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第6話 クイズ王に俺はなる!(学校祭へ行こう【中編】)

 クイズ予選は、正午丁度(ちょうど)に始まった。

(さて)、第一問です。ルネッサンス期の三大発明とは、火薬、活版印刷(かっぱんいんさつ)、拡散波動砲である』

「拡散…波動砲?」

 流石(さすが)に、凛子が眉間(みけん)(しわ)を寄せる。ひろみも(あき)(なが)()った。

「ちょっとぉ、なんか、バカにしているわね。ねえ、真面目(まじめ)なクイズなの、()れ?」

「ムッキー、本当だね」

 いずなも(しぶ)い顔で同意する。六助が()った。

「まあ、最初はこんなもんだろ。あーこら、一平。てめーは何、○の方へ行こうとしてやがんだ…」

「…違うのか?」

「違げーよ」

 でこぼこコンビの、本気とも、冗談(じょうだん)とも判別し(がた)い会話を他所(よそ)に、()れでも、段々(だんだん)と、人数は(しぼ)られてくる。


(さて)、第五問です。第5問に(ちな)んで、日本で5番目に高い山は槍ヶ岳(やりがたけ)である』

 ひろみが()った。

段々(だんだん)微妙(びみょう)になって来たわね。拡散波動砲が(なつ)かしいわね」

「ムキー、ケースケ、分かる?」

 敬介が、()が意を()たりとばかりに、笑顔で答えた。

「日本の山の高さ順位は、富士山、北岳(きただけ)奥穂高(おくほだか)間ノ岳(あいのだけ)槍ヶ岳(やりがたけ)。間違い無いよ」

 一平が(あき)れた様に感心する。

「お前、(まれ)に、(すご)いのな」

(まれ)は、余計(よけい)だ。()野郎(やろう)!」


(さて)、第十問です。放射線の中でヘリウム原子核が粒子となるのはγ(ガンマ)線である』

 ひろみがみんなを見回す。

「ちょっとー、放射線だって。分かる人いる?」

 高志、明彦、正太郎、祐子、いずなが手を上げた。高志が何食わぬ顔で()った。

「ヘリウム原子核はα(アルファ)線。従って、×が正解」


(さて)、第十一問です。アニメ『氷菓(ひょうか)』や『ひぐらしのなく頃に』でおなじみの舞台は長野県である』

 ひろみがぼやく。

「ちょっとお、アニメだって。祐子、いずな、正太。(わか)る?」

 いずなと祐子はニコニコし(なが)ら、(うなづ)きあっている。

「違うよねー、ゆうちん」

「うん。違うね」

 正答が分からずキョトンとする高志たちを尻目(しりめ)に、正太郎も楽しそうに()った。

「両方とも、舞台は飛騨高山(ひだたかやま)なんだ」

 敬介が溜息(ためいき)混じりに()った。

「岐阜県か…」

「そう()う事」


(さて)、第十二問です。インスリンを分泌(ぶんぴつ)するのは、膵臓(すいぞう)のランゲルハンス島α(アルファ)細胞である』

 ひろみがぼやく。

「なんか、だんだん、えげつなくなって来たわね。誰か分かる人?」

 高志と明彦と正太郎が手を上げた。

()れ間違い。()れは、アドレナリン。インスリンはβ(ベータ)細胞の方。(オレ)、毎日、打っているから、知ってる。間違(まちが)いないよ。抑々(そもそも)、中学校の時に習った(はず)だぜ」

「覚えて()えなあ…」

 と、敬介。


(さて)、第十三問です。サッカーのオフサイドの反則で与えられるフリーキックは、間接フリーキックである』

 ひろみといずなが、咄嗟(とっさ)に、六助の方を見る。

()れなら、分かるぜ。専門だからな。…おい、こら、ちょっと待て、一平。何故(なぜ)手前(テメー)は×に行こうとする」

「えっ、直接じゃねーのか」

 一平が振り返る。祐子と正太郎がニコニコし(なが)ら、付いて行こうとしていたが、六助の制止に()い、仰天(ぎょうてん)して一平を責める。

「ちょっと、一平君」

「危ねえな、もう」

「すまん。祐子ちゃん、正太」


(さて)、第十四問です。(シャープ)が7個ついた場合の長調は、(えい)ハ長調である』

 今度は、でこぼこコンビが目を白黒させ、呆然(ぼうぜん)としている。ひろみが、途方(とほう)に暮れて聞いた。

「うわあ、何、()れ? 誰か、分かる人?」

 正太郎、祐子、いずなが手を上げた。

「ムッキー、間違い無いよ。(えい)ハ長調」

 敬介が(おどろ)(なが)ら、感心する。

「すごいね。いずなちゃん。良く分かるね。俺、(シャープ)7つの譜面(ふめん)なんて、見た事無いよ」

 正太郎が、()れを受けて答えた。

「法則があるんだよ。(シャープ)の場合は一番右側の(シャープ)の音が、()調(ちょう)のシになる。()の場合は、Cだから、C♯が調(ちょう)(ちな)みに、(フラット)の場合は、右から2番目の(フラット)の音がそのまま、()調(ちょう)のドになる」

 高志も(あき)れた様に感心する。

「お前、本当に妙な事に(くわ)しいのな。祐子ちゃんもいずなも、()の法則を知っていたのか?」

「ううん。私は全部覚えていたから…」

「いずなも…」


(さて)、第十五問です。ズラタン=イブラヒモビッチの国籍はクロアチアである』

 凛子が胡乱(うろん)な表情で(つぶや)く。

「…(だれ)?」

「…さあ」

 祐子も首を(かし)げる。流石(さすが)(わか)らないらしい。(かろ)うじて、心当(こころあ)たりがありげな正太郎が、六助に(たず)ねる。

「名前はスラブ系だけど…。なあ、六、()の人って、お前らの分野の人じゃ無かったっけか?」

 六助も、一平も、ニヤニヤしている。六助が得意そうに()った。

「そうだよ。アクロバティックな足技を使う長身FW(フォワード)悪童(あくどう)としても名高い。元スウェーデン代表の主将(キャプテン)だよ。だから、×が正解。って()うか、先刻(さっき)のオフサイドと()い、抑々(そもそも)手前(てめー)も、元サッカー部だろーが」

「えっ、まじなの?」

 目を()くひろみに、祐子が説明する。

「そうだよ。正ちゃんは小4から小6(まで)、六助君たちとサッカー部してたよ」

 腕組みした一平も隣で、殊勝(しゅしょう)な顔で(うなず)いている。でこぼこコンビの面目躍如(めんもくやくじょ)である。そして、()の段階で、18組となり予選終了となった。


 続いて、第二予選会場はグランドである。スタート地点は下駄箱(げたばこ)横の特設ステージで、其処(そこ)から3方向、100メートル、300メートル、500メートル地点に旗が立っている。それぞれの地点で問題がもらえるが、500メートル地点の問題は(やさ)しく、300メートル地点の問題は中位、しかもスカが5分の1の割合で入っている。100メートル地点の問題は難易度が高く、(しか)もスカが3分の1の割合で入っている。2問正解で決勝へ、(ただ)し、決勝に進むのは5組だけである。何処(どこ)の問題を選ぶかは自由であるが、ペア対決である為、二人手を(つな)いで走らなければならない。祐子にして見れば、(あこが)れの正太郎である。手を(つな)いで走るのは、とても、ときめいたが、体力には(まった)く自信が無かった。

