第6話 クイズ王に俺はなる!(学校祭へ行こう【中編】)
クイズ予選は、正午丁度に始まった。
『扨、第一問です。ルネッサンス期の三大発明とは、火薬、活版印刷、拡散波動砲である』
「拡散…波動砲?」
流石に、凛子が眉間に皺を寄せる。ひろみも呆れ乍ら謂った。
「ちょっとぉ、なんか、バカにしているわね。ねえ、真面目なクイズなの、此れ?」
「ムッキー、本当だね」
いずなも渋い顔で同意する。六助が謂った。
「まあ、最初はこんなもんだろ。あーこら、一平。てめーは何、○の方へ行こうとしてやがんだ…」
「…違うのか?」
「違げーよ」
でこぼこコンビの、本気とも、冗談とも判別し難い会話を他所に、其れでも、段々と、人数は絞られてくる。
『扨、第五問です。第5問に因んで、日本で5番目に高い山は槍ヶ岳である』
ひろみが謂った。
「段々、微妙になって来たわね。拡散波動砲が懐かしいわね」
「ムキー、ケースケ、分かる?」
敬介が、我が意を得たりとばかりに、笑顔で答えた。
「日本の山の高さ順位は、富士山、北岳、奥穂高と間ノ岳、槍ヶ岳。間違い無いよ」
一平が呆れた様に感心する。
「お前、稀に、凄いのな」
「稀は、余計だ。此の野郎!」
『扨、第十問です。放射線の中でヘリウム原子核が粒子となるのはγ線である』
ひろみがみんなを見回す。
「ちょっとー、放射線だって。分かる人いる?」
高志、明彦、正太郎、祐子、いずなが手を上げた。高志が何食わぬ顔で謂った。
「ヘリウム原子核はα線。従って、×が正解」
『扨、第十一問です。アニメ『氷菓』や『ひぐらしのなく頃に』でおなじみの舞台は長野県である』
ひろみがぼやく。
「ちょっとお、アニメだって。祐子、いずな、正太。判る?」
いずなと祐子はニコニコし乍ら、頷きあっている。
「違うよねー、ゆうちん」
「うん。違うね」
正答が分からずキョトンとする高志たちを尻目に、正太郎も楽しそうに謂った。
「両方とも、舞台は飛騨高山なんだ」
敬介が溜息混じりに謂った。
「岐阜県か…」
「そう謂う事」
『扨、第十二問です。インスリンを分泌するのは、膵臓のランゲルハンス島α細胞である』
ひろみがぼやく。
「なんか、だんだん、えげつなくなって来たわね。誰か分かる人?」
高志と明彦と正太郎が手を上げた。
「其れ間違い。其れは、アドレナリン。インスリンはβ細胞の方。俺、毎日、打っているから、知ってる。間違いないよ。抑々、中学校の時に習った筈だぜ」
「覚えて無えなあ…」
と、敬介。
『扨、第十三問です。サッカーのオフサイドの反則で与えられるフリーキックは、間接フリーキックである』
ひろみといずなが、咄嗟に、六助の方を見る。
「此れなら、分かるぜ。専門だからな。…おい、こら、ちょっと待て、一平。何故、手前は×に行こうとする」
「えっ、直接じゃねーのか」
一平が振り返る。祐子と正太郎がニコニコし乍ら、付いて行こうとしていたが、六助の制止に遭い、仰天して一平を責める。
「ちょっと、一平君」
「危ねえな、もう」
「すまん。祐子ちゃん、正太」
『扨、第十四問です。♯が7個ついた場合の長調は、嬰ハ長調である』
今度は、でこぼこコンビが目を白黒させ、呆然としている。ひろみが、途方に暮れて聞いた。
「うわあ、何、此れ? 誰か、分かる人?」
正太郎、祐子、いずなが手を上げた。
「ムッキー、間違い無いよ。嬰ハ長調」
敬介が驚き乍ら、感心する。
「すごいね。いずなちゃん。良く分かるね。俺、♯7つの譜面なんて、見た事無いよ」
正太郎が、其れを受けて答えた。
「法則があるんだよ。♯の場合は一番右側の♯の音が、其の調のシになる。此の場合は、Cだから、C♯が調。因みに、♭の場合は、右から2番目の♭の音がそのまま、其の調のドになる」
高志も呆れた様に感心する。
「お前、本当に妙な事に詳しいのな。祐子ちゃんもいずなも、此の法則を知っていたのか?」
「ううん。私は全部覚えていたから…」
「いずなも…」
『扨、第十五問です。ズラタン=イブラヒモビッチの国籍はクロアチアである』
凛子が胡乱な表情で呟く。
「…誰?」
「…さあ」
祐子も首を傾げる。流石に判らないらしい。辛うじて、心当たりがありげな正太郎が、六助に尋ねる。
「名前はスラブ系だけど…。なあ、六、此の人って、お前らの分野の人じゃ無かったっけか?」
六助も、一平も、ニヤニヤしている。六助が得意そうに謂った。
「そうだよ。アクロバティックな足技を使う長身FW。悪童としても名高い。元スウェーデン代表の主将だよ。だから、×が正解。って謂うか、先刻のオフサイドと謂い、抑々、手前も、元サッカー部だろーが」
「えっ、まじなの?」
目を剥くひろみに、祐子が説明する。
「そうだよ。正ちゃんは小4から小6迄、六助君たちとサッカー部してたよ」
腕組みした一平も隣で、殊勝な顔で頷いている。でこぼこコンビの面目躍如である。そして、此の段階で、18組となり予選終了となった。
続いて、第二予選会場はグランドである。スタート地点は下駄箱横の特設ステージで、其処から3方向、100メートル、300メートル、500メートル地点に旗が立っている。それぞれの地点で問題がもらえるが、500メートル地点の問題は易しく、300メートル地点の問題は中位、しかもスカが5分の1の割合で入っている。100メートル地点の問題は難易度が高く、然もスカが3分の1の割合で入っている。2問正解で決勝へ、但し、決勝に進むのは5組だけである。何処の問題を選ぶかは自由であるが、ペア対決である為、二人手を繋いで走らなければならない。祐子にして見れば、憧れの正太郎である。手を繋いで走るのは、とても、ときめいたが、体力には全く自信が無かった。
