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第7話 百鬼夜行と七転八倒 (学校祭へ行こう【後編】)

 ()の日、祐子は朝6時30分頃に起床(きしょう)した。いつも、早寝早起きである祐子にしては、随分(ずいぶん)と遅い起床(きしょう)である。いつもであれば、5時頃起床(きしょう)して、愛犬であるラブラドールレトリバーのペスを連れて、朝の散歩に行くのであったが、()の日は、起きられなかった。朝、何度かペスが鼻を(こす)り付けて起こそうとしたにも(かかわ)らず、である。実は、前日、学校祭初日の余韻(よいん)で、祐子、正太郎共に、帰宅してからも、夜遅くまでメールのやり取りをしていたのだった。祐子にしてみれば、いや、正太郎にしてもなのだが、(さぞ)や、胸の高鳴るひと時であったであろう。勿論(もちろん)、お互いに告白す(コク)る様な展開(てんかい)(まで)には、至らなかったものの、正太郎の方から、明日7時30分に渋川橋東(しぶかわばしひがし)交差点で待ち合わせする事と、明日も一緒(いっしょ)に、展示を見て回る事を提案されたのだ。当然(とうぜん)、祐子に、(いな)やは無かった。()くして、祐子は眠れない夜を(むか)えたのであった。眠れない夜、と()う点に()いては、正太郎も同様であった。いや、(むし)ろ、正太郎の方が(はなは)だしかったのかもしれない。正太郎は清水高校入学以来、祐子との距離感は急速に縮まっていたが、正太郎にとっての祐子は、信頼の出来る異性の友達という位置付けであった。(しか)し、先日の桜ヶ丘(さくらがおか)公園への散歩、竜爪山(りゅうそうざん)登山、そして、昨日の学校祭と、明らかに友達以上の感情を持ち始めていた。必要以上に祐子を意識する状況が(とみ)に増えてきていた。つまり、恋愛感情に至り始めていたのだ。此処(ここ)で、心配性の読者の(ため)に明確にしておこう。正太郎は、昨年の十二月の段階で、千春と別れている。と()うより、一方的に振られてしまっていた。今にして思えば、千春も何の(ため)に告白したのか、分からない位である。(おそ)らくは、佳境(かきょう)に入って来た、高校受験のプレッシャーの産物であろうか。はたまた、子供っぽい恋愛感情の延長であったのであろうか。まあ、抑々(そもそも)、千春の告白自体が、とある出来事(できごと)連鎖反応(れんさはんのう)副産物(ふくさんぶつ)であり、()れには、千春にも大いに同情の余地(よち)があるのだが、(いず)れに、二人の関係は終焉(しゅうえん)(むか)えていた。一度のデートも無く、手を(つな)ぐ事も無く、(ただ)、クラスと部活で顔を合わせるだけに過ぎず、3ヵ月後に振られる。それでも、付き合っていたという既成事実(きせいじじつ)だけは残る。元来(がんらい)、異性に対しては(きわ)めて臆病(おくびょう)な正太郎である。()の経験が、彼のATフィールドを。必要以上に強固な物にしていた。そして、祐子に対しては、(おそ)らく、以下の二つの理由によって、踏み込め無かったのであろう。一つは、最近(まで)、彼女が居たにも関わらず、すぐに別の人を好きになってはいけないと()う、童貞君特有の固定観念(ステレオタイプ)。そして、二つ目は、祐子に振られたら如何(どう)しようと()う、極々(ごくごく)、ありふれた、自然な感情である。正太郎は幼稚園にあがる前から、祐子を良く知っている。祐子は、基本、誰に対しても優しく丁寧(ていねい)である。正太郎には、祐子の自分に対する優しさが、特別な物には感じられ無かった。祐子は昔から、正太郎にはこんな感じであった。随分(ずいぶん)と、陳腐(ちんぷ)(たと)えではあるが、丁度(ちょうど)、空気の有難味(ありがたみ)を意識出来(でき)()い様な物である。だから、正太郎が性急(せいきゅう)に告白して、万一、祐子に距離を置かれたらと思うと、(おそ)ろしくて行動出来(でき)()かったのだ。また、()(ほど)(まで)に、今の関係は居心地(いごこち)()かった。最近の祐子との関係は、極めて自然体(しぜんたい)であったし、それが、彼には、()る種の(やす)らぎを与えていたのは、間違(まちが)い無い。()(まま)、今の関係を維持(いじ)出来(でき)れば、正太郎には何の不満も無かった。(もっと)も、多少(たしょう)居心地(いごこち)の悪さは実感している。(たと)えば、手を(つな)ぎたくても()えない、時折(ときおり)、祐子の事が(くる)おしい(まで)(いと)おしくなる。

(世間一般では、()の感情は恋と呼ばれている)

 ()るいは、祐子が他の異性と話していると、(たと)え、それが高志であっても、何だか面白(おもしろ)く無い。

(世間一般では、()の感情はやきもちと呼ばれている)

 ()るいは、時々、祐子の異性を、主に胸だが、妙に意識してしまう。

(世間一般では、()の感情は性衝動(リビドー)と呼ばれている)

 と()った、以前には無かった不思議な衝動(しょうどう)やら、感情に悩まされる事がある。恋を知らない正太郎にとっては、不思議としか()い様の無い感情ではあるが、それを除けば、順風満帆(じゅんぷうまんぱん)な高校生ライフを楽しんでいたと()えよう。とまれ、今日は学校祭二日目である。正太郎は(むぎ)の秋風そよ吹く、陽光(ようこう)(あふ)れる中へ、胸を(おど)らせて待ち合わせの渋川橋東(しぶかわばしひがし)交差点に向かって、軽快(けいかい)なステップを(きざ)(なが)ら、家を飛び出して行ったのだった。


 寝不足だったのは、いずなと敬介も同じである。いずなは、一見(いっけん)自由奔放(じゆうほんぽう)無邪気(むじゃき)に見える行動とは裏腹(うらはら)に、ボストンティーパーティーのメンバーとも、微妙(びみょう)に距離を置いていた。小中学校時代に、想像を絶する孤独を味わったいずなにとって、ボストンティーパーティーのメンバーは非常に居心地(いごこち)の良い仲間達ではあったが、()れでも、いつかは目の前を通り過ぎて行く旅人なのでは、と()疑念(ぎねん)が、常にあった。(したが)って、メンバーの中でもメールを送った事があるのは、祐子と正太郎だけに(とど)まる。(もっと)も、()れも、最初の入学式の時と、竜爪山(りゅうそうざん)遭難(そうなん)の時であり、()の時は、祐子のメールによる一報を受け、仰天(ぎょうてん)したいずなは、折り返し、祐子と正太郎にバッテリーの残量を確認した(あと)、いずなは他のメンバーにラインで呼びかけ、二人に声援(せいえん)を送り続けたのだった。みんなからの声援(せいえん)は、どれだけ、遭難(そうなん)中の二人を勇気づけ、無聊(ぶりょう)(なぐさ)めたか分からない。


 閑話休題(かんわきゅうだい)。敬介がいずなにメールを送ったのは、昨日が初めてである。いずなからは一度も無い。(しか)し、いずなは帰宅後すぐ、敬介にメールを送った。いずなは、今日の感激と感謝を、記録に残しておきたかったのだ。いずなは、今日一緒(いっしょ)に回ってくれた事のお礼を述べ、そして、一緒(いっしょ)に回って、とても楽しかった事、クイズ大会で敬介にとても助けられた事、残念会を(もよお)してくれて、とても(うれ)しかった事を細々(こまごま)(したた)め、最後に、()れからも良い友達でいて欲しいと(むす)んでいた。()れに対して、敬介の返事は()ぐに来た。いずなが(おどろ)く程の早さと量である。敬介は、今日いずなと、二人で回れて、とても(うれ)しかった事、クイズ大会でのいずなは、とても格好(かっこう)良かった事、負けて残念だった事、落ち込むいずなを元気付けて上げたかった事、手を(つな)いで歩いたのがとてもドキドキした事、そして、明日も楽しみである事、最後に、いずなからメールが初めて来て、とても(うれ)しかった事と、今後もこうしてメールを送ってもいいかな? と、遠慮勝ちに()(くく)られていた。いずなは、涙(なが)らに、思わず携帯を()きしめていた。初夏(しょか)夜風(よかぜ)が、いずなの寝室に(さわ)やかに流れ込んで来た。


(ありがとう。とびっきりに優しい、私の初めての、本当の異性(おとこ)のお友達)


 いずなは、喜んですぐに応諾(おうだく)した。そして、()れから、夜更(よふ)けまで10通以上のメールが、清水の街の夜空を飛び()ったのだ。何もメールに(したた)める様な物では無く、他愛(たわい)も無い内容ばかりではあったが、敬介は天にも昇る様な心持(こころもち)だったに相違無(そういな)い。そして、明日の再会を約束し、()の夜を()めたのだった。


 7時20分過ぎ、祐子は約束どおり、渋川橋東(しぶかわばしひがし)の交差点で待っていた。誰が植えたのか、道端(みちばた)紫陽花(あじさい)が、遠慮がちな色彩(しきさい)で咲き乱れている。26分頃、小躍(こおど)りする様な正太郎が、家から飛び出して来て、ポテッとした体型の祐子を見つけると、手を振り(なが)ら声を掛けた。

「祐子ちゃーん。おはよう」

「あっ正ちゃん、おはよう。よく、眠れた?」

「ううん。ちょっと寝不足。昨日、なかなか、寝付けなくて」

「えっ、正ちゃんも? 実は私も。…昨日遅くまで、メールしちゃったもんね」

「うん、祐子ちゃんの事考えていたら、寝付けなくて…」

「あー、ひどい、私のせいにして…」

「ごめんね。さあ、行こうか。今日も楽しみだね」

 祐子は、とびっきりに(かがや)く様な笑顔で(うなず)いた。

「うん」

 二人は、紫陽花(あじさい)(うす)い色合いの花が美しい、いつもの通学路を、学校に向かって歩き出した。


 ()(ころ)、部室では、高志、明彦、ひろみ、凛子が、他のメンバーの到着を待っていた。真っ先に飛び込んで来たのは、昨日の帰り(ぎわ)とは打って変わって、ご機嫌(きげん)ないずなだった。

「ムッキーッ、おっはよー」

「えっ、いずな。…おはよう」

 ひろみは、(あま)りにも普段(ふだん)どおりのいずなに驚いた。凛子も心配そうに()った。

「ちょっと、あんた、大丈夫(だいじょうぶ)なの?」

「…?」

 ひろみも、心配そうに口を(はさ)む。

「だって、昨日、帰り(ぎわ)、元気無かったし…。昨日、凛子と二人でメールを出そうとしたのよ。…高志に止められたけど」

「当たり前だろ。敬介がついてんだ。俺達(オレたち)が出る幕なんぞ無いだろ」

「でも、いずな、何か心配事があったら相談してよね。仲間でしょ」

 と、ひろみが()えば、凛子も続く。

「本当よ。昨日のあんたの様子(ようす)は、只事(ただごと)じゃ無かったわよ。力には成れないかもしれないけど、()ってくれないと、友達面(ともだちづら)してられないわよ。ねえ、明彦」