「正ちゃん、如何(どう)しよう?」

「サッカー部の、でこぼこコンビは別格としても、高志、明彦、敬介、ひろみ、いずな、凛子も、身体能力は、かなり高いよ。乾坤一擲(けんこんいってき)だけど、一番、近い(ところ)を目指そうよ。大丈夫(だいじょうぶ)、祐子ちゃんの速度に合わせるから」

「…うん」


『それでは、よーい』


 ぱーんとピストルの音が鳴った。祐子と正太郎は、近くの旗を目指す。祐子は、正太郎と手を(つな)ぐのは、小学校6年のフォークダンス以来だったので、うれしさで気が遠くなりそうだった。いずな達も、近くの旗で問題を取りに行った。高志たちは、中の旗を、でこぼこコンビは、一番遠い旗を目指した。最初に戻ってきた組は、いずな・敬介ペアである。(しか)し、問題はスカだった。

「ムキャー、何、これ!」

 次に戻ったのは、近くの旗の問題で2年生のペアだった。問題は、

『徳川第9代将軍は?』

 答えられず、不正解。次に戻ったのが、正太郎・祐子ペアだった。

『死者に(むち)打つ。打たせたのは伍子胥(ごししょ)。では、打たれたのは?』

 正太郎が(にべ)もなく答えた。

平王(へいおう)

「正解」

「やったね、正ちゃん」

 正太郎が顔を(しか)め、眉間(みけん)(しわ)を寄せ(なが)ら、(あき)れた様に(つぶや)いた。

「…しかし、マニアックな問題だなあ。普通、打たせた方を聞いてくるだろうに…。祐子ちゃん、近くの旗は難易度がえげつないね」

「うーん。まあ、何方(どちら)にしても、えげつないけどね」

 次に戻ってきたのは、高志・ひろみペアだった。(しか)し、問題はスカだった。

「何よ、もう」

 明彦・凛子ペアも中の問題はスカだった。中々、問題にすらたどり着けない。()の次は何と、でこぼこコンビだった。往復1キロ走りきって、帰って来たのだ。途轍(とてつ)も無いスピードである。高志が(あき)れた。

「まじかよ…」

『島根県の県庁所在地は?』

 すかさず、一平が答えた。

「鳥取市」

「不正解」

 六助が()える。

「何やってんだ。島根市だろ。くそ、一平め。次行くぞ」

 祐子が走り(なが)ら、困った様な表情で()った。

「正ちゃん。遠い問題は、あのレベルみたいだよ。一平君は間違っちゃったけど。…六助君もだけど。これは、一問も(はず)せないね。近い問題は相当、難易度高いけど…」

「うん。だけど、俺達(おれたち)は、あの距離を走る体力は無いよ。大丈夫(だいじょうぶ)、あと、一問だから」


 近くの旗の問題は、難易度が高い上にスカが多く、軒並(のきな)み撃墜されている。高志・ひろみ組が、近くの旗から戻ってきた。

『元素番号117の元素名は?』

 高志が答えた。

「テネシン」

「正解です」

 ひろみが、大はしゃぎで、高志の肩を(たた)(なが)()った。

「高志、ナイス」

「くっそー、でも、近くの(ヤツ)は、難易度が半端(はんぱ)無えぞ…」

 倉皇(そうこう)している内に、また、でこぼこコンビが戻ってきた。相変わらず、体力だけは、半端(はんぱ)無い。

『埼玉県の県庁所在地は?』

 一平が勇んで答えた。

「ふふふ、Jリーグチームがあるからな。大宮市だ」

「不正解です」

「何い?」

「わー、バカやろ、引っかかりやがって。浦和市に決まってるだろ」

其方(そっち)も、ついでに不正解です」

「何だとお」

「くそっ、六、行くぞ」

 六助が愚痴(ぐち)(なが)ら、走り出す。

「くっそー、だけど、正解は何処(どこ)なんだ? まさか、所沢市じゃ…」

 いずなと敬介がテテテーと、駆け込み、でこぼこコンビと()(ちが)(なが)()った。

「ムッキー、さいたま市だよー」

「あーっ」

 いずな・敬介組は遠い旗から帰ってきた。

『坊ちゃんでお馴染(なじみ)道後温泉(どうごおんせん)は、何県?』

 敬介が満を持して答えた。

「愛媛県」

「正解です」

「いやったー」

 正太郎・祐子ペアは、2回目はスカだった。

 次に入って来たのは、明彦・凛子ペアだった。中の旗の問題である。

大憲章(マグナ・カルタ)の公布は西暦何年?』

「クッソー、いつだったかな? 年号の暗記はしなかったから…」

 横から、凛子が答えた。

「1215年」

「正解です」

「くそ、真ん中の旗でも、()難易度(レベル)かよ。(しか)し、凛子、こんなの、良く知っていたなあ…」

 凛子はすまして()った。

「こんなので悪かったわね。12月15日は、私の誕生日よ。以後、覚えておきなさい。大憲章(マグナ・カルタ)とセットで…」

 明彦は項垂(うなだ)れて、恭順(きょうじゅん)の意を示す。

「…はい」


 祐子は走り(なが)ら思った。体力的には、然程(さほど)(つら)くは無いが、あきらかに正太郎の足を引っ張ってしまっている。折角(せっかく)、正太郎が頑張(がんば)っていても、近い旗で勝負する事自体(じたい)が、かなり無謀(むぼう)である。祐子は正太郎の羈絆(きはん)となる事を恐れた。せめて、中の旗を目指したほうが良かったかも。(しか)し、正太郎の手は暖かく、優しかった。()の時、正太郎が、突然、速度を落とした。

