六年ぽっちじゃ高校は変わらない
朝起きた時、僕は「ここに居ては駄目だ」と思った。この町には僕の知らない彼女の笑顔が、彼女の照れた表情が残っていく。僕と彼女が笑う度に、後悔が募っていく。決意が揺らぐ。六年という時の重みに耐えられる気がしなかった。今日が終わったら、すぐに帰ろう。過去には未来という利点があるが、未来には何もないのだ。
枕に頭を打ちつけ、反芻する思考を止める。階段を降り、リビングに入ると既に母さんが掃除を始めていた。
「ちょうど良かった。はい」僕に掃除機を手渡す。下宿先のやつよりも軽い。どうやら最新機種のようだ。
「洗濯したいから代わりにお願いね」
「母さん」
「なに?」
「明日、帰ろうと思う」
母さんは振り向いて、そして顔をまた戻した。
「そう、就活かなにか?」
「まあ、そんなところかな」
「大変ね」
「今年だけさ」
「お父さんには?」
「起きたら言うよ」
「ちゃんと言いなさいよ。でないとあの人不貞腐れるんだから」
父さんが不貞腐れている姿を全く想像できないが、そこは夫婦の間柄だ。息子には感じ取れない何かがあるのだろう。受け取った掃除機持ちリビングをかけ、ダイニングをかけ、居間をかけ、玄関をかけ、二階に上がりかけて、ふと手を止めた。
「寝室どうすればいい?」
「気にしないでかけちゃって。これがお父さんの目覚まし代わりなのよ」
「了解」
寝室に入り掃除機をかけ始めると、母さんの言っていた通り、父さんがむくりと起きだした。
「おはよう」
「ん? ああ、孝一か。随分と早起きだな」
「今日も予定があるからね。そうだ、父さん」
「なんだ?」
僕は掃除機を切って、ちゃんと聞こえるように言った。
「明日帰る予定だから」
「……」
父さんはベッドから起き出し、寝室のドアに手をかけた。もう片方の手はボサボサの頭を掻いている。僕は久しぶりに父さんの背中を見た。その背中は僕の記憶よりも小さく丸みを帯びていた。
「そうか、気をつけて帰れよ」
ドアが閉まる。僕は再びスイッチを入れた。
掃除機を押し入れにしまい、自室に戻ると、スマホに通知が入っていた。
『今日、よろしくねー』
納得できないまま、結局、二人で行くことになった僕らは、母さんに車を借りて向かうことにした。集合時間は九時、場所は図書館。時計を見ると、そろそろ準備する時間だった。と言っても、特に準備するものはない。
そう思っていたのだが――
「なにを着ていけばいいんだ?」
数分後、僕はほぼ空になった自室の押し入れを睨みつけていた。まずったな、一番無難なスーツは下宿先に置いてきた。ジーパンにTシャツじゃあ入れさせてくれるかどうか。腕を組んで階段を降りると、洗濯物を取り込んでいた母さんと目があった。
「あんた、まだ着替えてなかったの?」
「いや、なにを着ていけばいいのかと思ってね」
「スーツとか持ってきてないの?」
「下宿先に置いてきた」
母さんは、ため息をついて、リビングに呼びかけた。止める暇はなかった。
「お父さん、孝一に服貸してあげて」
階段に突っ立っていると、父さんがリビングから顔を出した。髪は整えられ、すっかり目は覚めたようだった。
「……貸してくれない?」
「しようがないな」
僕に顎を突き出し、目で合図を送る。「階段を上がれ」なのだろう。父さんのクローゼットは寝室にあったはずだ。
寝室の前で止まり、父さんが先に入るのを待つ。寝室は父さんの部屋となっていた。掃除の時は別にして、勝手に入るのは躊躇われる。
「高校に行くらしいな」
父さんは寝室のドアを開け、中に入る。僕も後に続いた。
「まぁね」
「六年前のことを調べてるんだろう?」
「そうさ」
「それは、必要なことなのか?」
その質問に僕はちょっと詰まった。
「ああ、そうだよ」
父さんは、ふっと笑って言った。
