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夢から醒めるにはこの儀式が必要だ

「あっ、目が覚めた」


 気がつけば、目の前に美希の顔があった。その目に吸い込まれるように顔を近づける。最後に見えたのは、美希の「えっ」という驚く顔だった。叩かれはしなかった。涙が残っていたのか、少ししょっぱかった。


「ちょっと」と、顔を赤くしながら美希は言った。

「初めてだったのに」

「夢から醒めるには、今も昔も、これが一番効くらしい」と、僕はとぼけて言った。

「普通逆じゃないの?」

「そんなに違わないと思う」


 美希は館内着から浴衣に着替え直していた。完璧に目が覚めた僕は、ベッドから起き上がり、自分の服を持って、ユニットバスに入る。僕が着替えていると、ドアの向こうから声が聞こえた。


「丹野くんが寝てる間に、お母さんから電話かかってきてたよ」

「僕の?」

「そう」


 僕は、Tシャツを頭に通したまま、部屋に戻った。スマホを見ても、通知は残ってなかった。


「もしかして、出たのか?」

「笑ってたよ。駆け落ちしたんだと思ったって」

「帰りたくないな」


 何言われるかたまったものじゃない。美希はベッドに体を投げ出し、枕を抱きしめていた。


「やっぱり、帰らないといけないよね」

「うん。帰った方が良い。なんなら僕もついていくから」

「一緒に?」

「そう」

「それは、丹野くんが昨日見た夢と何か関係があるの?」

「そうだよ。美希の父親は後悔していた。じゃなきゃ、六年もあの家に住んでいない」

「……でも、それは私がいなくなったからでしょう? 私が生きてたんじゃ、後悔しないと思う」

「そんなことないさ。だから、僕もついていく」



 宿泊費は二人で出した。二人分のお金は持っていたけれど、それでは、僕は電車で帰れなくなってしまう。

 駅前には昨日とは打って変わって、スーツ姿の人が目立ち、昨日と同じ浴衣姿の美希は、一匹だけ帰るのが遅れた渡鳥のようだった。そんな美希も自覚があるのか、僕の隣で体を小さくしていた。帰りの電車では、昨夜、ばっちり眠った僕とは違って、美希はあまり眠れなかったのか、僕の肩に何度も頭をぶつけていた。乗り換えする頃には目が覚めていたのだが、特に会話もなく、ちらりと横目で見た美希の表情は、どこか思い詰めている様子だった。西浦駅で降りる乗客は僕ら以外いなかった。ドアが閉まり、電車が発車する。しかし、美希は俯いてホームから歩き出そうとはしなかった。


「美希?」


 もしかして、まだ帰りたくないのかもしれない。そう思って、僕が頭の中でなんとか言葉を捻り出していたら、美希が顔を上げた。決意に満ちた表情で、僕は唾を飲み込んだ。


「やっぱり、私だけ帰るよ。なんとか、お父さんとも話してみる」

「そうか」


 心配じゃないと言えば、嘘になる。でも、やっぱり親子で話し合えるのが一番だ。それでもだめなら、駆け落ちでもなんでもしてしまえば良い。


「だめそうだったら、うちに逃げてこればいいさ」

「うん、そうする。でも、もし」

「もし?」

「お父さんと仲直りできたら、私の部屋に呼んであげる」

「……期待して待ってるよ。だけどね、僕は美希の部屋に入ったことがある」

「うそっ」

「嘘じゃないさ。なんなら、本棚にあるマンガのタイトルだって言える」

「写真は?」

「写真?」

「写真立て。あったでしょう?」

「ああ、知ってるよ。屋上からの景色が映った写真だろう?」


 そう言い切った僕に、彼女は一瞬だけ驚いた様子を見せたが、目を細めてくすっと笑った。


「ぶー、違うよ」

「あれ? そうだったか?」

「前はそうだったけど、今は、違う」

「じゃあ、なんなのさ」


 路線橋の階段を駆け降り、振り向いて美希は言った。


「教えてあげないっ」



 その写真がなんなのか分かったのは、初めて美希の部屋に呼ばれた、九月半ばのことだった。窓際に伏せられた写真立ては、思わず笑ってしまうほど、明らかな不自然さを持って、存在感を出していた。僕は美希が一階にいる間に、ゆっくりと裏返す。


「あぁー」と、後ろから悲鳴が上がった。


 美希は持ってきたオレンジジュースだが、りんごジュースだかを無造作にテーブルに置くと、僕の方に手を伸ばす。

 見られたくないなら引き出しにでも仕舞っておけばいいのに。僕は写真立てをもう一度伏せて、伸ばされた手を避けて言った。


「なぁ、エアコンの温度下げて良いか?」


 今日も暑い一日になりそうだった。


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