第26話 枯れ木が軋む日
知るも明日。知らぬも明日。
“モンブランタウン 宿屋 ブルーモンブラン”
翌朝。ナナは宿屋の階段を下りた先で、アオさんと顔を合わせていた。
「……おはようございます。」
「あぁ、おはようさん。昨日はよく眠れたかい?」
アオさんの問いかけに、ナナは一階へ足を下ろすと共に答え──。
「はい、おかげ様で。」
同時に軽く、共有スペースを見渡すと、投げかけ返した。
「ほかのみんなは?」
アオさんが顎で、宿屋の出入口を示す。
「もう起きて、外に出ているよ。何やら、様子が変わってるとかで、俺も少ししたら見に行くところだ。」
その言葉を受け、ナナは疑問に思いながらも、自身も外へ出てみることにした。
……………
扉を潜り、外へ出ると、まだ暖まり切らない冷えた空気が肌を撫でる。
同時に、何やら道の真ん中で座り込んでいるルナとピピと、それを眺めているチロットの姿がすぐ目に入った。
こんな肌寒い朝早くから、道のど真ん中に座り込んで、一体、何をしているのか──。
訝しむ間もなく、ナナに気がついたルナが素早く立ち上がると、共に気がついた様子のチロットを連れて駆け寄ってきた。
「おはよう! ナナ!」
「おはようございます。」
笑顔を描いたルナと落ち着いたチロットの挨拶に、ナナも交わす。
「あぁ、おはよう。随分と早いな、お前ら。」
朝方も朝方。歩き続けた反動と、昨日の複雑な話の件もあり、しっかりと眠れたのか心配になるが、彼女らの爽やかな表情を見る限り、心労は無用のようだ。
ならば、それ以上に訊きたいことがある。
「っていうか、こんな朝早くから何してるんだ?」
ルナやチロットもそうだが、ピピは未だに、舗道の真ん中で座り込んでいる。
体調が悪い……とかではなく、何かを真剣に見ている──いや、観察しているように思えた。
石畳の溝でも数えているのか──否、冗談はともかく、こちらに気づく間もなく集中していることは確かだ。
「ナナさん。気づきませんか?」
「? 何がだ?」
不意にチロットから投げかけられ、ナナがとぼけた声を上げる。
チロットが僅かに目を向け、町全体を見渡すように言った。
「匂いですよ。」
「匂い……?」
言われて気がつく。普段と変わらない涼やかな朝。
だが、今回に関しては、それがひとつの異常だった。
ナナの背後で宿屋の扉が開くと、アオさんが目を丸くした様子で町を見渡した。
「こいつは驚いた……。いつの間にか、匂いが消えてるじゃないか。」
そうだ。昨日まで町に蔓延っていた異臭が、綺麗さっぱり消えているのだ。
数日前より発生していた異臭が、ナナたちが来た翌日には消えていた。
これは偶然なのか。はたまたは、意図的なものなのか。
周りを見れば、ほかの町民たちも、アオさんと同じように目を丸くさせながら、屋外へ出てきている。
異臭が消えたこと自体は喜ばしいことなのだが、長らく消えることのなかった物が突然消えるというのも、それはそれで不気味なものだ。
ルナたちは、この事態に朝早くから気づいたのだろう。
ゆえに、今、ピピが道の真ん中で座り込んでいる理由も、それに起因しているはず。
ルナとチロットと共に、ナナはピピへ歩み寄った。
足音に気がついたピピがその体勢のまま顔を向け、挨拶を交わす。
「あ、おはようございます。ナナさん。」
「あ、あぁ……おはよう。」
妙に固い眼差しの挨拶に、ナナが思わずたじろぐ。
先程まで、ずっとこの表情で何かをしていたのか、朝の長閑な雰囲気に反した真剣な目だ。
僅かだが、ピピのこの目は知っている。
誰かに治療を施す時、包帯を巻いている時、薬を調合している時。
これは、仕事をしている時の目だ。
それを裏づけるように、彼の傍には試験管が並べられた試験管立てが置かれており、眼前の石畳には、長方形状の白いシールのような物が等間隔を空けて貼られていた。
「それは?」
