やっぱり、蝉はうるさい
好きな人が告白しているところに、バッタリと出くわしたことがある。体育館裏の角とか、旧校舎の踊り場とか、理科実験室の渡り廊下とか、そういう人気のない場所ならいいが、普通に下駄箱だったからタチが悪い。その日、英語の補習日で、たった三人しか受けていなかったのだ。
午前中いっぱいの補習で、四限目には実力テスト。三十分経てばできた者から帰ってヨシとされていた。結果は後日だが、出席するだけで単位が取れるという超救済措置の茶番なのだ。
僕は普段はしっかりと勉強するタイプだが、緊張性の腹痛で考査を二度も欠席し、補習に呼ばれることとなったのだ。どうも、英語だけは緊張度が増すらしい。他の科目は大丈夫なのに。
時間いっぱいまで実力テストに力を出し切り、おおよそ満点であると確信を持てた。緊張性の腹痛の原因は、土田沙織というクラスメイトのせいだった。彼女がいると緊張してしまうのだ。英語に特化した高校だったのでクラスは実力制で振り分けられていた。
中くらいの実力の僕は、同じく中くらいの実力の土田沙織と同じクラスになった。そのせいで、腹が痛くなることもしばしばで、授業中はまだ大丈夫なのだが、テストとなるといいところを見せたいと思うのか、(テストでどうやっていいところを見せるのかわからないけど)緊張度合いが高まるということだ。
で、僕は実力テストが終わり下駄箱の前、その背後には土田沙織と用田保が立ち話をしていた。土田沙織は僕の存在に気付いているのか、それとも無視を決め込んでいるのか、用田に「付き合ってください」と続けざま二度目の告白を押し込んでいた。僕が遭遇しただけで、続けざま二度目なだけで、実際のところ何度目の告白であるのかはわからない。この告白がいつからはじまっているのか僕にはわかる術もない。
僕は土田沙織のことが好きだった。そんな彼女が目の前というか、自分の背後で告白していることは想定外だった。だれだって、想定外だと思う。さらに、話はここからで、用田は土田沙織の告白を受け入れなかった。
用田は野球部の万年補欠で、今日の補習は彼のためにあったようなもので勉強だってイマイチだ。話も大して面白くないし、顔だってごく普通、で丸坊主。偏見だが何なら眼鏡だってかけている。
土田沙織はショートカットちゃきちゃき女子といった感じで、雰囲気カワイイ。顔が小さくて、その分目が大きく見える。鼻が小さくて、少し顎が尖って見える。勉強はそこそこで、補習を受ける理由が見あたらなかった。だが、そうか、告白をするためだったのか、と下駄箱前で合点がいったということだ。
「好きになったんだから、しょうがないじゃん」と叫ぶ彼女に、僕もここに居るんですけど、と伝えたい気持ちを押し消すのが難しかった。でもその気持ちはよくわかる。僕が土田沙織を好きになった理由も、実はよくわからない。きっと用田も断る理由も、よくわからないのだろう。
よくわからない理由とよくわからない理由がせめぎあって、付き合うことにもなれば、付き合わないことにもなる。それは、結婚することにもなれば、離婚することにもなるのとはちょっと違う。後者の方はもっと、合理的で客観的な「何か」に基づいて意思決定すると思うからだ。
なんにせよ、好きな人が告白して、コッパミジンにフラれたという現場を貴重な夏休みのしょっぱなに味わうのだ。土田沙織はわざと補習を受けるために赤点を取ったとしたら、その愛の方向性はいかがなものかとは思う。それは正気の沙汰ではないからだ。
用田は野球部員らしく、土田沙織に一礼して、野球部室へと向かって行った。さすがに後ろ目で見るというよりも、その場に立ちすくんでみてしまった。用田は僕に見られていたから、告白を受け入れられなかったのか、だとしたら、用田にも土田沙織にも申し訳ない。でも、僕も今日フラれたようなものだ。
「桜庭君、見てんだ?」
ジージーと蝉がやたらとうるさい。
「見てたというより、見せられたんだよ」
そう言って、この十分ほどそのままだった脱いだ校内用スリッパを下駄箱に戻した。
「じゃぁ、よい夏休みを」
気の利いた言葉など出る余裕もなく、年末の挨拶の夏休みバージョンを投げつけて僕はその場を去った。校門まで速足で歩く。腹が減ったし、悲しいし、みっともないし、とにかく牛丼でも食べよう。お昼代は母さんからもらっているんだし。
「ちょっと、待ってよ」
土田沙織の甘ったるい声に身体が絡め取られる。足がピタッとカサカサの地面に吸い付く。振り返ると石にされそうだ。
「なに?」僕は直立したまま、返事した。
「このあとさぁ、時間ある?」
「というと?」
「だから、お昼でも食べにいこうよ。フラれたんだから、おごってよ」
どういう理屈かわからないが、「フラれた女子にフラれた」男子がお昼をおごるという、夏休みの滑り出しとしては逸話になりそうな出来事が今まさに起こりそうになっていた。
「牛丼だけど」
「ぜんぜんオッケーだよ」
「おごれるほど、お金ないよ」
「じゃぁ、自分の分は出すよ」
「当然」
「私、フラれたんだよ。見てたでしょ」
「僕だって、フラれたんだよ。知らないと思うけど」
思わず口からこぼれ落ちた。
「なにそれ?」
「いいだろ」
「ねぇ、教えてよ。私だけ知られててズルい」
「ズルくない。勝手に見せつけられただけだよ」
「僕だって、見せつけたようなものだよ」
「詳しく、教えてよ」
「教えないよ」
今すぐ恋をして、繁殖をと渇望している、恋愛脳100%の蝉がうるさく感じない。
土田沙織の歩く速さにあわせて、学校裏の牛丼屋を目指した。不思議と緊張もせず、お腹も痛くならなかった。
その後、夏休みの真ん中あたりに土田沙織に告白してみた。よく話すようになったし、何度か二人で出かけた。だが、告白は成功とはいかず、僕は二度フラれたことになった。
蝉がやたらとうるさく感じた。夏はいつ終わるんだろう、僕は窓を閉じた。