「ああ、元気が無い、いずなは、いずなじゃないぜ。いずなは、ボストンティーパーティーのムードメーカーだからな」

 いずなは、みんなの顔を見回した。みんな優しく、そして、温かく頼もしい仲間達である。目頭(めがしら)に熱い物が込み上げて来た。いずなは、懸命(けんめい)に、涙を(こら)えると()った。

「本当に、ありがとう。でも、朝からみんなで泣かせるのは、反則だよ」

 いずなは涙を(ぬぐ)うと、みんなに()った。

「もう、大丈夫(だいじょうぶ)だよ。本当に、ありがとうね。みんな」

 それを聞いたみんなは安堵(あんど)し、にこやかな表情を浮かべた。いずなは、周囲から拒絶(きょぜつ)されていた、(つら)く悲しい小中学時代が思い出された。(まった)く、(なん)()う違いだろう。

(ケースケだけじゃない。私、みんなと距離を置く事なんて、絶対に出来無(できな)い)

 いずなは、生まれて初めて、家庭以外で居場所を見つけた様な気がした。(やが)て、欠伸(あくび)をし(なが)ら、敬介が入って来た。いずなのべそをかいたような顔を見咎(みとが)めて、心配そうに声を掛けた。

「おーっす、あれ、いずなちゃん。如何(どう)かしたの?」

如何(どう)もしてないよ。もう、ケースケが遅いから、心配してたんだよ。あれ、そう()えば、ゆうちんと正ちんも、()だ来て無い」

 敬介が答える。

「ああ、正太達なら、先刻(さっき)下駄箱(げたばこ)(ところ)で会ったよ。もうすぐ来ると思う。何か、二人とも、(すご)()雰囲気(ふんいき)だったぞ」

 凛子が思い出した様に、

「そう()えば、昨日(きのう)、あの子達、清水駅前を歩いていたわよ。仲良く手を(つな)いでマックに入って行くのを見たわよ」

 ひろみが流眄(ながしめ)でニヤニヤし(なが)ら、凛子の話を聞き入っている。

「へー、祐子たちがね。あの晩熟(おくて)コンビが、なかなかやるじゃない」

 すぐさま、正太郎と祐子が入って来た。

「うーっす」

「あっ、みんな、おはよう」

 高志がニヤニヤし(なが)ら、早速(さっそく)、茶々を入れる。

「おっ、来たな。聞いたぜ、正の字。昨日駅前を、手を(つな)いで、二人で歩いていたんだってな」

「えっ、いやっ、何かの見間違いじゃ…」

「照れるな、照れるな。駅前のホテルに入って行くのを見た(ヤツ)がいるんだよ」

 正太郎は顔を真っ赤(まっか)にして答えた。

「えっ、いっ、行ってねーよ。そんな所」

 凛子がすかさず聞き(とが)めて、(たしな)める。

「こら、私はそんな事、()って無いでしょ。マックに入るのを、見たって()っただけで…」

「まったく、もう、高志君は」

 祐子も、真っ赤になりつつも、高志を(とが)める。(しか)し、祐子は(とが)(なが)らも思った。やっぱり、正ちゃんとの事を(はや)されると、ちょっと(うれ)しい。だが、素知(そし)らぬ顔で提案した。

「ねえ、今日は何処(どこ)まわる? とりあえず、みんなでまわらない?」

「えっ、私はいいけど」

 ひろみが驚いて()った。横から、いずなも続く。

「そうだよね。最初はみんなでまわっても。ねえ、ケースケ、いいでしょ?」

勿論(もちろん)だよ」

「凛子たちは?」

「私達も、そうねえ、明彦かまわないでしょ?」

「ああ」

「ムッキイ、じゃあ、決定ね。何処(どこ)から行こうか?」

 凛子がプログラムを見(なが)ら、

「そうね。9時から茶道部(さどうぶ)がお茶会をやるって」

「ムッキー、じゃあそれで決定。わあい、お抹茶(まっちゃ)だあ」

 一向はぞろぞろと茶道部(さどうぶ)の教室へ向かったのであった。


 突然、敬介が素っ頓狂(すっとんきょう)な声を上げた。

「あれ、お化け屋敷が閉鎖(へいさ)になってる」

「あ、本当だ。如何(どう)したんだろ?」

 祐子が(いぶか)しむ。いずなはキーキー声を上げる。

「ウキー、当然だよ。あんなセクハラ屋敷。でも、一体(いったい)如何(どう)したんだろ?」

 高志がニヤニヤし(なが)ら、

「あれじゃねーか。おっぱいを(さわ)ったり、()んだりしてたのがばれて、当局の手入れを食ったんじゃねーか? (あま)りにも、悪辣(あくらつ)で、えげつないってんで」

 ひろみが(にべ)も無く吐き捨てた。

抑々(そもそも)、おっぱい(さわ)ったのも、()んだのも、あんただったけどね」

 高志が(あわ)てて、沈静化(ちんせいか)に走る。

「あのう、ひろみさーん。もうしませんから」

「当たり前でしょ。今度やったら、本気で(あご)(くだ)きに行くからね」

 そのやり取りを、後ろで聞いていた正太郎は祐子に(ささや)いた。

「ねえ、祐子ちゃん。高志とひろみ、すごく雰囲気(ふんいき)()いよね」

 祐子もニコニコし(なが)(うなず)く。

「うん。本当だね。すごく()いよね」

 高志が怒りの形相(ぎょうそう)で、後ろを振り返り(なが)ら、(さけ)んだ。

何処(どこ)がだよ。今度、おっぱい触ったら、(あご)粉砕(ふんさい)するって、予告してやがるんだぞ。(オレ)如何(どう)すればいいんだよ」

「触らなきゃいいんじゃないのか?」

「そうはいくか。お前だって、祐子ちゃんの胸を(さわ)ってみたいって、思ったことが、一度も無いって事は無いだろ?」

「そりゃ、まあ…」

 そう()うと、正太郎はちらりと(となり)にいる祐子の大き過ぎる胸元を見つめた。すぐさま、祐子は両腕で胸元を隠すと、

「もう、正ちゃんのエッチ。何処(どこ)見ているのよ?」

「…あっ、ごめん。…こら、高志、お前が詰まんねー事、()うから、祐子に怒られちまったじゃねーか」

「でもよ、これこそ、男のロマンだろ。あいててて…」

 ひろみが高志の耳たぶを引っ張りあげ(なが)ら、

「なーに、バカな事ほざいてんの。人様に迷惑掛けてんじゃ無いわよ。さっさと行くわよ」

「あいたたた…」

 高志はひろみに耳を引っ張られて、スタスタと行ってしまったが、正太郎は、(みずか)らの視線の置き所に困る様になってしまった。元来(がんらい)、女性に対して極めて内向的(ないこうてき)である正太郎は、(たと)え、祐子であっても、まともに眼を見て、話をしたりは出来(でき)無かった。視線を少し(はず)して、(うなじ)だったり、胸だったりを見(なが)ら話をしていたのだが、それも、妙に意識してしまうようになってしまった。(となり)を見れば祐子がいるのに、見るに見れなくなってしまったのだ。思えば、祐子とは幼稚園に上がる前からの付き合いである。当然(とうぜん)一緒(いっしょ)に手を(つな)いで歩いた事もある。小学校低学年位までは、そうして、学校に行っていたし、祐子の家で、何度か一緒(いっしょ)にお風呂に入った事もあった。勿論(もちろん)、胸などは今みたく(ふく)らんではいなかったが、異性として意識した事など、まるで無かった。()る意味、昨日のクイズ大会ですら、異性としての意識ではなく、幼馴染(おさななじみ)としての意識であったかもしれなかった。(しか)し、今、はっきりと分かった。祐子の事が(いと)おしいと。正太郎は、祐子を女性として、初めて意識したのだった。

「正ちゃん、如何(どう)かしたの?」

「えっ、いや、何でも無いよ」

 正太郎は、顔を赤らめ(なが)ら、多少(たしょう)吃音(どもり)つつ、答える。

「そう、…変なの」

 ポッチャリとした祐子は首を(かし)(なが)ら、ニコニコして応じた。まるで、正太郎の狼狽(うろた)えの原因を、見透(みす)かしているかの様であった。


 茶道部(さどうぶ)展示(てんじ)は校舎3階の教室であった。六畳(ろくじょう)(たたみ)を敷き詰め、即席(そくせき)茶室(ちゃしつ)(しつら)えてあり、中には二人程の先客がいた。いずなが部屋に入るなり声を上げた。

「あっ、でこぼこコンビだ」

 六助と一平である。六助が憮然(ぶぜん)として、反発する。

「誰がでこぼこだ」

 高志が(たず)ねた。

「お前らは、何やってんだよ」

「いや、お化け屋敷に行ったんだが、閉鎖(へいさ)されていてな…」

 六助が答える。高志が六助に聞いた。

「おお、それだ。何で閉鎖(へいさ)されたんだよ。一体全体(いったいぜんたい)、何があった」

「ああ、(なん)でも、怪我(けが)人が続出したらしい。(なん)でも、怒った姉ちゃんに、()()かれて、()()かれた奴や…」

 敬介が素っ頓狂(すっとんきょう)な声を上げる。

「あっ、それ、いずなちゃんだ」

「ムキーッ、何、失礼な事、()ってんの、ケースケ。胸とお尻触られたんだよ」

 いずなが、真っ赤になって反論するが、すかさず、六助が突っ込む。

「胸なんて、ねーじゃねーか」

「ムッカーッ、六助、失礼。それに、()()いたんじゃないよ。あれは、南斗水鳥拳だよ」

「なーにが、南斗水鳥拳だ。他にも往復ビンタ食らった(やつ)や…」

 明彦が声を上げる。

「あっ、凛子さんだ」

「何、()ってんのよ。此方(コッチ)は、胸、触られたのよ。それにあれは、北斗残悔拳よ」

「あと、体当たりされた(ヤツ)とか…」

 正太郎が困惑(こんわく)した様な顔で、祐子に話し掛ける。

「祐子ちゃん、確か、体当たりして逃げてったよね」

 祐子が()まして答える。

「違うよ、あれは蒙古覇極道だよ」

「あと、(きわ)めつけ。『(なん)てえ事すんのよ。』とか、()(なが)ら、正拳突きを入れて、逃げてった(ヤツ)…。やられた先輩は完全失神KOで、後ろに倒れて後頭部を強打したって話だぞ」