「祐子ちゃん。大丈夫(だいじょうぶ)?」

「正ちゃん、平気だよ。もっと、早くても。…クイズ、負けちゃうよ」

「うん。()いよ。(オレ)結構(けっこう)楽しいし、でも、()の二人なら、スカじゃなければ、大丈夫(だいじょうぶ)だよ」

「うん」

 (いま)だ、2問先取して、勝ち抜けたペアはいなかった。みんな、かなりの苦戦を()いられている。そんな中で、高志・ひろみ組が中の旗から持ち帰った問題。

『スペイン無敵艦隊を、イギリス艦隊が打ち破ったアルマダの海戦は、西暦何年?』

 ひろみが即座に答えた。

以後はば(1588)()かす、イギリス艦隊。1588年よ」

「正解。1組目勝ち抜けです」

「やったー」

「よっしゃあ」

 ひろみと高志が抱き合って、()()ねて喜んでいる。

 其処(そこ)へ、でこぼこコンビが戻って来た。(すで)に、遠い旗への往復は4回目である。(しか)し、連中(れんちゅう)は、息ひとつ切らしていない。

『三平方の定理でお馴染(なじみ)みの、ギリシャの数学者は?』

 一平がニヤリとした。

「ふふふ、これなら、分かるぞ。テレビで見てたからな。ピタゴラスイッチだ」

「…不正解です」

「わー、ばかやろ、久しぶりの点取り問題だったのに…。答えはアルキメデスだろ」

「ついでに、あんたも、不正解です。あんまり、うちの学校の評判を落とさないように」

「くっそー、何だかわかんねーが、胸の小さい司会の姉ちゃんに、怒られちまったぞ」

「キーッ、こらー、サッカー部のでこぼこ二人組、余計(よけい)な事、()わない様に」

 観客からはクスクスと笑い声が聞こえる。明彦・凛子ペアが近くの旗から、戻ってきた。

荷電粒子(かでんりゅうし)が物質中を運動する時、荷電粒子(かでんりゅうし)の速度が()の物質中の光速度よりも速い場合に、光が出る現象は何?』

 凛子が狼狽(うろた)える。

「ちょっとお、何()れ?」

 明彦が横から答えた。

「チェレンコフ放射」

「正解です。2組目勝ち抜けです」

「やったわね、明彦」

「ああ。物理は好きなんだよ」

 明彦と凛子がハイタッチをしている。其処(そこ)へ、正太郎・祐子ペアが近くの旗から戻って来た。問題はスカではなかった。

『1938年のミュンヘン会談に出席した、フランス首相は誰か?』

 正太郎は(あせ)った。歴史好きの彼である。普段(ふだん)であれば、間違いなく出て来る名前だった。

(くっそー、ミュンヘン会談のフランス代表かあ。よりによって、一番、微妙な(ところ)を突いて来やがる。ヒトラー、ムッソリーニ、チェンバレン、あと一人、誰だっけ…?)

 正太郎は懸命(けんめい)に記憶を辿(たど)る。(しか)し、(あせ)れば(あせ)る程、フランス代表の名前は何処(どこ)かへ隠れてしまう。祐子は一瞬(いっしゅん)躊躇(ちゅうちょ)したが、正太郎の(くや)しそうな顔を見て、つい、答えた。

「…ダラディエ」

「正解。3組目勝ち抜けです」

「そうだ、思い出した。エドアール・ダラディエだ。すごいよ、祐子ちゃん。良く知ってたね」

 正太郎はそう()うと、祐子を強く抱きしめた。

「…ううん。たまたまだよ。わあっ」

(えっ、えっ、えーっ)

 祐子は勿論(もちろん)(うれ)しかったのではあるが、それ以上に驚いた。そしてもう、死んでもいいと思った。先程、一瞬見せた、祐子の躊躇(ちゅうちょ)は、祐子のある秘密と深く関係していた。祐子は、自ら(いまし)めた(タブー)を破って、正解を答えた。それに対して、正太郎は熱い抱擁(ほうよう)(むく)いてくれた。祐子は思った。『私は()の思い出だけで、一生、生きていける』。実際、人生はそんな軽い物でも無いのだろうが、青春()只中(ただなか)の祐子にとっては、今の思いが(すべ)てである。だが、不吉な予兆(よちょう)が有った。抱擁(ほうよう)する二人を見つめる、(するど)く、燃える様な眼差(まなざ)し。火の出る様な(ひとみ)で、じっと凝視(ぎょうし)している。()(ひとみ)の持ち主は、(しばら)く二人を見つめていたが、(やが)ては、くるりと(きびす)を返すと通用門から出て行った。校門ですれ違った二人組が振り返った。

「あれ、今の千春ちゃんじゃねえか。ほら、ブラバンの…。一人だったみたいだし、声掛けてみようぜ」

「やめとけよ、なんか、すげー怖い顔してた」


 場面を戻そう。祐子たちの後に3年生のカップルが決勝進出を決め、残る席はあと1席となっていた。いずな・敬介ペアは(いま)だ決めていない、1問目正解の後の、3連発のスカのせいで、問題にすら、辿(たど)りつけていない。敬介が厳しい顔つきのいずなに()った。

「いずなちゃん。ごめんね、堅実に遠くの問題にしようよ」

「相当数、リーチが掛かっている。ケースケ、近くの問題で勝負しよ。大丈夫(だいじょうぶ)、いずなが必ず、何とかするから」

 いずなは、そう()うと、(りん)とした表情を(ゆる)め、(あたた)かみの有るニッコリとした笑顔になった。八重歯(やえば)がとても愛らしい。敬介は思わず(うなず)くと、近い旗に向かって二人で駆け出して行った。そして、いずな・敬介ペアが戻ってきた時には4組のペアが問題待ちをしていた。直前の一組がでこぼこコンビなので、リーチは前の3組である。いずなは祈るような思いで見つめていた。最初の1組はスカ、次の2組目は不正解、3組目はスカ。4組目のでこぼこコンビは、神奈川県の県庁所在地を問う問題に正答して、(ようや)く1問正解とした。いずなは司会者に封筒を渡すと、じっと目を閉じた。問題はスカではなかった。いずなは、再び、目を開けたが、それを見た敬介は慄然(ギョッ)とした。いずなは(まった)く、別人の顔になっていたのだ。感情に(とぼ)しい(うつ)ろな目つきである。表情豊かで、可憐(かれん)ないずなの顔ではなかった。司会者が問題を読み上げる。

『江戸幕府が成立した時の、第107代天皇は誰?』

 いずなは安心した様に大きく息を()くと、(にべ)も無く答えた。

後陽成天皇(ごようぜいてんのう)

「正解です。5組目勝ち抜けです。()れで、予選終了となります」

「やったね。いずなちゃん」

「ムキー、やったね。ケースケ」

 いずなと敬介はハイタッチをした。いつもの愛くるしい表情のいずなに戻っている。でこぼこコンビが戻ってきた。六助が一平に()った。

「くっそー、後、一歩だったな」

 高志が突っ込んだ。

「…何処(どこ)がだよ。おめーらがあんまり間違うから、司会の姉ちゃん、怒ってたじゃねーか。大体(だいたい)、あんな問題で3往復もするか?」

「いや、6往復だぞ」

「マジか? 6キロだぞ。抑々(そもそも)()(あと)、お前ら試合だろ? 大丈夫(だいじょうぶ)なのか?」

「準備運動代わりだ。まあ、何とかなるだろ」

「よし、行くぞ。六」

「ああ、じゃあな、()(あと)、決勝もがんばれよ。祐子ちゃん。そして、来年は(おれ)と組もうぜ。一平のバカは(くび)にするから」

「なんだとお」

「六助君も、一平君も、試合がんばってね」

 二人とも、振り返らずに、右手を上げて、(さわ)やかに去っていった。


 決勝のステージの会場は、美人コンテスト(ミスコン)が終わった講堂である。ステージの上には、2(きゃく)ずつ、計10(きゃく)の椅子と5(きゃく)の机があり、各机にはノートパソコンが2台づつ、置かれている。基本、早押しであり、『enter』キーを、一番先に押した者だけに解答権が与えられる。パートナー同士の相談は可であり、お手つき、誤答はマイナス1ポイントで、5ポイント先取で優勝である。(ただ)し、ポイントがマイナスになった時点で、失格となる。従って、最初の0ポイントの段階ではお手つきが出来(でき)無いと()う事だ。いずなが、敬介に向かって小声で(つぶや)いた。

