やるな! 吉村
地元の駅前は東口に立ち飲み屋が一軒ある。駅の改札を出て、角にポストと公衆電話がある。その間に路地があり、「たちのみ」と平仮名で赤提灯がぶら下がっている。
中学生の頃、隣駅まで塾に通っていた。東口の改札から出ると、美味しそうな匂いがしていた。夜十時、中学生にとっては遅い時間。今から家で夕飯だが、子どもながらにこの立ち飲み屋に入ってみたいと思っていた。
中学生が立ち飲み屋で、お酒を飲まないにしても入店は無理だ。あれから十年、大学は地元を離れ東京に出たものの就活に失敗し、Uターンで京都に帰って来た。しばらくは実家から通うこととなったのだ。
東京からの荷物は明日届く。昼前には地元の駅に着いた。母には夕方に実家に着くとウソを言っている。というのも、念願の東口の立ち飲み屋に行ってみたかったからだ。ネットで調べると昼前から営業しているらしく、まだ明るいのに赤提灯から橙色の光が揺らいで見えた。
聴いたことのない演歌が流れる店内は、カウンター席と向かいの壁に備え付けられた長板テーブルだった。背中合わせで、合計十人は立って飲める。当然のことながら椅子はなく、意外にも禁煙だった。
この店に来たかったのは、中学時代の憧れだけじゃない。佐々木直美と待ち合わせをしている。インスタで再会した。中学三年生のクラスで同窓会が何度か行われていたらしい。母が同窓会案内のハガキを転送してくれていたが、無精者の大学生だった俺は気づかなかったようだ。
同じクラスメイトだった吉村をフォローし合っていた関係で、佐々木が俺に気づき十年ぶりぐらいにインスタで再会。就職で東京から実家に戻ると伝えると時間を空けずに、飲もうとなった。
お互いに子どもの頃から気になっていた東口の立ち飲み屋にしようとなったわけだ。吉村も誘おうとなったが、子どもが生まれたばかりで無理だとそっけなく断られた。まだ二十二歳で子ども、と驚いたがアイツは中卒で就職したからみんなより人生の一歩が早めなのだ。
佐々木と二人というのは、気まずいといえば気まずい。俺は佐々木直美にフラれたからだ。当時、スマホはあったが今みたいに中学生が持たせてもらうということはほとんどなかった。告白自体も下駄箱か机に手紙を忍ばせて、呼び出して落ち合うと言う形しかなかった。もしくは、自ら呼び出すか。
佐々木は火曜日と金曜日にピアノのレッスンがあると聞きつけていた。吉村が情報源だった。俺は隣駅のそばにある塾に、月曜日と水曜日に通っていた。必然的に木曜日に呼び出そうとなったのだが、その仲介役を吉村が買って出てくれたのだ。
吉村は怪我で部活を辞めて、ピアノを習っていた。佐々木と同じスクールで、学校以外でも顔を合わせるというのが強みだったのだ。学校の机・下駄箱に手紙を忍ばせようものなら、誰かに見つかってからかわれるリスクがあった。呼び出してなんてなおさらだ。中三にもなって、恋愛にうつつをぬかしていると担任からも叱られるのは間違いない。今ならナントカハラスメントになるだろうが。
というわけで、最良の策、親友吉村に佐々木呼び出しの任務についてもらったわけだ。夏休みが明けた、九月七日(木)駅・西口の駐輪場を越えた先にある児童公園だった。遊んでいる小学生は多いが、もし同級生に見つかってもカモフラージュできるのではと根拠なく思っていたのだろう。
学校の帰り、吉村が満面の笑みで、「佐々木来るってよ」と教えてくれた。謝礼として、受験が終わったら遊ぼうと決めていた、ゲームを吉村に貸した。
九月七日木曜日、十七時・西口駐輪場先の児童公園・通称グルグル公園だ。グルグルとらせん状の滑り台がある。この時間でも小学生たちがサッカーにドッジに走り回っている。サッカーコート1/4ほどの大きさだと思う。サッカーはしないけど。
十七時を少し過ぎた。小学生たちは帰り支度を始める。日が暮れるのが早くなってきたからだ。佐々木はまだ来ない。水飲み場で、カラカラに乾いた口を潤す。足が上がっていないのか、夏休みに買ってもらったばかりの黒のスニーカーが砂埃で汚れが目立つ。目立たないようにと家には帰らず、学生服のままだ。
それにしても、どうしてこんな中三の受験期九月に、告白なんてしようと思ったのか。佐々木は大阪の私立を受験すると吉村から聞かされた。吹奏楽部の強豪校らしく、どうしても行きたいのだそうだ。
十九時。すっかり日が暮れた。誰も来ない。時計が狂ってるわけじゃないだろうが、何度も時計を確認した。腹が減った、でも今佐々木が来て、俺が帰っていたら、今度は佐々木が待つことになるんじゃないかと思う。佐々木は今日学校に来ていたし、俺と目が合うと逸らしていたように思う。結局佐々木は来ずで、翌日学校でも見かけたが俺は声を掛けることもなく、吉村経由で呼び出したということもなかったことにして、受験に向かって勉強に励んだ。
スマートウォッチに視線を送る。デジタルが時間を刻む。十二時半だ。待ち合わせは十三時。また佐々木が来ないかもしれない。俺はインスタのDMを確認した。
《もう、飲んでるよ》
とDMが届いていた。店内を見渡す。奥で瓶ビールとモツ煮で飲んでる女性がいた。さっき会計して出て行った手前にいた爺さんたちで、見えなかったのか。
「あ、佐々木?」と間の抜けた声で、近づいた。
「うぁああ、久岡くんやん」抜ける高めの声が懐かしい。
すっと切れ長の目は涼し気で、髪は伸びて肩まであった。中学生時代はショートカットだったと思う。化粧をした顔の女性というのは、当然それなりに見てきたはずだが、子どものころノーメイクだったというギャップ過去があるとなんだか、こっちが照れくさい。どういう感情なのかわからない。
「俺、三十分前ぐらいに来てた」
「私、一時間前かな。少し出来上がり気味」
俺はグラスと中瓶赤星、エビマヨとから揚げをオーダーした。
「若いねーぇ、チョイスが」
佐々木の自軍つまみは、枝豆、モツ煮、カブの漬物だった。
「そっちこそ、渋いよ」と軽口で返す。
吉村経由でもう一度再会できたわけだが、そもそも佐々木は俺を探していたのだろうか? 中学三年生の一年間だけのクラスメイトで、その後高校・大学とは離れている。さほど印象に残ることもないだろうにと思うのだ。もしくは、西口のグルグル公園に来なかったお詫びを十年越しにというわけか?
