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12/27

子供に夢を書かせた大人たちは、夢の諦め方を教えない

 ゴールデンウィークが終わり、もう半月が過ぎていた。梅雨が近づいている。高木はたしか今日まで学会だったはずで、帰ってきてから連絡しようと思っていたが、僕が明日、明後日と一次面接が入ったため、今週は直接会って話せそうになかった。


 外山さんには帰りの新幹線の中で電話しようと思ったが、結局家についてからにした。「えっ、帰っちゃったの!」と彼女の絶叫を聞き、僕は思わずスマホから耳を離した。


「そう、就活ならしょうがないね。残念だなぁ、手伝ってもらおうと思ったのに」


「何を?」


「お墓探し」


 僕は声を出さず笑った。もしかしたら、息づかいは伝わったかもしれない。


「八十八箇所巡りじゃないんだから」


「いやね、十九箇所よ」


「何が?」


「西浦町のお寺の数。十九箇所よ。思ってたより少なくて良かったわ。一週間で二箇所回れば三ヶ月で終わるもの」


「僕が言うのもあれなんだけど、もっと人生を楽しんだ方がいい」


 スマホの向こうで、ふんと鼻を鳴らしたのが分かった。


「心配されなくても、私のやりたいことは私が決めるわ」


「そうか、悪かったよ」


「だから」


「だから?」


「私が見つけたら、帰ってきてね」


「ああ」


 そうなった時は、就活をほっぽり出してでも帰らなければならないな、と思った。


 就活は、各企業が一斉に動き出し、本格的に忙しさをましている。履歴書、適正試験、グループディスカッション、一次面接。どれもこれも気が滅入るものばかりだった。受験は団体戦だ、とかうちの高校では言っていたが、就活に関して言えば、圧倒的に個人戦だった。しかも、正解やフィードバックはなく、改善の仕方もわからない。自分の身ひとつで戦わなくてはならず、不採用通知を受け取るたびに、自分の人生が否定されているようなそんな気分に陥るのだった。

 明日は東京、明後日は横浜の企業の面接を受ける。横浜郊外にあるビジネスホテルを一泊予約して僕は家を出た。


 梅雨入りは来週か再来週だろうと言われているが、ここのところずっと天気は悪い。今にも雨が降りそうな曇り空の下、僕は静岡中央病院の駐輪場に自転車を止めた。心療内科はこちらの方が近い。今日は睡眠薬を処方してもらうだけ。予約してあった分、呼ばれるのは早かった。


「丹野孝一くん、ですね」


「はい」


 僕と目があった佐藤先生は皺をたたえた表情を綻ばせて言った。


「そうそう、高木くんのご友人だ。たしか前回は眠れないということで睡眠薬を出した気がしますが」


「そうですね」


「その後、どうですか調子は?」


「ここのところはよく眠れています。でも、明日から一次面接で横浜泊まりなんです。よく眠れるよう、再度処方して頂けませんか」


「そうですか。丹野くんは大学院生ですよね」


「はい」


 佐藤先生は何度も頷いて、言った。


「それは大変だ。今はどこも不景気だから」


「分かりますか?」


「分かりますよ。患者が増えるからね」


 テレビで見る経済の統計グラフをどれだけ集めても、今の発言より説得力を越えることはできない。


「たしかにそうですね」


「どうですか、順調ですか?」


「どうでしょう? 一応、一番行きたいところは明後日、面接です」


「そうでしたか! それはよく寝ないといけませんね」


 佐藤先生はパソコンに打ち込む。電子カルテのようだ。


「私ね、これ嫌いなんです。手書きの方がいい。何故だか分かります?」


 いきなりの質問に僕は面を喰らった。


「それは、キーボードが苦手だからですか?」


 パソコンに顔を向けたまま先生は笑った。


「たしかに。それもありますね。答えはね、患者さんの顔が見れないからですよ」


「そういうこと、ですか」


 たしかに、最近の病院はどこも画面を見て話す。違和感を覚えることもあった。データの重要さは僕にもわかる。しかし、人の心など数値化できないのだ。情報と観察。高度に情報化された社会は、人をデータとして扱うようになっていく。それならば、僕らはAIと何が違うのか。ふと気がつくと、佐藤先生はこちらに向かって一度大きく頷いた。


「医者というのはね、患者さんとの信頼関係で成り立つわけです。嘘を言われたら、私たちにはどうすることもできない。とくに、心療内科はね。だからこそ、人を見なければならない。データではなく。就活はストレスが溜まる時期でしょう」