「正ちゃん、如何しよう?」
「サッカー部の、でこぼこコンビは別格としても、高志、明彦、敬介、ひろみ、いずな、凛子も、身体能力は、かなり高いよ。乾坤一擲だけど、一番、近い処を目指そうよ。大丈夫、祐子ちゃんの速度に合わせるから」
「…うん」
『それでは、よーい』
ぱーんとピストルの音が鳴った。祐子と正太郎は、近くの旗を目指す。祐子は、正太郎と手を繋ぐのは、小学校6年のフォークダンス以来だったので、うれしさで気が遠くなりそうだった。いずな達も、近くの旗で問題を取りに行った。高志たちは、中の旗を、でこぼこコンビは、一番遠い旗を目指した。最初に戻ってきた組は、いずな・敬介ペアである。然し、問題はスカだった。
「ムキャー、何、これ!」
次に戻ったのは、近くの旗の問題で2年生のペアだった。問題は、
『徳川第9代将軍は?』
答えられず、不正解。次に戻ったのが、正太郎・祐子ペアだった。
『死者に鞭打つ。打たせたのは伍子胥。では、打たれたのは?』
正太郎が膠もなく答えた。
「平王」
「正解」
「やったね、正ちゃん」
正太郎が顔を顰め、眉間に皺を寄せ乍ら、呆れた様に呟いた。
「…しかし、マニアックな問題だなあ。普通、打たせた方を聞いてくるだろうに…。祐子ちゃん、近くの旗は難易度がえげつないね」
「うーん。まあ、何方にしても、えげつないけどね」
次に戻ってきたのは、高志・ひろみペアだった。然し、問題はスカだった。
「何よ、もう」
明彦・凛子ペアも中の問題はスカだった。中々、問題にすらたどり着けない。其の次は何と、でこぼこコンビだった。往復1キロ走りきって、帰って来たのだ。途轍も無いスピードである。高志が呆れた。
「まじかよ…」
『島根県の県庁所在地は?』
すかさず、一平が答えた。
「鳥取市」
「不正解」
六助が吼える。
「何やってんだ。島根市だろ。くそ、一平め。次行くぞ」
祐子が走り乍ら、困った様な表情で謂った。
「正ちゃん。遠い問題は、あのレベルみたいだよ。一平君は間違っちゃったけど。…六助君もだけど。これは、一問も外せないね。近い問題は相当、難易度高いけど…」
「うん。だけど、俺達は、あの距離を走る体力は無いよ。大丈夫、あと、一問だから」
近くの旗の問題は、難易度が高い上にスカが多く、軒並み撃墜されている。高志・ひろみ組が、近くの旗から戻ってきた。
『元素番号117の元素名は?』
高志が答えた。
「テネシン」
「正解です」
ひろみが、大はしゃぎで、高志の肩を叩き乍ら謂った。
「高志、ナイス」
「くっそー、でも、近くの奴は、難易度が半端無えぞ…」
倉皇している内に、また、でこぼこコンビが戻ってきた。相変わらず、体力だけは、半端無い。
『埼玉県の県庁所在地は?』
一平が勇んで答えた。
「ふふふ、Jリーグチームがあるからな。大宮市だ」
「不正解です」
「何い?」
「わー、バカやろ、引っかかりやがって。浦和市に決まってるだろ」
「其方も、ついでに不正解です」
「何だとお」
「くそっ、六、行くぞ」
六助が愚痴り乍ら、走り出す。
「くっそー、だけど、正解は何処なんだ? まさか、所沢市じゃ…」
いずなと敬介がテテテーと、駆け込み、でこぼこコンビと擦れ違い乍ら謂った。
「ムッキー、さいたま市だよー」
「あーっ」
いずな・敬介組は遠い旗から帰ってきた。
『坊ちゃんでお馴染の道後温泉は、何県?』
敬介が満を持して答えた。
「愛媛県」
「正解です」
「いやったー」
正太郎・祐子ペアは、2回目はスカだった。
次に入って来たのは、明彦・凛子ペアだった。中の旗の問題である。
『大憲章の公布は西暦何年?』
「クッソー、いつだったかな? 年号の暗記はしなかったから…」
横から、凛子が答えた。
「1215年」
「正解です」
「くそ、真ん中の旗でも、此の難易度かよ。然し、凛子、こんなの、良く知っていたなあ…」
凛子はすまして謂った。
「こんなので悪かったわね。12月15日は、私の誕生日よ。以後、覚えておきなさい。大憲章とセットで…」
明彦は項垂れて、恭順の意を示す。
「…はい」
祐子は走り乍ら思った。体力的には、然程、辛くは無いが、あきらかに正太郎の足を引っ張ってしまっている。折角、正太郎が頑張っていても、近い旗で勝負する事自体が、かなり無謀である。祐子は正太郎の羈絆となる事を恐れた。せめて、中の旗を目指したほうが良かったかも。然し、正太郎の手は暖かく、優しかった。其の時、正太郎が、突然、速度を落とした。
「祐子ちゃん。大丈夫?」
「正ちゃん、平気だよ。もっと、早くても。…クイズ、負けちゃうよ」
「うん。良いよ。俺は結構楽しいし、でも、此の二人なら、スカじゃなければ、大丈夫だよ」
「うん」
未だ、2問先取して、勝ち抜けたペアはいなかった。みんな、かなりの苦戦を強いられている。そんな中で、高志・ひろみ組が中の旗から持ち帰った問題。
『スペイン無敵艦隊を、イギリス艦隊が打ち破ったアルマダの海戦は、西暦何年?』
ひろみが即座に答えた。