明らかな調査道具。ナナがシールについて問いかけると、ピピの代わりといったように、隣に居たルナが答えてくれる。
「なんかね、せいぶんのぶんせき? とかをしてるんだって!」
「成分の分析?」
成分を分析するというと、それこそ、例の異臭だろう。
しかし、先にも述べたとおり、昨日までの異臭は消えている。
ならば、何を分析しているというのか──。
突き抜ける舗道を見据えるようにして、ピピが言った。
「ナナさん。町の下のほうを流れる空気をよく見てみてください。……何か見えませんか?」
「何か」と言われても、ぱっと見は何もない。ただ、宮殿へ目掛けて真っ直ぐに石畳が伸びているだけだ。
──空気の流れと言っていたな。
ナナは視野角を広げるように、視界に入った町全体を遠目で眺めた。
ピントが外れるかのように、舗道へぼやけがかかる。
その一瞬、幽かだが町全体に──いや、正確には、舗道と家屋を区切る溝や端に沿うように、何やら緑色の色素を見た気がした。
同時に、気づきさえすれば、それは気のせいなんかではなく、確かに存在する違和感として認識できる。
焦点を戻して、今度ははっきりと肉眼で確認した。
そこには、町の下部へ薄く広がるように、緑色の霧のような物が漂っていた。
「あれは……なんだ……?」
思わず声を漏らしたナナを見て、ピピが状況を説明する。
「気づきましたか? 昨日まであった異臭と入れ替わるかのように、今度は緑色の煙が漂っていたんです。」
状況は理解できたが、意味はさっぱり分からない。
悪臭の次は、色付きの煙か……?
困惑を浮かばせるナナに、ピピが神妙な顔つきで続けた。
「この煙……無味無臭で一見は害がないように思えますが、ぼくの勘が正しければ、恐らく──。」
その時、ルナが何かに気がついた様子で声を上げる。
「あ、ピピ! シールの色が変わってるよ!」
ルナの指摘を受け、ほか三人が一斉に、石畳に貼られたシールへ目を向ける。
見れば、先程まで白一色であったシールの一枚が、一部、紫色に変色していた。
真剣な眼差しを帯びさせながら、ピピが変色したシールをピンセットで剥がし取り、傍に用意していた試験管の一本を摘み上げて、中に放り込む。
予め入っていた透明な液体と浸透するかのようにシールが沈み、ぷくぷくと気泡が発生する。
すると間もなく、無色透明だった液体が濃い緑色へと濁ると、ピピは予感しながらも、できれば外れて欲しかったという意を滲ませながら、試験管の中身を睨んだ。
「やっぱり、これは──”LCl−CkRh”……!」
確信した様子のピピに反して、ナナたちはピピの並べた文字列に困惑を見せる。
「えるしーえる……なんだって?」
ナナが拙く復唱すると同時に、ピピが勢いよく顔を向けると、補足というように捲し立てた。
「”LCl−CkRh(エルシーエル -マイナス- シーケーアールエイチ)”! “葉塩化セキリュリヘイン”と呼ばれる劇薬ですよ!」
改めて言われても分からない。だが、「劇薬」という言葉とピピの必死な様子から、取り扱い注意と書かれた抽象的な薬品を思い浮かべるくらいのことはできた。
あの温厚なピピが声を張り上げるくらいなのだから、余程の物質なのだろう。
「葉塩化セキリュリヘインは、薬剤界において血圧を下げる薬として使われます。しかし、その強過ぎる作用から、資格を持たない者の使用は”究総合医療協会”によって禁止されており、法律でも厳しく規制されるほどの代物です。」
難しいことは分からないが、とにかく、一般の者の使用は『禁止されている』という点さえ理解できれば上出来だろう。
「資格を持ったぼくたちでも、この物質を原液で投与することはありませんし、どんな薬に混ぜる場合でも、濃度を一・五パーセント以上にはしません。」
逆を言えば、一・五パーセント以上の濃度で摂取すると、人体に悪影響を及ぼす可能性があるということだ。
