03
魔法使いに、できること。
その人の力量にもよると思うけど、普通の人よりも“できること”の幅が大きくなるのは確かだと思う。
でもそれは、使い魔や精霊の力を借りて、初めて“できること”って増えるわけで。
ぶっちゃけ、魔法が使えなきゃ、魔法使いなんて普通の人と大差ない。
魔法使い、魔法がないとただの人、ってことだ。
…………まぁ、オレの場合、言わずもがなで一般人以下になっちゃったりね、うん。
だってオレ魔法があっても、割と一般人以下……。ケンカとか、子供相手でも負けます。しかもそれ、手加減ナシ本気負けのやや自爆気味。……救いがないのは知ってる。
オレは、オレにできることがあるのを知ってる。
できないことがあるのも、知ってる。
それとね。
―――― やっちゃいけないことがあることも、知ってるんだ。
「…………さすがにね、許せる範囲っての、超えてると思うよ」
真っ黒に染まった空を見上げて、小さく呟いた。
* * * * * * * *
異変に気付いたのは、結構早かったと思う。
夕暮れ時。見上げた西の空に、ポツンと黒い点のようなものが見えた。
んー……? 何だありゃ?
ご親切にもオレへと与えられた部屋の中、ベッド脇にある窓にベッドの上に行儀悪く乗っかりながらにじり寄る。外は、夜と言うにはまだ早く、昼と言うにはもう薄暗い。ガラス越しの空は、一面茜色に染まっていた。
その中に、ポツン、と浮かび上がってる、黒い点のようなもの。
別にガラスが汚れてるわけでもないよなぁ……と思ってまじまじと近付いて見てたら、ごちん、と額をぶつけた。
…………うん、アレだ、目測を誤りました。
だ、だってガラスって向こう側見えてる分、距離感とか掴み難くない? いや、オレ壁とかにもぶつかるけど。
……うん、まぁ、ガラスが無事で良かったってことで! オレの額が地味に痛いのなんか、ちっちゃいちっちゃい!
「―― あれ?」
気を取り直して、黒い点へともう一度視線を投げたところでオレは眉を寄せた。
アレ、気のせいじゃなかったら、何か大きくなってるような気がするんだけ、ど……。
「っていうか! 気のせいじゃないよねえぇっ!?」
大きくなってるなってる!絶対大きくなってるって!
見上げた西の空、茜色の中にポツンとあった黒い点は、もう点と呼べるものじゃなくなってた。えぇと……何て言うか、面? 要するに広がってる。
黒の絵の具で上から塗り潰したみたいだ、とそんなことを思ったところで、ふと眉を顰めた。
何か……何だ、これ……。
何かが、ざわざわと落ち着かないっていうか……うん。
ちょっと、嫌なカンジがする。
キィ、と窓を押し開いた。ふわりと、入り込んできた風が頬を撫でる。
―――― 風が運んできたのは、水の精霊の気配。
それを確かに感じ取って、オレはあれ? と首を傾げた。
……そりゃ、ね。水の精霊は結構どこにでもいる精霊だ。半ば生活に密着してるって言ってもいい。
だから、その精霊の気配がしたって、別に不思議なことでも何でもないけど……、
「……さすがにちょぉぉーっと数が多くないかこれぇぇ?」
えぇっと? 既にちょっとっていう可愛いレベルでもないような気がするんですけど。え、何これ気のせいですか。というか気のせいってことにしたいんですけど。
だってホントに何か嫌なカンジ、が……。
「あ、れ……?」
もう一度、今度は睨み付けるようにして空に浮かぶ黒を見た。
待って待って。……まさか、まさかだよ?
だって、それは……そんな風に使っていいものじゃ、ない。
茜色を塗り潰そうとしているそこから感じるのは、たくさんの水の精霊の気配 ―――― 誰かの意思に従う、もの。
「……っ!」
瞬間、理解した。
あの黒の正体 ―――― アレが、何なのか。
―――――― 嵐が、来るよ。
ふわりと頬を撫でた風から、微かな声が聴こえた気がした。
―――――― 嵐が、来るよ。『水』を呼ぶ者が、いる。
西の空は、既に黒が茜色を覆い隠そうとしていた。
それを眉を顰めながらもう一度見やって、オレは急いで窓から離れる。
と、とりあえず!
この状況を知らせるべきはまず住人にだよね! ってことで。暢気にベッドに座ってる場合じゃない!
最初にお兄さんに伝えて、それから……、
―――― ゴンッ!
「……っ、痛ぁぁっ!?」
目の前で一瞬星が散った。
い、痛……。真剣に痛いってか、転んでデコ打ってる場合でもないんだってばオレぇっ!
うう……考えごとしながら歩く、っての、オレには向いてないよね。絶望的に。これで階段からも落ちてえらい目に遭ったんだってのに、懲りないなオレ……。
歩く時には歩くことに集中しよう。じゃないと怪我が増える。何もないとこでも転べるオレの運動神経はもう才能です。才能。
痛む額を擦りながら立ち上がって、ドアノブへと伸ばした手は ―――― 何故だか綺麗に空振った。……え?