「なら、問題ない。お父さんの大学生の頃は必要のないことばかりやって、就職活動は苦労したもんだ。なにせ、なし得たことなんか何もないからな。だけど……」
父さんはクローゼットの中を物色する。そこには社会を生きる父さんの人生が詰まっていた。
「だけど?」
「まあ、母さんに会えたから不必要でもなかったのかもしれんな」
僕は父さんがはにかむのを初めて見た。それはそれで、悪いものでは無かった。
「それ、母さんの前で言ってみてよ」
「言える訳ないだろう」
父さんは僕にスーツを押し付けながら言った。僕は時計を見た。もう出ないと遅刻する時間だ。
「じゃあ、父さん。有り難く借りるよ」
図書館の駐車場に着いたのは九時きっかり。休館日で殺風景の駐車場には外山さんが既に立っていて、車に乗った僕の姿を見つけると大きく手を振って合図を送ってきた。
「おはよ、時間ぴったりだね」
運転席のウィンドウを開け、彼女の声が届く。しかし、僕は驚いて返事が出来なかった。彼女が薄く化粧をしていたことではない。スーツを着ていたからだ。ようやく口に出した言葉は自分でも馬鹿馬鹿しく思えるほど素っ頓狂な声だった。
「なんで?」
「失礼しまーす」と言って、外山さんは助手席にそそくさと乗る。昨日とは違う香水の匂いがした。まるで「乗ってしまえばこちらのものだ」と言っているようだった。
「いやー、就活のときのスーツを残しててよかったよ」
手でパタパタと仰ぎながら、外山さんは言った。
「外で待ってる予定じゃなかったっけ?」
「あれ? そうだった? でも、ほら準備しちゃったから」
何を惚けたことを。僕は確信した。外山さんは運が強いだけじゃなくて、掴んで離さない力も強いのだ。自分の人生を歩みたいならそういう力が必要なのかもしれない。
僕は諦めてため息をついた後、ギアを入れ、アクセルを踏んだ。隣から「ありがと」と、呟く声が聞こえた。
ショッピングモールの横を抜け、令和大橋を渡る。高校の通学路をなぞるだけの一時間にも満たないドライブだ。
「丹野くんもリクルートスーツなの?」
「これ、父さんのやつ」
「なるほどね。どうりで。もう、そんなに使い古したのかと思った。あっ、汚れてるとかじゃなくてね」
「分かってるさ」
視界の端に自転車を漕ぐ高校生が見える。うちの制服だった。
「あの子、丹野くんの後輩?」
「そう、後輩というには離れすぎてるけどね」
「先に卒業したんだから先輩よ」
「そういうもんか」
交差点で停まる。ここで左に曲がれば正門までの坂だ。外山さんはウィンカーを出さない僕の肩を叩き、外を指差した。
「曲がらないの?」
「この先は高校だからね。さすがに停めさせてくれないと思うから。近くにコインパーキングがあるんだ」
「ふーん。私だったら、取り敢えず突っ込んでみるのに」
「だろうな」という言葉を僕は飲み込んだ。
目当てのコインパーキングは、六年前と変わらず、一時間三百円で営業していた。交差点を直進した時、潰れてたらどうしようと、一瞬ヒヤッとしたが、取り敢えず面子は保てたようだ。僕の焦りなどどこ吹く風で、車から降りた外山さんは大きく伸びをした。
「んー、スーツって着るだけで疲れるのよね」
「それは着慣れてないだけじゃないか?」
僕はサイドミラーを見ながら、ネクタイの位置を直した。
「へーえ、なんかいいね、それ」
「何が?」
「その、サイドミラーでネクタイ直すの、いい」
「はぁ」
よく分からないが、いいのなら問題はない。僕らは歩き出す。目的地はもう見えていた。通り過ぎた交差点を曲がり、正門の坂を登る。よくこんな坂を三年間も我慢したものだ。僕の横を学生が立ち漕ぎで駆け上がっていく。横顔を見ると、さっき追い越した学生だった。
「あそこ、なんだよね?」
息を上げ、紅潮した顔で外山さんが言った。指差す先には屋上が見える。手すりは取り替えられ、容易には跨げないようになっていたが、その場所は今も変わらず、『そこ』に存在していた。
