08
あ、落ちる……って、他人事みたいに思った。
ってコレ、落ちると言うよりは既に落ちてる。
見るものが全部スローモーションに感じて、思考に変な余裕があった。
でもその割にイマイチ状況が呑み込めてないのはアレか、オレの理解力の問題なのか。…………それっぽくてイヤだな。
傾いた視界。
誰かの悲鳴、驚いたカオ。
不意に襲った浮遊感に、咄嗟にぎゅって目を閉じた、その時。
―――― 声が、した。
咄嗟にぎゅっと目は閉じたものの、まさかそれだけでどうにかなるとも思ってない。次に襲ってくるはずの衝撃を覚悟して身を硬くしたのに、いつまでたってもそれはやって来なくて。
代わりに感じたのは、背中へと添えられたあったかい手。
それから ―――― 耳元で響いた、声。
「頼むから……こういう時ぐらい、呼べ」
少し怒ったみたいな、でもそれ以上に安堵を滲ませた声。
覚えてる、忘れるはずのないもの。
目を開けなくても、それが誰のものかなんてすぐに判る。だけどオレは弾かれたように顔を上げて、相手の姿を確認した。
予想通りのカオが、そこにはあった。
光に透ける、あったかい髪色 ―――― ヒヨコ色とオレは呼んでるそれと、一見ちょっと冷たそうに見えるアイスブルーの瞳。
懐かしい、いろ。
「―――― フィル!」
呼びなれた名前を、オレは呼んだ。
「……って、え、あれ? 何で……?」
「何で、じゃない。必要な時は遠慮なく呼べと言ってあっただろう」
「いや、うん、確かにそれは聞いたけど」
聞いたね。うん、聞いたけどさ。
オレ、呼んでないよ? と首を傾げたら、ピクリ、とフィルの眉が寄った。
……えーっと…………そのカオは、客観的にちょっと怖い……っていうかアレだ、今オレ何の地雷踏みましたかっ?
「お前は……今の状況が本当に判っているのか?」
「え?」
言われて、首を傾げながら自分の状況を顧みてみた。
「……うわぉ」
まず絶句した。
だ、だだだだって足元に地面がないよ!? え、めっちゃ宙に浮いてるんですけどオレ!?
足元に広がるのは、ゴォゴォと凄い勢いで流れてる川。間違っても地面じゃない。
当然と言うか、フィルの足元にも地面はない。フツーに浮いてる。そりゃ、使い魔にはこれっくらい朝飯前だろうけどさ、傍から見てすごい光景だよね。
んでもって、オレはそんなフィルに抱きかかえられてるような状況 ――――― あれこれってどっからツッコめばいいですか?
ツッコミ所が多すぎるような気がするんですがとりあえず。
「えーっと……、もしかしなくても死ぬとこだったね? オレ」
だって下、川だよ。しかも激流。そんなとこにダイブするとこだったんだよ、オレ。
ごくフツーの川にぼっちゃんと落ちてもそのまんま流されるオレは、まず間違いなくここでも流されます。
それ以前に、泳げないという致命的なナニかを抱えてるオレは間違いなく溺れます。って、死亡確定だそれは!
つか、オレみたく運動神経切れてなくても、落ちたらフツーに死ねると思うよ!
「……だから、呼べと言っているんだ」
傍で見てるこっちは気が気じゃないんだぞ、と。何か頭痛を堪えるような面持ちでフィルは言った。
……うん。えーっと……、
「ごめん」
ここは素直に謝っておこうと思う。だって確実にオレが悪い。
いや、まぁ……敢えて言い訳をさせて貰うなら、呼ばなかったのも別に他意があったワケじゃなくて、ぶっちゃけ状況が把握できてなかっただけ、っていうか。まさか死ぬとこだったとはさすがに思ってなかったですハイ。
もうオレさぁ……、切れた運動神経はもうどうしようもないんだから、せめて他の部分をどうにかしようよ……。不注意とか状況把握能力とか理解力とか…………アレ何かいっぱいある。
って、違う。ごめん、の他にもまだ言わなきゃなんないことあるだろ、オレ。
「……で、ありがと、フィル。助かった」
うん。やっぱりお礼はキッチリとね。それでなくてもオレ助けられてばっかなのに。
あと、それから。
「また会えて、嬉しい」
胸に浮かんでくる感情そのままに、オレは微笑った。
会えて、嬉しい。―――― ホントだよ?
