第5話 すき焼き!?
平日中にすり減らした胃と体力を養うため、太はジャージ姿にサンダルというラフな格好で、近所の激安スーパーへ買い出しに来ていた。
「とりあえずレトルトカレーと、カップ麺と……胃薬の追加を買っておくか……」
カゴを手に、一人暮らしの悲しきラインナップを整えていた、その時だった。
「あ! おじさん!」
鮮魚コーナーの奥から、パッと花が咲いたような明るい声が響いた。
振り向いた太の視界に飛び込んできたのは、フリルのついた可愛らしいブラウスにミニスカートを合わせた、あまりにも眩しい私服姿の光だった。栗色の髪がふわりと揺れ、キュートなカゴを両手で抱えている。
(ぐはっ……! 休日の私服姿も破壊力高すぎるだろ……! ていうか、なんでスーパーに!?)
「光ちゃん!? なんでここに……」
「ふふ、おじさん休日だから買い出しに来るかなって思って、待ってたんです!」
「待ってたの!? 張り込んでたのか!?」
太が思わず周囲を見渡すと、案の定、休日の家族連れや買い物客からの視線が突き刺さる。
「45歳のくたびれたジャージのおっさん」と、「とびきり可愛い女子高生(※太の認識)」。どこからどう見ても怪しい組み合わせだ。
(やばい……! 通報案件だ! 『休日の公園やスーパーで女子高生を連れ回す不審者』として通報されたら、俺の人生は今度こそ終了する!!)
「ひ、光ちゃん! ちょっと離れ……」
「おじさん、見てください! 今日の夜、おじさんのためにすき焼き作ろうと思って、お肉見に来たんです♡」
光は太の手をキュッと両手で握りしめ、上目遣いで満面の笑みを向けた。
その手は柔らかく、甘いシャンプーと柑橘系の香りがふわりと太の鼻腔をくすぐる。
「す、すき焼き……!?」
「はい! いつも残業でお疲れだから、奮発して和牛買っちゃおうかなって! おじさん、スキヤキ好きですよね?」
「そりゃ好きだけど……! 違う! そうじゃなくて! なんで俺のためにそこまで……」
「だって、おじさんの笑顔が見たいからです♡」
(乙女だーーーーー!!! 心からの笑顔で純度100%の愛をぶつけてくるーーー!!!)
太の心臓がドキンと跳ね上がる。
しかし次の瞬間、近くの主婦グループが「あらやだ、あのおじさん若い女の子連れて……」「パパ活かしら……?」とヒソヒソ噂話をしているのが聞こえてきた。
「(パパ活扱い!? 違う! 冤罪だ!!)」
太は滝のような冷や汗を流しながら、光の手をそっと離した。
「み、光ちゃん! お肉はありがたいが、とりあえずレジを通って外に出よう! 俺の社会的立場が限界突破しそうだ!」
「えっ? はぁい、おじさん一緒にお会計しましょ♡」
どこまでも嬉しそうに太の後ろをついてくる光。
週末の買い出しでの大混乱を経て、なし崩し的に太の部屋ですき焼きを囲むことになった二人。
「よし……これでよし! 外から見たら、ただの『おっさんが一人で部屋に入った』ようにしか見えん!」
スーパーからの帰り道、周囲の目を気にして時間差で帰宅した太は、自分の部屋のドアを固く閉ざして安堵の息をついた。
……が、そのすぐ目の前には、すでに光が当然のような顔で座り込んでいる。
「おじさん、お鍋とお皿お借りしますね♡」
テキパキと野菜を切り、和牛を並べ、卓上コンロをセットしていく光。
フリルがついた可愛い私服のまま手際よく準備を進める姿は、どう見ても「新婚の奥さん」そのものだ。
(ダメだ……。通報リスクは回避したものの、狭いワンルームで可愛い女子高生(※太の認識)と二人きりという新たな地獄が始まってしまった……!)
「さ、おじさん! お肉煮えましたよ! はーい、あーん♡」
箸で煮立てた高級和牛を挟み、光が満面の笑みで太の口元へ差し出してくる。
「じ、自分で食べる! 自分で食えるから!」
「えぇ〜、せっかくのすき焼きなのに……あーん、してくれないんですか……?」
ウルウルとした瞳で上目遣いをされ、太の胸がギュッと締め付けられる。
(くっ……! 可愛すぎるだろ畜生!! 理性が試されている……! 45歳の理性が試されているぞ俺!!)
「わ、わかった! もらう! もらうから!」
意を決して口を開け、肉を食む太。
「……っ! ……美味い……めちゃくちゃ美味い……」
「ふふ、良かったです! おじさんが美味しそうに食べてくれる顔、ずっと見たかったんです」
光は嬉しそうに頬をゆるめ、満足そうに自分の分の卵を溶き始めた。
(……待てよ? こんなに良い子で、料理もできて、俺のことばかり気遣ってくれて……。5年前の公園で缶ココアを奢っただけで、なんでここまで尽くしてくれるんだ……?)
肉の美味しさに感動しつつも、太の頭の中にふたたび素朴な疑問が浮かび上がる。
「あのさ、光ちゃん……」
「はい? なんですかおじさん?」
「5年前の公園のことだけど……俺、本当に何か特別なことしたか? 正直、当時の俺は仕事に殺されかけてて、公園のベンチで泥酔しながら缶ココア飲んでた記憶くらいしか……」
太の言葉に、光はすき焼きをつつく手を止め、どこか遠くを見るような優しい目で微笑んだ。
「おじさんは覚えてないかもしれないですけど……あの時の私、すごく追い詰められてて、誰も味方がいないと思ってたんです。でも、おじさんが『生きてりゃいいことあるよ』ってココアをくれて……頭を撫でてくれた手が、すごく温かくて」
光はそっと胸に手を当て、まっすぐ太の目を見つめた。
「あの時から、私のヒーローはおじさんなんです。だから私……おじさんのために、女の子として一番可愛い自分になりたくて、いっぱい努力したんですよ?」
「(女の子的努力……!? いや確かにめちゃくちゃ可愛いけど! 完璧すぎるけど!!)」
重すぎるほどの純情と愛をぶつけられ、太は胃のあたりをギュッと押さえた。
「ひ、光ちゃんの気持ちはすごく嬉しいんだがな……俺は45歳のおっさんで、光ちゃんは若い女子高生なんだ。世間一般的には……その、いろいろアカンというか……」
「年齢なんて関係ありません! 私の心は、ずっとおじさんのものですから♡」
(会話が! 全然成立してねぇぇぇ!!)
結局、光の怒涛の乙女アタックに押し切られ、すき焼きの味も半分くらいしか分からなくなった太は、食後にそっと胃薬の袋を破るのだった。
(※太はまだ気づいていない。光が言った「女の子として一番可愛い自分になりたくて」という言葉の、本当の意味 に――)