「この煙を見る限り、少なくとも、五十パーセント以上の濃度で散布された可能性があります……! 資格を持っていても持っていなくても、それほどの濃度を町へ向けて散布するなんて、あり得ない話です!」
規定の範囲を大きく超える劇薬の使用──ピピの憤りもよく解る。
しかし、ナナは、実際にどのような悪影響があるのかが気になった。
「因みに訊くが、もしその……高濃度の煙を吸ってしまったら、どうなるんだ?」
ナナの些細な疑問を受け、ピピが真剣な目を向ける。
「葉塩化セキリュリヘインを大量に摂取してしまうと、心拍数が増加し、逆に血圧が上がります。それも、本来の機能を超えて過剰にまで引き上げられるため、血管や心臓に今まで以上の負担をかけ、血管の破裂や炎症を引き起こし──最悪の場合、心臓そのものが破裂したり、麻痺を起こして止まることもあります……!」
迫真に迫ったようなピピの表情と言葉に、ナナとルナは考える。
──心臓の破裂。心機能の停止。
その二つを脳へ深く浸透させると同時に危機感を覚えたのか、ナナとルナは無表情のまま背を向けると、青白い空気を纏わせながら宿屋へと引き返した。
「よし、ルナ。今日のところはここまでにして、部屋で脈の数でも数えるか。心臓が破裂しないうちに。」
「そうだね、ナナ。僕、なんだか、胸が痛くなってきた気がするよ……。」
息の合った動きでトボトボと歩き、もはや、人魂のような物すら見える錯覚を覚えたピピが、慌てたように声を上げる。
「ちょっと待ってください!! 大丈夫だから……!」
その言葉に引き戻され、ナナとルナは青線を携えながらも帰ってくる。
それを見届けながら、ピピが呆れたように鎮静を施した。
「もし、本当に血管が破裂するほどの濃度が残っていたら、ぼくも呑気に成分の分析なんてやってないですよ!」
それはそうだ、と納得しつつも、どこか不安げなふたりに、ピピが緑色の煙へ一瞥しながら根拠を説明する。
「あれは、色素が残っているだけで、効力のほとんどは大気で中和されています。葉塩化セキリュリヘインは植物由来の物質ですから、それのみで環境を汚染し続けることはありません。」
体を壊すほどの作用は失われていることを知り、普段の顔色を取り戻すナナとルナ。
それを確認して、ピピが更なる詳細な分析結果を話した。
「恐らく、ぼくたちが寝静まった夜中の間に放流されたのでしょう。そのおかげで、人命に大きな被害はなかったともいえますが……中和の過程で、町の外にも大量の煙が流れ出た可能性があります。」
広がり、のばされたのであれば、森まで広がっていても不思議ではない。
元々、自然界にあった物が自然界に薄められたのだから、然して、問題はないように思えるが、ピピはなんだか、思い悩んだような表情をしていた。
視線が下向きのピピへ、ナナが訝しげな反応を示す。
ピピは、そんなナナへ目を合わせると、少し言いづらそうにしながらも、決心したように口を開いた。
「実は……葉塩化セキリュリヘインには、”別名”があって──。」
その時、町の入口方面から、男性が大声を上げて駆けてきた。
「大変だー!! 魔物が攻めてきたぞー!!」
思わず会話を中断したナナたちが、耳を疑った様子で目を向ける。
どよめく町民たちに端々に、大声を上げた男はそのままナナたち四人を素通りすると、アオさんを含めた、知り合いであろう数名の町民たちの前で立ち止まり、息を切らして危機を共有し始めた。
町民のひとりが確認するように声を濁らす。
「魔物って……どういうことだ……!?」
「どうもこうも、そのまんまの意味だ! 木の化け物が群れを成して攻めてきたんだよ!」
“木の化け物”──。なんだか憶えがある。
「木の化け物って……あの森にうじゃうじゃ居るやつらか……? なんであれが攻めてくるんだよ!?」
「そんなこと俺が知るか!! とにかくみんな、早いとこ建物へ避難したほうがいい……! そのうち、ここにもすぐにやってくるぞ!」
