自〇をした人は自分が〇んだことを理解できるのだろうか
八月二十七日、決行日の朝は、久しぶりに気分が良かった。幸い、天気も良い。後は、予定通り行動に移すだけ。
僕は、ベッドのシーツと枕のカバーを外すと、他の溜まった着替えと一緒に洗濯機の中に放り込んだ。頑張って押し込んだが、どうにも入りきらず、カーテンを含めると後二回目は回す必要がありそうだった。洗濯機が動いている間に、掃除を行う。ゴミ出しと洗濯物を取り込み、乾いたカーテンを取り付け直し、皺がないように閉める。掃除が終わった時には、お昼を過ぎていた。
炎天下の中、買い物に出かける。最低限のつまみと酒。とは言っても、僕はお酒に詳しい方ではない。店頭に並んでいて僕にも手が出せそうな日本酒と赤ワインを選んでいると、就活前に戻ったようで少し楽しくなってくる。
だからなのか、つい、かかってきた電話に出てしまっていた。
「やーっと出た。どういうつもりなの? 何で出てくれないの? 私、何回も電話したよね? 番号変わったのかと思ったけど、繋がるし。スマホ変えて、アプリ消えたの? というか、聞こえてる?」
しまった。すぐに切らなければ。だが、何故か僕の指は動かず、スマホから聞こえる非難と心配が混じった声から耳を離せなかった。
「…….ごめん。スマホ壊れてたんだ」
外山さんはふぅーと長いため息をついた。
「壊れてから時間経ちすぎでしょ。一体どうやって就活してたのよ」
僕は何も答えなかった。それが余計に彼女を苛立たせているようだった。
「……もしかして、うまくいってないの?」
「関係ない」
「ねぇ、今、なにをしてるの?」
「もういいだろ」
「はい?」
「もう、終わったことだろ」
「だから、お盆も帰ってこなかったの?」
僕は口の中で舌打ちをした。話が噛み合ってない。
「探し物は見つかったのか?」
「えっ、見つからなかったけど。でも、今日は中里さんの命日でしょう?」
「それは知ってるよ。忘れるわけがない」
「じゃあ。役場に行ってみない? 何か教えてくれるかもしれない。アルバムとか持っていけばなんとか。一人じゃだめでも、二人なら押し切れるかもしれないし」
早口で言う彼女に、僕は内心笑っていた。今から西浦町に戻るだって? あり得ない。
「だから、もう、いいんだ」
「探さなくていいの? やめるってこと?」
「そういうこと。僕は過ぎたことに囚われ過ぎていた。そのせいで、こうなった。でも、結局、全て僕が悪いんだ」
「なにを言ってるの」
「分かってもらう必要は、ない」
「そう。分かった。そこまで言うなら、いいわ。もう知らない」
そこまで言い、ちょっと無言になって、最後に付け加えた。
「丹野くんには期待してたんだけど」
「ごめん」
通話時間は五分にも満たない、短いものだった。
浮かれていた気分も、一気に消し飛び、周りから見られている感覚に苛立ち、僕は早足で店を出る。これから死のうとしている人間に、一体何を期待しているというのだ。
家に戻ると、玄関に荷物だけを置き、病院に向かう。暑い日差しに、今年は日焼けをすることもなかったなと思い、ふっと笑った。生きるか、死ぬかしかない人間に何の意味もない思考だ。
病院についても、僕の気分はあまり戻らなかった。診察室に入ると、いきなり佐藤先生が訊いてきた。
「何かあったんですか?」
「何がです?」
思わず、僕は訊き返した。これからすることに何か勘づいたのか。
「不機嫌そうでしたので」
「ああ、友達と喧嘩しましてね。もうなんの意味もないですが」
「それは。友達は大切にしたほうがいい。大人になると友達は作れなくなるものです」と、妙に実感のこもった口調と遠い目で言った。一旦区切りを入れて、話題は僕の話に戻る。
「就活の方はどうですか?」
「まあ、順調です」
「それはそれは。最近はよく眠れていますか?」
「そうですね。最近はよく寝てますよ」