「そうさ、今でも変わらないよ」と、僕は少し緊張して答えた。
「そう、じゃあ行きましょ」
大地を踏み締めるように力強く言う。正門の内側からは学生たちの声が響いていた。
正門を通ると僕は迷わず教職員専用の昇降口に向かう。外山さんは隣を歩きながら、物珍しそうに辺りを見回していた。
「正門に警備員さんとかいないのね」
「公立高校なんてそんなもんだよ」
「私の高校は居たわ」
「外山さんは私立だっけ?」
「そう。なんていうか、自由がないのよね。もし今入ろうとしたら、事前に予約しておかないと無理」
「ふーん」
彼女は何高校だっただろうか。僕は思い出そうとしたが、そもそも知らなかったことに気づいて諦めた。
「それか、制服を着てくるか、ね」
「さすがに無理だろう。コスプレじゃないんだから」
「……」
怒られると思ったが、反応がない。何かに気を取られているようだ。僕は彼女の顔を見た。視線の先には、不自然な位置に作られた円形の花壇があった。外山さんは花壇の真上を見上げた。僕は何も言えず、歩き出す。後ろから小走りの音が聞こえる。
隣に並んだ彼女は「さすがに無理かー」とだけ言った。
――卒業生の丹野孝一です。すみませんが、前島先生はいらっしゃいますか? 事前に連絡せず来てしまったもので。
教職員専用の下駄箱に居た、用務員に昨夜練習してきた台詞を披露すると、彼は「ちょっと待って下さい」と言い、すぐ隣の階段を登っていった。僕らはスリッパには履き替えずに待つことにした。
「前島先生って?」
外山さんは下駄箱から顔だけ突き出し、階段の奥を覗き込んでいた。
「高三の時の担任。正直言って、他の先生とはあんまり話したことないんだよね」
「ひどいなー。でも、言われてみれば、私も自分の先生の名前、覚えてないかも。去るものは日々に疎し、か」
少し会話が噛み合っていないような気もするが、まあ、訂正するほどのことでもないか。
「去ったのは僕の方だけど」
「留まり続けてもらっても迷惑でしょ?」
外山さんは振り向いて、僕の方をしっかり見据えて言った。その目は先程の僕の行動を非難しているようだった。あの花壇は取り払われる日が来るのか。
「丹野さん、でしょうか?」
先程の用務員が戻ってきた。
「はい」
「前島先生は職員室におられるので、どうぞ上がってください」
「ありがとうございます」
用務員はそう言って、廊下を歩いていった。来客用の下駄箱からスリッパを取り出し、履き替える。なぜか僕の背後に隠れていた外山さんも僕に倣った。全く、さっきまでの威勢はどうしたんだ。
「そんな、隠れようとしなくても」
「逆の立場になっても、同じこと言える?」
僕は彼女の高校に入る自分を想像し、首を振った。
「難しいな。というか、そもそも行かない」
「仮定の話に真面目に答えちゃだめよ」
スリッパの音が階段に響く。校内は想像していたよりも静かであった。僕らの声も自ずと小さくなる。
「久しぶりだっていうのに、落ち着いているわね」
「そうか?」
「そうよ。ちょっとも迷わないし。まるで、昨日まで高校生だったみたい」
「……」
僕は無言になる。女の勘なのか、彼女が鋭いだけなのか、判断はつきそうになかった。
「どうしたの?」
「いや、ただ」
「ただ?」
「外山さんがここに通ってたら、彼女は生きていたかもなって思った」
僕は前を向いたまま、彼女がこちらを向いたのに気づいた。非難めいた目。今の発言はどうしようなく無責任だ。彼女は悲しそうにため息をついただけだった。
「無理ね。成績が足りないもの」
「成績が良くても、人は救えない」
顔を上げると、廊下の先に職員室のルームプレートが見えた。
「失礼します」
ノックを二回。そろりと引戸を開ける。乱雑に置かれた書類と各教員の個性が見えるデスク。六年前と変わらない光景だった。