焦ったやり取りを、ナナたちは聞き耳を立てながら見ていた。
会話を聞くに、魔物が攻めてきたということは言わずもがな、解る。
しかし、決して日常的に起こるような出来事ではないということは、彼らの表情や言葉の端々で推測できた。
であれば、なぜ、今になって魔物が攻めてきたのか。
どこか、それを予期していたふうのピピが頬にひと粒の汗を浮かばせると、改めて、ナナたちへ語って聞かせた。
「葉塩化セキリュリヘインのもうひとつの名は──”Miic Activation Drug”。一般名称を”魔物活性化剤”……! 気化された煙には魔物を凶暴化させる効力があり、歴史上の様々な争いにおいて、軍事用兵器としても使われた過去を持つ、第一級危険物質なんです!」
その言葉を聞き、ナナたちの顔色も変わる。
つまり、純度、百パーセントの”魔物活性化剤”が森へ流れ出たということは、今、町へ侵攻してきている魔物の群れは、まさにそれを吸い、凶暴化した結果の所為ということになる。
ただでさえ、危険で対処の難しい魔物が凶暴化するだなんて、考えたくもない。
「この町ができてから今日まで、魔物が攻めてきたことなんて、一回あるかないかだ……! やっぱり、あの悪臭が奴らを呼び寄せたのか……!?」
魔物活性化剤なんて代物をばら撒かれているとは知らない町民にとって、異変に紐づけられる事柄はそれくらいだろう。
実際、ナナたちも町へ向かう道中、悪臭で気が立っていたと思われる魔物に襲われている。
悪臭からの興奮剤──。魔物の理性を飛ばし、凶暴化させるには十分だった。
…………………………
“モンブランタウン ゲートウェイ前”
同時刻。ゲートを抜けた町の入口付近は、無数の乱雑な足音によって、石畳が振動を伝えていた。
逃げ惑うのは町の人間たち。町のより深部を目指し走るか、建物へ逃げ込むことで、各自、避難を行う。
しかし、決して器量のいいものとはいえなかった。
なぜなら、彼らを追っているのは、数え切れないほどの木の化け物──古株樹。
足音とも地滑りとも取れる騒音を轟かせ、光を反射する赤いガラスレンズのような器官が、彼らを焦燥に駆り立てる。
魔物活性化剤が効いているのか、ナナたちへ襲いかかった個体よりも、千鳥足の速度が速い。
一挙一動が荒々しく、活力すら感じられる暴走っぷりは、まさに『魔物の群れ』だった。
古株樹が枝を振り回す。
垣根や壁に傷が付く。
逃げ遅れた男が枝に払われる。
腕を擦りむいた男が姿勢を低くして物陰に隠れる。
古株樹の群れはそれを無視して、町のより中心部へ波の如く進む。
石畳に小枝が散らばる。
狩猟用の銃なのか、老人が顔を引き攣らせながらライフルを撃った。
銃弾は、目前に迫った古株樹の枝を一本、撃ち抜き、爆けるように切断したが、痛覚が存在しないためか効果は薄い。
寧ろ、発砲音に刺激を受け、古株樹が怒りに目覚めたかのように赤いレンズを光らせて、別の枝を振り回す。
それに思わず、老人は顔を強張らせながら、足が竦んでしまった様子で固くなった身を退こうとするが、咄嗟に、後方に居た家族に引き寄せられ、家の扉を閉めることで老人を救出。
直後、丸太を激突させられたかのような音と衝撃が扉越しに伝わるが、なんとか事なきを得ていた。
しかし、家屋に居るからといって安全というわけではない。
また別の家にて、自宅に避難していた家族が窓から外の様子を窺っていたところ、突如、枝が振り下ろされ、窓ガラスが粉砕された。
子どもを抱き寄せた女性が「キャー!」と悲鳴を上げ、同居の男が咄嗟に「伏せろ!」と声を響かせる。
直後、古株樹の赤いレンズが家の中を覗き込んでいた。
男の声に従った女性と子どもは窓枠の下、古株樹の死角となった場所で息を殺し、男は別の物陰に身を隠す。
静まり返った室内で、古株樹の赤い視線が中を蹂躙する。