「先生。ちょっと」と、別の診察室から看護師さんが顔を出す。僕と目があって、顔だけでお辞儀をされた。そのまま、診察室に入り、耳打ちをする。内容はよく聞こえなかった。佐藤先生は、ひとつ頷いて言った。
「後から行くと伝えておいて」
看護師さんが出ていき、先生は僕に向き直った。
「すいませんね。今日は少し患者さんが多くて。いつも通りのお薬で大丈夫ですか?」
「はい」
「そうですか。じゃあ、いつも通り一ヶ月分出しておきますね」と、言って電子カルテに記入する。その目はもうこちらを見てはいなかった。
「ありがとうございました」
最後にそう言った時、僕は、練習通りにうまく笑えていたと思う。
家に戻ったのは、午後五時過ぎだった。都会の暑さはやけに後を引く。綺麗になった台所から瓶を取り出し、今日貰った分を入れた。ほぼ満杯になった睡眠薬を眺め、ビニール袋からつまみだのお酒だのを取り出していると、玄関のチャイムが鳴った。思わず、舌打ちをする。こんな時間に誰が何の用事があってここに来るんだ。画面付きのドアホンを見ると外には高木が立っていた。
何で、あいつがここに? 僕は急いで、睡眠薬の瓶を引き出しに戻すと二回目のチャイムが鳴らされる前に玄関のドアを半開きにした。
「どうした? 連絡もせずに」
「連絡ってお前、まあいいか」
高木は両手に持つ白いビニール袋を持ち上げる。中には沢山のお酒とおつまみが入っていた。
「今から、飲まないか? 結果を聞くぐらいの権利、俺にはあるだろう?」
流石にここで無下にはできない。僕は諦めて、これ見よがしにため息をつくと、高木からビニール袋を受け取り、先に部屋に戻る。だが、高木はリビングのドアの前で突っ立っていた。彼が見ているものはおそらく、綺麗になった部屋。エアコンの風が顔に当たって、僕は少し寒気がした。
「俺が知らないうちに、彼女でもできたのか?」
「そんなことないさ。無性に掃除したくなる時が、年に一度やってくる。今日がたまたまその日だったんだ」
「俺はなったことがないけど」と言い、テーブルの上にあるチューハイの缶を見て、少し眉を寄せた。
「おい、抜け駆けしようとしたな」
「そんなつもりはない」
「その調子だと、結果は良さそうだな」
「問題なし、だ」
「そうか。詳しくは飲みながら聞こうか」
高木は座椅子に腰を下ろして、僕が買ってきたワインのラベルに顔を近づけていた。
「なんだ、なかなか高級なものも買ってんのな」
「久しぶりに飲むからな。たまに飲むならいもの買いたいさ」
「そんなもんか?」
目だけで僕に「座れ」と合図する。本来その合図は僕がするものだ。彼の手には既に蓋の開いたチューハイが握られていた。
「じゃあ、夢の丹野に」と、高木が言い、まだ日が暮れもしないうちから僕らは飲み始めた。
前に会った時から、全然話してなかったためか、高木はやけに夢の話を聞きたがった。どのように彼女と付き合うことになったのか、目的の日はあっさり超えたのか、デートはいつか。そのすべてを、僕は一つ残らず話すことになった。ただ、僕の就活に関しては決して触れなかった。
高木曰く、「お前の話は映画よりも面白い」らしい。はたから見ていればそうなのだろうと思う。アルコール度数のせいか、酒のせいか、体調のせいか、それとも年なのか、以前より早く、僕は眠くなる。初めて飲んだ時に分かったのだが、酔いが回ると僕は眠くなり、高木はテンションが上がる、対称的なタイプだった。
「なぁ、トイレ借りていいか?」と、既に立ち上がりながら、高木が訊いてきた。僕は頷いた。
「場所は分かるか?」
「知ってる」
そう言って、高木は部屋から出ていった。僕は腰を上げると、飲み終えた缶と瓶をまとめ、つまみを片付ける。今日の掃除で使ったゴミ袋が運良く残っていた。流しに缶を並べていると、少しふらつきながら高木が戻ってきた。アルコールの匂いがした。
「珍しいな」
「何が?」
「こんなきれい好きじゃなかっただろう?」
「部屋をきれいにすると維持しようとする気になるんだよ」
「まあ、それは分からんくもないな」
「ちょっとトイレ」
――どうする?
