アルバとの時間
*
ボクとシャグマは必死に先手を争った。
なぜならボクたちの妻は大変忙しく、毎日と言っていいほど睡眠負債に追われている。
先手から後手になる時には昼食も終わっているはずだから、ボクにはこの結果もわかっていた。
「……くぅ……すぴぃ……はっ……ああ、まだ買い物の途中か……」
立ったまま、妻は器用に寝ている。
黒樫の杖がいい支えだ。普段から錫杖を持ち、目を閉じて脳を休めることもある彼女にとっては、慣れた行為だろう。
肉体も食事で満腹となれば、眠気が起きるのは必死。
血液は脳ではなく、消化のため胃に行くのは誰もが知る通りだ。
妖精は食べたそばから全身に力としてめぐるが、空腹という緊張状態が緩和すれば、昼寝だってしたくなる。
さらに、彼女にとっては本日二度目の買い出しになる。
作成者としてあらかた知っていた場所へ二度も行く行為は、相手が違えども待つだけのため、覚醒するほどの刺激になりはしない。
「……すや……すぴょ…………すぴょろぉ……」
デートの最中に寝るだろうな、とは思っていた。
シャグマも見越していたからこそ、あれだけ先手を喜んだのだ。
しかし実際に目にすると、悲しいことは理解出来るだろう。
ボクが服でも脱いで着替え始めれば破廉恥な妻は飛び起きるだろうが、足装備を新調し、力帯を足して防御力を上げただけでは、ちょっと装備が増えたな、程度の感想にしかならない。ラフィネルも当然、興味がない。
改めて言うが、彼女が悪いわけではない。
……どうにも某公爵が残した領地がごたついたらしい。
他の統治者を受け入れず、国主でありながらラフィネルが治めることで今は事なきを得ている状態だ。
仕事が純粋に増えたため、本を作るのは良い息抜きになったのだろうと微笑ましく見ていた。
「……」
事情を知っているからこそ、もはや指摘すらせず、夢現な妻を道具屋に気付かれぬよう運んだ。
回復薬を買い足して、買い物は終わった。
店の外に出たが、妻は手を引けばフラフラと揺れながらついてくる。
「ラフィネル、終わったぞ。眠いなら横になれる場所で寝るか」
「んーん、いやだ……そうら、抱っこ……抱っこがいい……」
「? いつもの横抱きか」
器用にも立って半分寝ている妻は、首を横に振る。
両手をボクに差し出して「ん」と唸った。
「父様の、抱っこが、いい……して……」
目から鱗とは、このことかと納得した。
妻はシャグマとのデートで『誰も見ていない今だからこそ、普段抑圧している望みを叶えていい』のだと学習したばかりだ。
普段から我が子を抱っこして歩いていると、時折羨ましそうに見ては、自分はもう子供ではないと理性的に諦める妻だ。
照れ臭いが彼女を抱き上げると、大人なのに軽すぎる妖精女王は、ボクに抱きついた。
身長が子供よりは大きいから、肩の上にも担ぎ上げられる形になったのは、ご愛嬌だ。
「子供たちのようにはいかないが……苦しくないか」
「んーん、大丈夫……ふふ、父様の抱っこだ……ああ……アルバの体、あったかいな……」
囁くような小さな声が、くすぐったい。