「以後はば利かす、イギリス艦隊。1588年よ」
「正解。1組目勝ち抜けです」
「やったー」
「よっしゃあ」
ひろみと高志が抱き合って、飛び跳ねて喜んでいる。
其処へ、でこぼこコンビが戻って来た。既に、遠い旗への往復は4回目である。然し、連中は、息ひとつ切らしていない。
『三平方の定理でお馴染みの、ギリシャの数学者は?』
一平がニヤリとした。
「ふふふ、これなら、分かるぞ。テレビで見てたからな。ピタゴラスイッチだ」
「…不正解です」
「わー、ばかやろ、久しぶりの点取り問題だったのに…。答えはアルキメデスだろ」
「ついでに、あんたも、不正解です。あんまり、うちの学校の評判を落とさないように」
「くっそー、何だかわかんねーが、胸の小さい司会の姉ちゃんに、怒られちまったぞ」
「キーッ、こらー、サッカー部のでこぼこ二人組、余計な事、謂わない様に」
観客からはクスクスと笑い声が聞こえる。明彦・凛子ペアが近くの旗から、戻ってきた。
『荷電粒子が物質中を運動する時、荷電粒子の速度が其の物質中の光速度よりも速い場合に、光が出る現象は何?』
凛子が狼狽える。
「ちょっとお、何此れ?」
明彦が横から答えた。
「チェレンコフ放射」
「正解です。2組目勝ち抜けです」
「やったわね、明彦」
「ああ。物理は好きなんだよ」
明彦と凛子がハイタッチをしている。其処へ、正太郎・祐子ペアが近くの旗から戻って来た。問題はスカではなかった。
『1938年のミュンヘン会談に出席した、フランス首相は誰か?』
正太郎は焦った。歴史好きの彼である。普段であれば、間違いなく出て来る名前だった。
(くっそー、ミュンヘン会談のフランス代表かあ。よりによって、一番、微妙な処を突いて来やがる。ヒトラー、ムッソリーニ、チェンバレン、あと一人、誰だっけ…?)
正太郎は懸命に記憶を辿る。然し、焦れば焦る程、フランス代表の名前は何処かへ隠れてしまう。祐子は一瞬躊躇したが、正太郎の悔しそうな顔を見て、つい、答えた。
「…ダラディエ」
「正解。3組目勝ち抜けです」
「そうだ、思い出した。エドアール・ダラディエだ。すごいよ、祐子ちゃん。良く知ってたね」
正太郎はそう謂うと、祐子を強く抱きしめた。
「…ううん。たまたまだよ。わあっ」
(えっ、えっ、えーっ)
祐子は勿論、嬉しかったのではあるが、それ以上に驚いた。そしてもう、死んでもいいと思った。先程、一瞬見せた、祐子の躊躇は、祐子のある秘密と深く関係していた。祐子は、自ら戒めた禁を破って、正解を答えた。それに対して、正太郎は熱い抱擁で報いてくれた。祐子は思った。『私は此の思い出だけで、一生、生きていける』。実際、人生はそんな軽い物でも無いのだろうが、青春真っ只中の祐子にとっては、今の思いが全てである。だが、不吉な予兆が有った。抱擁する二人を見つめる、鋭く、燃える様な眼差し。火の出る様な瞳で、じっと凝視している。其の瞳の持ち主は、暫く二人を見つめていたが、頓ては、くるりと踵を返すと通用門から出て行った。校門ですれ違った二人組が振り返った。
「あれ、今の千春ちゃんじゃねえか。ほら、ブラバンの…。一人だったみたいだし、声掛けてみようぜ」
「やめとけよ、なんか、すげー怖い顔してた」
場面を戻そう。祐子たちの後に3年生のカップルが決勝進出を決め、残る席はあと1席となっていた。いずな・敬介ペアは未だ決めていない、1問目正解の後の、3連発のスカのせいで、問題にすら、辿りつけていない。敬介が厳しい顔つきのいずなに謂った。
「いずなちゃん。ごめんね、堅実に遠くの問題にしようよ」
「相当数、リーチが掛かっている。ケースケ、近くの問題で勝負しよ。大丈夫、いずなが必ず、何とかするから」
いずなは、そう謂うと、凛とした表情を緩め、暖かみの有るニッコリとした笑顔になった。八重歯がとても愛らしい。敬介は思わず頷くと、近い旗に向かって二人で駆け出して行った。そして、いずな・敬介ペアが戻ってきた時には4組のペアが問題待ちをしていた。直前の一組がでこぼこコンビなので、リーチは前の3組である。いずなは祈るような思いで見つめていた。最初の1組はスカ、次の2組目は不正解、3組目はスカ。4組目のでこぼこコンビは、神奈川県の県庁所在地を問う問題に正答して、漸く1問正解とした。いずなは司会者に封筒を渡すと、じっと目を閉じた。問題はスカではなかった。いずなは、再び、目を開けたが、それを見た敬介は慄然とした。いずなは全く、別人の顔になっていたのだ。感情に乏しい虚ろな目つきである。表情豊かで、可憐ないずなの顔ではなかった。司会者が問題を読み上げる。
『江戸幕府が成立した時の、第107代天皇は誰?』
いずなは安心した様に大きく息を吐くと、膠も無く答えた。
「後陽成天皇」
「正解です。5組目勝ち抜けです。此れで、予選終了となります」
「やったね。いずなちゃん」
「ムキー、やったね。ケースケ」
いずなと敬介はハイタッチをした。いつもの愛くるしい表情のいずなに戻っている。でこぼこコンビが戻ってきた。六助が一平に謂った。
「くっそー、後、一歩だったな」
高志が突っ込んだ。
「…何処がだよ。おめーらがあんまり間違うから、司会の姉ちゃん、怒ってたじゃねーか。大体、あんな問題で3往復もするか?」
「いや、6往復だぞ」
「マジか? 6キロだぞ。抑々、此の後、お前ら試合だろ? 大丈夫なのか?」