 ひろみが気色(けしき)ばむ。

「何、()ってんのよ。此方(こっち)は、(おっぱい)()まれたのよ」

「でも、(さわ)ったのも、()んだのも、高志なんだろ」

 正太郎が突っ込む。

「うるさいわね。それに、あれは、(ただ)の北斗残悔積歩拳よ」

「って、結局、全部おめーらの仕業(しわざ)かあ」

 ひろみが憤然(ふんぜん)として、六助に食って掛かる。

「何よ、此方(こっち)は、(おっぱい)()まれたのよ。それも、かなり、執拗(しつよう)に。挙句(あげく)()てに乳首(ちくび)まで(つま)まれたんだから」

「だから、高志だろ、それ」

 ニヤニヤし(なが)ら突っ込みを入れる正太郎に対し、(あわ)てて事態(じたい)収拾(しゅうしゅう)(はか)る高志。

「まあまあ、正太、()(けん)はだな、内密(ないみつ)に。と()うか、(あま)り、()(かえ)さ無い様に…」

「それじゃあな。あんまり、3年生をいじめるなよ」

 そう()うと、六助と一平は去って行った。

「ムッキー、でこぼこブラザーズ、()いたい事だけ()って、行っちゃった」


 ボストンティーパーティーの面々は、茶道部(さどうぶ)茶室(ちゃしつ)を出た。ひろみが伸びをし(なが)()った。

(さて)と、次は何処(どこ)に行こうか?」

 矢庭(やにわ)に、祐子が、ニコニコしながら、フラフラと(となり)の教室に入って行った。凛子が(いぶか)(なが)ら、()った。

「書道部?」

「書初め大会だって」

 いずなもニコニコし(なが)()った。ひろみも、楽しそうに続く。

「面白そうね、参加してみようか?」

 書初め大会は参加費5百円で、書初め用半紙に漢字4文字熟語を書くといったものだった。(ただ)し、漢数字の入った熟語でなければならない、というルールである。凛子がみんなに聞いた。

「誰か、字が上手(うま)い人いたっけか?」

「うーん。ゆうちんが上手(じょうず)だよ」

「うん、祐子ちゃん、すごく達筆(たっぴつ)だよ」

 正太郎も()()う。(しか)し、祐子は首を(たて)に振らない。

「私、()()うの、恥ずかしいし…。凛子ちゃん、上手(じょうず)でしょ」

「ちょっと、祐子。適当な事、()わないの。いずなは?」

「ムキー、何、()うの凛子っち。いずなはお習字は苦手で…」

「ちっ、仕方(しかた)ねえな。俺がやろう」

 高志が、財布から五百円を取り出し(なが)ら、宣言する。凛子が、(はなは)だ疑わしげな眼差(まなざ)しで、祐子に小声で、(たず)ねる。

「ねえ、高志って字が上手(うま)いの?」

「私の口からは何とも…」

 咄嗟(とっさ)に祐子が口篭(くちごも)る。横合いから正太郎が、ニヤニヤして()()える。

蚯蚓(みみず)が酔っ払って、のたくった様な字だよ」

 明彦も不安気(ふあんげ)な表情で、横から続く。

「おい、何だか、地雷臭しか、しないんだが…」

(やかま)しい! あれ、何だ。まーた、お前らか」

 見ると、目の前の(しつら)えた畳の上に、でこぼこコンビの一平が殊勝(しゅしょう)らしく正座している。(かたわ)らにいる六助が代わりに答えた。

「ノッポ君が書初め大会に出場するんだよ。お前こそ如何(どう)したんだ?」

(オレ)が出るんだよ」

 高志が鼻息(はないき)荒く答える。

「お前が? あの字でか? …()れは、随分(ずいぶん)度胸(どきょう)があるなあ」

(やかま)しい。お前らこそ、一体(いったい)(なん)なんだよ」

「だーから、一平が出るんだってば。昨日(きのう)も、()ったろ。あいつ、書道五段なんだよ。…一応」

「そういや、昨日(きのう)、そんな(たわごと)ほざいていたな。ありゃあ、冗談(じょうだん)じゃ無かったのか?」

 祐子が横から口を出した。

「本当だよ。一平君のお母さん、書道の先生なの。私や、正ちゃんや六助君や康代ちゃん、小さい頃、一平君の(ところ)の書道そろばん教室通っていたもの。一平君、すごく字が上手(じょうず)なんだよ」

「へー、人は見かけに()らん物だな」

 黙って目を(つむ)っていた一平が、突然、くわっと目を開いたかと思うと、書初め用半紙に、さらさらさらっと一気に書き上げた。

「確かに上手(じょうず)よね。でも、何これ?」

 凛子が(つぶや)く。

『犬も歩けば棒に当る』

 六助が真っ赤になって()える。

「だーっ、テメエ、何やってんだ。いろはカルタじゃねーんだぞ。数字も入ってねーし」

「あっ、そうか」

「そうかじゃねえだろ。真面目(まじめ)にやれ」

 高志が、横から、腹を(かか)(なが)ら、

「だったら『泣きっ面に蜂』なら、いいんじゃねーの。8が入っているし…」

「おう、それだ」

 そう()うと、一平はさらさらさらっと書き上げた。

『泣きっ面に八』

「わーっ、また、てめーは。抑々(そもそも)、ルール分かってんのか?」

「だから、数字を入れた」

「数字を入れればいいってもんじゃねーぞ。大体(だいたい)、四文字熟語じゃねえだろ。いー加減(かげん)、いろはカルタから離れろよ。二枚も無駄(むだ)にしやがって…」

「あっ、そうか…。でも、俺、平仮名(ひらがな)の方が好きなんだよなあ…」

 高志が腹を(かか)えて、のたうっている。ひろみが声を掛けた。

「さあ、あんたも、いつまでも笑ってないで、そろそろ書きなさいよ」

「おう、そうだな」

 高志が半紙に向かい、さらさらさらっと書き上げた。

一期一会(いちごいちえ)

 凛子が(あき)(なが)()った。

「お題は()(かく)、汚い字ね。本当に、蚯蚓(みみず)が頭打って、のたくった様な字ね。抑々(そもそも)()れで、良く出ようと思ったわね。…度胸(どきょう)が有るというか、何も考えて無いと()うか…」

「ムッキー、本当に、物の見事(みごと)金釘流(かなくぎりゅう)だねー。書体(しょたい)に、人間性が(にじ)み出ているよね」

「やかましい。滅茶苦茶(めちゃくちゃ)()いやがって。くそー」

 ひろみが、高志を(かば)う様に()った。

「もう…。ちょっと、練習しなさいよ」

 一方、一平は気持ちを切り替え書き上げたのが、

五十歩百歩(ごじゅっぽひゃっぽ)

 正太郎がニヤニヤし(なが)ら、

「惜しい。五文字だ」

「あーっ」

 続いて、

『一日一膳』

「おー、(ようや)く、完成だな」

 六助がほっとして歓声(かんせい)をあげたが、祐子が顔を赤らめ(なが)ら、遠慮がちに指摘する。

「でも、六助君。字が違っているよ。善の字は、にくづきがいらないよ」

 六助がすかさず、()える。

「あーっ。何やってんだ。てめーは。断食ダイエットじゃねーんだぞ。あと、一枚しか無いぞ」

 一方、高志の方は、二枚練習したものの、一向にうまく書けず、(ごう)()やしたひろみが、

「もう。全然(ぜんぜん)上手(じょうず)にならないじゃないの。ちょっと、どきなさい。あたしが書くから」

 ひろみが、さらさらさらっと書き上げた。

「どうよ」

切磋琢磨(せっさたくま)

 高志がしげしげと見(なが)ら、

如何(どう)って、確かにうまいけど、数字は?」

「あっ」

 高志がニヤニヤし(なが)ら、

「何だ。ひろみも一平と同レベルって事だな」

「何よ。ちゃんと七が入っているでしょ。切という字に。…駄目(だめ)かな」

「ばかやろう。駄目(だめ)に決まってるだろう。大喜利(おおぎり)やってんじゃねーんだぞ」

「うるさいわね、もう。まだ、一枚あるわよ」

「お題は如何(どう)するんだよ?」

「『百戦練磨(ひゃくせんれんま)』。これしかないでしょ」

「また、難しいお題を…」

 (しか)し、()の直後、悲劇は起こったのだ。勢い良く書き始めたひろみの後ろで、いずなと祐子が『どろろ』の話で盛り上がっていたのだが、つられたひろみが『百鬼』とかいてしまった。高志が狼狽(うろた)える。

「あーっ、何やってんだよ」

「百鬼丸様の事を考えていたら、つい…。如何(どう)しよう」

「なーにが、百鬼丸様だ。よーし、こうなったら…」

 高志はそう()うと、そっとひろみに耳打ちした。ひろみは(うなず)くと、さらさらっと続きを書いた。

百鬼夜行(ひゃっきやこう)

 凛子が眉間(みけん)(しわ)を寄せて、

「確かに、豪快(ごうかい)で、()れでいて、上手(じょうず)だし、四文字熟語だし、数字も入っているけど…」

 明彦が、(あき)(なが)()った。

「新年早々、こんな書初めのお題は無えだろ。早速(さっそく)、地雷を()()きやがったな…」

「う、うるさいわね」

 (しか)し、いずながニヤニヤし(なが)ら、

「ムッキーッ、でも、(となり)も何かすごい事になってるよ」

七転八倒(しちてんばっとう)

 正太郎が腹を(かか)えて笑っている。高志が驚いて(さけ)ぶ。

一体(いったい)、何が起きたんだ」

 祐子が困った様な顔で()った。

「一平君。本当は『七転八起(しちてんはっき)』って書こうとしたの、でも、起の字が分からなくなって、そうしたら、六助君がにんべんに到着の到だって…」

「どはははは、やっぱり、()いコンビだぜ。お前ら」

「やかましい。ちょっと、勘違いしただけじゃねーか。それに、確か一平、今年の正月に餅を食い過ぎて、ダウンしていたし…。まあ、仕方(しかた)がねえ。これを機会に、一平を七転八倒(しちてんばっとう)斎と命名しよう。なんか、逆刃刀を持った人斬りみたいだろ。アニメ化の話もあるかもしんねえ…」