シャグマとはカフェと公園に行った様子だが……今の彼女なら、このまま街の散歩をしてやる方が良さそうだ。揺れが心地いいのか、子供達もすぐに寝付く。
歩き始めると、夢現のラフィネルがつぶやいた。
「なあ、アルバ……」
「ん?」
「私の父様も……生きていたら……こうして抱っこ、してくれたかな……」
……ボクには何も言えない。
エルタニアの妖精貴族は、四歳ごろまで我が子を乳母に任せきりだ。
ラフィネルが生まれてすぐに亡くなった父親は、公爵家の出身だったとも聞いた。子育てには慣れていないだろう。
すでに亡くなってしまった彼女の父親は、病弱でおとなしかった以外の話を聞かない。
優しかったとは聞いたが……心臓に大きな病を抱えていた彼が、我が子を抱き上げることは出来たのかも、分からない。
「……さあな。考えたが、答えは出ない。
だから今のうちに、ボクの抱っこを味わってくれ。
父様の抱っこは寝心地がいいと評判だ。……君も寝て、疲れをとってくれ」
普段から頑張り屋の妻を甘やかしながら歩くのも、たまには悪くない。
……ラフィネルは、二歳で早くも乳母を離された。
先代女王であった母親には幼い頃から構ってもらえず、寂しい思いは押し込めて生きてきた。
だから我が子には同じ思いをさせまいと、出来るだけ母親として愛情を注いでいる。
そんな彼女がそばにいるだけで幸せなボクは、ギュッと背中を握りしめる指を感じるだけでも、良かったと思える。
「そうか……お前はやっぱり優しいな……クロ……」
小さく、寝入りながらつぶやいた声が。
在りし日を思い出させて、立ち止まっていた。
「……すう……すぴぃ……」
寝入り際で、夢と記憶が混ざったのだろう。
丸めた背中を我が子のようにポンポンと叩くと、ボクはしばらく彼女を連れて散歩した。
……冒険とは程遠い、穏やかな日常だ。
それでもきっと、ボクたちにはこの時間があってよかった。
……小さな妖精姫は、自分が父親に抱っこして歩いてもらえる夢を、見られただろうか。
可愛い妻の寝息が、幸福そうに続く。
賑やかな往来なのに、ボクも愛おしい、その音だけに聞き入った。
*
起きた私は、状況を理解した。
アルバが私を抱っこしながら、街を散歩してくれている。
行き過ぎる日時計が見えたが、集合時間までの猶予はほとんどなく、もはや真っ青になるしかない。
デート中に居眠りしただけでも見限られそうなものなのに、さらに夫に散歩に運んでもらうなど、どこのお貴族様だ。いや女王だが。
慌てて夫を見下ろしたが、私を長く寝かしつけていたのにアルバは平然と歩いている。
「アルバ、悪かった、下ろしてくれ。起きたから今からどこかに行こう。
シャグマも話せばわかってくれる。先手後手を争った理由の最たる凶事が起きたと言えば、あいつは理解が早いから大丈夫だ」
「いや、いい。ボクも快い時間を過ごした気分だ。
今日は情報交換をして、冒険を進めよう」
えー!?
妻を抱っこして歩いていただけなのに、何の良いことがあると言うのか。
慌てる私がわかったらしく、夫は楽しそうに吹き出している。
「では一つだけ聞かせてくれ。
君の父親に抱っこして歩いてもらえる夢は、見られたのか」
「ん? 私の父様にか?
