待ち合わせ
《焼き土下座像前で、十七時に》とさっきLINEしたのに加奈子が来ない。もう一度LINEしてみたが既読にもならない。これは、ドタキャンなのだろう。諦めればいいのだが、あと五分、あと五分と粘ってしまう。時間は決めても場所を決めない、場所は当日というのが僕たちの曖昧なルールだった。
今時の出会いは、マチアプが大学生も社会人も主流だとサトシからしつこく言われたが、断固としてアプリをインストールしなかった。金曜日の安居酒屋は年齢を問わず、サラリーマンでにぎわう。
サウナでいうところの、水風呂みたいなもんで、会社でアツアツに火照った身体を鎮めて整える場所が居酒屋だ。
「どうして、インストールしねぇんだよ」
と、無駄なものを持ちたくないだけなのに、サトシにはそれがわからない。
《とりあえず、入れておけば》という気持ちがわからないまま、もうすぐ三十歳を迎える。とりあえず大学に行き、とりあえずサークルに入り、とりあえずバイトで稼ぎ、とりあえず就職した。
このなかで、とりあえず彼女を とはならなかったのは僕なりの防御ラインとでも言おうか。高瀬さんという当時同じゼミの子に「そんなんつきあってみんと、わからんやん」とド関西弁で言われたのが、遠回しに僕のことを気に入っているとわかって距離を取ってしまった。
高瀬さんは、映画サークルで俳優部門に所属していて、女優を目指しているらしい。演劇ではなく映画というのは、
「演劇人は結局映画人を目指すでしょ。でも逆はねぇ。落ちぶれた印象だもの」という、口に衣着せぬ子であった。シンプルに口が悪い。
おでこをアップにしていて、目が大きくて薄い茶色の瞳だった。頬から顎にかけて細く、鼻は小さいが鼻筋は通っている。唇はやや厚く、うっすらとピンクがかっている。ノーメイクでも美人だなと、客観的に思えた。
加奈子が来ない時間、頭のなかで高瀬さんを待っていた。逃がした魚は大きいと言うが、この場合恋愛対象を魚に例えるのは、よっぽどの魚好きでない限りよろしくない。もしくは、漁師や朝釣り愛好家たちなら許されるか。
ともかく、十八時になったところで、加奈子に再びLINEを送った。店をキャンセルして、今日は解散と顔文字・絵文字・スタンプを使わずに伝えた。怒っているのか、悲しんでいるのか伝えたくなかったし、察しても欲しくなかったからだ。
当然のことながら、頭のなかの高瀬さんが現実に現れることはない。都合よく誰かの代わりに誰かがなることなどないのだ。それは恋愛に限った話ではないし、恋愛に限った話かもしれない。
LINEの通知、加奈子からだった。
《ごめん、今向かってて》
《こっちは今帰るところだよ》
《でも、何か食べるんでしょ》
矢継ぎ早に会話が進む、さっきまでの未読を時空が飛び越えたようだ。
《どうして、遅れてるの?》
《スマホを家に忘れて、取りに帰ってたら遅れて》
もっともな理由だ。待ち合わせ場所が焼き土下座像前とは伝えていなかったし、スマホがなければどこに行けばいいのかはっきりわからない。三条で待ち合わせとだけは伝えていたが、三条とて広いもの。
《焼き土下座像前で待つわ》
と返事を送り、加奈子の到着を待つ。
その間に、予約した店のキャンセルを取り消そうかと思ったが、時間ギリギリなので行き当たりばったりでいいかもしれない。
横断歩道の信号が赤くにじむ、陽が落ちて乱視には見にくい。細い手が僕に向かって、大ぶりに振られている。隣の観光客の頭に当たりそうだ。
ガサツだと自称する加奈子と待ち合わせすると、会うまでにいつも何らかの小トラブルに遭遇する。そのおかげで、待ち合わせはいつもハラハラする。恋人であっても、会えるかどうかわからないからだ。
結婚してから、「どうして待ち合わせ時間にいつも遅れてくるのか」加奈子に聴いた。少し目を左右に泳がせて、薄い唇をぱくぱくさせながらおどけて言った。
「だって、普通に待ち合わせ時間に行ったら、飽きられるでしょ。少し逃がした魚ぐらいに思われていないと、捕まえる気もなくなるって思って」
よくよく話を聴くと、いつも待ち合わせ場所付近には十五分前あたりに着いていたらしい。呆れたが、憎めない。健気とも言えるが、やや狂気。
とりあえずで選ばなかっただけあって、そこは満足している。
お互い仕事終わりに待ち合わせしても、いまだに加奈子は、遅れて来る。
それは、彼女なりの愛情表現なのだろうが、そろそろやめてもらいたい。




