13
長い長い沈黙の後、魔法使いさんが口を開いた。
「……エステリアー」
「…………何よ」
「今ようやくお前の気持ちが判ったわ。ごめんなー」
「謝っても遅いのよ! もっと早くに気付きなさいっ。本気で寿命が縮んじゃったじゃない!!」
「あー、マジで悪かったって。今回ばっかは真面目に反省するわ俺ー。っちゅーワケでとりあえず逃げるぞ、エステリアー」
「もちろんよ!」
いやいやいやいや。
待って待って待って。
何かものすごく自然な流れで逃げ出そうとしていた魔法使いさんと使い魔のお姉さんの二人を、「まだ訊きたいことあるんだから、大人しくしてようねー?」とにっこり笑顔で捕獲したのはセレだった。
あっという間の出来事。
風と闇の力を使って今オレ達のいる部屋を空間ごと封鎖し、徹底して逃げられない状態を作り上げたセレは何故だかとても笑顔だった。いやもうすんごい笑顔。
楽しんでる、というより、むしろ悪人の笑顔になってきてるぞ、セレ。……あ、向こうで使い魔のお姉さんが魔法使いさんを盾にしてる。
「御主人ー、聞いてませんよ、こんなのー!」
盾にされた魔法使いさんが、のんびりした口調に僅かに焦りみたいなものを滲ませながら言った。
「本気でシャレになってませんって。何で“魔術師の王”とかいるんですかー!?」
顔は雇い主のオジサンの方へと向けつつ、ビシリとオレを指差す。いや、もう慣れてるけど、ホントやたらと指差されるよね、オレ。何でだ。
「馬鹿な……」
魔法使いさんの声も耳に入っていない様子で、オジサンが呆然と呟いた。
「ラズリィ・ヴァリニスは…………“魔術師の王”、は……30年前に消えたはずだ。何故……」
「えーっと……」
何故、と言われても。オレ的にも返答に困ってしまうワケなんですが。
いや、だってオレとしても疑問だもん。何で30年も寝てたの、オレ。普通に寝すぎだろう。
うーん……と首を傾げたオレに、オジサンは呆然としていた表情を瞬時に塗り替えた。はっとしたように眉を吊り上げて怒鳴る。
「っ、嘘だ! こんな子供が、“魔術師の王”などと、そんな馬鹿な話があるものか! 騙そうとしてもそうは ――……」
「ちょっとアンタ黙ってなさい!」
慌てたように使い魔のお姉さんがオジサンの台詞を遮った。……拳で。
多少の手加減は加えてるらしく、魔法使いさんを殴った時みたいなすんごい音はしなかったものの、オジサンを黙らせるには十分な威力で…………ええと、何ていうか男らしいな、うん。
自分の雇った魔法使いの使い魔から、思いも寄らぬ攻撃を食らったオジサンは当然の如く怒りの表情になった。
だけど、それを軽く上回る怒りの表情で使い魔のお姉さんが睨み付けてたので、怒鳴り声を上げる前にちょっと怯んだ表情になってた。……うん、美人さんの怒ったカオって怖いよね。気持ちは判る。
「墓穴を掘らないでくれる!? ただでさえ心臓に悪い思いをしてるのに、本気であたしを殺す気!? やめてよね!」
「な、何を…っ」
「ああもう! 馬鹿は黙ってなさいって、そう言ってるの! あの人はラズリィ・ヴァリニスで間違いないわ、あたしが保証するわよ!」
「何を根拠に……!」
「あのね! あたしは30年前にばっちりあの姿を見てるのよ! “大崩壊”の起こったあの場所で!」
しっかり覚えてるの! 見間違えるもんですか! と使い魔のお姉さんは一息に言い切った。
あー……、あの時お姉さんもあそこにいたのかー、とそんな暢気なことを思ったオレの目の前でオジサンの顔から見る間に血の気が引いてゆく。え、なにそれどういう反応?
