ロマンスをどうぞ
プロでも100%は無理だと聞く。アマチュアなら5%ぐらいの率でしかないだろう。何の話? 貸した金の回収率だ。金は天下の回り物、回るのはいいが俺のところも巡回ルートに入れて欲しい。なんなら、しばらくはとどまって欲しいし、ネコみたいに勝手に増えてて欲しい。
とはいかず、俺は鮎美にかれこれ二十万円近く貸している。借用書は五万円の返済が滞ったあたりで、書くようにした。最初の五万円はしらばっくれられて、返済してもらえそうにはない。
「それはもうキャバ嬢の手口だよ」と涼子は自分の口から出た卑しい職業差別を堂々と主張する。カウンター五席、四人掛けのテーブル三席の、狭い居酒屋で、その主張は宣誓のように響く。
「いや、でも残りの十五万円は借用書があるしさ、これ法的に有効だろ?」
「法学部だからって、法律に長けてるわけじゃないよ。悟だって文学部なのに、小説書けないでしょうに?」
珍妙なロジックを展開してくる涼子は、弁護士よりも検察官に向いていると思う。コイツこそ鮎美とお似合いではないかとすら思う。
「鮎子、もうすぐ来るんでしょ?」
「あぁ、でももう一時間も遅れてる」
油の上に盛大に埃をかぶった壁掛け時計は、八時半を少し過ぎていた。店内は月末金曜日ではあるが、客はカウンターの常連夫婦だけだ。
「もう客はこねぇな」とマスターが暖簾を下げようとカウンターから出てきたが、俺と涼子が「あと三十分待ってもらえませんか? 友達がくるんで」とお願いした。
マスターはもう店を閉めて、飲みたいのだろう。
「だったらさぁ、オレに一杯奢れよ」
これは貸すのではなくて、贈与。
「じゃぁ生三つ、私とコイツとマスターの分ね」
すっかり炭火を落とす準備を始めたマスターは、「おっ、こりゃありがてぇな」と奢ってもらえるとは思っていなかったようだ。
常連夫婦が会計をして、店を出る。マスターはビール片手に、適当に計算して、最後に千円引きとする。適当を値引きで誤魔化すのだ。だが、客が文句を言うことはない。ちょうどそれぐらいだろう、と思える金額だからだ。
三十分待っても鮎美は来なかったので、マスターは暖簾を下げた。すっかりぬるくなった生ビールに、乾いたキュウリの漬物をアテにさもしく涼子と金曜日の夜を過ごす。悪くはないが、どうしてこんなハッとするほどの美人が俺のグチに付き合ってくれるのか。今日にいたっては、借用書を並べて、鮎美から少しでも返済させると息巻いていた。
そもそも、借用書を書けと俺にしつこく提言してきたのは、涼子だ。黒目の割合が大きく、二重の幅が広い。すっと通った鼻筋は、横から見ると圧巻だ。往年の少女漫画のようで、リアリティがない。顎から首はすっきりと輪郭がはっきりするほどのエラが張っている。唇は情に薄そうな平べったい上唇と、面倒見の良さそうなぼってりした下唇。そのアンバランスさに、正面から対峙すると見入ってしまう。
マスターは阪神巨人戦に夢中で、終わるまで居ていいよと、気前がいい。
「飲みたいものあるなら、適当に飲んでくれ、その代わり千円プラスな」
とはたまた気前がいい、まだ六回の表で、0対0。試合終了まで千円で飲み放題ということだ。
《暖簾は下がってるけど、店にいるから入ってきて》とメッセージを送り、すぐに既読がついた。壁掛け時計がボンボン音をかき鳴らす。九時だ。野球中継はどうも延長するらしい。あとの、洋画劇場がのびのびになってしまうということだ。マスターが野球を見ている間は、店にいていいが、こんな時間に閉めて大丈夫なのか。
他人の店の心配よりも自分のことだ。そもそもの話だが、俺はまだ鮎美に会ったことはない。メッセージアプリ上でのやり取りだけだ。動画チャットでは話をしたことがある。