フィルはオレの言葉にちょっと面食らったみたいなカオをした後、ふっと目元を和らげて微笑った。
仕方がない、みたいな。そんな苦笑の入り雑じった笑みだったけれども、あったかい笑い方だった。それを見てオレは、あー、ホントにフィルだー、とかそんなことを思った。うん、だって何かちょっと久しぶりなんだもん。この前の時は、ゆっくり話するどころじゃなかったし。それからずーっとフィルは石の中で眠ってたしでさぁ…。
あー、ホントに久しぶりだー、って見上げてたら、ポン、と頭に手を乗せられてそのまま緩く撫でられた。……ここでもちっさい子の扱いかオレ。 ちょっと憮然としなくもなかったけど、撫でてくれる手の感触が懐かしくて気持ちよかったので、そのまま大人しく撫でられてみた。現金とか言うなそこ。
「―――― さて」
不意に、フィルが低く呟いた。
すんごく聞き覚えのある声なんだけど、いつもよりも格段にトーンの低い声。怒ってる時のフィルの声だ。……あの何かちょっとこの辺一帯、そこはかとなく寒くなったような気がするんですけど気のせいですか。
えーっと……今度はドコの地雷踏んだのオレ。
恐る恐る目線を上げれば、フィルが見てたのはオレじゃなくて別の方向で……あ、何だ。オレに怒ってるんじゃなさそうだ。アレ、じゃ何に怒ってんだろ…?
フィルの視線をそのまま辿ったら、そこにいたのはお兄さんやオジサン達に取り押さえられた執政官…………って、あ。ぶっちゃけ忘れてた、とか言ったら怒られそうだけどすっかりさっぱり忘れてました。
底冷えするようなフィルの視線は、真っ直ぐ執政官へと向けられてた。……他人事ながら怖いと思う、コレ。ついでに周りのオジサン達まで怯えてたのは完全なとばっちりだよね。ご、ごめんなさい。何かすっごいごめんなさい。
「我が主に害を成したのは ―――― お前か?」
……あ、そこ怒ってたの、お前。
そこなんだ? 怒るとこ。
いや、まぁ……半ば自覚もないままに死ぬトコだったけどね? 結局無事だったワケだし、結果オーライってことでいいよ、オレは。
それにさ、どっちかっていうとオレの方があちらさんに対してヒドイことしちゃったような気も、ね……? したりなんかして……執政官はともかく腰ぎんちゃくの人たち。…………だ、大丈夫だとは思うけどっ。
とりあえず、アレだ。うん。―――― 空気が凍ってます、この辺。
ピシッ、て。何かそんな音とか聴こえてきそうなカンジだ。
空気を凍らせた原因であるところのフィルは、あくまでも無表情にすぅっと瞳を細めた。
「沈黙は肯定とみなすぞ」
……答えたくても答えられないのが実情だと思うんだけど、その辺どうだろう。ね、フィル?
お前のそういうカオ、こっわいんだって。大迫力なんだって。執政官の顔色がここから見ても判るほどに青いのは多分気のせいじゃないよねー……。
「つ、使い魔……っ?」
「そうだが、どうした? 何をそんなに驚くことがある? 『魔法使い』ならば誰でも連れているだろう? ―――― あぁ、お前は連れていないようだが……お前の元に下っても良いというような酔狂な精霊などいないだろうしな。驚くのも無理はないか?」
「……っ」
うーわ、フィル絶好調。ある意味。
お前ソレで『学院』のお偉いさんとか、再起不能に近いトコまで追い込んだりとか……してたね、確か。しかも一人や二人じゃないし。オレが覚えてるだけでも四・五人はいるぞー? …………真剣に怖いね、ソレ。
って、そんなこと言ってる場合でもなく。
えーっと……とりあえず、だ。
「フィル、降ろして」
うん、びっくりなことに、何気なくフィルに抱えられたまんまなんだよね、オレ。ちょっとそろそろ居た堪れなかったりするっていうか……しなかったら嘘だと思うよ!? いくらちっちゃい子の扱いされてるって言ってもオレそれなりに育ってるからね!?