いや……あ、でも……こうしてお前に抱っこしてもらえたことは、夢の中でも幸せだとは思っていた……と、思う……」
優しい兄のような人に、今日は目一杯構ってもらえる。
抱っこして、背中をポンポンと夢見たように叩いて、包みながら守ってもらえる。
そんな幸福な、夢を見た。
温かくて……そばにいてくれるアルバが大好きな気持ちの中で、深く眠ってしまったから……それ以上は覚えていない。
「どこから現実でどこから夢かは分からないが、良い体験であったのは事実だ。
しかしそれは私が良かっただけで、お前にとっての良さではない。
頼む、居眠りの補填をさせてくれ」
「今の話で十分だ。……そうか。いい夢を見られたのなら、よかった」
「なぜ納得しているんだ!?」
訳がわからず狼狽える私が面白いらしく、アルバは笑っている。
集合場所に、そのまま連れて行かれた。
下ろしてもらえたが、膨れる私を見た夫は、やはり上機嫌だった。
「可愛い妻と二人きりの時間を過ごしたんだ。なのに何もなかったことにはならない」
「共に過ごしたとはいえ、いびきをかきながら寝ていただけだぞ。
まさか見限られたのか。だからそんなにデートを拒むのか……っん!?」
必死に弁解しようとしていた唇から、音が消える。
背丈の高い夫が覆い被さって、私の唇を塞いでいる。
口づけが離れると、童顔の夫が唇の端を上げた。
「ボクが興味のない女性にこうして触れたがるのかは、考えてみればいい。
愛しているからこそ、君と過ごせた時間が心から幸せで、今も十分に感じるほど満ち足りている。
なかったことにしないでほしい。……君を大切に抱き上げていた事実も、時間も、何もかもボクの大切な思い出なんだ」
頬にも唇が触れたから、私もそれ以上言うのはやめた。
アルバは満足していて、私も彼に抱っこしてもらえたことが嬉しい。
会話をしなくても、それだけ手をかけてもらえたことも幸福なことだ。
「……じゃあ、せめて、恋人繋ぎしてシャグマを待とう。
私もお前と、そうしたい」
「もちろん。喜んで」
そんな簡単な、しかし愛情に満ちた一言と共に、指が触れ合う。
手が、繋がれる。
大きくてしっかりした手が心地よくて、安心して、彼の腕にも抱きついた。優しく寄り添って、もう片手で頭を撫でてくれるのも嬉しい。
「……ちゃんとお前のことも、好きだからな。
居眠りしたけど、本当だぞ」
「知っている。……ボクも改めて、君のことを恋しく思った」
一体何があったんだ、寝ていただけなのに。
……はっ、そうか。
まさかアルバと、寝言で会話でもしていたのか!?
私の寝言は、詳細でおかしい。
以前も眠りながら余計なことばかり話すのは感じていたから、息を呑んだ。
もはや何も聞かない方が良い。掘り返す方が悪手だ。
判断した私は、アルバと出来る限りくっついて甘えて過ごした。
彼も頭を撫でてくれたり、時折唇を額にくれたり、いちゃついてくれるから十分だった。
そのうち、大勢の人波が来るのを感じた。
アルバも不審そうに顔を上げたが、道具がチンドンシャララとさまざまな音を立てながら歩いてきているような、賑やかさが近づいてくる。
往来の向こうから、大勢の道具を引き連れた男が見えた。
白髪の探検家だ。私たちに手を振っている。
何か言っているが全く聞こえないため会話記録を開いたが、アルバと二人で見た台詞は至極普通だった。
『あれ? ごめん、集合時間より延長してると思ったんだけどな。
お待たせ、アルバ、ラフィネル。情報収集してきたよー』
「おいアルバ、あいつ、今引き連れている団体様をなんとも思っていないのか?!」
「どうやら気にも留めていないらしいな……これも処世術、か……?」
そんな処世術があってたまるか。
状態を様々に調べたが、シャグマに大量の道具たちがついてきているのは事実だ。
……これは、まずい。
状態を調べて解決が必要なことに気づいた私は、隣で団体の動向に警戒している男を見上げた。
「すまないアルバ、手を離そう。
道具たちも冒険者に好意は持てる設定になっているから、私は一度、あの群れを散らさなくてはならない」
「ああ。頑張ってくれ」
新規シャグマ愛好会との戦いは私にしか出来ないと判断してくれたらしく、夫は手を離してくれた。
騒ぎの中心にいる男は、私たちと集合した。
一旦声もなく後ろを示すと、シャグマは困った顔で両手を合わせた。
「ごめん、助けて? 勝手についてきちゃったんだ。
言っても聞かないし、無視しても離れないんだけど……ラフィネルがそういう設定にしたの?」
違う。
彼は世界一の美形のため、私は彼を一人で情報収集になど出してはならなかったのだ。
断っても、人が勝手についてくる男、シャグマ。
彼は本の中の世界ですら多くの道具を引き連れて、集合場所に現れた。