「ねえ、ケースケ。本気で勝ちに行っても()い? リミッターを外しても()い?…いずな、本当は、ケースケには嫌われたく無いんだけど…」

 敬介は、咄嗟(とっさ)に、いずなの()っている事が分からなかった。

「えっ、ああ、勿論(もちろん)だよ」

「いずな、先刻(さっき)みたく、(こわ)い顔に成るかも知れないけど…。平気?」

「うん。先刻(さっき)のだって。すごくクールでカッコよかったよ」

「そう、ありがとね」

 そう()うと、いずなはニッコリと微笑(ほほえ)んだ。小柄な中学生の様な身体(からだ)付きであるが、キリッとした美しい顔立ちの笑顔であった。が、すぐに、無表情に戻ると、()った。

()のメンバーの中で、最大の脅威は、恐らくゆうちん。…多分(たぶん)、いずなと似た特殊能力を持っている…」

「えっ、特殊能力って?」

「ごめんね。今は…。ゆうちんが本気で勝ちに来るかどうかは、分からないけど、本気で勝ちに来た場合、勝負は何方(どちら)に転ぶか分からない。加えて、正ちんもいるし…。正ちんの場合、何て()うのかな、特殊能力は無くても、蘊蓄(うんちく)半端(はんぱ)ないんだよ。(おそ)らく、()のメンバーでも屈指(くっし)の雑学だと思う。()の上、直感力が(すさ)まじい。正解を直感する力って()うのかな…。()し、あの力で、問題を先読みされたら、いずなでも、成す(すべ)無いよ。…本当は、折角(せっかく)()いお友達のケースケに嫌われたく無いんだけど…」

 敬介はいずなの特殊能力について、推測した。敬介には、うすうす(さっ)しはついている。敬介は、入学以来、いずなを、いずなだけを見て来た。いずなの()う特殊能力とは、(おそ)らく、記憶力に関する物だ。敬介も何度か見た事がある。いずなの記憶力は、尋常(じんじょう)では無いのだ。それについては、傍証(ぼうしょう)もある。いずなと同じ清水中学出身の同級生から聞いた話である。彼らは異口同音(いくどうおん)()()う。『小泉は教科書を使わない。丸暗記してやがるんだ』と。敬介は大好きないずなの(うわさ)蒐集(しゅうしゅう)した。(うわさ)大半(たいはん)は悪意に満ちた、聞くに()え無い物ばかりではあった。それでも、敬介にはいずながどの様な中学時代を送って来たか、容易に想像できた。敬介はいずなの中学時代を思い、涙した。いずなの特殊能力、超記憶力は(おそ)らく、サヴァンと呼ばれるべき物であろう。(ほとん)ど、人智(じんち)を超えた能力である。いずなは今迄(いままで)の15年の人生の中で、同様の能力を持った人間と出会った事は無かった。祐子以外には。祐子は花見の際での、恋愛に(まつ)わる花言葉のサイトを一読(いちどく)して、画像と文章を記憶したと()った。他の者なら、祐子の冗談(じょうだん)であると思い、一笑(いっしょう)()すであろう。(まった)く、同じ事が出来(でき)るいずなだったからこそ、信じたのである。勿論(もちろん)、高校入学以来、いずなも、()の能力を(ひけ)らかしてはいなかった。(むし)ろ、巧妙(こうみょう)に隠して来た。あどけない子供の様な風貌(ふうぼう)で、無邪気(むじゃき)な子供の様な言動で。()の能力を無制限(フルスロットル)に使用すれば、周囲が如何(どう)反応するかは、いずなも知り抜いていた。小学校時代に、そして、中学校時代に。だから、清高に入学してからはセーブしている。でも、必要に応じては、(はばか)らずに使用した。()(あた)りは、いずなの合理的な性格に根ざすものであろう。敬介は無邪気(むじゃき)な笑顔で()った。

「うん。分かった。思いっきりやってよ。いずなちゃん」

 敬介の屈託(くったく)の無い、無邪気(むじゃき)な笑顔が、いずなの背中を押した。

「うん」

 いずなも、ニッコリ笑って応じた。筆者は推測する。敬介は思い(いた)ら無かった様だが、いずなにはもうひとつ、(ひそ)かな思惑(おもわく)があったのだと。いずなは、敬介には素顔(すがお)の自分を見てもらいたかったのだと。敬介の心を試す様な、小聡明(あざと)い心理では無かったとは思う。(いや)、確かに()の様な意図(いと)多少(たしょう)はあったかもしれない。()し、()のいずなを見て、敬介が離れて行く様だったら、(ある)いは、嫌悪感を示す様であったのならば、話は簡単だ。いずなが距離を置けば良い。いずなは、過去にもそうして来た。(しか)し、簡単と書いたが、それは、本当に、容易に出来(でき)る事なのであろうか? いずなは回想する。最近、(とみ)に感じる事だが、敬介の(そば)は暖かだった。とても、居心地が良かった。春の日の陽だまりの中に居る様に暖かく、夏の日の木漏(こも)()の中に居る様に安らげて、秋の(すすき)の原を渡る風を感じる様に清清(すがすが)しく、冬の降り積もる雪の様に純粋で、敬介の(そば)は、とても居心地(いごこち)が良かった。いずなは最早(もはや)(みずか)ら距離を置きたくても、出来(でき)無い(ところ)(まで)来ていると、心の何処(どこ)かで自覚していた。


 最初のクイズは単純な早押しクイズだった。いずなは(またた)く間に2ポイント先取した。いずなは、(すで)に、全開戦闘(フルスロットル)モードである。3問目は(かろ)うじて高志が早かった。が、4問目はやはり、いずなが取った。いずな・敬介ペアが大きく先行する形となった。祐子が小さく(つぶや)いた。

「いずなちゃん。本気だ…」

 正太郎が左側のいずなの方を、チラリと流し見る。

「えっ」

 正太郎は愕然(がくぜん)とした。いずなは、まるっきり別人の相好(そうごう)なのである。(うつ)ろな目、(かた)く引き()まった口元、仮面の様に無表情な顔。(すべ)てが別人であった。

(くそっ、如何(どう)なってやがる。それに、あの知識。ウィキペディアが頭ん中にあるみたいだ)

 正太郎の感想は(おおむ)ね正しい。と()うよりも、いずなの特殊能力を、(もっと)的確(てきかく)に表現した言葉であろう。5問目は(かろ)うじて明彦がとった。正太郎は思った。

(くそっ、()(まま)じゃあ駄目(だめ)だ。こちらが回答を検討している間に、先を越される。()うなったら…)