「…うるさい。如何(どう)すんだよ。六」

仕方(しかた)ねえだろ。条件には、あっている。これで出すしかねえだろ。おい、一平、そろそろ、野球部の試合見に行こうぜ。じゃあな、お前ら」

 ひろみが(あわ)てて聞いた。

「ちょっと、あんたたち、結果は見ていかないの?」

「結果発表は13時って書いてあるぜ。そんじゃあな」

 六助と一平が去って行った後、明彦と凛子が済まなそうに()った。

「俺と凛子はそろそろ行くよ。物理部を見てみたいんだ」

「ごめんね、みんな」

 凛子が済まなそうに()うと、祐子がニコニコし(なが)ら提案した。

「それなら、お昼に、また、集まらない? 昨日みたく、キャトルで。12時に」

「おう、了解(りょうかい)だ」

「それじゃあ、一旦(いったん)解散な」

 みんなが三々五々(さんさんごご)、散会して行った。祐子は正太郎に()った。

(さて)、正ちゃん。次はどうしよう」

「祐子ちゃんは?」

「うーん。写真部を見てみたいな」

「分かった。それ、行こうよ」

「正ちゃんは? 見てみたい展示(てんじ)は?」

「そうだな。天文部かな」

「じゃあ、写真部の後、天文部だね」


 12時過ぎ、キャトルに全員集合した。各自(かくじ)、思い思いの展示(てんじ)満喫(まんきつ)し、大いにご満悦(まんえつ)だった。祐子が正太郎に、

「天文部の『パソコンdeプラネタリウム』が、結構(けっこう)面白(おもしろ)かったよね。それに、とても、綺麗(きれい)だった」

「うん。本当だよね。すごく()かった」

「へー、面白(おもしろ)そう。私も後から行ってみようかな」

 ひろみも、興味深げに(うなず)くと、食事をし終わった(ころ)、高志が、

「そういや、正太、()(あいだ)風疹(ふうしん)やったじゃねーか」

「ああ」

「俺、小六の最後にやったんだが…」

 ひろみが、思い出した様に()った。

「そう()えば、そうね。私も()(ころ)やったわね」

「ムキーッ、流行(はや)ってたもんね。いずなも()(ころ)だよ」

「ああ、それについて、聞くも涙、語るも涙の話があるんだよ」

一体(いったい)(なん)なのよ」

 そう()って、ひろみが先を(うなが)した。それを受けて、高志が(おもむろ)に語りだした。

「実は、()の日、卒業式の練習だったんだが、朝から体調が悪くてな。(なん)だか、異様(いよう)悪寒(おかん)がしたんだ。それで、保健室に行ったんだが、保健室の壁に、『保健ニュース』とかいう、写真入りのトピックスが貼ってあってな。()の写真と症状が同じなんだ。赤い発疹が出ていてな…」

「へーっ、丁度(ちょうど)風疹(ふうしん)の記事が出てたんだ…?」

「いや、タイトルは、『気をつけよう。(こわ)い梅毒』って、タイトルだったんだが…」

「…」

「熱も37度5分程あったから、家に帰されたんだ。()れで、家に帰ってから、お袋に、『母ちゃん。(オレ)、梅毒かもしれねえ』って、()っちまったんだ…」

 明彦は、驚いて目を(みは)る。

()ったのか? お袋さんに? 地雷(どころ)の騒ぎじゃねーぞ」

「ああ…」

 ひろみといずなは、懸命(けんめい)に笑いを(こら)(なが)らも、神妙(しんみょう)面持(おもも)ちで(たず)ねた。

「で、如何(どう)したのよ」

如何(どう)も、()うもねーよ。熱でフラフラの(オレ)を前に、お袋が、まず、『高志、此処(ここ)に座りなさい』から、始まって、『それで、身に覚えはあるの?』と、来たもんだ。あの当時、クラス内で、風疹(ふうしん)猖獗(しょうけつ)(きわ)めていたからな。其処(そこ)で、『ある。クラス内で流行(はや)っている。多分(たぶん)(となり)の席の美代ちゃんからうつされた』って、答えたんだ」

 ()の瞬間に、ひろみといずなが噴出(ふきだ)した。凛子は(すで)に、腹を(かか)えている。凛子が、

「ひー、お腹が(よじ)れて苦しい。()の美代ちゃんも災難ね。だけど、保健体育で習ったよね。あんた、居眠りでもしてたの?」

「覚えてねーよ。まだ、雄蕊(おしべ)雌蕊(めしべ)も良く分かっていない、前の日まで、動森やら、ポケモンパールをやってた()い子だぞ。ただ、子供心に、お袋との会話の中に、何か重大な齟齬(そご)が有るとは感じたんだが…」

 正太郎も噴出(ふきだ)(なが)ら、

齟齬(そご)(どころ)の騒ぎじゃないだろ。()れで、如何(どう)したんだ?」

如何(どう)も、()うもねーよ。お袋は、()の日から、泣き(なが)ら仏壇に向かって、拝んでやがるしよ。鐘なんぞチンチンならして…。(オレ)(オレ)で、熱が高くて完璧にダウンしちまうしよ。まあ、近所の内科で風疹(ふうしん)って診断が下ったんだが…。でも、()の時も、ワッセルマン反応検査とやらを…」

 ついには、祐子までもぷーっと噴出(ふきだ)した。

「あっ、ごめん、高志君。笑っちゃいけないのに…。それで、その…、誤解は解けたの?」

 高志は頭を()(なが)ら続ける。

「あっ、ああ、熱が下がった頃に、親父が兄貴を連れて俺の部屋に来てな、『男同士の大切な話をしよう』とか、()いやがってな」

 其処(そこ)で、女子勢がまた、プーっと噴出した。最早(もはや)神妙(しんみょう)面持(おもも)ちを維持できなくなったひろみが、腹を(かか)(なが)(さけ)んだ。

「それで、如何(どう)したのよ。早く、続きを話しなさいよ」

「おう、其処(そこ)で、親父に、保健室で保健ニュースを見た話をしたんだ。()の写真と症状が同じだったてな。そうしたら親父が、(ひど)小難(こむずか)しい顔をしてな。『高志。赤ちゃんって、如何(どう)したら産れるか知ってるか?』って、聞くんだ。だから、『父ちゃんと母ちゃんが仲良くしてると、ご褒美(ほうび)にコウノトリが連れてくるんだろ』って、答えたら、其処(そこ)にいた、親父と兄貴が、二の句を継げない程、大爆笑しやがってよ…」

「ムッキー、高志。かーわーいーい」

「やかましい。そうしたら、親父の(やつ)、ゲラゲラ笑い(なが)階下(した)に行っちまってよう。くそ、何が『男同士の大切な話をしよう』、だ。()(あと)、泣き(なが)ら、一心不乱(いっしんふらん)にお経を(とな)えていた(はず)のお袋が、(オレ)の部屋にゲラゲラ笑い(なが)()け上がって来てな、『あんまり、親に心配かけるんじゃないよ。()のバカ息子』とか、()って、頭をひっぱたいて、また、ゲラゲラ笑い(なが)階下(した)に下りて行っちまった…。兄貴は、兄貴で笑い過ぎて、息も出来(でき)無くて苦しんでるし…、結局、家族からは何の説明もない(まま)にな。くっそー、あれ程の疎外感(そがいかん)を感じたのは、人生初だったぜ。おまけに、小学生にして、ワッセルマン反応検査を受けると()屈辱(くつじょく)を…あれっ?」

 高志が、気がつくと、全員笑いすぎて、息絶え絶え(たえだえ)になっている。高志が真っ赤になって()える。

「なんだ、おめーらまで。失礼な(ヤツ)らだな」

 (かろ)うじて、呼吸を整えた明彦が()った。

何処(どこ)が、『聞くも涙、語るも涙』の話だ。草しか生えてねえだろ」

「何を()いやがる。大人への階段の途中に有り勝ちな、青春の蹉跌(さてつ)って(ヤツ)だろ」

 正太郎も(あえ)(なが)ら、()()けた。

「なーにが、青春の蹉跌(さてつ)だ。文学的な雰囲気(ふんいき)(かも)し出してんじゃねえ。(ただ)のバカ話じゃねーか。石川達三先生に謝れ!」

「くっそー、何が悔しいって、敬介(あた)りに笑われるのが一番悔しいぜ。やい、敬介。お前は、梅毒って知っていたのかよ」

「へっ、残念だな。高志。(オレ)は知っているぜ。多分(たぶん)、高志が見た健康ニュースな。同じ奴だと思うんだが、俺の学校にも貼ってあってな、家に帰って、早速(さっそく)、お袋に聞いたんだ」

 明彦が再び目を(みは)る。

「まさか、お前も聞いたのか? お袋さんに? バカばっかりじゃねーか。お袋さんに同情するぜ」

 いずながほほを赤らめ(なが)ら聞いた。

「それで、ママは教えてくれたの?」

「ああ、ちゃんと教えてくれたぜ。何でも、梅の木には、毒があって、当るとああ()う発疹が出るんだって。『結局、美しい花には毒があるって事だ』とか、()ってた。だから、()れ以来、俺は梅の木には近づかないようにしてるんだ…。あれっ」

 再び、全員、大爆笑。敬介だけがきょとんとしている。凛子が腹を(よじ)(なが)()った。

「ほーら、やっぱり、小学生が誤解してた。いずな。あんた、ちゃんと教えてあげなさいよ。()も無いと、()の子、またテストで書くわよ」

「えーっ」

 いずなはぶうたれる。(しか)し、顔を赤らめ(なが)らも、敬介に耳打ちした。

「ケースケ、あのね、……」

 敬介の顔が見る見るうちに、耳の付け根(まで)()()()まって行く。それを見ていた高志があざ笑う。

「どははははー。やっぱり、敬介だぜ。期待を裏切らねえ」

 ()れを見ていた、ひろみが(たしな)める。

「何を()ってんの。あんただって同じ穴の(むじな)でしょ」

「何を()いやがる。俺のは(すで)に過去完了形だけど、敬介のは現在進行形だぞ」

「やかましい。くっそー、(かあ)ちゃんめ、()加減(かげん)な説明で、(オレ)(たばか)りやがって…。赤っ恥(あかっぱじ)かいたじゃねーか」

 いずなが優しく(たしな)めた。

「ムッキー、ケースケ。ママを責めちゃあ、駄目(だめ)。ママの苦しい胸のうちを分かってあげないと。でも、そう()う純粋な(ところ)がケースケの()い所なんだけど…」

 敬介は瞳をキラキラさせ(なが)ら、()った。

「えへへ、そう? いずなちゃん。ありがとね」

 高志が(なか)(あき)れ、ニヤニヤし(なが)()った。

「おーい、敬介。額面通(がくめんどお)りに受け取るなよ。いずなは決して、()めている(わけ)じゃあねえぞ。馬鹿(バカ)にされている事を、いい加減(かげん)(さと)れよー」