先生たちの視線がこちらを向く。ぱっと見て、見知った顔はいないようだった。
「丹野、こっちだ」
僕の名前を呼ぶ懐かしい声。前島先生のデスクは六年前と同じく廊下側にあった。
「あの人が前島先生ね」外山さんが顔を寄せて囁く。小さく頷いた。僕らは先生たちの視線を感じながら、デスクに近づいた。前島先生の目線は僕ではなく、外山さんに向けられているように見える。
「久しぶりだな。元気してたか?」
先生は僕に顔を向けて言ったが、声は単調だった。
「お久しぶりです。今日は突然すみません」
前島先生は僕の前で手を振って答えた。
「構わんよ。他の卒業生もたまに来るからな」
「そうなんですか。でも、先生が居て助かりました。もう、九年になりますか?」
「いや、今年で十年目だ。そろそろ俺も別の高校に移るかもしれんな」
先生は立ち上がり、空いている椅子を二つ用意した。全員が出ている訳ではないらしい。
「座るか? そこの君は卒業生か? 申し訳ないが、覚えてなくてな」
先生は席に戻り、頭を掻きながら、外山さんを向いて言った。外山さんは少し前に出て頭を下げた。社会に出ている大人の女性の表情だった。
「外山由香と言います。卒業生ではないのですが、丹野くんに連れてきてもらいました」
「結婚報告とかじゃないだろうな」
前島先生は僕に向き直って躊躇いがちに言った。周りの先生たちも少し静かになる。座りながら、僕は肩をすくめて答えた。
「残念ながら、違いますよ」
周りの騒がしさが戻る。なんとも現金な先生たちだ。
「じゃあ、二人して一体なんの用だ?」
「実は」と僕が続けようとした時、「あの!」と、隣に座った外山さんが声を上げた。僕と先生は二人して彼女に顔を向けた。
「中里美希さんのことで」
再び、周りが静かになった。気温まで下がったようだ。先生はため息ついて、周りに視線を送った後、椅子を引いて立ち上がった。
「ここでは、やめた方がいいな」
水を打ったような静けさは僕らが職員室を出るまで続いていた。
先生から案内された進路相談室は机と椅子があるだけの簡素な部屋だった。
「それで、なんで今になってなんだ? もう六年も前の話だろう」
正直この質問は聞き飽きた。
「年数は関係ありません。忘れられないからですよ。今でも」
「丹野、お前の気持ちは分かるが。問題はないのか?」
体調を心配してるのか、話題から避けようとしているのか。僕は先生の目を見据えた。こちらから逸らす気はなかった。
「特には」
「それで、外山さんはなぜ?」
「中里さんのことは成人式の時に知りました。だけど、当時は調べる術がなかった。今年、たまたま丹野くんと会い、ここまで来ました」
「そうか」と先生は呟いた。
「君たちがやろうとしていることは、人の死を暴く、ということだ。意味は分かるな? 認められる正当な理由はなんだ? 興味本位で知ろうとして良いものじゃない。君たちは子供じゃないんだからな」
「じゃあ、学校側は彼女の死をどう扱っているのですか?」
「二度と起こしてはいけない、悲しい事故のひとつだ」
「原因は調査しなかったのですか?」
「警察に任せたったきりだ」
「分からなかったということですね」
「対策はした。フェンスができた時、まだ居ただろう? それに、屋上にはもう誰も行けん」
「ソフト面の対策はどうなんでしょうか?」
外山さんが挟み込んだ。その発言に前島先生は眉を上げた。
「心の保健師を雇った」
本当に手がかりは何もないのか。唇を噛む。こんな話をしたかった訳じゃない。
「僕はただ、彼女を助けたかっただけなんだ」
「私は」と、外山さんが続けて言った。「彼女のお墓に行きたいだけです。そのために何言えばいいのか、全く分かりません。しかも、彼女のお墓の場所さえしらない」
僕らの消沈した声に、先生はため息をついて言った。