 正太郎は、隣の祐子に、低く(つぶや)いた。

「祐子ちゃん、ごめん。失格になるかも知れないけど…」

「うん。分かってるよ、正ちゃん。それしか、無いもんね」


 正太郎の考えた戦法とは、他の回答者の確定ポイント手前で勝負を賭ける事であった。そして、次からは、5ヒントクイズだった。10秒(ごと)に、ノートパソコンに5つのヒントが表示されるので、早押しで答えるものだった。制限時間は60秒。()れなら、正太郎が考える戦法も大いに余地(よち)がある。問題は、人物問題である。第六問目最初のヒントは、『鹿児島県出身』だった。()れだけでは、流石(さすが)()だ、答え様が無い。そして、次のヒントが『出生1848年』。さらに、『トルコでは著名人』。(いま)だ、()の段階でも、回答者達は手掛かりの糸口さえ見えずに、呻吟(しんぎん)している。(しか)し、正太郎は違った。彼は(かす)かに、自信ありげな表情を浮かべると、()の右手を粛然(しゅくぜん)とエンターキーの上へと移動させた。第4ヒントが『5月27日』そして、『皇』と表示された(ところ)で、正太郎がエンターキーを押した。

「東郷平八郎」

「正解です」

「皇国の興廃。()の一戦にあり…」

 正太郎が低く(つぶや)く。祐子が(うなず)く。

「そうか…」

 続いて、7問目、同じく人物問題。第一ヒントが『生まれは讃岐(さぬき)』、第二ヒントが『医者、蘭学者(らんがくしゃ)浄瑠璃(じょうるり)作者、俳人』、此処(ここ)で、また、スーッと音も無く正太郎の右手がエンターキーの上に置かれた。そして、第三ヒント『1780年。獄中(ごくちゅう)にて破傷風(はしょうふう)により死去』と表示された(ところ)で、正太郎の右手が、(はげ)しくエンターキーを(たた)いた。

「平賀源内」

「正解です」

 正太郎が(つぶや)く。

()の病気で亡くなった著名人は、()の人しか知ら無いよ…」

 ()の問題の最終ヒント、(おそ)らくは、『エレキテル』(あた)りになったのであろうが、正太郎は其処(そこ)まで到達させない。(おそ)るべき博識(はくしき)ぶりなのである。祐子は(あき)れた様に正太郎を見詰(みつ)めている。


 8問目同じく人物問題。第一ヒントが『紀元前480年』、()の瞬間、正太郎の右手がエンターキーの上に置かれた。そして、正太郎は、祐子にだけ聞き取れる(ほど)の低い声で、静かに(つぶや)いた。

「年号は『テルモピュライの戦い』の年号だ。答えが人物な(わけ)だから、スパルタ王かペルシア王か『歴史』の著者(ちょしゃ)のいずれかだ…」

 第二ヒントが『史上、(もっと)も大きな戦力差の戦い』、これも、テルモピュライの戦いについての叙述(じょじゅつ)だ。(おそ)らく、正太郎は誰かが特定された瞬間に動くであろう。そして、第三ヒントが『カルネイア祭』と表示されたところで、正太郎の右手が激しくエンターキーを叩いた。

「レオニダス1世」

「正解」

 祐子が、(すこぶ)(たの)もしげに()った。

「…相変らず、(すさ)まじい知識だね」

 正太郎が、多少(たしょう)、照れ(なが)ら答える。

「そんな事、無いよ。年号で特定できたのはラッキーだった。三択だったけど、十中八、九、レオニダス王だと当たりがついていた。これが、クセルクセス王やヘロドトスだったら、やばかったけど」

 いずなは(うつ)ろな(ひとみ)で、右側にいる正太郎を(なが)める。何と()う事だ! あっと()う間に並ばれた。(まさ)に、(おそ)れていた展開であった。

(やられた、正ちんは確定ポイントの前で仕掛けて来ている。()れをやられると手も足も出ない。(しか)も、知識の(はば)桁違(けたちが)いだ)

 いずなの感想のとおりであろう。正太郎がエンターキーを押した問題、全ヒントが表示されれば、(おそ)らく、()のメンバーであれば、数組はエンターキーを押すだろう。勿論(もちろん)、いずなもである。だが、正太郎は()れを防ぐ為に()の様な戦法に出た。本来(ほんらい)、リスキーな戦法である。初手(しょて)で失格になる可能性すらあったのだ。(おそ)らく、正太郎は第一、()しくは、第二ヒントの段階で答えの目星(めぼし)をつけているのであろうが、それとても、完全では無い。間違(まちが)った目串(めぐし)である可能性も、決して低くは無いのだ。いずなは其処(そこ)(まで)考えた時、

(いや)、そうではない。)

 と、(みずか)らの考えを否定した。そうだ、確かに違う。そして、正太郎は決して冒険をしている(わけ)では無い事を(さと)った。やはり、正太郎は確定ポイントを完全に見切って、エンターキーを(たた)いているのだ。(ただ)し、()の確定ポイントの位置が、常人(じょうじん)(ばな)れしているだけなのだ。東郷元帥(げんすい)詳細(しょうさい)にしてもそうだが、平賀源内の死因やカルネイア祭の記述など、教科書に()って来る様な話などでは決して無い。正太郎の知識が半端(はんぱ)無いだけなのだ。いずなは、『教科書には()っていない知識を好む男』を畏敬(いけい)の念を()って、まじまじと(なが)めた。初めて目にするタイプの人間だった。

(くそっ、早く人物問題終われ。()(まま)じゃあ、いずれ…)

 いずなは、切歯扼腕(せっしやくわん)した。(おそ)らく、正太郎の幅広い知識の中でも、社会系、所謂(いわゆる)、人文地理の(たぐい)(もっと)も得意とする(ところ)なのだろう。予選に関して()えば、理科系でも、目立った穴は見当たら無かった。()(かく)、社会系から(はず)れなければ、正太郎に蹂躙(じゅうりん)されるだけである。()(まま)では、いずなに勝ち目は無かった。


 9問目は地形名を答える地理問題だった。また、社会系の問題である。第一ヒントが『北緯30度0分 東経27度30分』、何処(どこ)だろう? 中東? いや、()(あいだ)興味本位(きょうみほんい)で調べたエルサレムの位置が、東経35度、北緯31度だった(はず)だ。とすれば、北アフリカの(あた)りか。第二ヒントが『不毛の土地』、第三ヒントが『湖と塩沼(えんしょう)点在(てんざい)』、()だ、誰も押さない。()(あた)りで、問題に成り得る様な特徴的な地形は、一体(なん)だろう? 第四ヒントが『エル・』と表示されたところで、正太郎がエンターキーを、激しく(たた)いた。

(しまった。やられた)

 万事休(ばんじきゅう)す。いずなは、静かに目を閉じた。(しか)し、回答権を得たのは、意外にも、敬介だった。敬介の方が(わず)かばかり早かったのだ。正太郎も、しまった、と()う顔をしている。