そんなオジサンの様子にも怒りの覚めやらぬ様子の使い魔のお姉さんは「それにね!」と更に声を張り上げた。
「例え“魔術師の王”の姿を知らなくても、判るわよ! 判っちゃうのよ! あんな大物精霊を複数使い魔にしてる人間なんて、他にいない………………って、あああああ、ごめんなさいごめんなさい! ホンっトごめんなさい! 疑ってません! 『こんな子供』とか思ってません! ええ!」
後半は、オレ達……というか、フィルとセレに向けた懇願だと思われます。いやだってあからさまにフィルが睨んでるから。セレは笑顔が怖いから。
多分、オジサンが嘘だ、って言ったの、怒ってるんだよね。こんな子供って言ったのもかな……?
理由が理由なだけに止め辛いけど……でもどっちかっていうとオジサンの言ってることってもっともだって気がするよ。実際こういう状況になったら、オレでも言うよ。何の冗談か、って。嘘だろう、って疑うって。それぐらい説得力のない話してるよね、今。
というワケで、とりあえず落ち着けーの意を込めて二人の腕をそれぞれ叩いた。いやだって使い魔のお姉さん本気で怯えてるし。オジサンは固まってるし。魔法使いさんは「ぅあー……」ってよく判らない声漏らしてるし。
「マジかー。全然気付かんかった……。……うっわ、死んだ。俺死んだー」
え、何その不吉なセリフ。
いやいやいやいや、何で死ぬの。
「えーマジで“光を司る王”と“闇を統べる王”ー?」
「うん。金髪がフィルで黒髪がセレ。呼びかけるんだったらそれで大丈夫だよ」
「……つまり、アレだぁね。少年は俺に死ねと?」
「え、い、言ってない! 言ってないよそんなこと!?」
てか何でそうなんの!?
よく判らないことを言う魔法使いさんにぶんぶんと首を振って否定したら、何でだかため息を吐かれました。あれちょっとひどくない?
ため息を吐いた魔法使いさんは、「ぅあー……」とやっぱりよく判らない声を漏らして天を仰いだ。
「御主人ー、もうこれ、契約破棄ってことでいーですかー? ってか、いいことにしますよー。俺手ぇ引きますー。俺的に金よりも命が惜しいもので」
「なっ……、ま、待てっ!」
「待ちませんー。てか、待てませんー。御主人も覚悟決めた方が良いですよー? これ以上もうどうにもなりませんって」
シャラリと腕輪を鳴らして、魔法使いさんはうーんとひとつ伸びをした。ぼやくように呟く。
「あー…、何でこんなのに手ぇ出したかな、俺ー。おかげで今何か命の危機とか感じてるしー」
シャラン、とまた音が鳴った。使い魔のお姉さんが眉を吊り上げて「言っとくけどね!とばっちり喰らって大迷惑なのはあたしだからね!?」とか言っていた。
「自業自得だ。今更何を言っている」
「何なら今感じてるその『命の危機』とやらを、現実のものにしてあげてもいいけどねー?」
「待て待て待て」
だからにこにこ笑顔でそういうこと言っちゃうのやめなって! こっわいんだって!