「正直言うとな、俺にも分からんのだ。丹野、お前のクラスの担任だったからな。彼女は八組だっただろう? 八組の担任は古典の新美先生だったはずだ」
この世界では中里さんは八組で、担任は新美先生だった。
「新美先生は」
「幸い、今でもこの学校だよ。ちょうど、補講も終わりだ。呼んできてもいいが、教えてもらえるかは分からんぞ」
「お願いします」
僕らは同時に頭を下げた。
「わかった。ここで待ってなさい」
先生は立ち上がるとドアまで歩いていく。僕はその後ろ姿を呼び止めた。
「先生」
「なんだ?」
「ありがとうございます」
先生は振り向いた。
「丹野がなんで、そんなに切羽詰まった顔をしているのかはしらんが、そう思い込み過ぎるなよ。いくら調べても歴史は変わらないんだからな」
外山さんはそんな僕らの様子を無言で眺めていた。ドアが閉まる。ほぼ同時に放課を告げるチャイムが鳴った。その音も六年前と変わらなかった。
ドアが閉まりちょっとすると、外山さんは、ふーっと深いため息をついた。
「怖そうだったけど、いい先生ね」
「昔はもうちょっと軽い感じだったけどね」
「六年も経っているんだもの。色々あるわ。ちょい、理詰めな感じはしたけどね」
「それは昔からさ」
「数学の先生だもんね」
「あれ? 言ったけ?」
外山さんはほっぺを両手で包みながら、首を振った。
「ううん。でも、デスクを見れば分かるよ」
「ああ、そうか」
僕が頷いた時、ノックの音がした。「はい」と言いながら、僕は立ち上がる。こちらが辿り着く前に向こうからドアが開いた。女性の先生が慣れた様子で部屋に入ってくる。見たことはある。中里さんに垂れ幕のお願いをしていた先生だ。
「あなたたちが、中里さんのことを知りたがっていた方ね。丹野くんは覚えてるわ」
頷きながら席に座る。六年前と変わって皺は増えているが、逆にそれが優しい表情を作り出していた。僕が勝手に抱く、古典の先生らしさが増した様子だった。
「事情は前島先生から聞いたわ」と、いきなり切り出した。「それで、知りたいことはなに?」
僕らは顔を見合わせた。
「教えていただけるんですか?」
新美先生は表情を和らげて言った。
「前島先生に頼まれたからよ。「できる限り答えてやってくれ」って」
「そうですか」
「それで、聞きたいことはなに?」
「先生は彼女の自殺の原因は知っていますか?」
予想はしていたが、新美先生も首を振った。
「そう聞かれると思ったわ。でも、残念ね。私もわからないのよ」
「本当に? 何か兆候は見られなったのですか?」
「そう言われてしまうと、教員としての力量を疑われているように聞こえるわね」
「決して、そんなつもりでは」
「いいのよ。実際に当日まで分からなかったもの」
先生は目を逸らすことなく僕を見据えて言った。
「学校内でいじめみたいなのは無かったんですか?」
外山さんが口を挟む。先生は目線だけ隣に向ける。
「なかったとは、断言は出来ないわね。私の目の届くところではなかった、としておきましょうか。学校内ではなくても、学校の外ではあったのかもしれない。少なくとも、警察はなかったと判断したみたいね」
「彼女、SNSとかやってなかったんですか?」
「さぁ、警察の方もそれは調べたと思うけど、なかったんじゃないかしら」
学校外のことは当然、先生も認知していないようだった。裏アカウントがあったかもしれないが、警察が調べて見つけられなかったものを僕らが探し出せるとは思えない。外山さんの顔には明らかに落胆の色が見えた。
「……そうですか」
「学校での様子はどうだったんですか? 友達とかは」
「全員と当たり障りなく接する子だったわ。特に親しい友達は、と言われると困るわね」
僕は頷く。それは、当時の印象通り。だからこそ、向こうの世界で彼女がうちに来た時は本当に驚いた。
じゃあ、と外山さんが引き継いで行った。
「ご家族との関係はどうでしたか?」