「カッターラ低地」

「正解」

 正太郎が(くや)しそうに(つぶや)く。

「エル・アラメインの戦い…」

「ムッキー、やったね、ありがとう。敬介」

「えへへ、いずなちゃんにばかり、負担を掛けられないからね」


 いずな・敬介ペアがリーチとなった。次の問題は英語だった。いずなは心の中で(ひそ)かに、快哉(かいさい)を叫んでいた。実に理想的な展開だ。正ちんには悪いけど、英語なら、正ちんは達磨(ダルマ)同然だ。現に、すごい渋面(じゅうめん)を作って画面を凝視(ぎょうし)している。英語であれば、バイリンガルで英語は学年トップクラスであるいずなが圧倒的に有利だ。日本語より早く読めるだろう。いや、相手は英語が赤点すれすれの正太郎である。有利、不利は(ろん)ずるだけ、無用の事であろう。(むし)ろ、警戒すべきは、凛子や高志だ。いずなは、一番の得意科目で優勝を確実にしたかった。()れを(はず)して次の問題が、社会系や国語になったらば、目も当てられ無い。問題は、教科書1ページ程の英文があり、最後のセンテンスの一ヶ所がブランクになっており、其処(そこ)の部分の単語を打ち込んでエンターキーを押すものだった。いずなは、文章の最初のセンテンスを読んで思った。

()の文章。私は記憶している。そうだ、英語選抜クラスの副読本だ。確か、58ページの文章)

 当然(とうぜん)、まだ授業では習ってはいなかったが、(うわさ)のとおり、いずなは教科書を丸暗記していた。いずなは記憶の海にダイブした。いずなは(もぐ)り続ける。光すら差し込まない記憶の深海に、どんどんと(もぐ)る。暗い記憶の深淵(しんえん)の果てに、見つけた、()れだ。答えは『alternative』だ。いずなは宝箱を見つけた思いだった。(まん)()して、答えを打ち込みエンターキーに手を掛けた。()刹那(せつな)、誰かがエンターキーを押したのだ。

「えっ…」

 (まさ)に、晴天(せいてん)霹靂(へきれき)であった。いずなは驚愕(きょうがく)の表情を()かべつつ、(あわ)てて周囲を顧眄(こべん)する。

(誰が一体(いったい)…?)

 押したのは祐子だった。

「正解です」

「ありがとう、祐子ちゃん。英語だと、(オレ)達磨(ダルマ)だもん。助かったよ」

「えへへ…」

(しまった。やられた。そうだ、ゆうちんがいたんだった)

 いずなは後悔した。何故(なぜ)、祐子の事を忘れていたのだろう。一番、マークしていた(はず)なのに。確かに、今日、祐子は目立った活躍は無かった。でも、一番警戒すべき相手には違い無かったのだ。そして、同時に確信した。

(やはり、ゆうちん。私と類似した能力を持っている。それも、かなり精度が高い…)

 そうでなければ、説明がつかない。いずなは記憶を辿(たど)るのに1秒程度(つい)やした。2秒と掛かっていなかった(はず)だ。(しか)し、祐子はノータイムで打ち込み始めていたのであろう。でなければ、いずなに先んじて入力なぞ、出来(でき)(はず)が無い。

(ゆうちんも本気だ。本気で、勝ちに来ている)

 祐子が本気であれば、勝敗の行方はどちらに転ぶか分からない。いずなは左手を握り締め、(うつ)ろな目をして敬介に()った。

「ケースケ、多分、次が最後の問題になる。気合入れていくよ」

 表情は相変わらず、仮面の様に無表情だ。でも、声の調子はいつもの可憐(かれん)ないずなだ。

「うん」

 敬介は、力強く(うなず)いた。


 次の問題は数学である。だが、少々毛色(けいろ)が変わっていた。先程(さきほど)の6ヒントクイズに近い物である。10秒(ごと)にAからF、計6つの選択肢が現われる。()の中で正答を選び、分かった段階でエンターキーを押す。という早押し問題だった。全ての選択肢が出揃(でそろ)うのは、50秒後であり、制限時間は60秒である。実質、10秒で正答を(みちび)き出さなければなら無い。問題は、次の中から約数(やくすう)が一番多いものを答えなさい。と、()うものだった。『A・225225』、6桁の数字である。祐子の暗算能力は途轍(とてつ)も無く早い、()れに反し、正太郎は、(むし)ろ、人より遅い位だった。祐子は暗算してみたが、意外と約数(やくすう)(おお)そうである。祐子は隣の正太郎に、申し訳無さそうに(つぶや)いた。

「ごめんね、正ちゃん。意外といろんな数字で割れるみたい」

「ああ、多分(たぶん)、15以下の全ての奇数で割りきれるみたいだ。()れに25でも」

「えっ…」

 祐子は驚いた。正太郎は何故(なぜ)そんな事が分かったのだろう? そして、正太郎が、前方を見据(みす)えて、静かに(ささや)いた。

「…次、来るよ」

『B・263383』

 数字を見るなり、正太郎が(まゆ)(ひそ)めた。(しか)し、祐子が静かに(つぶや)いた。

「これ、多分(たぶん)素数(そすう)

「えっ…」

何故(なぜ)、そんな事が分かるのだろう?)

 今度は、正太郎が驚く番だった。正太郎は一瞬、呆気(あっけ)に取られて、祐子を見つめたが、すぐに、

「分かった」

 と、小さく(うなず)き、諒解(りょうかい)の意を示した。

『C・429025』

 数字が出た瞬間、正太郎が(つぶや)いた。

「祐子ちゃん、()の数字、25で割れる。暗算出来(でき)る?」

「うん。…17161」

「問題は()の数字なんだが…」

「正ちゃん。()の数字、131の二乗」

「えっ、…分かった」

『D・107110』

「くそっ、偶数が来やがった…」

 正太郎が唇を()()める。祐子がすぐに小声で()った。

「正ちゃん、10711が、多分、素数(そすう)。だから、素因数分解(そいんすうぶんかい)すると因数(いんすう)は3つだけ」

 正太郎は驚き(なが)らも、

「ありがとう、祐子ちゃん」

 と、小声で()うと、画面を見据(みす)えた。

『E・165569』

 祐子が()かさず()った。

「これも、多分(たぶん)素数(そすう)

 祐子の(ささや)きを聞いた刹那(せつな)、正太郎はエンターキーを、全力で叩いた。

「えっ」

 祐子は驚いた。Fの選択肢が()だ出てはいない。正太郎は、何故(なぜ)押したのだろう? 祐子の心配をよそに、正太郎は毅然(きぜん)として答える。

「Aです」

 しばし、間があった。会場も水を打った様に静まり返っている。

「正解です。()の瞬間、優勝決定。高野・山本ペア」


 会場に歓声が巻き起こる。正太郎は祐子の方を見ると優しく微笑(ほほえ)んだ。

「ありがとう。祐子ちゃんのお陰だ。」

「…ううん。でも、やったね」

「ああ。優勝だ」

 正太郎は満面に()みを浮かべている。正太郎と祐子は立ち上がると、握手を交わした後、正太郎は祐子を強く、堅く抱きしめた。祐子はまるで夢心地だった。(うれ)しくて、(うれ)しくて、涙が出て来た。またしても、禁を破ってしまった。でも、後悔はしていなかった。一方、いずなは、呆然(ぼうぜん)と画面を見つめていた。いずなは、()の特殊能力により、素数(そすう)(あぶ)り出す事は容易だった。()れだけに、あのタイミングでエンターキーを押した正太郎が信じられ無かった。いずなの表情は、()き物が落ちて行くかの様に、次第(しだい)に、普段の無邪気(むじゃき)ないずなの顔に、戻って行く。敬介が心配そうに横から声を掛ける。