自業自得だと言うフィルの言葉はもっともだと思うけど、セレの台詞に同意したら何かが終わるような気がする。何がって、主に相手の人生。
「―――― イーグラード卿」
それまで沈黙を保っていたリト兄が、静かな声を上げた。
振り返れば、笑みを消したリト兄がオジサンを真っ直ぐに見据えていた。
「今なら、まだ引き返せる位置です」
静かに、静かにリト兄は言った。
「貴方のしようとしたことは、到底許せることではありません。自分の欲望のためだけに他者の命を軽んじる、そんな行為を私は認めない。忘れることもしません」
感情を読ませないぐらいに、ギリギリまで押さえた低い声。静かな室内に、それはよく響いた。
「引き返す、ギリギリの位置に貴方はいます。今ならまだ引き返せる。けれど、そのままそこを越えれば ―――― 容赦はしません」
キッパリとした声が、最終通告を突付けた。
立ち入れないような空気に、思わずそのまま見守っちゃったけど…………容赦しないって、どんな風に? って訊きたいような…………訊きたくないような。……うん、やっぱり訊きたくないですはい。
向こうで魔法使いさんが「うっわ、やっぱあの人もこえーよ……」と呟いてるのが聴こえてきた。えぇと……、ちょっと同意。兄上様の迫力がなかなかに怖いです。オレの記憶にある迫力の数倍です。ちょっとその迫力どこで手に入れたのリト兄。
オジサンは顔を青くしたまま、黙りこくっている。この場をどう切り抜けようかと考えてる表情だ。
うん、だけどね?
「あ、一応オレも宣言しとくね。さすがにこれ以上何かするなら、穏便にって考えは捨てようと思う」
挙手してそう言ったら、オジサンの顔色が更に青くなった。
うん、さすがにね。怒らなきゃ嘘だと思うんだ。
大事なモノを傷付けられて、黙ってなんかいられない。
黙ってる必要なんて、ないと思うから。
「―― 俺は、ラズの意思に従う」
「あ、俺もー」
フィルとセレが順番にそう言った。
それはつまり、これ以上何かするんなら自分達も許さないと宣言したようなもので。
判りやすい言葉に、オジサンの顔から更に血の気が引いた。……何か人間の顔色じゃなくなってる気がするんだけど。
「……御主人ー、引き時ですって」
魔法使いさんが言った。
今までなら多分「うるさいっ!」って怒鳴り返してただろうそれを無言のまま受け止めて ―――― ついでに威嚇してるとしか思えないフィルの視線も受け止めて。
長い長い沈黙の後、オジサンは小さく頷いた。
「判った」と、小さな声が告げた。
俯いてたので表情は見えなかったけど、確かにそう言ったのが聴こえたので、オレはほっと息を吐く。
あー、良かったー。これでまだ強硬手段に出るとか言われたらどうしようかと思った。
あれ? でも“死の魔法”とか使ってたのって魔法使いさんの方だろうし、その魔法使いさんは手を引くって言ってるんだから…………あれ? 引かなかった場合、どうなってたんだろ……?
……ん? と首を傾げたオレの視線の先で、妙に据わった目付きで腕組みをした使い魔のお姉さんが口を開いた。
「ていうか、これ以上何かする気なら、あたしが先にアンタの息の根止めるとこだったわ」
「…………良かったですねー、御主人。リアルに命拾いしてますよ、今。エステリアがマジです」
よ、良かった……ね?
* * *
瞳を閉じる。
その方が、感覚がより鋭敏になって、力の流れをリアルに感じ取れることを知っていた。
それから、深呼吸をひとつ。
―――― うん、見えた。
エンジュさんの中で澱んだ水みたいに凝り固まっていた力は、暗く濁った色をしていた。たくさんの色水をごちゃごちゃに雑ぜ合わせたみたいな、そんな色。
ごちゃ混ぜになった、負の感情。
名前を付けるとしたら、そんなところだろう。微かに闇の力も感じるけど、純粋な力としてはそう強くない。そう感じた。
だけど。
「…………噂に違わず厄介だなぁ、これ……」