──パキ……パキパキ。
生き物の多くは、動く物に反応を示す。
それは、古株樹も例外ではない。
結果、何も捉えられなかったと判断した古株樹は、無機質な動作で窓を離れると、荒れ狂う群れへと戻っていった。
それを確認した男と女性は、ここぞとばかりに動き出すと、素早くカーテンを閉め、今度こそ外界を遮断する。
ほかにも、扉を押さえながら大工道具を構える男性。室内でフライパンを構える女性。箒で威嚇しながら、後ろ歩きで家屋に避難する夫婦。
逃げ遅れた者。壁で丸くなる者。膝を擦りむいた者。頭を打ち、血を流す者。
幸い、死人は出ていない様子だが、負傷者も多数、被害は予想を超えて拡大していた。
古株樹は、何かに駆り立てられるかのように、町の中心部へと目掛けて傾れ込む。
彼らに捕食器官は存在しない。ゆえに、実のところ、人間には微塵の興味もない。
古株樹はただ、抑えられない昂揚と興奮を、動き回ることで発散している。
同時に、更なる興奮を求め、一種の中毒のように、魔物活性化剤の残り香に引き寄せられているのだ。
その過程で、人間の放つ音や声に刺激を受け、反射的に枝を振り回す。人間が逃げ惑う、悲鳴を上げる、抵抗を見せる。結果、古株樹が更に駆られ、人間に対して攻撃的になる。
この惨事は言わば、これの悪循環だ。
古株樹は、自身たちの進行方向にある”邪魔”な物を払い除けながら進んでいるに過ぎない。
昂揚と興奮に埋め尽くされ、ここが、人間たちの縄張りである、ということも忘れるほどに。
──パキ、パキキ。
また、干からびた枝が振り下ろされた──。
…………………………
“モンブランタウン 宮殿(?)”
薄暗に立ち並ぶ巨大な窓の前で、兄妹が町を見下ろす。
その横方向より、全身を鎧で包んだ男が片膝をついた。
「クラット様、アリス様。ご報告したいことが……。」
こうべを垂れて、職務を果たそうと言葉を発するが、青髪の少年──クラットが遮る。
「あぁ、分かっているよ。」
窓の外を眺めながら言う姿に、鎧の男が僅かに顔を上げた。
「……既にお気づきでしたか。」
クラットが頷く。片手には単眼鏡がある。
「どうやら、魔物が攻めてきたみたいだね。ボクたちが来てからは、初めてのことだ。」
年に似合わず、冷静に言う姿はどこか冷酷でもある。
アリスも口は開かないが、窓のそばに椅子を敷き、優雅に本を読んでいるあたり、大して気にとめていないと直感できた。
微塵も焦りを抱いていないというのか、この宮殿まで来るとも限らない魔物の勢いに、鎧の男は僅かに眉をひそめながらも、声色を変えず提案を施す。
「私が行ってまいりましょうか……?」
魔物たちを退治しに行くということだろう。銀の鞘に収まった剣の柄を握り締める。
しかし、クラットは窓の外のある一点を見詰めるように目を細めると、鎧の男を引き留めた。
「……いや、その必要はないよ、レテニー。君が出るまでもない。」
「…………?」
考えが読めない主人の言葉に、鎧の男が疑問符を浮かべる。
クラットの微笑みが窓に反射して見えた。
「少し……面白いものが見られそうだ。」
…………………………
“モンブランタウン 中央広場前”
宿屋前より立ったナナ、ルナ、チロットの三人は、ゲート──入口付近へと向かって駆けていた。
しかし、古株樹の群れは既に、入口付近どころか町の中央エリアまで侵攻していたため、ナナたちはやむなく戦闘を開始する。
ナナの剣技が枝を切り裂き、ルナの拳が幹を砕き、チロットの槍がレンズを貫く。
一度、戦った経験があるおかげか、無駄なく無力化していく。
被害の拡大を抑えるために、とりあえずは、古株樹を入口付近まで押し返したい。
「あ! ナナ、前!」
不意に、横で共に駆けるルナが前方を指差した。
見れば、とある男女が壁を背にして、古株樹に詰め寄られている。
「行くぞ……!」
「うん……!」