「準備運動代わりだ。まあ、何とかなるだろ」
「よし、行くぞ。六」
「ああ、じゃあな、此の後、決勝もがんばれよ。祐子ちゃん。そして、来年は俺と組もうぜ。一平のバカは馘にするから」
「なんだとお」
「六助君も、一平君も、試合がんばってね」
二人とも、振り返らずに、右手を上げて、爽やかに去っていった。
決勝のステージの会場は、美人コンテストが終わった講堂である。ステージの上には、2脚ずつ、計10脚の椅子と5脚の机があり、各机にはノートパソコンが2台づつ、置かれている。基本、早押しであり、『enter』キーを、一番先に押した者だけに解答権が与えられる。パートナー同士の相談は可であり、お手つき、誤答はマイナス1ポイントで、5ポイント先取で優勝である。但し、ポイントがマイナスになった時点で、失格となる。従って、最初の0ポイントの段階ではお手つきが出来無いと謂う事だ。いずなが、敬介に向かって小声で呟いた。
「ねえ、ケースケ。本気で勝ちに行っても良い? リミッターを外しても良い?…いずな、本当は、ケースケには嫌われたく無いんだけど…」
敬介は、咄嗟に、いずなの謂っている事が分からなかった。
「えっ、ああ、勿論だよ」
「いずな、先刻みたく、怖い顔に成るかも知れないけど…。平気?」
「うん。先刻のだって。すごくクールでカッコよかったよ」
「そう、ありがとね」
そう謂うと、いずなはニッコリと微笑んだ。小柄な中学生の様な身体付きであるが、キリッとした美しい顔立ちの笑顔であった。が、すぐに、無表情に戻ると、謂った。
「此のメンバーの中で、最大の脅威は、恐らくゆうちん。…多分、いずなと似た特殊能力を持っている…」
「えっ、特殊能力って?」
「ごめんね。今は…。ゆうちんが本気で勝ちに来るかどうかは、分からないけど、本気で勝ちに来た場合、勝負は何方に転ぶか分からない。加えて、正ちんもいるし…。正ちんの場合、何て謂うのかな、特殊能力は無くても、蘊蓄が半端ないんだよ。恐らく、此のメンバーでも屈指の雑学だと思う。其の上、直感力が凄まじい。正解を直感する力って謂うのかな…。若し、あの力で、問題を先読みされたら、いずなでも、成す術無いよ。…本当は、折角、良いお友達のケースケに嫌われたく無いんだけど…」
敬介はいずなの特殊能力について、推測した。敬介には、うすうす察しはついている。敬介は、入学以来、いずなを、いずなだけを見て来た。いずなの謂う特殊能力とは、恐らく、記憶力に関する物だ。敬介も何度か見た事がある。いずなの記憶力は、尋常では無いのだ。それについては、傍証もある。いずなと同じ清水中学出身の同級生から聞いた話である。彼らは異口同音に斯う謂う。『小泉は教科書を使わない。丸暗記してやがるんだ』と。敬介は大好きないずなの噂を蒐集した。噂の大半は悪意に満ちた、聞くに堪え無い物ばかりではあった。それでも、敬介にはいずながどの様な中学時代を送って来たか、容易に想像できた。敬介はいずなの中学時代を思い、涙した。いずなの特殊能力、超記憶力は恐らく、サヴァンと呼ばれるべき物であろう。殆ど、人智を超えた能力である。いずなは今迄の15年の人生の中で、同様の能力を持った人間と出会った事は無かった。祐子以外には。祐子は花見の際での、恋愛に纏わる花言葉のサイトを一読して、画像と文章を記憶したと謂った。他の者なら、祐子の冗談であると思い、一笑に付すであろう。全く、同じ事が出来るいずなだったからこそ、信じたのである。勿論、高校入学以来、いずなも、其の能力を衒らかしてはいなかった。寧ろ、巧妙に隠して来た。あどけない子供の様な風貌で、無邪気な子供の様な言動で。此の能力を無制限に使用すれば、周囲が如何反応するかは、いずなも知り抜いていた。小学校時代に、そして、中学校時代に。だから、清高に入学してからはセーブしている。でも、必要に応じては、憚らずに使用した。此の辺りは、いずなの合理的な性格に根ざすものであろう。敬介は無邪気な笑顔で謂った。
「うん。分かった。思いっきりやってよ。いずなちゃん」
敬介の屈託の無い、無邪気な笑顔が、いずなの背中を押した。
「うん」
いずなも、ニッコリ笑って応じた。筆者は推測する。敬介は思い至ら無かった様だが、いずなにはもうひとつ、密かな思惑があったのだと。いずなは、敬介には素顔の自分を見てもらいたかったのだと。敬介の心を試す様な、小聡明い心理では無かったとは思う。否、確かに其の様な意図も多少はあったかもしれない。若し、素のいずなを見て、敬介が離れて行く様だったら、或いは、嫌悪感を示す様であったのならば、話は簡単だ。いずなが距離を置けば良い。いずなは、過去にもそうして来た。然し、簡単と書いたが、それは、本当に、容易に出来る事なのであろうか? いずなは回想する。最近、頓に感じる事だが、敬介の傍は暖かだった。とても、居心地が良かった。春の日の陽だまりの中に居る様に暖かく、夏の日の木漏れ日の中に居る様に安らげて、秋の芒の原を渡る風を感じる様に清清しく、冬の降り積もる雪の様に純粋で、敬介の傍は、とても居心地が良かった。いずなは最早、自ら距離を置きたくても、出来無い処迄来ていると、心の何処かで自覚していた。