「はい」


 僕は先生の名札を見ながら、言った。


「では、また一ヶ月分出しておきましょうか」


「一か月以上は処方してもらえないのでしょうか」


 ふむ、と言って佐藤先生は無言になる。どんな表情をしているのか僕には見えない。


「昔と違って今は一ヶ月以上処方しても問題はないけどね」と、区切って続けて言った。

「それでは、薬を変えるのはどうでしょう? 少し強めのものに。それで、一ヶ月様子を見るのはいかがですか?」


 電子カルテには前回とは異なる薬が記載されていた。発音しにくそうな名前だった。


「それで、お願いします」


「丹野くん」


「はい」


「高木くん、彼は今元気ですか?」


 僕は少し考え込む。あいつほど元気という言葉が合わないやつもいない。振幅が小さい男だ。学会に行ってるぐらいだから、元気には違いないだろう。


「元気じゃないですかね。彼なら今日まで、仙台のはずですよ」


「ああ、睡眠学会がありましたね。当時、私も行ったことがありますよ」


「そうなんですか?」


「はい。大学院生の頃に何度か。なるほど、そうでしたか。ありがとうございます」


 佐藤先生は頭を下げた。


「いえ、こちらこそ」


「では、お大事なさってください」


 僕は立ち上がり、診察室のドアを開ける。次の番号を呼ぶ看護師の声が聞こえた。


 

 処方箋をもらい、病院を出ると、雨が降り始めたようで、乾いていたコンクリートに染みが出来始めていた。僕は院外薬局に駆け込んだ。薬をもらうと、急いで駐輪場に戻り、自転車を走らせる。


 家に着く頃には、雨は本降りになっていた。僕は舌打ちしながら、アパートの階段を駆け上がり玄関の鍵を開ける。風呂にお湯をためつつ、洗面台からバスタオルを引っ掴み頭を拭いた。


 一息つくと、僕は自分の将来を思った。


 自分が子供の頃描いていた夢はこうではなかった。十二歳で描いた夢は、十八で自分の能力の限界を知り、二十四になった今、さらに大きな現実となって立ちふさいでいる。それを知っているはずの大人たちが、なぜ無責任に「夢を持て」など言えるのか。夢を持たせた大人たちは、夢の諦め方を教えず、「現実を見ろ」と言い始める。飛び立った夢は、奇跡的に舞い上がるか、うまく着地できるか、さもなくば、墜落するしかない。


 幸い、僕はもう一つの夢を手に入れたのだ。


 だとするなら――


 風呂が沸いた音がした。



 風呂から出て明日の準備をしていたら、スマホに着信が入っていたことに気づいた。高木からだった。


「珍しいなそっち電話してくるなんて」


「いや、どうなったかと思ってな」


 なるほど、高木も彼なりにことの次第に興味があるのだろう。僕は、実家に帰った際の出来事を語った。なぜか、外山さんと行動を共にしていたことは言う気にはならなかった。


「八月二十七日か。たしかに、そんな日付だった気もするな」


「覚えていたのか?」


「いや、思い出しただけだ。次の日はたしか地元で祭りがあったはずだからな」


「矢作川まつり、か。結局、一度も行ったことなかったな」


「安心しろ。俺も行ったことがない」


「それはどうかと思うぞ」


 彼は微かに息を吐いて笑うと、真面目な声に戻った。


「それで、原因は分からずじまいか」


「まぁね。おそらく、家庭の問題だと思うけど、その先の手がかりがない」


「まだ、探すのか」


 僕はまた外山さんを思い出し、「さぁ」と曖昧に返事をして言った。


「今は、就活が忙しいからな。明日も東京だよ」


「面接か?」


「そう。今時、最終でもなければ、ウェブで良い気がするけどね」


「お金は出してもらえるんだろう?」


「交通費はね。明後日もあるから、宿泊代は個人持ちさ」


「交通費だけでもありがたいと思った方がいい」


「税金で仙台行ってるやつがよく言うよ」


「そりゃ、違いないな」


「どうだ? そっちは」


「寒いな、こっちは。風邪をひきそうだ」


「いつ戻ってくるんだ? 今日までだろう?」


「今日まで泊まりで明日の朝帰る」


 それじゃあ、と言って電話を切る。僕はなんとなくため息をつきたい気分だった。明日の準備を再開する。


 そうだ、アレを持っていかなければ。

 

 流し台の棚を開ける。薬箱代わりにした引き出しには、半月分残った睡眠薬があった。

 明日はこれを持って行こう。

 今日処方された睡眠薬はまだ使わない。

 いざとなったら、使うために。


 八月二十七日その日まで。


 僕は百円ショップで買ってきた小瓶に今日もらった睡眠薬を移し替える。白くコーティングされた錠剤が音を立てて新しい瓶の中に入っていく。


 予想通り、あと三ヶ月分は入りそうだった。

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