ナナの言葉を合図に、周りの古株樹を払い除けながら足を早める。
……………
「っ……!」
そこでは、足を怪我した様子の男性を庇うように、女性が手を広げながら、迫りくる古株樹を睨んでいた。
もちろん、手立てがあるわけではない。奥歯を噛み締めるような表情と冷や汗がそれを物語っている。
それでも逃げないのは、ふたりが恋人同士であるから。
「…………!」
しかし、古株樹に慈悲を抱く知能などない。
無情にも枝が振り上げられ、女性は身を挺して男性を庇おうとするが、直後──紺色の影が女性の前へ割って入ったかと思えば、古株樹が斬撃と共に吹き飛んだ。
女性たちが驚く間もなく、続くように、ルナが周囲の古株樹を蹴り飛ばし、集団を巻き込むことで逃げ道を確保する。
女性たちを助けた紺色の影──ナナが剣を携えながら声を上げた。
「今のうちに……!」
みなまで言わずとも理解したのだろう。女性は軽く会釈をすると、怪我を負った男性を庇いながら逃げ去った。
「…………。」
割り込んだナナとルナへ、古株樹たちが集まってくる。
派手な音を立てたことで注目を買ったようだが、寧ろ、好都合。
合流したチロットと目を合わせ、ナナたちは各自、散るように、古株樹の群れへ飛び込んだ。
「はあぁあ!」
チロットの巧みな槍遣いにより、古株樹の核が次々に割られ、倒木が一本、二本と増えていく。
彼の戦い方は、とにかく丁寧だ。
迫ってくる枝を防衛のために切り払うことはあっても、そのほとんどの攻撃は核に集約している。
一撃必殺。的確な狙いは製鐵を帯びて、チロットが槍を引き腰を屈めると──。
「”槍錐”!」
無策な赤いレンズを貫き、古株樹を砕き折った。
横へ目を向ければ、小柄な背が枯れ木の中を跳ね回る。
「”ルナパンチ”!」
幼きも思える拳が幹を砕き割り──。
「”ルナキック”!」
色白でしなやかな蹴りが枝ごと粉砕する。
小柄な体格を生かした素早い動きと、華奢な体つきに似つかわしくない力強い肉弾戦がルナの強みだ。
なんの変哲もない格闘にノリと勢いだけで即興の技名を当て、揚々と戦いを熟す姿は、その無害そうな見た目も相まって、敵へ、ある種の錯覚さえ与える。
尤も、古株樹に敵の見た目など関係のない話だが──大事なのは、彼らの体が木であるということ。
彼女はそれを、容易く砕いているということ。
強度が薄れた枯れ木とはいえ、古株樹を構成するのは硬い樹皮。
武器を使うのであればまだしも、素手で砕くことが容易ではないということは、説明するまでもない。
ルナは強い。これで魔法を使っていないのだから、なお強い。
「やぁあ!」
核に拳は効かないが、幹さえ粉々に砕けば十分に戦闘力は奪えるため、ルナは力と技を駆使して、優勢な戦いを繰り広げていた。
対して、ナナの戦法はガラス魔法と剣技の複合。
使えるものは全て使って、妥協をしないのがナナの流儀である。
しかし、倹約家でもある彼は、魔法を多用はしない。
ナナのガラス魔法は強力だが、我流のためか魔力の消耗が激しい傾向にある。
加えて、ここは町中でもあり、周りでは自身の仲間も共に戦っている状況だ。
まさに『ガラス』というべき柔軟性のなさを補うように、手近の古株樹は剣で沈める。
枝を素早く切り払い、核へ袈裟斬り──縦切り──横切り。
自身の間合いを取り決めたように、無駄に動かず、迫ってきた相手から順に切り捨てる。
回避は素早く丁寧に。攻めは最小限に。
そして、遠隔に敵が集まれば、射程先に味方が居ないことを確認して、切先を鋭く向け放つ。
「”ガラスピア”──!」
無数のガラスの槍が多量の古株樹を貫き、枝、幹、核を粉砕──原型すら残さない。
しかし、そんなナナたちの活躍を嘲笑うように、古株樹の数は一向に減らなかった。
戦いの音に釣られてか、町の入口方面から続々と追加が来る。
「こいつら……! どれだけ居るんだ……!」
「キリがないよ!」
