、この町を旅立つのであれば、道中、凶暴化した魔物に気をつけたほうがいいかもしれませんね。」
古株樹のような、異臭によるストレスで気が立っている魔物に襲われるリスクを懸念したほうが良いだろう。
尤も、このまま出立するのであれば、の話だが──。
最後に、ルナへ目を向ける。
今までの流れを汲み、次は自分の番だと悟ったルナは、なぜか、ナナからアオさんへ目を移すと、ひとつ問いかけた。
「ねぇ、おじさん。おじさんたちは、この変な匂いに迷惑してるの?」
改めて、確かめるように問われた言葉とルナの不思議な眼差しに、アオさんは僅かに戸惑いを見せながらも答えてくれる。
「あ、あぁ……。そりゃあ、迷惑してるが……。」
言うまでもなく、不快な悪臭をばら撒かれて、ろくに外にも出られず、迷惑していないはずがない。だが、術がないので諦めているといった感情が、言い淀んだ口調からも伝わってくる。
今更の質問だ。現状など分かり切っている。
なぜ、改めて、そんなことを訊いたのか。
アオさんの言葉を聞くや否や、ルナは「ふーん」と相槌を打つと、少しの間を空けて宣言をした。
「だったら、僕たちがそいつらをやっつけてあげるよ! そうしたら、匂いも収まるでしょ?」
根本的過ぎる、これ以上ない完璧な解決手段。
リスクを恐れず、最短距離を平気で提示し、実行する。
忘れていたが、彼女はこういう子だった。
危険の支柱に自ら突っ込む。困っている人のために体を張る。
だが、今回ばかりはちょっと待って欲しい。
「待て、ルナ。気持ちは解るが、なんでもかんでもやっつければいいってもんじゃない。俺たちはまだ、この町のことをよく知らないんだ。兄妹のことだって、アオさんから話を聞いただけで、肝心なところは何も分かっちゃいない。」
要するに、相手の目的や性質が判らない以上、悪と決めつけ闇雲に倒すという行動には移せない。
異臭は間違いなく公害であり、迷惑極まりない行為ではあるが、そもそも、兄妹が放出しているという確証もないのだ。
アオさんの言葉を疑うわけではないが、一方の話だけを聞いては、どうしても、感情がそちらへ傾いてしまう。
ナナたちは、兄妹のことを全く知らないに等しい。話をしてくれたアオさん自身も、詳しくは分からないと言っていた。
あまりにも謎が多過ぎる。
悪党なのかそうでないのか。意図的なものか無意識なものか。異臭との関係はあるのか無関係なのか。
そもそも、この異臭の正体は? 兄妹の正体は? 鎧の男は何者なのか? その目的は? 宮殿の全容は? 本当に闇ギルドなのか?
とにかく、やっつけるにしても、兄妹の本質をもう少し知っておきたい。
「ともかく、お前たちの気持ちはよく分かった。俺も、このままこの町を出たんじゃ、なんだか気持ち悪いからな。」
ならば、どうするつもりか。
不思議そうな顔をするルナを始め、チロットやピピの視線を集めると、ナナは顎の前で手を組み、猶予を据えるように言った。
「少し、様子を見よう。」
…………………………
その夜更け。
ナナたちが各々の部屋で床につき、町全体も寝静まった頃──宮殿のとある暗闇にて、青髪の少年が持つ小瓶から、一滴の奇妙な液体が大鍋へ零された。
影で隠れた目元の下、不敵な笑みが紫と緑の蛍光色に照らされ、次の時には、宮殿の煙突より緑色の煙が朦々と排出されていた。
より高低が低い舗道から順に這い蹲るかのように、診療所、シャッターの下りた小型店舗。民家を一軒、二軒と緑の煙が覆い尽くし、外気を遮断した人々は何も気づかない。
宿屋も例外ではなく、呑み込まれゆく窓の外側を、疲労より熟睡に落ちたナナたちもまた知る由もなく、緑色の煙は町全体を包むように流れていった。
………to be continued………
───hidden world story───
▽▼▽▼▽
☆HIDDEN WORLD用語紹介のコーナー★[魔物編]
〈-レッドリザード-〉
《生物分類》魔物(魔力循環動物)
《魔物分類》竜下爬虫魔性類(竜下爬虫魔瘴類)
《正式名称》全容赤色蜥蜴(Colorum Varanus figura rubrum sauria Roz ; Miic)
特徴: トカゲに酷似、濃赤色の鱗、赤い眼、長く頑丈な尻尾
弱点: 大型の肉食獣(全長、20m超えの魔物等)、寒波(変温動物の傾向あり)
分布: 暖かな森林や湿地帯(ノア地方・フェアシール地方・アスアニア地方)
