04
ポツリ、と。
地面に最初の一滴が落ちた。
それが合図だったかのように、周囲はバケツを引っくり返したみたいな大雨に見舞われた。
「……というか、バケツを引っくり返しても絶対こんなにはなんない……」
ええと、現在。
喋るのも辛いぐらいの雨に見舞われています。
傘とか、見事に意味ないよねコレ、って勢いだ。ってなワケで、傘も合羽も投げ出して、現在進行形でずぶ濡れだともコンチクショー。
街中、それも道端で溺死しそうになるってこれどうなの。口開くと水が入ってくるので、息継ぎが困難なのですよ。喋るのもしんどいっていうより、喋り続けたら死ねるかもー……とか思えるのがまた何とも言えない。
んでもって、オレの日常生活の中で死に掛けるという、ある意味高等スキルの発生率が上がったような気がしなくもない。多分この状況下だと大活躍だよ、そのスキル。ていうか、むしろ死亡フラグたってる。
………………。
か、考えなかったことにしよう。うん。
「これは……」
隣でお兄さんが、喘ぐような呟きを漏らした。それきり、次の言葉が続かない。
……うん、気持ちは判る、かな。
目の前には、川。
町の東側を横切るように流れるそこを、茶色く濁った水が大きな音をたてて流れていた。
この町に来たばっかのオレが見た時には、綺麗な水がごくフツーに流れてる、ホントに普通の川だったんだけど……今、その面影を追うのは難しい。だって何かもう、川幅からして違う。同じだとも思えない。
ゴオォォ……と低い唸りのような音をたてて流れる大量の水。川はもう既に決壊寸前といったカンジだ。
町の男の人たちが土嚢を積んでいってるのが見えるけど、あれじゃきっと間に合わない。水嵩が増える方がずっと早い。
「いくら何でも早すぎる! 雨は降り始めたばかりだろう!?」
「違うの! 雨が降る前から、水がどんどん増えてて…っ」
お姉さんが泣きそうな声で言うのが聴こえた。オレは真っ黒に塗り潰された空を見上げる。
完全な日暮れまでにはまだ間があるはずなのに、辺りはもう薄暗いのを通り越して夜に近い暗さだ。
茜色に染まっていた空を塗り潰した分厚い黒雲。
雨が降る前から増えたという水。
…………多分、上流の方で先に雨降らせたな。それから更にここでも雨を降らせてる、と。
「……って、ああもう!」
何してんの! 何してくれちゃってんの!
ムチャクチャもいいとこだ。
自然のバランスを崩すなんてもんじゃない。こんないっぺんに雨なんて降らせたら、どうなるかなんて誰にでも判りそうなもんなのに!
息苦しいぐらいの、雨。
たくさんの、水。
水の精霊たちがさざめく気配に、少しだけ眉を寄せた。
―――― 呼ばれた。呼ばれたの。
―――― 水、たくさんいるんだって。
―――― 呼ばれたの。たくさん、たくさん。
―――― 綺麗にして欲しいんだって。
―――― このあたり、みんな水で呑み込んで。
―――― 流しちゃえ、って言ってた。
―――― 言ってた。言ってたよ。
ひっきりなしに、聴こえる声。
多分、この場にいる誰にも聴こえてないんだろうけど。
流しちゃえ、って……言ってた?
『何』を? ―――― 『誰』、が……?
「―――― 駄目だ! この先も決壊しかけてる!」
「ここももう危ない! 避難した方がいい!」
「そんな……っ!」
町の男の人たちの声に、お姉さんが振り返る。
「町はどうなっちゃうの!? 水が来たら全部流されちゃうわ!」
「判ってる! だがどうすることもできん! 人死にを出さんようにするのが精一杯だ!」
「っ!」
「フィリ! ここは危ない! とりあえず高台へ……君も、早く!」
唐突に、お兄さんに腕を掴まれた。その衝撃でオレは一気に思考を現実へと引き戻される。
あぁ、そうだ。暢気に考え事してる場合じゃなかった。ていうか空見上げるのって結構危険だこれ。容赦なく水飲んだよ。
ええと、とりあえず考え事は後回しにして、と。
「ごめん、お兄さん。避難する前にこれだけやらせて」
「え……」
にっこりと笑って、そっとお兄さんの手を外す。
「オレにできそうなこと、やってくる」
まだ何か言いたそうなお兄さんと、その隣のお姉さんにくるりと背を向けた。
いや、まぁ、話は全部後で、ということで!
ゴメンナサイ。役に立ちそうな魔法思い出したんで、とりあえず使ってみようと思います!