枯れ木、枯れ枝が石畳を汚しても、古株樹の群れはぞろぞろと集まってくる。
「恐らく、魔物活性化剤の煙を吸った古株樹が丸ごと集まっているのでしょう……! この町の一定範囲内に居た古株樹が、全て集結していると考えてもいいかもしれません……!」
チロットのその言葉を裏づけるように、集まり過ぎた古株樹によって、町の舗道は一種の森林と化していた。
季節外れの枯れ並木。
この前に戦った数の十倍は居るであろう群れに、さすがのナナたちも先が見えない思いだが、不意に──。
──ズシン。
と、足裏より振動を感じたかと思えば、一定間隔を空けて、ズシン、ズシン、と何か巨大な物を振り下ろしたかのような音が近づき始める。
すると、それまで、我を忘れたように暴走を繰り返していた古株樹たちが、途端に、動きを停止させた。
思わず、眉をひそめるナナたち。警戒は解かないが、少し、肩の力が抜ける。
同時に、耳が冴えたのか、近づく重い音は何かの足音だと直感できた。
町全体を揺るがす足音。入口方面からだ。
「…………!」
ナナたちが目を向ける。見れば、遠方より、何か山のような巨大な物体が迫ってきているのを目視した。
山のような物体は、並居る古株樹を押し除けながら、或いは、踏み潰しながら迫ってくる。
近づくほどに判る。山のような物体は生物であり、その体は肥え太ったかのように丸々と、全長は二階建て建造物を凌駕する。
ナナたち後方の宮殿を除いて、ここに立ち並ぶ何よりも巨大な影は、足音が聞こえ始めて僅か数歩で、ナナたちの目前に立ち止まった。
全てを見下ろす巨大な塊に、ナナたちも町の人間たちも目を丸くして驚愕を見せ、誰もが知る姿に形容は不要。
「こ、こいつは……!」
滑った緑色の肌。丸みを帯びた吸盤のような指。膨らむ下顎。左右へ飛び出た漆を思わせる眼球。
その巨大さ以外は周知の存在に、ナナに続いてルナが思わず叫んだ。
「か、蛙だぁー! おっきな蛙だー!!」
そう。現れたのは、一軒家を凌駕する巨大な蛙だった。
「”ギガントトード”……!!」
チロットが声を上げる。
あの巨大な蛙──もとい、魔物の名前だろう。
同タイミングで、異変を聞きつけたアオさんとピピが駆けつけ、巨大蛙の全貌に、思わず仰け反ったように見上げた。
「うお! こいつはギガントトードじゃないか! 旧街森林の主がなぜ、こんな所に……!」
背後で驚きの声を上げるアオさんの言葉に、耳を傾けたナナが呟く。
「主……?」
確認するかのように、チロットにも目を向けると、チロットはこくんと頷き、補足を加えた。
「ギガントトードは、森の奥地に生息している魔物で、滅多に人前へ姿を現すことはありません。その性質から、巷では”福神蛙”なんて呼ばれてたりもするようですが──実態は、肉食で獰猛な魔物。視界に映った物であれば、なんでも口に入れ、丸呑みにするといいます。」
あの大きさだけでも厄介だというのに、更に獰猛ときた。
どことなく、岩石大鷲の時と既視感がある。
「……大人しく帰ってはくれないということか。」
ナナたちは全員、既にギガントトードに視認されている。
食べやすい、ひと口サイズ。こんな絶好の獲物を逃す手はない。
「危険な魔物が少ないとされる旧街森林でも、こいつは別格ですよ……!」
チロットの警告を合図とするように、ナナたちは武器を構えた。
ギガントトードが下顎を膨らませて、選別するかのように、漆黒の眼球へナナたちの姿を映す。
その合間を縫い、古株樹たちが毒を抜かれたように町から退いていくが、不意に、ギガントトードの眼球がギョロッ、と後方を向いたかと思えば、自身の横を過ぎていく古株樹の群れへ齧りついた。
「…………!?」
突然の挙動に驚くナナたち。
ギガントトードが天高く顔を持ち上げ、バリバリと古株樹を咀嚼していく。
呆気に取られるナナたちを差し置き、ごくんと残骸に化した古株樹をひと呑み。