最初のクイズは単純な早押しクイズだった。いずなは瞬く間に2ポイント先取した。いずなは、既に、全開戦闘モードである。3問目は辛うじて高志が早かった。が、4問目はやはり、いずなが取った。いずな・敬介ペアが大きく先行する形となった。祐子が小さく呟いた。
「いずなちゃん。本気だ…」
正太郎が左側のいずなの方を、チラリと流し見る。
「えっ」
正太郎は愕然とした。いずなは、まるっきり別人の相好なのである。虚ろな目、堅く引き締まった口元、仮面の様に無表情な顔。全てが別人であった。
(くそっ、如何なってやがる。それに、あの知識。ウィキペディアが頭ん中にあるみたいだ)
正太郎の感想は概ね正しい。と謂うよりも、いずなの特殊能力を、最も的確に表現した言葉であろう。5問目は辛うじて明彦がとった。正太郎は思った。
(くそっ、此の儘じゃあ駄目だ。こちらが回答を検討している間に、先を越される。斯うなったら…)
正太郎は、隣の祐子に、低く呟いた。
「祐子ちゃん、ごめん。失格になるかも知れないけど…」
「うん。分かってるよ、正ちゃん。それしか、無いもんね」
正太郎の考えた戦法とは、他の回答者の確定ポイント手前で勝負を賭ける事であった。そして、次からは、5ヒントクイズだった。10秒毎に、ノートパソコンに5つのヒントが表示されるので、早押しで答えるものだった。制限時間は60秒。此れなら、正太郎が考える戦法も大いに余地がある。問題は、人物問題である。第六問目最初のヒントは、『鹿児島県出身』だった。此れだけでは、流石に未だ、答え様が無い。そして、次のヒントが『出生1848年』。さらに、『トルコでは著名人』。未だ、此の段階でも、回答者達は手掛かりの糸口さえ見えずに、呻吟している。然し、正太郎は違った。彼は幽かに、自信ありげな表情を浮かべると、其の右手を粛然とエンターキーの上へと移動させた。第4ヒントが『5月27日』そして、『皇』と表示された処で、正太郎がエンターキーを押した。
「東郷平八郎」
「正解です」
「皇国の興廃。此の一戦にあり…」
正太郎が低く呟く。祐子が頷く。
「そうか…」
続いて、7問目、同じく人物問題。第一ヒントが『生まれは讃岐』、第二ヒントが『医者、蘭学者、浄瑠璃作者、俳人』、此処で、また、スーッと音も無く正太郎の右手がエンターキーの上に置かれた。そして、第三ヒント『1780年。獄中にて破傷風により死去』と表示された処で、正太郎の右手が、激しくエンターキーを叩いた。
「平賀源内」
「正解です」
正太郎が呟く。
「此の病気で亡くなった著名人は、此の人しか知ら無いよ…」
此の問題の最終ヒント、恐らくは、『エレキテル』辺りになったのであろうが、正太郎は其処まで到達させない。恐るべき博識ぶりなのである。祐子は呆れた様に正太郎を見詰めている。
8問目同じく人物問題。第一ヒントが『紀元前480年』、其の瞬間、正太郎の右手がエンターキーの上に置かれた。そして、正太郎は、祐子にだけ聞き取れる程の低い声で、静かに呟いた。
「年号は『テルモピュライの戦い』の年号だ。答えが人物な訳だから、スパルタ王かペルシア王か『歴史』の著者のいずれかだ…」
第二ヒントが『史上、尤も大きな戦力差の戦い』、これも、テルモピュライの戦いについての叙述だ。恐らく、正太郎は誰かが特定された瞬間に動くであろう。そして、第三ヒントが『カルネイア祭』と表示されたところで、正太郎の右手が激しくエンターキーを叩いた。
「レオニダス1世」
「正解」
祐子が、頗る頼もしげに謂った。
「…相変らず、凄まじい知識だね」
正太郎が、多少、照れ乍ら答える。
「そんな事、無いよ。年号で特定できたのはラッキーだった。三択だったけど、十中八、九、レオニダス王だと当たりがついていた。これが、クセルクセス王やヘロドトスだったら、やばかったけど」
いずなは虚ろな瞳で、右側にいる正太郎を眺める。何と謂う事だ! あっと謂う間に並ばれた。将に、恐れていた展開であった。
(やられた、正ちんは確定ポイントの前で仕掛けて来ている。此れをやられると手も足も出ない。然も、知識の幅が桁違いだ)
いずなの感想のとおりであろう。正太郎がエンターキーを押した問題、全ヒントが表示されれば、恐らく、此のメンバーであれば、数組はエンターキーを押すだろう。勿論、いずなもである。だが、正太郎は其れを防ぐ為に此の様な戦法に出た。本来、リスキーな戦法である。初手で失格になる可能性すらあったのだ。恐らく、正太郎は第一、若しくは、第二ヒントの段階で答えの目星をつけているのであろうが、それとても、完全では無い。間違った目串である可能性も、決して低くは無いのだ。いずなは其処迄考えた時、
(否、そうではない。)
と、自らの考えを否定した。そうだ、確かに違う。そして、正太郎は決して冒険をしている訳では無い事を悟った。やはり、正太郎は確定ポイントを完全に見切って、エンターキーを叩いているのだ。但し、其の確定ポイントの位置が、常人離れしているだけなのだ。東郷元帥の詳細にしてもそうだが、平賀源内の死因やカルネイア祭の記述など、教科書に載って来る様な話などでは決して無い。正太郎の知識が半端無いだけなのだ。いずなは、『教科書には載っていない知識を好む男』を畏敬の念を以って、まじまじと眺めた。初めて目にするタイプの人間だった。
(くそっ、早く人物問題終われ。此の儘じゃあ、いずれ…)