大丈夫(だいじょうぶ)? いずなちゃん。残…念だったね」

 いずなは思った。やはり、敬介の声の調子(ちょうし)がいつもと(まった)く違う。

(そりゃ、そうだ。全力(フルスロットル)の私を見せちゃったもんね。あーあ、優しい、()い人だったのになあ…。でも、距離を置くしか無いか…)

 其処(そこ)(まで)考えた時、いずなは(ようや)く、一番、大切な事に気がついた。抑々(そもそも)、自分から、ケースケと距離を置く事なんて、()っくに出来無(できな)くなっていた事に。そして、()の事が、いずなの心を、激しく(さいな)む。ツツーッといずなの(ひとみ)から大粒の涙が(こぼ)れ落ちた。

「負けちゃった…。ごめんね、ケースケ」

「…いずなちゃん」

 いずなは涙を(ぬぐ)うと、正太郎と祐子の(もと)に行き、笑顔で()った。

「優勝おめでとう。(まった)く、いずな、完敗だよ。でも、一つだけ教えて。何で、あのタイミングで、エンターキーを押したの?」

 正太郎は、()も、驚いた様な顔で、(あき)れた様に()った。

「えっ、そりゃ、いずなが居たからだよ。いずなも、あの段階では、Aだって判っていたんだろ? いずなに答えさせない為には、先に押すしか無いよ。祐子ちゃんのおかげで、あの時点では、Aに絞られていたから、本来は6分の1だった(はず)の勝機が2分の1まで上がったんだ。充分だよ。だって、()のクイズ、解答権は一番最初にエンターキーを押した人だけって、なってたぜ」

「あっ」

 いずなは愕然(がくぜん)とした。

(そうだ、確かにそうだ。誤答の場合、解答権を失うのは通常のクイズと同じだけど、二番目にエンターを押した人間に解答権は認められ無い。つまり、明記されては無いものの、パス権も存在したんだ。1ポイント支払う事によって。…(まった)く、正ちん、(なん)て事に気がつくの?)

「だから、1問前の英語もいきなりエンター押そうとした。だけど、祐子ちゃんが打ち込み始めていたから()めたんだ。最後の問題も、冒頭(ぼうとう)でいきなり押そうと思った。俺、算数も数学も得意じゃないから。でも、予想以上に祐子ちゃんの暗算能力が高かったから…」

 いずなは、やれやれと()った風な溜息(ためいき)を一つ()くと、笑顔を浮かべ、二人を祝福した。

「本当に完敗。…大したもんだよ。正ちん、ゆうちん、おめでとう」

 祐子も正太郎に(たず)ねた。

「私も一つ聞きたいな。正ちゃん、225225が『15以下の全ての奇数で割りきれる』って、()ってたけど、如何(どう)やったの? 検算したら確かに()のとおりだったけど、暗算したの?」

「まさか。俺、25以下の整数の倍数判定方法、全て知っているもん。(おれ)の暗算能力じゃあ、手に負えない物も有るけど、あの数字は計算し(やす)かった。だから、分かったんだよ」

 高志が(あき)(なが)ら、寄ってきて、握手を求めた。

「優勝おめでとう。完敗だ。(まった)く、妙な事に(くわ)しいのな。普通は平賀源内の死因なんぞ、知らねーだろう。それに、()(あと)の問題、レオニダス1世って何者だ?」

「スパルタの王様だよ。ペルシア戦争のテルモピュライの戦いで戦死した…。映画にもなったぜ」

「まったく、()の知識、(あき)れるよ。それに、倍数判定方法って何だよ」

「ああ、意外と大きな数字まであるんだよ。そう()うのが」

「数学が苦手な(ヤツ)が、んな事、知っている(わけ)ないだろう。何でそんなの覚える必要があるんだ」

「ん、それは、CUBEに閉じ込められた時の(ため)さ」

「まったく、カルトなネタを…」

 みんな、口々に祝福する。正太郎は(うれ)しかった。自分を表現出来(でき)たのも()る事(なが)ら、最近、常に意識している祐子と二人で、素敵な経験が出来(でき)たのだから。勿論(もちろん)、祐子にとってもである。確かに、学校祭は()するものがあった。が、まさか、正太郎と二人でこんな大冒険が出来(でき)るとは、思っても見なかった。一向はクイズ大会の感激を()(まま)に、講堂に残り音楽部の演奏を聴いた。そして、合唱部や、軽音部を聞いて行った。一行が講堂を出たのは閉門間近の16時50分だった。そして、敬介は用事が有るからと帰って行った。グランドの特設ステージでは、ギター部が最後の演目である、カノン・フラメンコを演奏していた。演奏者はヤスベエである。ヤスベエは()の三枚目キャラとは裏腹(うらはら)に、ギターは途轍(とてつ)も無く上手(うま)い。正太郎が足を止めて聞き入っている。それを見た祐子が()った。

「カノンのフラメンコなんて初めて聞いたよ。素敵なアレンジだね。それに、康代ちゃん(すご)上手(うま)いね」

「本当だね、ヤスベエも大したもんだ。これだけ、自由に()けると気持ち良いだろうね」

 正太郎がしみじみと()(なが)ら、熱演しているヤスベエを(うらや)ましそうに(なが)めていた。


 帰宅に当たり、正太郎と祐子はみんなと別れ、正門の方へ向かった。他のみんなは、通用口方面へと歩き出した。いずなは、みんなのやや後ろを、(うつむ)きがちに歩いている。少し前に、敬介からメールが来ていた。『解散したら正門に来て欲しい』と。いずなには、敬介の用向きは分かっていた。音楽部の演奏を聞いていた時も、敬介の様子(ようす)が、何処(どこ)と無く普段とは違っていた。無邪気(むじゃき)で陽気な(はず)の敬介が、言葉数(ことばかず)少なめで、いずなに対しては、何処(どこ)()れ物にでも(さわ)る様な態度であった。過去に何度と無く、歩いて来た道である。過去に何度と無く、見て来た光景である。いずなの特殊能力を()()たりにした友人達は、(おおむ)ね、同じ様な反応をする。痛烈に面罵(めんば)する者もいれば、化物呼ばわりをする者もいる。絶縁宣言をする者もいれば、()い友達でいよう。と()(なが)ら、結局、距離を置かれる。(すべ)て、帰結する(ところ)は同じで、それが、永遠(とわ)訣別(けつべつ)となる。だが、()うして会って宣告してくれる方が、(おそ)らくは、()だマシなのだ。大半(たいはん)の人は、(ただ)、黙っていなくなる。いずなは、過去に、何度も、何度も、()れこそ、吐き気がする程、()の様な経験をして来た。にもかかわらず、いずなは、敬介に会おうと思っていた。それが、今迄(いままで)、いつも(そば)に居てくれていた敬介に対する最低限の礼儀であったし、いずなの悲しい一分(いちぶん)でもあった。そして、敬介に何を()われても泣くまい、何を()われても敬介を責めまいと、そう心に固く誓っていたのだ。(かたむ)き掛けた夕日は、校舎を(あかね)色に染めて行く。通用門の(ところ)で全員解散となった。いずなは、多少、(さみ)しげな()みを浮かべ(なが)ら、『また、明日ね』、と()って、とぼとぼと、校舎の方へ戻って行く。初夏の(さわ)やかな風が、いずなの後ろから優しく包み込む。紫陽花(アジサイ)の花が(かす)かに揺れている。みんなは呆然(ぼうぜん)として、悄然(しょうぜん)とした、いずなの後姿を見送っていた。(しか)し、(やが)て、いずなの(はかな)げな後姿は、学校祭初日を終え、生徒達や来客でごったがえす黄昏色(たそがれいろ)雑踏(ざっとう)の中に、溶け込んで行った。いずなは、祭りの余韻(よいん)(ひた)る楽しげな生徒達の流れに逆らって、(ひと)り、(うつむ)きがちにとぼとぼと歩く。今にも、涙が(こぼ)れ落ちて来そうである。そして、正門の横。翼のオブジェの前にケースケが立っているのを(みと)めた。