「ムッキーッ、何、失礼な事、()ってんのよ。元はと()えば、あんたのくっだらない与太話(よたばなし)から、始まったんだからね」

「あー、笑った、笑った。さーて、午後の部に行こうか」

 と凛子が()えば、ひろみも、立ち上がり(なが)ら、溜息混(ためいきま)じりに(つぶや)いた。

「本当。(まった)く、とんだ閑人閑話(かんじんかんわ)だったわね」


 一向はひとまず、書道部の発表を見に行った。会場にはでこぼこコンビが先着していた。六助がひろみの姿を認めると、開口一番(かいこういちばん)()った。

「おー、稲森(いなもり)さんか。おめでとう、準優勝だってよ。…ところで、お前らに頼みがあるんだが…」

 六助の話の腰を折り、ひろみが歓声を上げる。

「えっ、マジなの」

 凛子が祝福した。

「すごいわね。おめでとう。ひろみ」

「いやー、なんか、照れちゃうなー」

 六助がニヤニヤしつつも、ひろみを(おだて)る。

「何か、副賞もあるみたいだぜ」

「えっ、マジなの?」

 ()の時、丁度(ちょうど)、書道部のアナウンスがあった。

『おめでとうございます。稲森(いなもり)様には、書初め用半紙1年分が贈られます』

 ひろみには、書初め用半紙セット一袋(10枚入)が進呈(しんてい)された。書初めは、通常、年に一回なので、これで、一年分と()う事らしい。

「何よー、詐欺(さぎ)じゃないの。()れ」

 ひろみが憮然(ぶぜん)とした表情で文句を()っている。そして、いよいよ、優勝者の発表である。優勝者は、果然(かぜん)、一平であった。一平は相変らずキリッとしたイケメン顔で、(たたず)んでいたが、()()の書道部のアナウンスを聞いて、(にわ)かに顔色を変えた。

『おめでとうございます。優勝者は書初め用半紙2年分を進呈いたします。なお、優勝者、準優勝者の作品については、一年間、校長室横に展示(てんじ)する事とさせていただきます』

「おい、ちょっと、待ってくれ。『七転八倒(しちてんばっとう)』だぞ」

 ひろみも狼狽(うろた)える。

「ちょっと、待ってよ。私だって、『百鬼夜行(ひゃっきやこう)』なのよ。校長先生に怒られちゃうじゃないの。高志、如何(どう)しよう…」

 高志が腹を(かか)え、笑い転げている。

「いやあ、いいなあ、お前ら。入学早々、校長先生をディスったりしてさ。これで、高校生活も安泰(あんたい)だなあ」

「何、()ってるの。抑々(そもそも)、元はと()えば、あんたの字が(あま)りにも見るに()え無いからじゃないの。ねえ、正太。『百鬼夜行(ひゃっきやこう)』にポジティブな意味無いかなあ。何か、こう、圧倒的(あっとうてき)な力で悪を(ただ)す、みたいな…」

「そう()われてもなあ…」

 いずながニヤニヤし(なが)(とど)めを刺した。

「ムッキーッ、あったよ、ひろみっち。辞書に()ってる。『いろいろな化け物が夜中に列をなして出歩く事』だって…」

 六助も正太郎に泣きつく。

「正太。頼む。ノッポ君を助けてやってくれ。こいつ、サッカーは()(かく)、成績は突出して最下位だから、校長に(にら)まれて、退学にでもなったら大変だ。『七転八倒(しちてんばっとう)』に何かポジティブな意味ねえか? たとえば、何度、倒れても立ち上がる的な…」

「突出してじゃねー。お前がいるだろ」

 一平が憮然(ぶぜん)としてやり返す。正太郎も当惑(とうわく)(なが)ら答えた。

「だから、()れが、抑々(そもそも)、『七転八起(しちてんはっき)』だろ」

 六助が(あきら)めずに懇願(こんがん)する。

其処(そこ)を、(なん)とか…」

「そう()われてもなあ…」

 いずなが、又しても、ニヤニヤし(なが)ら、再び、(とど)めを刺した。

「ムッキーッ、なになに、『転げ回ってもがき苦しむこと』だって…」

 正太郎が、破顔一笑(はがんいっしょう)(なが)ら、引導(いんどう)を渡した。

「と()(わけ)だ。あきらめな。まあ、お題は()(かく)、何はともあれ、字はうまいって評価された(わけ)だから…」

 祐子もフォローを入れる。

「そうだよ。一平君。こんなに達筆(たっぴつ)なんだもん。校長先生も()めてくれると思うよ。お題は()(かく)として…」

 いずなが、(あき)れた様な表情で、突っ込みを入れる。

「ゆうちん。()れ、あんまりフォローになって無いよ。ところで、六助。頼み事って、(なん)なの?」

「あーそうそう。人を二人程、借りたいんだ。男女1名づつ」

「?」

「ぶっちゃけ、()(あと)、開催される陸上部主催のスェーデン式リレーに出場したいんだ…。メンバーに最低女子1名は必須(ひっす)だから、男子1名、女子1名、お願いしたいんだが…」

 六助の突然(とつぜん)の申し出に、面食(めんく)らう一同であった。(しか)し、高志が気軽(きがる)に応じた。

(おれ)はいいぜ」

 高志に続いて、ひろみが応じた。

「私も、いいわよ」

 六助がちょっと困った様な顔をして、口篭(くちごも)る。

「いや、()し良ければなんだが、如月(きさらぎ)さんにお願いしたいんだが…」

「私?」

 凛子が当惑(とうわく)して、(つぶや)いた。ひろみがむくれる。

「もう、何よー。折角(せっかく)、書初めの()さを晴らそうと思ったのに…」

「すまんな。稲森(いなもり)さん。稲森(いなもり)さんも、運動(スポーツ)万能だと聞いたけど、此処(ここ)は、如月(きさらぎ)さんに頼みたい。如月(きさらぎ)さん、如何(どう)だろうか?」

「…いいけど。あっ、待って。シューズと運動着がないわ」

 明彦が、(おもむろ)に手を上げた。

「俺のTシャツとハーフパンツがある。洗ったばっかの奴だ。体格的には俺が一番近いだろ。足は25・0だが…」

「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうわ。…でも、明彦。あんた、返した後、(にお)()いだりしないでしょうね?」

 明彦は、茹蛸(ゆでだこ)の様になり(なが)ら、(さけ)んだ。

「するか! 『蒲団(ふとん)』じゃあるまいし…」


 結局、高志と凛子が出る事で合意し、一同はグランドに向かった。途中、敬介が素っ頓狂(すっとんきょう)な声を上げた。良く見ると、お化け屋敷が再開されていて、看板は『ドッキリハウス』と、変更されている。当然(とうぜん)、ひろみも目を丸くしている。

「あれっ、お化け屋敷が復活してる」

「ムッキー、本当だ。ねえ、ケースケ、ちょっと入って見よ」

「いや、()めとけよ。いずなちゃん。多分(たぶん)、中身は同じだから…」

「ムキー、そんな事無いよ。屹度(きっと)、学校当局の厳しい行政指導を受けて、改心したんだよ。行くよ、ケースケ」

「あーっ、待ってよ、いずなちゃん」

 いずなは敬介の手を引いて、中に飛び込んでいった。残されたメンバーは唖然(あぜん)として、入り口付近で待っている。祐子が心配そうに正太郎に()った。

「ねえ、正ちゃん。いずなちゃん、大丈夫かなあ? 正ちゃん、如何(どう)思う?」

如何(どう)って…。こんなの、如何(どう)見ても、看板を変えただけだろ…」

 高志も横合いから、口を挟む。

「ああ、正の字の()うとおりだ。違法風俗店の手口、()(まま)じゃねーか」

「ちょっと、あんた。そーゆーところ、行った事がある訳? そんなんだから、ワッセルマン反応検査をされるのよ」

「いや、()えけど…」

 そのうち、中から、いずなのキーキー声と悲鳴が聞こえ、

「ムキー、何処(どこ)触ってんのよ。この、エッチ、スケッチ、マイペット」

 いずなの甲高(かんだか)い声が聞こえる。高志が(あき)(なが)ら、

「昭和の子供か…?」

 と(つぶや)くのと同時に、真っ赤な顔のいずなが飛び出して来て、祐子に訴える。

「もー、ゆうちん、聞いてよ、中は1ミリも変わって無かったよ。また、おっぱい、触られた! 本当に、もう、信じられないよ…」

 高志は、笑いを(こら)(なが)ら、(さと)す。

「信じられねえのは、お前の方だ。よく、こんな手口に二度も引っかかるなあ…。大体(だいたい)、おっぱいなんか()えじゃねえか…」

「ムキー、高志、失礼。本当にもう」

 いずなは、()()な顔で怒っている。


 一同はグランドへ移動する。移動する最中(さなか)、いずながひろみに聞いた。

「ムキー、ひろみっち速いのにねえ。なんで、凛子っちなんだろ?」

「いくら、あたしの足が速くても、流石(さすが)に凛子には(かな)わないわよ」

 祐子が驚いて聞いた。

「えっ、そうなの?」

「うん。凛子、中学時代、2年途中までは、陸上部だよ。種目は200m。学校対抗陸上大会では、3年連続で有度中のエースだったわよ。確か、2年と3年の時は優勝した(はず)よ」

「えーっ、そうなの? すごいね凛子ちゃん」

 裕子が驚いて、声を上げる。凛子は謙遜(けんそん)(なが)ら、

「でも、大分(だいぶ)、ブランクがあるからなあ…」

 高志もしんみりとした口調(くちょう)で続く。

「それに、おっぱいも巨大化し過ぎたしなあ…。それだけ、大きければ重たかろう…。ぐええっ」

(やかま)しい!」

 凛子とひろみから、左右同時に肘打(ひじう)ちが飛ぶ。ひろみと高志の、そろそろお約束となりつつあるドタバタ劇を尻目(しりめ)に、祐子は思い出した。4月の花見の際に、凛子と出会った時も、確かに、凛子はジョギングをしていた。出会ったのは、大沢川周辺であるが、あれは、自宅から走っていたと見るのが妥当(だとう)であろう。だとしたら、()の段階で、かなりの距離を走っていた事になる。あの時の、速度(スピード)も、祐子にしてみれば、全力疾走(ぜんりょくしっそう)しても追いつけ無い様な速度(スピード)であった。祐子は思った。()の4人の女子のうち、祐子を除く3人は運動神経が優れている。いずなは華奢(きゃしゃ)体躯(たいく)であり(なが)ら、スポーツ万能であったし、ひろみは、空手、合気道を(たしな)んでいるせいもあり、小柄(こがら)体躯(たいく)の割には身体能力(しんたいのうりょく)がずば抜けていたし、持ち前の運動神経で球技全般も何でもこなしていた。そして、凛子も、比較的目立たぬ様にしてはいたが、矢張(やは)り、スポーツ女子であった。祐子は意外そうな面持(おもも)ちで凛子を見つめた。少し、(うらや)ましくもある。祐子は体育だけは苦手であった。凛子は、明彦のTシャツを借りて、柔軟体操、ストレッチと準備運動に余念(よねん)が無い。高志もストレッチをしている。其処(そこ)へ、六助がやって来てルールを説明し始めた。出場チームは全16チームであり、最初の2レースが予選となる。上位4チームが決勝進出、一走、二走がセパレートコースで、計千メートル走る訳だが、女子1名をメンバーに入れなければならない。予選走順は、一走―凛子、二走―高志、三走―六助、アンカー―一平となった。