いずなは、切歯扼腕した。恐らく、正太郎の幅広い知識の中でも、社会系、所謂、人文地理の類は尤も得意とする処なのだろう。予選に関して謂えば、理科系でも、目立った穴は見当たら無かった。兎に角、社会系から外れなければ、正太郎に蹂躙されるだけである。此の儘では、いずなに勝ち目は無かった。
9問目は地形名を答える地理問題だった。また、社会系の問題である。第一ヒントが『北緯30度0分 東経27度30分』、何処だろう? 中東? いや、此の間、興味本位で調べたエルサレムの位置が、東経35度、北緯31度だった筈だ。とすれば、北アフリカの辺りか。第二ヒントが『不毛の土地』、第三ヒントが『湖と塩沼が点在』、未だ、誰も押さない。此の辺りで、問題に成り得る様な特徴的な地形は、一体何だろう? 第四ヒントが『エル・』と表示されたところで、正太郎がエンターキーを、激しく叩いた。
(しまった。やられた)
万事休す。いずなは、静かに目を閉じた。然し、回答権を得たのは、意外にも、敬介だった。敬介の方が僅かばかり早かったのだ。正太郎も、しまった、と謂う顔をしている。
「カッターラ低地」
「正解」
正太郎が悔しそうに呟く。
「エル・アラメインの戦い…」
「ムッキー、やったね、ありがとう。敬介」
「えへへ、いずなちゃんにばかり、負担を掛けられないからね」
いずな・敬介ペアがリーチとなった。次の問題は英語だった。いずなは心の中で密かに、快哉を叫んでいた。実に理想的な展開だ。正ちんには悪いけど、英語なら、正ちんは達磨同然だ。現に、すごい渋面を作って画面を凝視している。英語であれば、バイリンガルで英語は学年トップクラスであるいずなが圧倒的に有利だ。日本語より早く読めるだろう。いや、相手は英語が赤点すれすれの正太郎である。有利、不利は論ずるだけ、無用の事であろう。寧ろ、警戒すべきは、凛子や高志だ。いずなは、一番の得意科目で優勝を確実にしたかった。此れを外して次の問題が、社会系や国語になったらば、目も当てられ無い。問題は、教科書1ページ程の英文があり、最後のセンテンスの一ヶ所がブランクになっており、其処の部分の単語を打ち込んでエンターキーを押すものだった。いずなは、文章の最初のセンテンスを読んで思った。
(此の文章。私は記憶している。そうだ、英語選抜クラスの副読本だ。確か、58ページの文章)
当然、まだ授業では習ってはいなかったが、噂のとおり、いずなは教科書を丸暗記していた。いずなは記憶の海にダイブした。いずなは潜り続ける。光すら差し込まない記憶の深海に、どんどんと潜る。暗い記憶の深淵の果てに、見つけた、此れだ。答えは『alternative』だ。いずなは宝箱を見つけた思いだった。満を持して、答えを打ち込みエンターキーに手を掛けた。其の刹那、誰かがエンターキーを押したのだ。
「えっ…」
将に、晴天の霹靂であった。いずなは驚愕の表情を浮かべつつ、慌てて周囲を顧眄する。
(誰が一体…?)
押したのは祐子だった。
「正解です」
「ありがとう、祐子ちゃん。英語だと、俺、達磨だもん。助かったよ」
「えへへ…」
(しまった。やられた。そうだ、ゆうちんがいたんだった)
いずなは後悔した。何故、祐子の事を忘れていたのだろう。一番、マークしていた筈なのに。確かに、今日、祐子は目立った活躍は無かった。でも、一番警戒すべき相手には違い無かったのだ。そして、同時に確信した。
(やはり、ゆうちん。私と類似した能力を持っている。それも、かなり精度が高い…)
そうでなければ、説明がつかない。いずなは記憶を辿るのに1秒程度費やした。2秒と掛かっていなかった筈だ。然し、祐子はノータイムで打ち込み始めていたのであろう。でなければ、いずなに先んじて入力なぞ、出来る筈が無い。
(ゆうちんも本気だ。本気で、勝ちに来ている)
祐子が本気であれば、勝敗の行方はどちらに転ぶか分からない。いずなは左手を握り締め、虚ろな目をして敬介に謂った。
「ケースケ、多分、次が最後の問題になる。気合入れていくよ」
表情は相変わらず、仮面の様に無表情だ。でも、声の調子はいつもの可憐ないずなだ。
「うん」
敬介は、力強く頷いた。
次の問題は数学である。だが、少々毛色が変わっていた。先程の6ヒントクイズに近い物である。10秒毎にAからF、計6つの選択肢が現われる。其の中で正答を選び、分かった段階でエンターキーを押す。という早押し問題だった。全ての選択肢が出揃うのは、50秒後であり、制限時間は60秒である。実質、10秒で正答を導き出さなければなら無い。問題は、次の中から約数が一番多いものを答えなさい。と、謂うものだった。『A・225225』、6桁の数字である。祐子の暗算能力は途轍も無く早い、其れに反し、正太郎は、寧ろ、人より遅い位だった。祐子は暗算してみたが、意外と約数は多そうである。祐子は隣の正太郎に、申し訳無さそうに呟いた。
「ごめんね、正ちゃん。意外といろんな数字で割れるみたい」
「ああ、多分、15以下の全ての奇数で割りきれるみたいだ。其れに25でも」
「えっ…」
祐子は驚いた。正太郎は何故そんな事が分かったのだろう? そして、正太郎が、前方を見据えて、静かに囁いた。
「…次、来るよ」
『B・263383』
数字を見るなり、正太郎が眉を顰めた。然し、祐子が静かに呟いた。
「これ、多分、素数」
「えっ…」
(何故、そんな事が分かるのだろう?)