便器に腰掛けて、目の前のドアを睨めつけながら、考える。酒のせいで思考は鈍くなっていた。
今日は止めておくか。いや、僕はもうここにいてはならない存在だ。それに、今日ほど都合のいい日もない。幕は引かれなければならない。だが、目の前で行動するわけにもいかない。
――どうする?
迷った末、僕は賭けをすることにした。高木が帰ると言ったら、予定通りやる。もし、泊まっていくと言ったら、やめる。少なくとも夜明けまでにはやらなければならない。そうでなければ寝ること。これが、リミットだ。
「どうした?」
ドアの向こうから声がかかり、僕は我に帰る。
「なんで?」
「やけに長いから、吐いてるのかと思ってな」
「吐いてはいない。ちょっと気分が悪くなっただけだ」
「外でも歩いてきたらどうだ?」
それもいいかもしれない。僕は一瞬考えたが、危険性に気づいて、ドアを開ける。高木は少し驚いた様子だった。
「いや、大丈夫。もう治った」
そう。ばれるわけにはいかない。
あらかた酒を飲み終えた後、少し開いたカーテンから僕は外が暗くなっていることに気づいた。あれから僕らは四時間近く飲んでいる。酒が周り、顔は赤く、声は高くなっている高木に向かって宣言する。
「さすがに今日は寝るぞ。徹夜でもしたら今までの苦労が水の泡だ」
「そうだなー、徹夜して夏祭り終わってましたじゃ、六年前のお前に恨まれるなー」
久しぶりに酔った高木を見たが、面白い。こんなに声が変わる奴だったのか。どうせなら、もっと定期的に飲み会を開いておけば良かった。胸が痛み、缶を持つ手が止まる。なるほど、これも後悔だ。夢の僕には高木は飲ませると面白いということも覚えておいてもらおう。
「じゃあ、俺、帰るわ」と、僕にとっては唐突に、高木は言った。
「明日も、あるのか?」
「まあ、明日も忙しくなりそうだし、片付けていこうか?」
「いや、別にいい」
「そうか、すまんな」
「気にするな」
「じゃあ、またな」
「ああ、また」
ドアが締まるまで、僕はずっと玄関に立っていた。結局、高木は何をしに来たのだろうか。息を止めていたことに気づき、長い息を吐く。胸を撫で下ろした自分に気づき、僕は自分のことがさらに嫌いになった。
やるしかない。
僕は瓶の中に溜めた睡眠薬をちょっと眺め、一人用の鍋を取り出すと、全て流し入れる。飲み終わったワイン瓶を持ち、底で錠剤を砕き始めた。錠剤が割れる音が部屋に響く。グラスにそれを移し、ミネラルウォーターを注ぐ。透明のグラスの中で白い粉が舞った、少しかき混ぜて、僕は一気に煽った。
「うっ」
強烈な吐き気が襲う。僕は流しに手をつき、吐きそうになるのを堪える。いい、これで良いんだ。僕の役割は終わりだ。朦朧とする意識の中、後ろに倒れる。手が触れて瓶が落ちる。床を跳ねる甲高い音も、倒れた痛みも、全て遠くに感じる。外の夜を映したリビングの窓は僕の顔を反射する。その表情は少し笑っている気がした。
夢か現か。
自殺をした人は自分が成功したことを理解できるのだろうか。
僕は意識を失う直前、ふとそんなことを思った。