閉じていた瞳を一度開いて、オレは小さくため息を吐いた。
「だねぇ。こうまでごっちゃごちゃだと、力任せにってワケにもいかないしー」
「できないこともないが、無理をすれば対象者も無事では済まんな」
うん、だから力技、ってのは既にオレの中で却下してある。……却下済みなので、そこで「残念、楽できないねー」とか同意を求めようとしない、セレ。
エンジュさんに掛けられた魔法 ―――― 『学院』が“死の魔法”と呼ぶそれは、開発と同時に禁呪の指定を受けた魔法だ。
魔法というよりは、呪いの性質が強いもの。きちんとした解呪は確立されてない。
まぁ、曲がりなりにも禁呪なんだから、解呪が必要となるようなことがあっちゃマズイんだけどさ。でも今正に解呪必要だし、何かちょっとコレに関しては本末転倒気味。
ともかく、この魔法を掛けた張本人と思しき人物もそこにいるワケだし、と思い問い質せば、魔法使いさんは「あー……」ととっても微妙なカオをした。
で、その後「あー……悪ィね。解呪の方法なんて、実は俺も知らんのよ。全然。まったく。これっぽっちも」―――― と、ちょっと視線を泳がせた後、へらりと笑ってあっさりと言った魔法使いさんの脇腹へ、使い魔のお姉さんの肘がこれまた綺麗に突き刺さっていました。
ぶ、無事ですか……? ってか、他人のことは言えないけど、結構頑丈だよね、魔法使いさん。
どうも魔法使いさんも、“死の魔法”についての知識はオレとどっこいどっこいってとこのようだ。
それを発動させるだけの腕はあるけど、ホントにそれだけなの、後先考えてないの、と清々しいぐらいにきっぱりと言い切ったのは、彼の使い魔さんだった。「ごめんなさいごめんなさい! ホンっトこの馬鹿がごめんなさいぃぃっ!」と平謝りもされました。
そんな彼女の隣で、魔法使いさんは地に沈んでたけど。脇腹に肘喰らって呻いてたとこに、後頭部に拳まで貰って。…………ぶ、無事ですかー……?
とにもかくにも、これはもう実際にチャレンジしてみるしかないよね、ってことで…………今のこの状況です。マル。
場所は、エンジュさんの部屋。
ベッドの中で、エンジュさんは眠っている。対象者の意識がない方が力の流れも見やすいから、フィルの魔法で眠って貰ってます。
で、室内にいるのは、オレとフィルとセレ ―――― それから、魔法使いさんと使い魔のお姉さんの5人。リト兄は別の部屋で待機して貰ってる。さすがにね、何が起こるか判んない室内はそれなりに危険だから。
ちなみに、オジサンには丁重にお帰り願いました。無事に家に帰りつけるのかと心配になるぐらいのふらふらした足取りで帰っていかれましたよ。…………本気で大丈夫だったのかな、アレ。
「……てか、何で俺とエステリアはここにいるんでしょーかねー?」
すんげぇ居た堪れないんですけどー? と挙手した体勢で魔法使いさんが言った。
「居た堪れないも何も、元はと言えばお前がしたことが原因だろう。責任ぐらい取ったらどうだ」
「…………返す言葉もゴザイマセン」
あっはっはー、と渇いた笑いを零しながら魔法使いさんが視線を逸らす。相変わらずフィルの言葉って、直球でド正論だ。
何でここに魔法使いさんたちにも居てもらってるかというと、まぁ何というか保険的な意味合いが強い。
だって何が起こるか判んないからね。
すんなりと解呪できればそれでいいんだけど、解呪したその瞬間に反動が来ないとも限らない。そもそも解呪するにも膨大な魔力が必要になるって話だし、いざとなったら魔力の提供お願いしますってことで、居て貰って損はないだろう。
……ってことで、居心地悪いのはちょこっと我慢してください。
だからそこで、「責任取らずに逃亡しようとしたら、多分後が怖いことになるよー?」とか、追い討ち掛けない、セレ。追い討ちっていうか、明らかに脅し。魔法使いさんと使い魔のお姉さん、揃って引き攣ってるからね。えぇと……、性格よろしくない使い魔でごめんなさい!