()のメンバーなら余裕だろ。予選は流してくれてかまわねえ。怪我(けが)をしない様にな」

 六助はそう()ってくれていた。六助に()れば、()のチームが出場する予選一組は強敵と思われるチームは無く、流しても予選通過は大丈夫だろうとの事だった。一応、マークすべきは、男女庭球(テニス)部混成チームと男バスケ部だそうだ。一方、予選二組は熾烈(しれつ)である。陸上部、野球部、サッカー部と優勝候補目白押(めじろお)しである。野球部、サッカー部ともに、女子部員はおらず、マネージャーが借り出されている点が、穴と()えば穴ではあるが、それ以外には目立った穴も無い。凛子は思った。()のメンバーなら六助の()う様に、流してでも予選通過出来(でき)るであろうが、凛子は流す気など毛頭(もうとう)無かった。非公式とは()え、久しぶりの陸上競技なのである。凛子の胸は、忘れ掛けていた陸上競技への思いに、高鳴(たかな)っていた。凛子は最後の屈伸(くっしん)を行うと、軽く(もも)をポンポンと(たた)き、みんなに笑顔で答えた。

「じゃあね、みんな。()(かく)、精一杯やってくるよ」

「凛子ちゃーん、一平君、頑張ってね」

 祐子は大きな声で、スタート箇所(かしょ)のホームストレッチに向かう凛子と一平に声援(せいえん)を送った。一周二百メートルトラックであるから、一走とアンカーがホームストレッチ側のスタートとなる。凛子と一平は、軽く片手を挙げて声援(せいえん)に応えた。一走と二走はセパレートコースであり、三走目からオープンコースとなる。高志と六助はバックストレッチ側に向かった。


 スタートと共に、凛子はスパートを掛けた。とても流している様なスピードとは思えない。気合の入った走りで、他のランナーを、見る見る内に引き離すと、セパレートコースでもそれと分かる様な大きなリードの(まま)、高志にバトンを渡した。高志は、凛子の気迫の入った走りを、()(まま)、引き継いだ。高志も中学校時代は野球部のエースである。身体能力(しんたいのうりょく)も高く、決して足も遅くはない。高志は、半周以上の差をつけ、三走である六助にバトンを渡した。()の段階で、(すで)に、六助の一人旅であり、当然(とうぜん)、六助、一平は流すだけで、テープを切った。二人とも、後ろを振り返る余裕すらあったのだ。結果、ボストンティーパーティーとサッカー部の合同チームは、他チームに大差をつけ、予選一位通過である。二位以下が男女庭球(テニス)部混成チーム、男バスケ部と、続き、4位に二年有志連合が続く形となった。予選二組は下馬評(げばひょう)(どお)り大混戦であったが、これまた、下馬評(げばひょう)(どお)りに、一位が陸上部、以下、野球部、サッカー部、ハンドボール部と続いた。陸上部はやはり、速い事と、バトンパスが適切である事、さらには、二走の女子。3年の谷澤の活躍(かつやく)が大きかった。彼女だけが、陸上部唯一のインターハイ経験者であったのだ。一方(いっぽう)、予選を見ていたボストンティーパーティーの面々は、お祭り騒ぎである。六助が凛子と高志に()った。

「いやあ、やっぱり、お前らに頼んで正解だったわ。決勝も頼むぜ」

「ムッキーッ、凛子っち、すごいよ。いずな感動しちゃった」

 いずなに続いて祐子も、凛子の活躍(かつやく)を称えた。

「本当にすごいね、凛子ちゃん。私にも分けて欲しいな」

 明彦も顔を赤らめ(なが)ら、凛子を激励(げきれい)する。

「いや、本当にかっこよかったよ。フォームが美しいもんなあ」

「…ちょっと、…やめてよ」

 凛子は、そう()(なが)らも、満更(まんざら)でもない様子(ようす)だ。ひろみは高志を(たた)えた。

「あんたも格好(かっこう)良かったわよ。六助や一平と比べても、(まった)遜色(そんしょく)が無かったわよ」

 それを聞いた高志は、喜色満面(きしょくまんめん)()みを浮かべて、

「おう、ありがとな。(おれ)も、全力疾走(ぜんりょくしっそう)で激しくバストを()らし(なが)ら、迫ってくる凛子を見たら、発奮(はっぷん)してだな…ぎゃん」

 ひろみが、青いバトンで高志を思い切り、()(ぱたき)(なが)()った。

「もう、(なん)()の男は、すぐに、()()う事を()うんだろ。緊張感、無さ過ぎでしょ…」

 横で、凛子も膝蹴(ひざげ)りを入れている。そして、六助に向かって()った。

「ねえ、六助君。お願いがあるの。決勝では私に二走、やらしてくれないかな…」

 高志が異議(いぎ)(とな)える。

「ちょっと待て。そんなに、俺に()れるのをを見られたくないのか?」

 凛子は、横の高志に鋭い一瞥(いちべつ)をくれると、()()てた。

「ええ、そうよ」

 そして、また、六助に願い出た。

駄目(だめ)かな…」

 六助は考え深げに、(おもむろ)に口を開いた。

「…谷澤先輩か?」

「…うん。実は、私、予選の時、本当に流してたんだよ…」

「あれでか?」

「…ええ。だけど、谷澤さん。私以上に流していた。まあ、こんな学内のエキシビジョンだもん。仕方(しかた)が無いけど。あの人の本気、あんなもんじゃないわよ。あの時、谷澤さんの声が聞こえた気がする…。『私と()りたければ、本気を出しなさい』って」

 (しばら)く黙っていた六助が、ニッコリ(うなず)くと、

「分かった。祭りは派手(はで)な方が面白(おもしろ)いもんな。二走を頼むぜ、如月(きさらぎ)さん。3年前の勝負を、もう一度見れるとは思わなかったぜ…」

 凛子も最高の笑顔で答えた。

「ありがとう、六助君」

「んじゃ、行くか?」

 一方、ホームストレッチ側に移動しようとしていた高志と一平だが、

「高志!」

 ひろみが後ろから、不意(ふい)に、高志を呼び止めた。振り向いた高志と一平だったが、一平はひろみの表情を見定(みさだ)めると、

「俺、先に行くわ」

 と()い、行ってしまった。残った高志は多少(たしょう)不機嫌(ふきげん)そうに(たず)ねた。

「何だよ…」

 ひろみは、多少(たしょう)もじもじし(なが)ら、目を()らせて()った。

「あの…、高志、頑張ってね。応援してあげる。必ず、勝ってね…。それに、今度、あたしが走るとこ、見せたげるから…、凛子みたく、()れないかも知れないけど…」

 高志はまじまじとひろみを見つめた。ひろみは、少しふくれ(なが)ら、(いま)だ斜め横を向いた(まま)である。高志と目を合わそうとしない。多少(たしょう)、顔を赤くして、それでも、必死の表情だった。()の栗色の髪を持つ、やや垂れ目の少女は、それだけを態々(わざわざ)()いに来たのだ。

(ったく、()のバカ。(おれ)冗談(じょうだん)()に受けやがって…)

 高志は(あき)れつつも、『かもじゃねえだろ』と()う突っ込みの言葉を飲み込むと、優しげな顔つきで()った。

「分かった。ありがとな。楽しみにしているよ。んじゃあな、行ってくらあ」

 そう()うと、足早(あしばや)()(まま)()の場を去り、一平に追いついた。一平は無表情の(まま)(つぶや)いた。

「女神の激励(げきれい)か…」

 高志は顔を(しゅ)()(なが)らも()い返す。

「やかましい。おめーは天然(てんねん)(くせ)に、いろいろと、気い回し過ぎなんだよ」


 号砲一閃(ごうほういっせん)綺麗(きれい)なスタートで戦いの幕は切って落とされた。一走の男子は、高志と、陸上部池田と、庭球(テニス)部岸山の3人だけである。高志は池田に勝てない(まで)も、負けられないと思っていた。でなければ、凛子に谷澤との全力の勝負をさせてあげられない。高志自身、持てる力の最大限で(のぞ)むしか無かった。セパレートコースでは、趨勢(すうせい)は容易に判断出来無(できな)いが、一見して、高志と池田のマッチレースであった。(しか)し、徐々に、池田が前に出る。池田は()(さき)に谷澤にバトンを渡す。ほぼ同時であるが、やや遅れて、高志が凛子にバトンを渡す。凛子と谷澤の熾烈(しれつ)な戦いが始まった。長身特有の迫力ある大きなストライドの凛子と、陸上部らしい美しく上半身が揺れないフォームの谷澤の、マッチレースとなった。二走、(すなわ)ち、二百メートルはトラック一周分であり、双方(そうほう)とも、最初から飛ばしている。バックストレッチに入った時は、内側のレーンをダイナミックに走る凛子が、追走(ついそう)する様に見えた。差は開かず、縮まらず、最終コーナーへ突入。(しか)し、ホームストレッチに入って来た時は、凛子が(わず)かばかり、そう、体一つ分リードしていた。大歓声(だいかんせい)の中、凛子は六助にバトンを手渡す。ついに、凛子が谷澤に勝ちきった。


 …(はず)だった。


 ()れは、スローモーションの様な瞬間だった。六助の手に一旦(いったん)(おさ)まったかの様に見えた青いバトンは、初夏(しょか)(やわ)らかな陽射(ひざ)しを受け、キラキラと(かがや)(なが)ら、クルクルと回転しつつ、落ちていった。驚愕(きょうがく)の表情で振り返る六助。『しまった』と、表情を(ゆが)める凛子。(しか)し、事態(じたい)打開(だかい)したのは六助であった。いや、六助ならではの方法と()って良いだろう。六助は振り返りざま、咄嗟(とっさ)に反応し、懸命(けんめい)に伸ばした右足爪先で、軽く、地面に向かって落下していたバトンの(こじり)()()げたのだ。バトンは再びクルクルと上昇を始め、吸い付くように六助の右手に(おさ)まった。()の手のミスの割には、最小限のタイムロスであったと()って良いだろう。(しか)し、ロスはやはり、ロスなのだ。六助が、前を向いた時には、陸上部、サッカー部、野球部が前におり、彼は4位に落ちていた。


