第2話 終わらない連戦、華麗な小技
――K.O.!
筐体のスピーカーから、勝利アナウンスが響く。
『ヴォルカニック ファイター』の上位プレイヤー兼配信者『うえはーす』こと、上田蓮美が操る相棒は、相手の大学生が繰り出す単調な牽制をかわし、甘えた飛び込みをいとも簡単に落とし、一瞬の隙に最大ダメージのコンボを叩き込んでみせた。
「マジ強ぇ……何もさせてもらえなかった。うえはーすさん、次元が違うわ……」
対面の筐体側を取り囲むギャラリーから、感嘆の声が上がる。
本来なら、地元最強のプレイヤーとしての悦びに浸るべき瞬間だ。
だが、蓮美の視界は、脂汗のせいでわずかに滲んでいた。
レバーを握る左手は、勝利の余韻ではなく、下腹部を襲う凄まじい波を耐えるために、血管が浮き出る程、力がこもっている。
(……っ、ふぅ、……ふぅ……)
椅子に深く腰掛けるスタイルのせいで、デニムのショートパンツが膀胱を容赦なく圧迫し続けている。
一戦ごとに、一気に押し寄せる解放への欲求。
それを括約筋一つで堰き止めるのは、もはや超絶コンボよりも困難な『神業』に近い状態だった。
「あの! 次、僕もいいですか!?」
「おい、ずるいぞ。次は俺の番だろ?」
大学生たちは、礼儀正しく、しかし熱狂的に次のコインを投入しようと列をなす。
その純粋な尊敬の眼差しが、今の蓮美には鋭いナイフのように突き刺さった。
ここで「トイレに行きたいから」と席を立てば、彼らは道を譲って待っててくれるだろう。
だが、その瞬間、彼らの脳裏には『おしっこを我慢できずに席を立った女王』の姿が刻まれる。
もしそれがスマホで撮られ、SNSに『うえはーす、尿意に負けておしっこなうw』とでも書かれたら――。
(……そんな無様な姿、絶対に見せられない)
配信者としてのプライドが、彼女を呪いのように椅子に縛り付けていた。
(ちょっと……ほんのちょっとだけ、……このまま漏らすと、私の人生が終わる……っ)
次の対戦相手がキャラクターを選択して、対戦が始まるまでのわずか十数秒のインターバル。
(今……今しかない……!)
後ろに立つシュウジは、スマホでSNSの反応をチェックしているのか、手元に目を落としている。
蓮美は、腰をわずかに浮かせ、姿勢を正すふりをした。
そして、下腹部の力を、ほんの一瞬だけ緩める。
――じょっ
「っ……!」
熱い、あまりにも熱い感触が、下着で吸収しきれず、繊維を通り抜け、厚いデニムに吸い込まれていく。
『ほんの数滴』が過少申告となる程の量。
膀胱に存在している全体量からすると、わずかとも言える流出が、爆発寸前だった膀胱の内圧を、あともう少し『耐えられるレベル』まで押し戻した。
(だめ、これ以上は……!)
全身を貫く解放感に押し流される前に、全力で水門を閉じる。ショートパンツの股間部分を起点に、お尻側にも、じっとりとした重みと、体温よりも高い熱が居座った。
冷房の風が、湿った布地を冷やし、得も言われぬ戦慄と不快感が蓮美を襲う。だが、背に腹は代えられない。これで、あとしばらくは持たせられる。
相手グループの連コインは二週目が終わろうとしていた。
途中でもう一回だけ緩めることで、更に不快感が増したが、暴発を防いだ。
「ハスミ、すげーな。もう十連勝かよ。……俺、飲み物買ってくるわ。コーラでいいだろ?」
先程の相手を瞬殺すると、シュウジが呑気にそう言って、自販機の方へ歩き出した。
最大の監視の目が消えた。
(まだ……床には、垂れてないよね……?)
蓮美は、スマホを確認するふりをして、足元に視線を落とした。
(やばい……!)
薄暗いゲーセンの床。筐体の影になっていてよく見えないが、ポタポタと、雫が黒いタイルを濡らしているのが分かった。
使用キャラの下段攻撃と同じようなモーションで、右足を、音を立てずに不自然な角度で動かす。
椅子の下の、その小さな『証拠』を、靴底で、音を立てずに、こすりつけるように。
薄く……薄く、平らに塗り広げていく。
ただでさえ汚れや埃でくすんだ床だ。こうして広げてしまえば、ただの影か、あるいは誰かがこぼした飲み物のようにしか見えない。
(よし……隠せた。バレてない……)
シュウジが戻ってきたときには、隠蔽工作は完了していた。
「ほら、コーラ」
「ありがと……」
蓮美は冷たい缶を受け取り、震える手でそれを筐体の脇に置いた。ただ、我慢もショートパンツも限界だ。これ以上『小技』は使えない。
これだけ勝てば、もう十分だろう。
(本当のおもらしになる前に、今度こそトイレへ!)
「次最後にさせてもらうね……!」
向かい側の筐体に向けて、精一杯の声を張り上げる。
だが……
対戦台の反対側に座ったのは、これまでの前座の大学生ではなかった。
『 HERE COMES A NEW CHALLENGER ! 』
チラッと向かい側に座った男の顔を見た瞬間、蓮美の指が、凍りついた。
長身に眼鏡、似つかわしくないピンクのパーカー。
(……鉄鬼!?)
彼は、蓮美が普段からライバル視している、『ヴォルカニック ファイター』のランク上位常連。
ランクマッチでも苦戦している、強豪ガチ勢だ。
「うえはーす、こんなところで何してる。……お前、酒臭いな。手抜いてんのか?」
低い、感情の読めない声。
鉄鬼は、彼女のコンディションなどお構いなしに、上下関係をつけにきたのだ。
大学生たちとは次元が違う。一秒、一瞬の油断も許されない、最悪の乱入。
(……待って。……負けたくない、けど……今だけは、だめ。……今だけは……!)
蓮美の意思とは裏腹に、下腹部の鈍痛は、もはや制御不能の熱を帯びていた。
『 READY... FIGHT ! 』
合図と共に、宿敵の猛攻が始まった。