……というワケで降ろしてください。
フィルはちらりとオレを見て、何でか小さくため息みたいなのを吐いたけど、オレの言った通り地面に降ろしてくれた。ありがとー。
やっぱちゃんと地に足が着いてるのっていいよねぇ。何でかオレの足元から地面なくなるの多いし。…………イエすみませんごめんなさいちょっと嘘吐きました。ないのは地面じゃなくてオレの運動神経です。
「あのね、フィル。いいよもう、オレ無事だったんだし」
「よくはないだろう。殺されかけたんだぞ、お前」
「いや、どっちかっていうとそれ、オレの自爆気味だし。お前助けてくれたからオレ無傷だよ? ホラ、問題ないじゃん」
「……助けを呼びもしなかったくせに」
…………根に持っていらっしゃる。
だからごめんってばーっ! 別に悪気があって呼ばなかったワケじゃないし! そこに思い至らなかっただけなんだって! 残念! 主に俺が残念!
オレに何かいろんなモノが足りないってか、むしろないってのはフィルだって知ってるクセにーっっ!!
オレの心の叫びが通じたのか、フィルはため息を吐いたけどそれ以上は何も言わなかった。
けど「もういい」っていうオレの台詞には納得してないみたいで、執政官を見る目付きはこれでもかってぐらいに冷たい。
うん、でもなぁ……?
「ホントにいい、って。だって、どうせすぐに『学院』から人が来るだろうし。後はそれに執政官を引き渡せばいいだけのことだろ?」
「しかし……」
「それにさ、フィル、忘れてない? 『学院』が来るんだよ? そこが直々に裁定下すんだよ? ―――― あそこのトップ、誰だと思ってんの?」
はた、とフィルの動きが止まった。うん、思い出した?
これだけ派手に水の精霊を呼び集めたんだ、『学院』の方だって多分騒ぎになってる。下の方だけで処理すればいいってレベルでもないだろうし、となると上の方の人間が出てくるだろう。
んで、『学院』の一番上、って言ったら学院総代なんて肩書きが付いてるあの人だよねー。
「ゼルティアスか……」
「そ。それかもしくはその後継だね」
ゼルティアス・グローリー。
エルグラント王立魔法学院総代。―――― つまり、『学院』のトップ。
あんま自覚はないけど、30年という年月が流れてることを考えて、オレはそう言い添えた。引退してる可能性もあるしねー。
正直なとこを言うなら、あのじーちゃんがどうにかなってるとは思えない……ってか、そういう想像すら出来ないから、多分まだその地位に君臨してんじゃないかなー……とは思うけど。
いや、まぁ、じーちゃんだって人の子だしね、うん。…………ごめんオレ想像力の限界……。
ていうかフィル、お前今さらっと学院総代を呼び捨てにしたね? じーちゃん呼ばわりしてるオレが言えた義理でもないけど、アレでも一応偉い人だよ? 学院にアレ以上偉い人いないよ?
「それなら……まぁ、いいだろう」
これで納得されちゃうあたり、じーちゃんの人柄というかナニかがだだ漏れている。
何をやると思われたんだ、じーちゃん……。
「……だが」
不意にまたフィルの声が低くなった。ん? と思って見上げれば、その視線は再び執政官へと向けられていて。
「お前がまた我が主に害を成すというのなら ―――― 次は容赦しない」
淡々とした口調だったけど、声は低く迫力に満ちていた。上から見下ろすアイスブルーの瞳は、凍るように冷たい。
「……っ、っ……!」
執政官は凍った。むしろ凍り付いてる。口をぱくぱくと忙しく開けているけど、全然声にはなっていない。お兄さんたちに取り押さえられてなきゃ、そのまま逃げ出しそうな様子だった。
っていうか、取り押さえてる側のお兄さん達も逃げたそうだ。……ご、ごめんね?
「二度目はないと思え」
「は、はいぃぃぃっ……!」
…………あ、返事した。返事しちゃったよ、執政官。
そりゃ、ね。
あの状態のフィルと真正面から対峙して、さすがに強情は張れまい。だって怖いもん。
蒼褪めがくがくと首を縦に振った執政官をフィルは瞳を眇めて見やって、それきり興味を失ったようにふいっと視線を逸らした。
その瞬間漏れたため息は、ええと……何人分だろ? とりあえず執政官のだけじゃなかったのは確かだ。
その光景の一部始終を見てたオレは、内心で苦笑った。
やっぱまだ怒ってたの、お前……。