んでもって、多分出来るだけ近付いた方が効果はあるよね、ってことで、もう細心の注意を払いながら土嚢が積んであるとこまで歩いて行きましたとも! さすがにね、ここで転ぶのはちょっといろんな意味でイタイので。……絶対に周囲の視線とかイタイので!
うわーん、地面が滑りやすいぃぃ……って、あ、背中にすんごい心配そうな視線を感じる。多分コレ、お兄さんとかお姉さんだなー。心配ありがとうございます。でもゴメンナサイ、振り返れません。……振り返った瞬間にこけそうなので!
絶え間なく降り続く雨。
ぐちゃぐちゃにぬかるんだ地面。
決壊寸前の川。
―――― うん。
とりあえず、考えるのは後回しにするとしても、今オレにできることがありそうです。
と、いうわけで。
「あ、えと、ちょっと危ないので離れててください」
「そりゃこっちの台詞だ! ここはもうすぐ決壊する! お前こそ早く逃げんか!」
まだ残ってた町の男の人たちに声を掛けたら、即座にそう一喝された。
おお、怒鳴られた。うん、でもフツーの反応だよね、これ。
ちゃんと他人を心配できる、普通の人の反応だ。
何となく嬉しくなって、オレは微笑った。
「大丈夫です。すぐ終わりますから」
「ちょ、おい!」
後ろでまだ何か言ってたけど、かまわずオレはその場に片膝を付いてしゃがみ込んだ。
いや、まぁ、話は全部後ってことで!(2回目)
目を閉じる。
視界が閉ざされる代わりに、クリアになる感覚。
ざぁざぁと耳を打つ雨の音。
ゴォォ……と低い唸りを上げて流れていく水音。
それから、ざわりざわりと空気を震わせる、たくさんの精霊の気配。
すぅっ、とひとつ息を吸い込んでからゆっくりと口を開いた。
『凍れ、凍れ、悠久を刻みし針。終焉への流れを、今ここにしばし止めよ。―――― 咲け、氷華』
トン、と地面へと置いたオレの指先からピシリ、ピシリと撓むような音がして、瞬きの間に周囲に白い筋が蔓のように広がる。やがてそれは天へと向かって伸び上がり、絡まりあうようにして固まった。と、同時にぐちゃぐちゃにぬかるんでいた地面もキィン…と硬質な音をたてて固まる。地面と壁の表面、うっすらと漂ってる白い煙は冷気だ。
要するに周囲一帯を一時的に凍り付かせたわけで……、あー……当たり前と言えば当たり前だけど、何気なく手が冷たい。こっちまで凍りそうだ。
「何だこりゃあぁ!?」
「凍ってんのかっ?」
ハイ、凍ってますよー。
下手に触ると凍傷になるかもだから、止めた方が賢明ですよー?
雨はまだ止まない。
茶色く濁った水は、すごい勢いで川を流れてる。
だけど、多分コレでしばらくはもつんじゃないかなー、とオレは目の前にできた大きな壁 ―――― 凍り付いた氷壁を見上げて小さく息を吐いた。
単純に川淵の高さを上げただけだから、このまま雨が降り続いたら駄目だけど。……まぁ、その前に根本原因を何とかしましょう、ってことで。
「あ、とりあえず、一応土嚢で補強しといた方がいいかもです」
「あ、あぁ……」
またウカツに上見上げちゃったんで、容赦なく口の中に入ってきた水をぺっぺっと吐き出しながら近くにいた男の人にそう言ったら、半ば呆然とした表情のまま頷かれた。それでもすぐに動き出してくれた辺りはさすがだ。
「信じらんねぇ……こんな馬鹿でけぇのを一瞬で……」
「何者だ、お前」
「いえいえいえ、ただの通りすがりの一般人ですが」
そんなビミョーに人外のものを見るように言われても……。その視線はちょっと切ないですよ?
「……誰も信じないと思うわよ、それ」
そのセリフはもっと切ないですお姉さん!
いつの間にかすぐ後ろまで歩いて来ていたお姉さんの、痛恨の一撃に匹敵するようなセリフに思わず振り返れば、心底呆れたような表情をしたお姉さんと、その隣で呆気に取られたように氷壁を見上げてるお兄さんが視界に入った。
お姉さんが呆れたカオのまま言う。
「一般人がこんなことできるもんですか」
「確かに、なぁ……」
「フィリ、シド、知り合いか?」
「あぁ」
「一応ね。変なコだけど、悪い人間じゃないわよ。そこは保証するわ」
頷いたお兄さんに付け加えるようにして、お姉さんがそう言った。っていうか、その保証の仕方ってば超絶微妙なんですが!? 変なコ認定されたまんまだオレ……!