「ま、とにかくやってみないことには話も始まらないかー……」
うん、オレにできることを、やろうと思います。
「フィルはオレのサポートよろしく。セレはエンジュさんの方見てて」
「判った」
「はぁい。任されたー」
それぞれの返事を聞いて、オレは再び瞳を閉じる。
視界を閉ざせば、当然世界は一時的に闇の中だ。
でも、いつも見えてるものとは違う、全然別のものが見えてきたりするわけで。
魔力というか、そういう力の流れは、目を閉じた方が良く判る。
ぼんやりと明るく感じるその場所にいるのはフィルだろう。逆に、よりいっそう闇を感じるその場所にいるのはセレだろう。魔法使いさんたちがいる位置は、仄かに赤い。それもまた、彼らの持つ力を示すものだ。
見えなくても ―――― 見えないから、よりいっそうそこに在る力を感じることができる。
エンジュさんの中にある力は、ひと言で言えばあんまり良くない色をしてた。
ごちゃごちゃに雑ざり合った色。そういう色を持った、力。
(んー……?)
……あれ? さっきは気付かなかったけど、エンジュさんと魔法使いさんとが細い糸みたいにも見える力で繋がってる。暗く濁った色彩の糸。
…………あれ? もしかしてこれ、術者と対象が繋がったまんまになってる? てか、もしかしなくてもこれ、下手な解呪したら術者にも影響が出るってことだった、り……? …………うわぁ。
い、いざとなったら自己防衛お願いします。ぶっちゃけそこまで手が回りません!
ごちゃごちゃに雑ざり合った力は、純粋な力に比べれば少し弱い。
だけどその分、絡まり合ってて解き辛い。
えーっと、アレだ、絡まりあった糸って、解くの大変だよね?
加える力の加減を間違えれば糸がちぎれることもあるし、どこがどうなって絡まってるのかちゃんと見極めないと余計に絡まる。
今やろうとしている解呪というのは、つまるところそういう作業だ。言ってしまえば地味に細かい作業。必要となる魔力が膨大なのがホントに納得いきません。むしろ要るのって気力じゃね?
そんなことを思いながら、ゆっくりと口を開いた。
『―――― 応えよ、沈黙せし力。拒絶の意志を宿せし力』
紡ぎだしたのは、呪文。
絡まりあった糸を解くのに必要な力を乗せるための言葉を、慎重に選びながら紡いでゆく。
オレが声を発する度に、エンジュさんの中で澱んだ力がゆらりゆらりと蠢くのが判った。抵抗する力を感じる。いや、抵抗というよりは、反発? うーん……?
どの言葉も正しくない気がした。だって何か反発してる割には引っ張られてるカンジもするからね。力に飲み込まれるような感覚…………って、アレ……? もしかしてオレ今魔力吸い取られてる?
…………取られてるね。あー、膨大な魔力が必要、ってこういうこと? 何か渇いたスポンジが水を吸い取ってるレベルで魔力取られてるカンジするんですけど。どういう作用なの、これ。ムチャクチャだ。
いっぺんに魔力を取られたんで、さすがに身体が少しだるい。でも容量的にはまだ余裕があるのでいいか、ってことで、更に続ける言葉を探した。えーっと、集中集中……あ、そうだ。
瞳を閉じたまま、ぼんやりと明るいと感じた方向へと手を伸ばす。大きな手の感触がしたので、そのままそれを握り締めた。ごめん、ちょっと力貰うね?
『この手に宿りしもの、此れ汝の意志を解くもの。道を示す力となるもの』
手のひらから、何かあったかいものが流れ込んでくる感触が、した。
これは、フィルの力。本来オレが持ち得ないものだけど、今回はこれを使わせて貰おう。
あぁ、そういえば解呪には治癒の力も必要だって話だったっけ……? その辺もちょっとフィルの力で代用させて貰うことにしよう。ぶっちゃけホントに治癒はオレの苦手分野です。されるのは得意分野だけどな! まったくもって威張れないよ!