瓶ビールが二本、三本と勢いよく空になる。佐々木はビール党らしく、生絞りグレープサワーなどという軟弱なアルコール飲料には目もくれない。店にはお札のようにメニューが貼り付けられ、油とホコリ、手書き文字というエッセンスが合わさりなかば呪物のようでもあった。
酔いに任せると決めていた。酔ったら、聴く。酔ってたからと言い訳もできる。俺は卑怯者だ。
「あのさぁ、十年前の九月七日木曜日、俺待ってたんだぜ」
脈絡なく佐々木の耳元で手を当てて言った。店が賑やかになり、未知の演歌と合わさり、声が通らなくなったからだ。
「なに?」
「だから、十年前の九月七日木曜日、どうして来てくれなかったんだよ。来るって吉村から聞いてたんだぜ」
同じことを違う言い回しで伝える。情報量は1.5倍だ。
佐々木は長い髪を器用に縛り、クルクルと巻き上げお団子上にした。少し零れ出たおくれ毛が、妙に色っぽかった。
「行ったわよ。グルグル公園」
「九月七日の木曜日、十七時だぞ」
「二時間待ったわよ」
「俺は三時間近く待った。だが、佐々木はいなかった。それは確実だ」
「西口の、駐輪場越えた児童公園だぞ。グルグルの滑り台のある」
「何言ってんのよ、グルグル公園って言ったら、東口でしょ。グルグルの滑り台が二台ある」
俺が待っていた西口のグルグル公園は、滑り台は一台だ。東口は塾から帰り着いた時に降りる側だ。
塾に行くときは西口のグルグル公園を抜けて、駐輪場に自転車を止める。塾から帰るときは東口から出る。線路下の地下道を通って西口側に行き、駐輪場に向かう。
だから、俺には東口はあまりなじみがなく、せいぜいこの立ち飲み屋の手前ぐらいまでしか行ったことがない。
「佐々木は東口、俺は西口で待ってたってことか」
「あの頃スマホがあったら、すぐ連絡ついたのにね」と佐々木が肩肘をカウンターに乗せ、肘から伸びた手のひらに紅潮した頬を置いた。目線が下から上へ、俺を射抜く。
「東口のグルグル公園、行こっ」
会計を済ませ、佐々木は俺の手を引いて店を出た。誰かに見られたら、といってももう中学生じゃない。大人だ。
立ち飲み屋の路地をまっすぐ進むと、開けた公園に出くわした。これは知らなかった。グルグルの滑り台は一台は修理中と張り紙がされていた。西口よりも狭い。初めて握る佐々木の手は、柔らかくて温かい。
すっかりさびれた公園なのだろう。春休みだというのに、子どもが一人もいない。ベンチに腰掛けると、佐々木は手を握ったまま
「もうさぁ、スマホはあるわけやん。それでも人は行き違いするんやで」
久々にしっかり目の京都弁を耳にすると、安心したのか落ち着いた。
「そやな、そうならんように、ちゃんと伝えあわんとあかんな」
俺の口から自然と京都弁が出る。
「ほな、飲みなおそ」佐々木は俺の手を引いて、立ち飲み屋の前を通り過ぎ、地下道に向かった。西口に出ると、かつての駐輪場はなくなっていて、コンビニと立ち飲み屋が一軒あった。
「こんな店あったっけ?」と尋ねたが
「うっかりこの店で待ってたら、会えなかったかもね」
と少しイジワルそうな顔で、佐々木は答えた。
今度は手をつないだまま、西口の新しい立ち飲み屋に入店した。
三年後、吉村を結婚式に招待したが、三人目が生まれたばかりということで欠席のハガキが帰って来た。
西口のグルグル公園で待ち合わせして、中学生から直美と付き合っていたら、結婚までこぎつけられただろうか。高校・大学と離れ離れになってしまうのだから。
そう考えると、三年前に直美と再会できた方がよかったとも言える。
吉村が当時、直美にどう伝えたのかは問いただしたいところだが、なんだかんだと言って、アイツはキューピッドであることには間違いない。だから、そっとしておく。今度、出産祝いを持って、直美と挨拶に行く予定だ。