 敬介もいずなを見つけると大きく手を振った。

「いずなちゃーん」

「…」

 いずなは、黙ってケースケに歩み寄ると、不安そうな面持(おもも)ちで、(おもむろ)()った。

「…何、話って」

「ん。…歩き(なが)ら、話そう」

 二人は歩き出した。奥歯に物が(はさ)まった様な物謂(ものい)いで敬介が切り出した。

「あのさ、惜しかったよね、クイズ大会」

「…うん」

「でも、いずなちゃん、(すご)くがんばっていたじゃん。だから、残念会、じゃ無かった…、準優勝おめでとう会をやろうよ。キャトルで。(オレ)、あまり金無いけど、いずなちゃんの大好きなチーズケーキとコーヒー分(くらい)はあるからさ。そして、来年もペア組んで、正太達にリベンジしようぜ」

 いずなはきょとんとして、聞き返す。

「…()れだけ?」

「うん」

 いずなは、渾身(こんしん)からの勇気を振り絞り、恐る恐る、敬介に(たず)ねてみた。

「…他に無いの? 顔が怖かったとか、気持ち悪かったとか、その…、化物みたくて嫌だったとか…」

 対する敬介の答えは(すこぶ)る意外な物だった。

「何、()ってるの。すごく格好(かっこう)良かったよ。表情はちょっと驚いたけど。年上のお姉さんみたくて…、その…、(すご)綺麗(きれい)だった。いずなちゃん、クイズで負けた時、涙流して(くや)しがっていたじゃん。(オレ)、いずなちゃんの(ため)に、何かしてあげたくてさ…」

 いずなは、(まった)く予測も出来(でき)無い様な、敬介の(なな)め上の答えに(ひど)戸惑(とまど)っていた。そして、目頭(めがしら)が熱くなって来るのを、はっきりと自覚した。敬介は、いずなの事を気味悪がっていた(わけ)では、無かった! ただ、落ち込んだいずなを、心配していただけだったのだ! いずなは、『何があっても泣くまい』、そう思ったのは間違い無い。(しか)し、よもや、感涙(かんるい)(むせ)羽目(はめ)になろうとは、夢に思ってもみなかった。

(いるんだ。こんな、純真で無垢(むく)な人が…。出来(でき)(わけ)無いよ。私の方から距離を置くなんて…)

 いずなは、ひとつ、大きく息を()くと、両腕でゴシゴシゴシっと涙を(ぬぐ)い、完全にいつもの調子(ちょうし)()った。

「ムキー、何、()ってるの、ケースケ。がんばったのは、ケースケもでしょ。だから、ケースケの分はいずなが出す。()いでしょ?」

「う、うん」

「それに、其処迄(そこまで)()ってくれるんなら、いずな、副賞も欲しいな」

「副賞?」

「ムキ。それは、明日もいずなと一緒に回る事。学校祭の間は、いつもいずなと一緒(いっしょ)にいる事!」

「も、も、勿論(もちろん)だよ。明日も、明後日(あさって)も、明々後日(しあさって)も」

「ムキー、学校祭は明日までだよ」

「あ、そうか。だったら、僕も副賞がほしいな。あのね、キャトルまで、おてて(つな)いでも()い?」

「…うん」

「やったー。じゃあ、キャトル行こう。あっ、でも、キャトル近いからな。そうだ、日本平(にほんだいら)経由キャトルってのは如何(どう)?」

「ムキー、調子に乗らないの。何キロあると思ってんのよー」

 手を(つな)いだ二人の影が、逆光の夕日の中から伸びて来た。


「行った?」

 講堂の玄関口。大きな石の柱の影から祐子が聞く。

「うん。行ったみたい」

 柱の影から正太郎が顔を出す。二人は帰ろうとしたら、いずなと敬介が居たので、咄嗟(とっさ)に、柱に隠れてしまったのだ。

「何だったんだろうね」

「さあ」

 二人は家に向かって歩き始めた。正太郎は祐子に、今日のお礼を()いたかった。

「祐子ちゃん。あのね、今日は、いろいろありがとう。すごく楽しかった」

「ううん。お礼を()うのは私の方だよ。本当に楽しかった。ありがとね」

 正太郎は祐子の(はじ)けるような笑顔を見て、()るお願いをする気になった。

「あのね、祐子ちゃん、…渋川橋東の交差点まで、手を(つな)いでも()い?」

「…うん。…うれしい。…でも、家まですぐだから、清水駅経由でも()いよ」

 清水駅は家とは正反対である。発想が敬介と全く一緒である。(もっと)も、恋する少年少女の発想なんて、みんなこんな物かも知れない。それに対し、正太郎は、照れ(なが)()った。

「そうだ、だったら、駅前のマックで優勝おめでとう会やってかない? それなら、合法的に駅経由になる」

「うん」

 満面の笑みを浮かべた祐子がそう答えると、二人は(きびす)を返し清水駅に向かって歩き出した。二人の手は堅く結ばれていた。学校祭初日の夕暮れ時の事である。祐子の頭の中には、夕日の中で先程聞いたヤスベエの、カノン・フラメンコの美しくも情熱的な旋律(せんりつ)去来(きょらい)していた。祐子は、ふと、立ち止まり、後ろを振り返った。

如何(どう)したの?」

 正太郎が不思議そうな顔で(たず)ねる。祐子は(うれ)しそうな顔で、まじまじと二人の影を見つめていた。そして、夕日を受けて伸びた、手を(つな)いだ二人の影を見て、また一段と二人の距離が、縮まった事を自覚した。

「ううん。何でもない」

 ニッコリ笑った祐子は、正太郎の手を優しく、そして、(しっか)りと握り締めた。黒南風(くろはえ)紫陽花(アジサイ)の花を(かす)かに揺らしている。二人は、雀色に黄昏(たそがれ)た町並みの中を、夕日に向かって歩き出していた。


六助と一平の要請で、陸上部主催のリレー大会に出場した高志と凛子。激戦を制し見事優勝を勝ち取ったのは果たして…? そして、面々の織り成す恋模様の行方は? 次回、学校祭編の完結編。『第7話 百鬼夜行と七転八倒』。お楽しみに。

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