エンジュさんの中の力は、こっちを威嚇するようなカンジに蠢いてた。今オレの手の中にあるこの力が、自分とは相反するものなんだって、多分判ってるんだろう。
手を伸ばす。
オレの手の中にある力を忌避するように動くそれの、絡んだ糸の端っこを ―――― 掴んだ、と思った。
そうとしか言い様のない感覚だった。
掴んだそれを離さないようにしっかりと握りこんで、最後の言葉を口にする。
『沈み行こうとするもの、汝に命ずる。黄昏の属性を放棄せよ、夜明けの色彩に染まれ!』
強い口調で、そう告げた。
手にした糸を、引く。
絡まないように、ゆっくりと。
手の中にあったフィルの力が、糸を辿るようにして澱んだ色彩の力へと向かった。一瞬、閉ざした視界の中で光が満ちる。糸の先で、力が大きく波打った。
正直な話、この呪文がどれぐらいの強制力を発揮できるかは判らない。
まったく真っ白な状態から始めたものだから、効果の程も読めない。
瞳を閉じたままの状態で、そのまま待つこと数秒。
もしかして失敗したかなー……と、ちょっと不安になったその時、抵抗するようにどろどろと流動していた力が、一瞬完全にその動きを止めた。かと思えば、次の瞬間にはすごい勢いで膨張を始める。
一抱え程度の大きさだった力のカタマリが、見る間にエンジュさんを覆い尽くすほどのものになって、不意にその動きを止めた。
……大きさが、ものすごい具合に変化したんですけど。
あれ、これって ――――……、
「ラズ!」
まずくないか? とオレが思ったのとほぼ同時に、セレが鋭い声を上げた。
紛れもない、警告の声。
その時のオレはまだ、絡み合った糸の端を握ったままで。
「……っ!」
反射的に、叫ぶように呪文を口にした。
間に合え……っ!
『―――― 形成せ、結風!』
オレがそう言ったのと、室内に嵐みたいな風が吹き荒れたのは、ほとんど同時のことだった。
――――― ドォォ……ン!
鈍い音がして、ビリビリと空間が震える。転びそうになったオレを、傍にいた誰か ―――― 多分フィルが、庇うように抱き込んだ。
室内が、完全な静寂を取り戻すまで、ちょっと時間が掛かった気がする。……何か途中で、「うわーぉ」なんていう緊張感のない悲鳴みたいなものを聞いたような気もする。
しばらくして、バタバタとこちらに近付いてくる足音が聴こえてきた。
「何だ!? 今の音は ――……」
バタン! と大きな音をたててドアを開けたのは、リト兄。
多分、今の大きな音は外にも聴こえてたんだろう、ちょっと焦ったみたいな表情でドアを開けたリト兄は、上げようとした疑問の声を最後まで言うことなく途切れさせた。あああ、兄上様が微妙に固まっていらっしゃる。珍しいもの見たー…………とか言ってる場合でもなく。
一瞬固まったリト兄は、部屋の中を見回してオレ達の姿を認めると、ほっとしたように小さく息を吐いた。
で、そのまま視線を少しだけ動かす。ちょうど、エンジュさんの寝てるベッドの向こう側の壁辺り。
「…………随分と、風通しが良くなったみたいだな?」
「へ?」
リト兄の言葉に、オレもつられて視線を動かした。
―――― で、ちょっと固まりましたよ。ピシリと。え、ちょ、何これ何これっ!?
壁には、大穴が開いていた。
より正確に言うなら、壁に穴が開いたというよりは、壁そのものがなくなっちゃったカンジ。
えぇと……夜空が、とてもはっきりと見えます。……月が綺麗だね?
えーっと……、つまり、これって……。
ぐるりと周囲を見回す。フィルはため息を吐いてて、セレは苦笑を浮かべて少し肩を竦めてた。魔法使いさんは「うっわ、すっげ……」と感嘆してるとも取れる声を漏らしながら壁の大穴を見やり、その隣で使い魔のお姉さんは硬直していた。
えーっと……、だから、つまりこの惨状って……。
…………ご、ごめんなさいぃぃっ!