 酒井六助は二の丸小、江尻中でサッカー三羽(カラス)と騒がれた三人の、中心人物であった。そして、もう一羽はいつもつるんでいる、杉本一平である。六助は158センチと小柄(こがら)体躯(たいく)(なが)ら、卓越(たくえつ)したテクニックとサッカーセンスを持ち、シュート良し、パス良し、ドリブル良しのマルチプレイヤーであった。ボールコントロールも超一流で、()の足から放たれる、プレスキックは30メートル先の5円玉をも射抜くと(うわさ)されていた。彼はサッカーに()いて、弱点と呼べる様な物は無かったが、()いて上げるとすれば、身長と()の性格であった。彼には、闘争心と()うか気魄(きはく)、そう()った物に、圧倒的に欠けていた。勝っても負けても、()の表情は常に変わらない。良いプレイをした時には、敵であれ、味方であれ、賞賛(しょうさん)したし、味方の失策には、徹底的にカバーをした。でも、結果には(こだわ)らなかった。サッカーはプレイ自体が楽しいのだ。結果に(こだわ)っていては詰まらない。結果には(こだわ)らない男。本来であれば、これ程、キャプテンに不向きな男もいないであろう。技術的支柱には成り得ても、精神的支柱には成り得なかった。だが、彼は、小、中とキャプテンを(つと)めた。彼の卓越(たくえつ)した技量(ぎりょう)が、彼にキャプテンをさせざるを得なかったのである。(しか)し、それでも、彼は勝敗には無頓着(むとんちゃく)であった。だが、今は如何(どう)だ? 自分の失策(ミス)でチームが危機に(ひん)しているのだ。高志が、凛子が、(つむ)いだバトンを(おれ)無駄(むだ)出来(でき)るのか? 六助には全力で走る以外、無かった。最初の半周で野球部の坪井を捕らえたが、()の先が剣呑(けんのん)だった。サッカー部の三走は新主将(キャプテン)の二年生白坂で、短距離走には絶対的な強みがある。残り一周、バックストレッチで勝負を賭けても、50メートルそこそこの直線では、主将(キャプテン)を振り切る自信は無かった。六助は最初のコーナーで競り掛けた。白坂の横、外側を併走(へいそう)する。一方、白坂にも上級生の意地がある。コーナーでアウトから抜かれる(わけ)にはいかない。

(くそ、一年坊主め、サッカーだけでなく、走りでも負けて、(たま)るかよ)

 愈々(いよいよ)、バックストレッチに入った。両者は、ますます加速する。(すさ)まじいデッドヒートである。最終コーナー手前で、六助が体半分程リード、(わず)かに(かわ)わした(ところ)で、イン切りを敢行(かんこう)。これが奏功(そうこう)し、白坂の前を確保した。3メートル程前に陸上部南雲(なぐも)の背中が見えたが、六助には競り掛ける程の余力(よりょく)は無かった。が、六助はさらに加速した。高志が、そして、凛子が、力の限り(つな)いだバトンなのだ。(みずか)らが足を引っ張る訳にはいかない。()の思いだけだった。2メートル、1メートル、徐々に詰める、そして、南雲(なぐも)の背中に手が()れそうな処で、一平にバトンを渡した。()の時、六助は大声で(さけ)んだ。


「一平! 頼む!」


 一平には、六助の思いが痛い程伝わった。六助が()の様に、勝負への(こだわ)りを見せるのは、随分(ずいぶん)、久しぶりの事だった。一平は、当初、陸上部アンカー望月を追走(ついそう)し、ラスト100メートルで勝負を賭ける戦法であった。(しか)し、元来(がんらい)、望月は400メートルが専門である。後半で()れる事など、まず、期待(きたい)出来(でき)無い。一平は最初のバックストレッチに入った時に、勝負を賭け、加速した。(しか)し、望月も(ゆる)まない。望月がやや体勢有利な(まま)、コーナーへ突入した。(しか)し、一平も一歩も引かない。望月の外側を並走(へいそう)している。()(まま)の状態で、ホームストレッチに入って来る。其処(そこ)で、望月は勝負を賭けて、(さら)なる加速をする。一平も懸命(けんめい)について行く。コーナーに入っても、ペースを落さずバックストレッチに突入。すると、一平もスパートを掛けた。徐々に、一平が差を詰める。そして、バックストレッチの最後に完全に(なら)んだ。望月にすれば、明らかなオーバーペースである。

如何(どう)なってやがる? ()の一年坊主。もう、一周以上、大外(おおそと)で、もがきを入れさせられているんだぞ。何故(なぜ)()れねえ)

 ()(まま)並走(へいそう)状態で最後のコーナーを抜けて来た。あと、30m。一平にはゴールテープの向こうに、六助が、一平にしか出さない、極めて厳しい、(たて)パスが来る様な気がしていた。いつも、へろへろになり(なが)ら、『もう走れない』、そう思っていても、情け容赦(ようしゃ)無くやってくるアレだ。()の瞬間、一平は(さら)に加速した。

(何ぃ。まだ、加速するのか?)

 望月は驚愕(きょうがく)した。ダッ、ダッ、ダッと大柄(おおがら)の一平が、大きなストライドで、(はず)む様な一歩を踏み出す(ごと)に、少しづつ差が開いていくのだ。一平は、(アゴ)も上がり、苦悶(くもん)の表情を浮かべ(なが)らも、加速する。()れは、一平がスピードで相手DF(ディフェンダー)を置き去りにする時の、そして、六助の(たて)パスに反応する時の、高速WG(ウィンガー)としての走りだった。(やが)て、次の瞬間、一平のぶ厚い胸板が勝利へのテープを切った。ボストンティーパーティー、サッカー部合同チームの優勝の瞬間だった。巻き起こる大歓声(だいかんせい)。場内興奮の坩堝(るつぼ)である。純粋に一年生だけで優勝したチームなど、(かつ)て無かった。ゴールした一平にみんなが()け寄る。パチーン。六助が何も言わずにハイタッチをした。()の二人には言葉が不要なのだろう。凛子が()け寄り、一平、六助とハイタッチ。高志も両手でハイタッチし(なが)ら、

「結局、美味(おい)しいとこを全部持っていっちまったな」

「女神の激励(げきれい)を、無駄(むだ)には出来(でき)()えだろ」

 高志は真っ赤になり(なが)ら、

「だから、余計な気を回すんじゃねえ」

 一方、凛子は六助に()け寄ると、バトンパスの失敗を()びていた。

「やめてくれよ。如月(きさらぎ)さん。あれは、俺のミスだ、折角(せっかく)の谷澤先輩との勝負に水を()しちまってわりいが…」

 それに対して、凛子は、

「ううん。あれは私のミスだよ。経験者の私がもっと気を使うべき場面なんだから…」

 高志も凛子をねぎらった。

()いじゃねえか、優勝したんだから。大体、借り物のシューズに、借り物のシャツ。良くやった方さ。(しか)も、胸は激しく上下する上に、彼処(アソコ)の毛の処理もしてなかったんだろ。それで、優勝だぜ。上出来(じょうでき)じゃねえか…ぐはあっ」

 後ろから、ひろみがバトンで殴打(おうだ)している。

「…如何(どう)して、()の男は、()の場面で、()()うバカ()うんだろ…」

 更に、凛子が高志の下腹部に膝蹴(ひざげ)りを入れる。

(なん)てえ事、()うのよ。それは昨日の話でしょ。今日はちゃんと処理してきたわよ。って、何、()わせんのよ。()のエロ眼鏡」

「お、(おれ)?」

 突然(とつぜん)の振りに、激しく狼狽(ろうばい)する明彦。緊張感から解放されたメンバー全員が、(さわ)やかな笑いに包まれた。

「さあ、表彰台に行こうぜ」

 六助が音頭(おんど)をとった。表彰台に並ぶ4人は、屈託(くったく)の無い笑顔で歓声に答えていた。祐子は自慢の一眼デジカメで勝者達を撮る。その後、ボストンティーパーティーのメンバーも合流し、改めて全員で記念撮影を行った。全員のにこやかな笑顔が印象的だった。


 グランドフィナーレは、正太郎たちのブラスバンド部の『翼を下さい』で、締めくくられた。閉会後、ボストンティーパーティーのメンバーは、(めずら)しく()の場で散会した。そして、三々五々(さんさんごご)帰宅の()についたのである。まずは、正太郎達が下駄箱(げたばこ)を抜けてきた。祐子が正太郎に笑顔で()った。

「本当に楽しかったね。来年もペアクイズ大会やるのかなあ…」

「あはは、もう、来年の心配してる。終わったばかりなのに…。でも…」

「どうしたの?」

「来年もやるなら、是非(ぜひ)、参加したいね…。そして、()の時は…」

()の時は?」

 祐子の(あわ)い期待を込めた問いかけに、正太郎は、()の男にしては(めずら)しく模範解答(もはんかいとう)を答えた。

「…また、ペア組んでもらえる?」

「も、勿論(もちろん)だよ。じゃあ、…また、マック?」

 そう()うと、祐子の笑顔が(はじ)けた。でも、目には、うっすらと涙を浮かべている。正太郎は(うなず)(なが)ら、懸命(けんめい)の勇気を振り(しぼ)って、躊躇(とまど)いがちに左手を伸ばした。()の先にあった祐子の右手に触れた。祐子も躊躇(とまど)(なが)らも、(しっか)りと、正太郎の左手を握り締めた。二人は握り締めた手と手のまま、通用門を出て行った。通用門の前、前店のベンチでは、でこぼこコンビが座って、カップ(めん)(すす)っていたが、素知(そし)らぬ振りをしている。正太郎と祐子は(うつむ)いた(まま)、通り過ぎてゆく。でも、とても幸せそうに見えた。(やが)て、二人の後姿を目で追っていた一平が、ニヤニヤし(なが)ら、(おもむろ)()った。

「いいのか? 六。祐子ちゃん、取られちまうぞ?」

「…」

 六助はスープを(すす)(なが)ら、(つぶや)いた。

「取られるも何も、…元々、祐子ちゃん、正太しか見てねえよ。昔も今もな」

 そう()って、少し(さみ)しげな笑顔を向けた。

「そう()えば、…そうだっけな」

 一平も溜息(ためいき)混じりに(つぶや)く。六助は西日の中を伸びてくる二人の影を見て、そして、二人の後姿を見つめた。少し(まぶ)しかったのか、ちょっと、目を(またた)いた。(しばら)く、眼を細めて六助を(なが)めていた一平だが、六助の方を向き直ると静かに()った。