概要:
全長、10m-14mで成るトカゲ型の巨大な魔物。体長の五分の二ほどが硬質な尻尾で形成されており、口と四肢には鋭い牙と爪を持つ。嗅覚のほか、特に視覚が優れているため、獲物を種類ごとに判別できる。知能が高く、記憶力も良い。普段は四足歩行だが、威嚇や攻撃の際に後ろ足で立ち上がることがある。歩行まではできない。グリーンリザードの三倍の筋力、五倍の知能を持つとされる。肉食性、半雑食性。鱗から微弱の毒液を生成する。
生態:
温暖な森林や湿地帯に生息。暖かで穏やかな気候を好む。昼行性。非常に獰猛で好戦的だが、気温の著しい変化に弱く、35℃を超える猛暑や10℃を下回る極寒に晒されると、生命活動が極端に低下する。生命活動が低下した個体は、鱗の色が褪せていく。特定の巣を持たず、睡眠時間以外は獲物を探して地表を練り歩く。口に入る物であれば死肉でも捕食してしまうため、交戦時には注意が必要。加えて、知能も高く、一度敵対した相手の特徴を一ヶ月は記憶するといわれている。その期間、相手の戦い方や癖を僅かながらも憶えているという結果も報告されている。ほとんど群れることなく、大抵は一匹から三匹で行動。しかし、グリーンリザードを従えているときだけは例外で、一匹のみが頭目となる。グリーンリザードを”別種”と理解している。鱗から生成される粘液には微弱の毒素が含まれているが、これは、寄生虫や細菌から身を守るための防菌液のような物であり、人間や大型の生物に害はない。
人間との関係:
グリーンリザードに比べて生息数は多くはないが、度々、旅人や冒険者へ襲いかかることが確認されている。一度交戦すると、『そこで人間を襲える』と覚えるため、安全のために討伐対象となることが多い。しかし、人間に敗北した経験のある個体はやはり、人間を避ける傾向にあるので、命を奪わない程度に叩きのめすのも吉。
用途:
肉は、可もなく不可もなく、ある程度は食料になる。グリーンリザードよりも硬く臭みがある。爪や牙、眼などは各々の用途に合わせた加工品。毒液は薬や魔法液、化学実験などに使われる。濃赤色の鱗は人気があり、高価な革細工へ加工されるが、レッドリザードの鱗は死後、急速に色褪せていくため、綺麗な赤を保つために、素早い処理と丁寧な鞣し作業が求められる。
対処法:
一見、グリーンリザードと色が違うだけと思われがちだが、筋力と知能がグリーンリザードの比ではないので注意。しかし、魔物界全体でみれば脅威度は低いほうなので、焦りは禁物。レッドリザードが従えるグリーンリザードの群れに狙われていると感じたら、仲間内と背を預け合いながら、とにかく移動し続けること。レッドリザードを頭目とした群れは、自らを縄張りとした一定範囲外までは追ってこない(森林帯を抜ければ、なお良し)。交戦せざるを得ない場合は、グリーンリザードの動向に注意を払いながら、レッドリザードを集中的に狙うこと(グリーンリザードは、レッドリザードの間合いへ侵入しない傾向にある)。レッドリザードを仕留めない限り、群れでの狩りは終わらない。体力の消耗を避けるために、先に頭目を仕留めること。グリーンリザードと同様に、正面や背後から攻めるのは危険である。できるだけ、側面から攻撃を仕掛けるべきなのだが、グリーンリザードより動きが素早く、危機察知能力が高いので注意。爪や尻尾での反撃を予測しておくこと。湿地帯で交戦する際は、足元に気をつける。地面が泥濘んでいることが多いので、足を取られたら最後と思ったほうが良い。湿地帯にグリーンリザードは生息していないので、多量の群れを相手にする心配はないが、二匹から三匹のレッドリザードを同時に相手しなければならない場合もあるので、慣れていないと寧ろ、こちらのほうが対処に苦労する(ただし、個体の主張が強いため、団結力はそれほど高くはない)。一匹に集中し過ぎないこと。やはり、弓や銃などの遠距離攻撃、魔法による炎や冷気が有効。矢や弾丸を避けるほどの身体能力はない。加えて、温度変化に弱い。遭遇を減らすために、魔物避けの鈴などが有効だが、人間に慣れた個体には効果が薄い場合がある。逆に、人間を恐れている個体には大きな効果が期待できる。
※モチーフ: コモドオオトカゲ等(作者は色違いが好き「緑ときたら赤だよね」)
著者引用: ロズ・ローブ(Roz Loed)
謎のマトリョーシカ。