先生は記憶はあまりはっきりとしていないのか、額に手を当てて、考え込んでいた。
「お母様としか話をしたことはないけど、いい意味では自由、悪く言うと関心がない感じだったわ」
外山さんは「お母様」という言葉に反応し、「あっ」と声を上げた。
「あの、若かった人ね」
「そうね、若い感じの方だったわ」
それ以上、会話は続かず、質問は思いつかなかった。
「もう、大丈夫かしら?」
僕らは顔を見合わせた。外山さんは頷く。
「はい、ありがとうございます」と、僕が言った。
「ごめんなさいね、お役に立てなくて」
「いえ、先生だって辛いのに、ありがとうございました」
「それはいいのよ。二人はもう帰るの?」
もう一度顔を見合わす。今度は僕が頷いた。
「そうですね。最後に前島先生に挨拶だけして帰ります」
「そう、じゃあ、気をつけて」
僕らは席を立つ。僕はふと、あることが気になった。
「彼女は、その当時も毎日早く学校に来ていたんですか?」
先生は顔を上げた。
「ええ、そうね。当時は気にもしていなかったけど。それが、どうかした?」
「いえ、変わらないな、と思って」
先生は首を傾げた。隣にいる外山さんも同じ表情をしていた。
「こちらのことです。本当にありがとうございました」
間が悪いことに、前島先生は補講中だった。仕方なく、お礼の言付けを頼み、僕らは高校を出た。隣を歩く外山さんは終始、考え事をしている様子だった。
すぐに車に戻る気にもなれず、学校裏にある喫茶バーグに立ち寄った。昔はクラシックが流れていたはずだが、趣旨変えしたのか、ジャズが流れていた。今流れているのは、『いつか王子様が』だ。お客には制服を着た学生も多く、僕も高校時代もよく使ったところだ。
「私、思ったんだけど」
外山さんはそう言いながら、砂糖を入れティースプーンをくるくる回した。コーヒーに渦ができるのを僕は眺めていた。
「やっぱり、家族関係が原因だと思う」
「僕もそう思うよ」
「そうなると、やっぱり、彼女の両親を探すしか方法はないのよね」
「母親は九州、父親はどこにいるか分からないし、顔すら覚えていない」
「どちらが可能性あると思う?」
「変わらない。どちらもゼロに等しい」
「でも、どちらかが見つかれば、お墓も分かるわよね」
ふと、思い立った勢いで口に出した。
「じゃあ、お墓を先に探すのはどうだ?」
「どういうこと?」
「つまり、僕らの持っている情報は彼女が亡くなった日付ぐらいだ。だから、お寺を探していけば見つかるんじゃないか」
「本気で言ってるの?」
「九州を探すよりは現実的さ」
「この町に何個あると思ってるのよ」
「周辺から調べていけばいつか見つかるはずだろ」
彼女はうーんと唸った。そうは言ったが、僕自身、本気なわけではなかった。だから、彼女がもし、やる気になったらどうやって止めようかと考えていた。
「ところで、さ」
「なに?」顔を上げて、首を傾げた。
「ひとつ聞いていいかな。外山さんはなんで、僕についてきてまで話を聞こうと思ったんだ?」
今日、外山さんが化粧をし、慣れないスーツをまで着て、高校に来る必要があったのか。僕には彼女の気持ちが分からなかった。
「迷惑だった?」
上目遣いで聞いてくる。その表情に僕は弱かった。
「いや、そういう訳じゃないんだけど」
僕の怯んだ声に、彼女はくすっと笑った。
「私もね、ちょっと不思議に思ったのよ。「なんで、丹野くんはこんなにも焦ってるんだろう?」って。そうしたら気になっちゃったの」
前島先生にも言われたことだった。そんなに僕は切羽詰まっているように見えるのか。今後は気をつけなければならない。
「もし、原因が分かって、彼女のお墓の前で拝むことができたら、その時は教えてあげるよ」
「本当に? 約束よ」
「ああ、きっとね」
次の日、僕は下宿先に戻った。帰るのが早まったことは伝え忘れていた。