……なーんて思ってたら。
「それと……『魔法使い』だけど、あのハゲと全っ然違う、っていうのも保証できるわよ」
「「「「『魔法使い』!?」」」」
うわ、今周囲にいた人の声が綺麗にハモった……!
お、お姉さんんんっ!何気なく爆弾発言ですそれっ。ここの人たちの『魔法使い』に対する心証最悪なんだから……って、うん?
「……アレ?」
てっきり何かこう……憎々しげな視線でも貰うかと思ってたんだけど、あれ? ……どっちかってーと嘘だろーそれ、みたいな疑いの眼差し貰ってませんか? オレ。
あっれー……?
「本当に、『魔法使い』なのか……?」
「へ? あ、はい。一応……多分?」
いややっぱライセンスがどうなってんのか判んないので、多分としか言えないわけですが、まぁ一応。
頷いたオレに、質問を飛ばしたオジサンが、もんのすっごいびっみょーな表情になった後、ポツリと呟いた。
「……嘘だろう」
既に疑問系でもないね!? それ!
「いや、でも確かに『魔法使い』でもなけりゃ、こんなことができるはず……」
「と言ってもなぁ……、こんなチビッコが『魔法使い』? 何の冗談だ」
「あぁ、何か出来の悪い冗談聞いてるみてぇだよな」
い、言いたい放題だ。ホントに言いたい放題だこの人たちー!
目の前のオジサンとか、オレの頭ぼすんぼすんって叩くように撫でながらチビッコとか言うし!
え、何これ何これ!? 何かここの人たちの『魔法使い』に対する認識ってモンが判んなくなってきたんですけどっ?
「……というより……」
オレの頭に手を置いたまま、オジサンが再び口を開いた。その口調が、何か今までと違ってるような気がしてオレは顔を上げる。うん?
オジサンは、複雑そうな表情でオレを見て、言った。
「何で『魔法使い』が、俺達を助けてくれるんだ?」
複雑そうな、声だった。
……あー、うん。そゆこと?
憎んでないわけじゃない。恐れてないわけじゃない。
だけど、知らないから。―――― 知らなかったから。
―――― あたしたちは、『奪っていく魔法使い』しか、知らないの。
戸惑ってたんだって、判った。
……あぁ、ホントに、何て言うんだろ。こういうの。
何ていうか、本当に悲しいなぁ……。
ひとつ息を吐き出して、オレは口を開いた。
「―――― 例えば、さ。オレが『魔法使い』じゃなくても」
魔法がないオレは、一般人以下の存在でしかないのかもしれないけど。
「困ってる人がいて、それで出来そうなことがあったら手助けしたりするの ―――― それってフツーのことじゃない?」
お姉さんと初めて会った時にも言った覚えのある言葉を口に乗せれば、目の前のオジサンの瞳が驚きに見開かれた。他の人の反応も、似たり寄ったり。あああ……何だかなぁもう……。
こういうのはやっぱり悲しいし寂しいから、どうにかしたいよなぁ……。
……うん。
やっぱりオレは、オレにできることをしようと思う。
……もう、許せる範囲っていうのも、とっくの昔に超しちゃってるしね。
にっこりとオレは笑って、オジサンの手の下から抜け出した。
さて、と思いながらもう一度瞳を閉じる。
―――― すごい、すごい。凍ってる。
―――― 凍ってるね。どうしよう?
―――― どうしよう? これじゃ、流せないね。
―――― どうしようね? 足りないね、水。
どうしよう、と囁きあってるのは水の精霊。
言ってることの割には、困ってるというよりも楽しんでるカンジでくすくすと笑ってる。……面白がってるってこれ、絶対。
苦笑しながら、そっと小さな声で語りかけた。
君たちを呼んだ人間に訊いてみれば? ―― と。
一瞬、精霊たちの囁き声が止まる。
―――― そう……、そうだね。そうしよう。
―――― 足りないの、どうしよう? って。
―――― 訊きに行こう。あの人間に。
―――― たくさん、たくさん水を呼んだあの人間? 今どこにいるの?
―――― 待って、待って。……行かなくても、いいみたい。
最後に聴こえた囁きに、オレは顔を上げた。
ざぁざぁと降り続く雨。
唸るみたいな、水が流れる音。
たくさんの水を、呼んだ者がいる。
ここへ。この場所へ。
たくさんの水を呼び寄せた者 ―――― 『魔法使い』。
その人間が。
―――― あっちから、来るよ。ここに、来る。
くすくすと笑う精霊の声が、そう教えてくれた。