「もう一杯食うか? おごるぞ」

如何(どう)()(かぜ)の、吹き回しだよ」


 次に歩いて来たのは、いずなと敬介だった。敬介がいずなに語りかけた。

「終わっちゃったね。学校祭」

「…うん。でも、すごく楽しかったよ。ケースケ。ありがとね」

「うん。僕の方こそ。楽しかった。…来年もいずなちゃんと回れれば、()いなって…」

「むき? ケースケ昨日約束したじゃない。学校祭の時はいつもいずなといるって、あれって、嘘だったの?」

「えっ?」

 敬介は驚いた。昨日の約束については、当然(とうぜん)、今年だけの事と思っていたのだ。『学校祭の間は、いつもいずなと一緒(いっしょ)にいる事』。(たし)かに、いずなの()()い回しでは、学校祭の時にはいつでも、と、解釈出来(でき)無くも無い。

「ケースケ君がオーケーしてくれて、(うれ)しかったのに…。残念だな、いずな、本気にしてたんだけどなあ…」

 いずなが、ぺろりと舌を出す。敬介は狼狽(うろた)(なが)らも、

「う、う、嘘じゃないよ。…よーし、今から、早速(さっそく)、来年の計画を練ろう。何処(どこ)に行こうか? キャトル?」

「キャトルもいいけど、近いじゃない。だから…、銀座の生ジュース屋さんは?」

「うんっ。…だったら」

 敬介はそう()うと、勇気を出していずなの手を握った。いずなも赤くなり(なが)ら、しっかりと握り返してきた。そして、微笑(ほほえ)み合うと、二人はぎこちなくも、歩みだした。


 次に通用門から出てきたのは、明彦と凛子だった。明彦がぶっきらぼうに()った。

態々(わざわざ)、洗って返さなくても、いいぞ…」

「そんな、汗だくになったし…、ひょっとして、本気でにおい()ぐ気だったの?」

()ぐか!」

「それとも、優勝のお祝いにプレゼントとか?」

 明彦が()(さお)になって(さけ)ぶ。

「わー、そう()う意味じゃ無え。何、()ってんだ。アディダスだぞ。(オレ)のお気に入りだぞ…」

「それに、…胸の所が延びちゃったし。…ほら、私、大きいから…」

 (となり)で、明彦が今度は茹蛸(ゆでだこ)の様になっている。

「じゃあ、プレゼントで決まりね」

「こ、こら、勝手に決めるな」

「なら、代わりにプーマのTシャツあげるから…」

 凛子はそう()うと、ごそごそと、デイパックからプーマのTシャツを取り出した。

「なら、しょうがない。交換してやろう…。って、…お前、Tシャツ持ってんじゃねーか」

「えへへ、明彦のTシャツが着てみたかったんだ…」

 明彦がまた、真っ赤になっている。

「明彦、可愛いわね。じゃあ、交換決定ね。それ、(にお)()いでもいいわよ。弟のだから…」

「さ、詐欺(さぎ)じゃねーか」

 凛子が屹度(きっと)(にら)みつけると()った。

「ほーら、やっぱり、()()満々(まんまん)だったじゃないの、()変態(へんたい)眼鏡(めがね)

「いや、そ、その…」

「嘘よ。本当は私んの。…ほら、胸の所が、ちょっと、延びちゃっているでしょ」

 明彦はまた真っ赤になっている。赤くなったり、青くなったりと、割と忙しい。(しか)(なが)ら、多少(たしょう)、意外そうな眼差(まなざ)しで凛子を見つめていた。凛子はもっと、理知的で怜悧(れいり)な美少女で、容易に感情を表さない子だと思っていたのだ。だが、目の前の可憐(かれん)な少女は良く笑い、まるで、女子高生()の物だったのである。()の笑顔が()る記憶を呼び覚ました。2年前、明彦はレスリングの中量級の県代表であった。当時、2年生であった明彦は、県大会の決勝で、下馬評(げばひょう)では圧倒的有利であった1年上の選手を破って、全国に行ったのであった。()の時、県大会の決勝で当たった相手が確か如月(きさらぎ)()っていた…。そうだ。妹がいた。セーラー服に、赤いリボン。あれは有度中の制服だった。()の子は敗れた兄の(かたわ)らにいた。目の前で兄を破った男。(くや)しく無い(はず)は無いのだ。でも、()の子は気丈(きじょう)にも、『全国、頑張ってくださいね』と、笑顔で明彦を激励(げきれい)し、去って行った。とても、綺麗(きれい)な顔立ちの子で、まだ、眼鏡(めがね)は掛けていなかったが、髪には黄色いカチューシャをしていた。()の子は、明彦の前では、終始(しゅうし)、笑顔であった。(しか)し、明彦には、とても、悲しい笑顔の様に思えた。

「あの…」

 言葉を掛けかけた明彦であったが、()の言葉を飲み込んだ。明彦は、今更(いまさら)(なが)らではあるが、掛けるべき言葉なぞ、ある(はず)が無い事に、(ようや)く気が付いたのである。結局、明彦は、何も()えずに、呆然(ぼうぜん)()の後姿を見送った。(しか)し、思い直し、彼女を追いかけた明彦であったが、次に見たとき、()の子は、兄の(かたわ)らで、肩を(ふる)わせて泣いていた。胸に突き刺さる光景だった。言葉が無かった。明彦には、(きびす)を返す以外、選択肢は無かった。今、(まさ)に、明彦の中で、あの時の少女と、目の前の可憐(かれん)な女子高生が、完全に一致(リンク)したのだった。そして、思わず(つぶや)いた。

「あっ、まさか…。あの時の…」

 明彦は今、(となり)にいる女の子が、(かつ)ての好敵手(ライバル)の妹であった事に、(ようや)く、気が付いたのだ。


 麦秋(ばくしゅう)の陽は長い。(ようや)(かたむ)き掛けた夕日の中で、()の子は立ち止まると、ニッコリと微笑(ほほえ)んだ。とても、美しい笑顔であった。明彦は余りの美しさに唖然(あぜん)として、立ち止まり、思わず、息を()んだ。彼女は、(さなが)ら、天使の様であった。そして、天使もまた、明彦が、気が付いた事に、気が付いた。天使は笑い(なが)ら、

「もう、明彦。気が付くのが遅すぎ。私はブラバンに入部した初日に、気が付いていたわよ。どうせ、私の胸ばかり見てたんでしょ」

 明彦がどきりとするような、可愛(かわい)らしい笑顔だった。夕日の中、明彦はドギマギしつつも、()い返す。

「そんな(わけ)あるか…。でも、違い過ぎだろ。2年前は、もっとぺちゃんこだったし…」

「ほら、胸しか見てない…。こんなに、美人なのになあ…」

「いや、()の…」

「じゃあ、罰としてケーキでも(おご)りなさい」

 天使の(くせ)に、意外と(ぞく)っぽい事を()う。

「えーっ、何だよ。人のお気に入りのTシャツを巻きあげた上に、ケーキまで(たか)る気かよ…」

「何よー、お兄ちゃんを負かしておいて、全国ではベスト8止まりだった(くせ)に。(しか)も、負かした相手の妹の胸しか見てないって、如何(どう)()う事なのよ?」

「…」

「はい、じゃあ、ケーキ決定ね」

「もう、…分かったよ。じゃあ、優勝祝いという事で…」

 二人は、最早(もはや)痴話喧嘩(ちわげんか)にしか聞こえない会話を残し(なが)ら、駅の方に向かって歩いて行った。


 最後に出て来たのは、高志とひろみだった。

「本当に、あんたはもう…。もっと、シャキッとしなさい。折角(せっかく)格好(かっこう)良かったのに…」

「くっそー、凛子の(ヤツ)。本気で膝蹴(ひざげ)り食らわせやがって…、あいててて…」

 高志は股間(こかん)を押さえ(なが)ら、時折(ときおり)、ぴょんぴょんと飛び()ねている。二撃目の真空(しんくう)飛び膝蹴(ひざげ)りが、一番命中して欲しくない(ところ)に、命中(クリティカル・ヒット)した模様(もよう)である。

「全く…、ボケ()ます時は、TPO位、考えなさいよ。あと、内容もね…。大体(だいたい)、あんたの冗談(じょうだん)は、下品に過ぎるの…」

 ひろみが、人差し指を立てて、お説教を始める。

「…はい」

「でも、本当に、高志が一番、格好(かっこう)良かったんだよ。だから…」

 ひろみは真っ赤になって照れ(なが)らも、それでいて素っ気(そっけ)無い、多少(たしょう)、ふくれた様な顔付きで、高志の手をとった。

「ご褒美(ほうび)におてて(つな)いであげる」

 ()うなると、高志も形無しである。

「お、おう」

 (かろ)うじて、そう(つぶや)くと。ひろみに引かれて駅の方にギクシャクと歩いていった。前店のベンチで、ぼんやりと後姿を見送っていた一平が、溜息(ためいき)混じりに六助に()った。

「何の事は無え、みんなreserved(予約済み)じゃねーか」

「ああ、みんな、良い子達だからな」

()いのか? 余裕、()ましていて…」

「なーに、卒業まで、あと、2年10ヶ月もあらあ。そのうち、良い子が見つかるさ。チャンスは一瞬で()い。30秒あれば1点取れる。…だろ?」

「そりゃ、サッカーの話だろ。サッカー以外じゃ、まるっきり不器用(ぶきよう)だから、此方(こっち)は心配してんだ。バトンも落すしよ」

「うるせー」


 確かに、六助の()ったとおり、高校生活は()だ始まったばかりなのである。だが、青春の時は思った程、長くは無いものである。ボストンティーパーティーのメンバーも、()る者は未来を夢見て、また、()る者は不安を(いだ)(なが)らも、希望に満ちた青春時代を、一歩づつ踏み出し始めた。()の学校祭は彼らの青春のエネルギーを、色鮮(いろあざ)やかに()やし始めた第一歩となったのである。


 (ちなみ)みに、(くだん)の『七転八倒(しちてんばっとう)』と『百鬼夜行(ひゃっきやこう)』についてであるが、()(あと)、一年もの間、校長室の入り口左右に掲示され、多くの来客達の目を引いたと()う。一平、ひろみの面目躍如(めんもくやくじょ)、と()って良いのかは不明であるが、果然(かぜん)()うべきか、来賓(らいひん)達を、驚かせ、(あき)れさせたのは()(まで)も無い。生徒達の間では、何時(いつ)しか、校長室の事を伏魔殿(ふくまでん)と呼ぶようになったとの事である。


のどかな学園生活を送る正太郎たち。そんな中、清水の夏の風物詩、清水七夕祭りが始まった。然し、急遽、立ち込める暗雲。祐子と正太郎の間に突如走る亀裂。二人は、所詮、結ばれぬ関係なのだろうか? 次回、『第8話 驟雨の七夕祭り』。お楽しみに。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 学校祭編。結構、おもしろかったですね。 [一言] 今後の展開も楽しみです。
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