今度は、正太郎が驚く番だった。正太郎は一瞬、呆気に取られて、祐子を見つめたが、すぐに、
「分かった」
と、小さく頷き、諒解の意を示した。
『C・429025』
数字が出た瞬間、正太郎が呟いた。
「祐子ちゃん、此の数字、25で割れる。暗算出来る?」
「うん。…17161」
「問題は此の数字なんだが…」
「正ちゃん。此の数字、131の二乗」
「えっ、…分かった」
『D・107110』
「くそっ、偶数が来やがった…」
正太郎が唇を噛み締める。祐子がすぐに小声で謂った。
「正ちゃん、10711が、多分、素数。だから、素因数分解すると因数は3つだけ」
正太郎は驚き乍らも、
「ありがとう、祐子ちゃん」
と、小声で謂うと、画面を見据えた。
『E・165569』
祐子が透かさず謂った。
「これも、多分、素数」
祐子の囁きを聞いた刹那、正太郎はエンターキーを、全力で叩いた。
「えっ」
祐子は驚いた。Fの選択肢が未だ出てはいない。正太郎は、何故押したのだろう? 祐子の心配をよそに、正太郎は毅然として答える。
「Aです」
しばし、間があった。会場も水を打った様に静まり返っている。
「正解です。此の瞬間、優勝決定。高野・山本ペア」
会場に歓声が巻き起こる。正太郎は祐子の方を見ると優しく微笑んだ。
「ありがとう。祐子ちゃんのお陰だ。」
「…ううん。でも、やったね」
「ああ。優勝だ」
正太郎は満面に笑みを浮かべている。正太郎と祐子は立ち上がると、握手を交わした後、正太郎は祐子を強く、堅く抱きしめた。祐子はまるで夢心地だった。嬉しくて、嬉しくて、涙が出て来た。またしても、禁を破ってしまった。でも、後悔はしていなかった。一方、いずなは、呆然と画面を見つめていた。いずなは、其の特殊能力により、素数を炙り出す事は容易だった。其れだけに、あのタイミングでエンターキーを押した正太郎が信じられ無かった。いずなの表情は、憑き物が落ちて行くかの様に、次第に、普段の無邪気ないずなの顔に、戻って行く。敬介が心配そうに横から声を掛ける。
「大丈夫? いずなちゃん。残…念だったね」
いずなは思った。やはり、敬介の声の調子がいつもと全く違う。
(そりゃ、そうだ。全力の私を見せちゃったもんね。あーあ、優しい、良い人だったのになあ…。でも、距離を置くしか無いか…)
其処迄考えた時、いずなは漸く、一番、大切な事に気がついた。抑々、自分から、ケースケと距離を置く事なんて、疾っくに出来無くなっていた事に。そして、其の事が、いずなの心を、激しく苛む。ツツーッといずなの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
「負けちゃった…。ごめんね、ケースケ」
「…いずなちゃん」
いずなは涙を拭うと、正太郎と祐子の許に行き、笑顔で謂った。
「優勝おめでとう。全く、いずな、完敗だよ。でも、一つだけ教えて。何で、あのタイミングで、エンターキーを押したの?」
正太郎は、然も、驚いた様な顔で、呆れた様に謂った。
「えっ、そりゃ、いずなが居たからだよ。いずなも、あの段階では、Aだって判っていたんだろ? いずなに答えさせない為には、先に押すしか無いよ。祐子ちゃんのおかげで、あの時点では、Aに絞られていたから、本来は6分の1だった筈の勝機が2分の1まで上がったんだ。充分だよ。だって、此のクイズ、解答権は一番最初にエンターキーを押した人だけって、なってたぜ」
「あっ」
いずなは愕然とした。
(そうだ、確かにそうだ。誤答の場合、解答権を失うのは通常のクイズと同じだけど、二番目にエンターを押した人間に解答権は認められ無い。つまり、明記されては無いものの、パス権も存在したんだ。1ポイント支払う事によって。…全く、正ちん、何て事に気がつくの?)