何事もなかったかのように、辺りへ静寂が走った。
皆が思わず言葉を失うなか、ルナが驚いたように一言。
「……木って美味しいのかなぁ?」
「そこじゃないでしょ!!」
チロットがツッコんでくれたおかげか、我に返ったナナが、あることを思い出す。
「あれは、”魔力補食”か。」
再び、古株樹たちへ喰らいつくギガントトードを見て、ナナはいずこで聞いた知識を自身で再確認するかのように拡げた。
「体の大きな魔物は、その分、生きるために大量を魔力を必要とする。しかし、呼吸や食事だけでは、その供給が追いつかないため、時折りこうして、”魔力補食”という『魔力のみを必要とした捕食』を行うという。魔物によっては、魔力を含み過ぎた有毒な水やガス、火、鉱物などを摂取するらしいが──なるほど。古株樹も魔力で動かされてるような魔物だ。なぜ、ギガントトードがここに現れたのか不思議だったが、濃い魔力の塊──密集した古株樹の群れに引き寄せられてきたのか。」
魔物活性化剤が古株樹を呼び、古株樹がギガントトードを呼ぶ。
魔物活性化剤が危険とされる謂れを体現しているかのようだ。
「フ……。まるで、小さな食物連鎖だな。」
大したことのない譬えに、思わず、自分で自分を鼻で笑うが──とすれば、この場における食物連鎖の最下位は、間違いなく自分たちだろう。
目の前で行われる”補食”行為──。あれが、いつ人間へ置き換わってもおかしくはない。人間も、体の大きさに比べて、魔力保有量が異常であると聞いたことがある。
──ゲココゴゴ。
ギガントトードが低く、小さく、それでいて、地を振動させるかのような鈍い鳴き声を上げた。
いつの間にか、古株樹の群れは町より消えており、見た目どおりトロそうなギガントトードはそれを追うこともなく、ここに留まっている。
補食対象が居なくなったのにもかかわらず、ここを離れない理由は、ナナたちを次の補食対象として選んだからなのだろう。
「……ルナ、チロ。こいつを仕留めるぞ。」
唐突なナナの言葉に、ふたりが呆けた表情を浮かべる。
ナナが冷静に続けた。
「森林の主とはいえ、岩石大鷲ほどではないんだろ?」
チロットが自身なさげに頷く。
「え、えぇ……。それは……そうかもしれませんが……。」
見た目の迫力と、魔力補食の光景が残っているのか、どことなく弱気なチロットに、ナナが奮い立たせるべく、言葉を紡いだ。
「だったら大丈夫だろう。もしかしたら、上手くいかないかもしれないが、同じくらい、上手くいくかもしれない。」
自分でも、ちょっと何を言っているのかよく分からなかったが、ここで何もしないという選択肢はない。
そして、彼らの力を信じているし、同じくらい、その力を借りたいとも思っている。
チロットが槍を握り締めた。
「そ、そうですよね。岩石大鷲だって倒してきたんだ……! こんな蛙くらい、僕たちなら、どうとでもできます……!」
闘志を取り戻したチロットを一瞥して、ナナは頼もしく思い微笑む。
続けて、拳を構えるルナへ横目を向けると、ある情報を提供した。
「ルナ、蛙の肉は食えるらしいぞ。」
その言葉に、ルナの瞳が星のように輝く。
「えっ、ほんとに!? それじゃあ、さっさと倒して、アオさんに料理してもらおう!」
元々あった闘志に火を焼べて、ルナが強気な眼差しでギガントトードを見据えた。
迫る戦いを予期して、ナナが後方へ合図を送る。
「ピピ。アオさんと一緒に下がっててくれ。あいつは、俺たちが請け負った。」
ルナ、チロットを横へ従え、ナナがギガントトードへ剣先を向けた。
ギガントトードが仁王のように立ちはだかり、下顎を伸縮させてナナたちを待ち構える。
「今夜は唐揚げパーティーだ。」
………to be continued………
───hidden world story───
敗者が勝者のご馳走となる、この世の一般常識。