―――― ゴッ……!
「……っ、っ!」
もう声もない。
オレがドアに手を伸ばしたのとほぼ同時に向こう側から押し開いたドアは、そりゃもう当然の如くオレの顔面にヒットした。
も、もうさぁ、オレさぁ……。何ていうかオレ、泣いてもいいかなぁ……っ?
ずるずると床に座り込みながら、オレはジンジンと痛む額を押さえる。ナンかまた同じとこ打ったし……!
「えっ、あ、すまない! そこにいたのか!?」
開いたドアの向こうから顔を覗かせたお兄さんが、びっくりした表情で言った。
「いっ、いましたぁぁ…」
いたからこうなりました。ええ。
「かっ、重ね重ね本当にすまないっ! 大丈夫か!?」
「だ、大丈夫……です」
これぐらいなら慣れっこですから! とは、敢えて口に出しては言わない。だってさすがに空しくなるから。
おろおろと心配そうにオレの顔を覗きこんでくるお兄さんに、ひらひらと手を振ってみせた。
いや、もう、いつもの如く自爆気味にこうなったんで気にしないでください、お兄さん。でも心配してくれてありがとうございます。
お兄さんは床に座り込んだままだったオレの両脇に手を差し入れると、そのままひょいと持ち上げて立たせてくれた。……ぅわーい、力持ちーぃ……。
ていうかこの持ち上げ方って……イエ、いいです。アリガトウゴザイマス。
「本当にすまないな。もうすぐ夕飯の時刻だから、何がいいか聞きに来ただけなのだが」
「え、あ、いや別に何でも。そこまで好き嫌いもないし…………じゃなくて!」
いやもう、そんな和やかなこと言ってる場合じゃなくて!
「えぇっと! コトによっては夕飯どころじゃなくなりそうな事態が起こってるんですが!」
「え?」
ワケが判らない、ってカオでお兄さんがオレを見た。
うん、気持ちは判るけど、オレが必死だってことで、何とか非常事態だっていうのだけは察してください!
黒く塗り潰された、空。
そこから感じるのは、たくさんの水の精霊の気配。
あまりにも、たくさんの ―――― 誰かの意に従う、水の精霊たち。
嵐が、来る ―――― と。
それを伝えてくれたのは、多分風の精霊。
続けられた、『水』を呼ぶ者がいる、というその言葉の意味は空を覆った黒を見ればすぐに判った。
空を塗り潰そうとする、黒 ―――― たくさんの水の精霊の気配を孕んだ、暗雲。
『水』を呼ぶ者。
それは、多分 ――――……。
「“魔法使い”が、たくさんの水の精霊を呼び集めてる気配がしてます。すぐにでも嵐が来る」
オレの言葉を、やっぱりワケが判らないといったように聞いていたお兄さんだったけど、オレが指差した方向 ―――― 黒く染まった西の空を見て、サッと顔色を変えた。
「あれはっ……!」
「多分この辺一体に、普通じゃ考えられないぐらいの、雨が降ります。それを目的に、水の精霊を呼び集めたんだと思うから……」
言いながらぎゅっと唇を噛み締めた。
さっきまでは、まさか、と思ってたんだ。
だって……だって、ね?
魔法は、そんな風に使っていいものじゃない。
あんな風に天候を左右するような、そんな魔法なんて軽々しく使っていいものじゃ、ない。
自然のものは、自然のままに。余程のことがない限り、その領分には手を出すべきじゃない。
それを、知ってる。
魔法使いは、皆それを学んでるはずなのに。
不意に、ばたばたと足音がした。
慌てたような足音はどんどん近付いて来て、やがてバンッ! とやや乱暴にドアが開いた。
「っ、シド!」
入って来たのは、お姉さんで。
「フィリ? お前、どうしたんだ?」
「大変なの! すぐに来て!」
肩で息をしてるお姉さんを見て、お兄さんが訊いた。お姉さんは、急き込んだように口を開く。
「大変なの! 川が……っ、雨が降ったわけでもないのに、どんどん増水してて……っ! このままじゃ……!」
泣きそうな、声だった。
その声を聞きながら、オレはもう一度西の空を振り仰いだ。
もう、茜色はそこにはない。
ぎゅうっと拳を握り締める。
ここにいる魔法使いは、オレを除いて多分あと一人だけ。
その一人が、あの暗雲を呼んだ。この事態を引き起こした。
何の為に、なんて訊かない。
多分、自分勝手な理由しか出てこないだろうから、わざわざ訊いたりなんてしない。
「…………さすがにね、許せる範囲っての、超えてると思うよ」
真っ黒に染まった空を見上げて、オレはポツリと小さく呟いた。