涼子が厨房に入って、勝手につまみを作り始めた。昔バイトしていたとは聞いていたが、実家みたいに好き勝手に料理していいなんて、涼子って人はなにかと距離感がバグってる。
「ねぇ、ネギ嫌いだっけ?」
キムチを炒める酸っぱい香りがぶわっとテーブル席まで届く。いまいち食べていなかったことをアピールするように、腹がぐううと返事する。
「嫌いじゃない」
涼子が手際よく豚キムチを仕上げて、テーブルに置く。マスターの分も小皿に取って、ビールのとなりにそっと置いていた。
「でさぁ、その鮎子ってもう来ないんじゃない」
「さっきから間違ってるけど、鮎子じゃなくて鮎美ね」
人の彼女の名前を間違うなんて、失礼なヤツだ。って、待て待て。果たして鮎美は本当に彼女でいいのか。借用書だって直接サインが欲しかったが、ちょうど会えないからと俺が代筆している。俺が金を貸して、俺が借用書に代筆サインをする。これって……。
「うまくない? この醤油の焦げたところ」
涼子はいつの間にか自分の分だけよそった半ライスを頬張っている。豚肉をバウンドさせた白いご飯に、濃厚なキムチダレが染みこんでいく。
「あのさぁ、鮎美って、本当に来るのかなぁ」
小声で呟いた弱気とぬるいビールを一緒に飲み込んだ。
「そりゃぁさぁ、わかってたと思うけど、いないでしょ」
ロマンス詐欺は定年退職して、やることのなくなった小金持ち爺さんと婆さんだけが狩られるものだと思っていた。涼子の半ライスはいつのまにか、キレイになくなっていた。
俺はハイボールを二杯分作って、テーブルに勢いよく置いた。
「いないんだよね、俺二十万円も貸したよ」
「安くはない授業料だね」
涼子が冷蔵庫からカットレモンを取り出し、手で絞り切った。指にしとしとと付いたレモン汁を舐めている。
「ねぇ、自分のことバカだと思う?」
上目遣いの涼子が、勝ち誇った顔で俺を挑発する。
「あぁ、思うよ」
鮎美からメッセージが届く。
《ごめん、バイトが長引いて行けそうにない。どうしても、お金がいるんだよね。家賃が急に上がっちゃったから》
まだ引っ張れると思ったのだろうか、ツボに入ったのか俺は笑いを堪えきれなかった。おもしろいにも種類がある、笑っているからってなんでも楽しいというわけでもない。
「鮎子、っと鮎美だね。なんて?」
「わかるだろ」
「来れないってのと、お金の無心かな」
「あたり」
俺はジョッキを握りしめ、ハイボールを喉の奥にぶつけるように流し込んだ。
野球中継はほぼ阪神が勝ちを確定した7対0の九回表で終了した。マスターはご機嫌かと思いきや、ラジオ放送を聴き始めた。
「勝ちってのはなぁ、最後までその場にいねぇと、取り逃がすもんよ」
と名言のようでそうでない何かを言い、ラジオの音量を上げた。
「さて、帰る前に、警察にでも行きますか?」
「明日自分で行くからいいよ。酒も飲んでるし」
ラジオに夢中のマスターに言われた分だけまとめて払って店を出た。
外は通り雨でもあったのか、ムシっと暑い。
まだ十時過ぎの金曜日ではあるが、路地裏は人通りもまばらだ。
「割り勘でいいよね」と涼子が財布を出すも、一万円札しかないようで、俺もお釣りが返せるだけの手持ちもなかった。
「あぁ、いいや、釣りもないし、今度で」
「ダメだよ、お金の貸し借りは、友だちでも」
「恋人ならなおさらだね」
ふと出た言葉に、ハッとした。そおっと、涼子の横顔を見る。路地裏を出ると、大通りに出た。
「コンビニでコーヒー買って崩すよ」
五十メートルほど先にあるオーソンへ涼子は駆けて行った。長い髪が左右にふわっふわっと揺れる。その残像が途切れないように、小走りで追いかけていった。