「だから、1問前の英語もいきなりエンター押そうとした。だけど、祐子ちゃんが打ち込み始めていたから止めたんだ。最後の問題も、冒頭でいきなり押そうと思った。俺、算数も数学も得意じゃないから。でも、予想以上に祐子ちゃんの暗算能力が高かったから…」
いずなは、やれやれと謂った風な溜息を一つ吐くと、笑顔を浮かべ、二人を祝福した。
「本当に完敗。…大したもんだよ。正ちん、ゆうちん、おめでとう」
祐子も正太郎に尋ねた。
「私も一つ聞きたいな。正ちゃん、225225が『15以下の全ての奇数で割りきれる』って、謂ってたけど、如何やったの? 検算したら確かに其のとおりだったけど、暗算したの?」
「まさか。俺、25以下の整数の倍数判定方法、全て知っているもん。俺の暗算能力じゃあ、手に負えない物も有るけど、あの数字は計算し易かった。だから、分かったんだよ」
高志が呆れ乍ら、寄ってきて、握手を求めた。
「優勝おめでとう。完敗だ。全く、妙な事に詳しいのな。普通は平賀源内の死因なんぞ、知らねーだろう。それに、其の後の問題、レオニダス1世って何者だ?」
「スパルタの王様だよ。ペルシア戦争のテルモピュライの戦いで戦死した…。映画にもなったぜ」
「まったく、其の知識、呆れるよ。それに、倍数判定方法って何だよ」
「ああ、意外と大きな数字まであるんだよ。そう謂うのが」
「数学が苦手な奴が、んな事、知っている訳ないだろう。何でそんなの覚える必要があるんだ」
「ん、それは、CUBEに閉じ込められた時の為さ」
「まったく、カルトなネタを…」
みんな、口々に祝福する。正太郎は嬉しかった。自分を表現出来たのも然る事乍ら、最近、常に意識している祐子と二人で、素敵な経験が出来たのだから。勿論、祐子にとってもである。確かに、学校祭は期するものがあった。が、まさか、正太郎と二人でこんな大冒険が出来るとは、思っても見なかった。一向はクイズ大会の感激を其の儘に、講堂に残り音楽部の演奏を聴いた。そして、合唱部や、軽音部を聞いて行った。一行が講堂を出たのは閉門間近の16時50分だった。そして、敬介は用事が有るからと帰って行った。グランドの特設ステージでは、ギター部が最後の演目である、カノン・フラメンコを演奏していた。演奏者はヤスベエである。ヤスベエは其の三枚目キャラとは裏腹に、ギターは途轍も無く上手い。正太郎が足を止めて聞き入っている。それを見た祐子が謂った。
「カノンのフラメンコなんて初めて聞いたよ。素敵なアレンジだね。それに、康代ちゃん凄く上手いね」
「本当だね、ヤスベエも大したもんだ。これだけ、自由に弾けると気持ち良いだろうね」
正太郎がしみじみと謂い乍ら、熱演しているヤスベエを羨ましそうに眺めていた。
帰宅に当たり、正太郎と祐子はみんなと別れ、正門の方へ向かった。他のみんなは、通用口方面へと歩き出した。いずなは、みんなのやや後ろを、俯きがちに歩いている。少し前に、敬介からメールが来ていた。『解散したら正門に来て欲しい』と。いずなには、敬介の用向きは分かっていた。音楽部の演奏を聞いていた時も、敬介の様子が、何処と無く普段とは違っていた。無邪気で陽気な筈の敬介が、言葉数少なめで、いずなに対しては、何処か腫れ物にでも触る様な態度であった。過去に何度と無く、歩いて来た道である。過去に何度と無く、見て来た光景である。いずなの特殊能力を目の当たりにした友人達は、概ね、同じ様な反応をする。痛烈に面罵する者もいれば、化物呼ばわりをする者もいる。絶縁宣言をする者もいれば、良い友達でいよう。と謂い乍ら、結局、距離を置かれる。全て、帰結する処は同じで、それが、永遠の訣別となる。だが、斯うして会って宣告してくれる方が、恐らくは、未だマシなのだ。大半の人は、唯、黙っていなくなる。いずなは、過去に、何度も、何度も、其れこそ、吐き気がする程、此の様な経験をして来た。にもかかわらず、いずなは、敬介に会おうと思っていた。それが、今迄、いつも傍に居てくれていた敬介に対する最低限の礼儀であったし、いずなの悲しい一分でもあった。そして、敬介に何を謂われても泣くまい、何を謂われても敬介を責めまいと、そう心に固く誓っていたのだ。傾き掛けた夕日は、校舎を茜色に染めて行く。通用門の処で全員解散となった。いずなは、多少、寂しげな笑みを浮かべ乍ら、『また、明日ね』、と謂って、とぼとぼと、校舎の方へ戻って行く。初夏の爽やかな風が、いずなの後ろから優しく包み込む。紫陽花の花が幽かに揺れている。みんなは呆然として、悄然とした、いずなの後姿を見送っていた。然し、頓て、いずなの儚げな後姿は、学校祭初日を終え、生徒達や来客でごったがえす黄昏色の雑踏の中に、溶け込んで行った。いずなは、祭りの余韻に浸る楽しげな生徒達の流れに逆らって、独り、俯きがちにとぼとぼと歩く。今にも、涙が零れ落ちて来そうである。そして、正門の横。翼のオブジェの前にケースケが立っているのを認めた。
敬介もいずなを見つけると大きく手を振った。
「いずなちゃーん」
「…」
いずなは、黙ってケースケに歩み寄ると、不安そうな面持ちで、徐に謂った。
「…何、話って」
「ん。…歩き乍ら、話そう」
二人は歩き出した。奥歯に物が挟まった様な物謂いで敬介が切り出した。
「あのさ、惜しかったよね、クイズ大会」
「…うん」
「でも、いずなちゃん、凄くがんばっていたじゃん。だから、残念会、じゃ無かった…、準優勝おめでとう会をやろうよ。キャトルで。俺、あまり金無いけど、いずなちゃんの大好きなチーズケーキとコーヒー分位はあるからさ。そして、来年もペア組んで、正太達にリベンジしようぜ」
いずなはきょとんとして、聞き返す。
「…其れだけ?」
「うん」
いずなは、渾身からの勇気を振り絞り、恐る恐る、敬介に尋ねてみた。
「…他に無いの? 顔が怖かったとか、気持ち悪かったとか、その…、化物みたくて嫌だったとか…」
対する敬介の答えは頗る意外な物だった。
「何、謂ってるの。すごく格好良かったよ。表情はちょっと驚いたけど。年上のお姉さんみたくて…、その…、凄く綺麗だった。いずなちゃん、クイズで負けた時、涙流して悔しがっていたじゃん。俺、いずなちゃんの為に、何かしてあげたくてさ…」
いずなは、全く予測も出来無い様な、敬介の斜め上の答えに酷く戸惑っていた。そして、目頭が熱くなって来るのを、はっきりと自覚した。敬介は、いずなの事を気味悪がっていた訳では、無かった! ただ、落ち込んだいずなを、心配していただけだったのだ! いずなは、『何があっても泣くまい』、そう思ったのは間違い無い。然し、よもや、感涙に咽ぶ羽目になろうとは、夢に思ってもみなかった。
(いるんだ。こんな、純真で無垢な人が…。出来る訳無いよ。私の方から距離を置くなんて…)
いずなは、ひとつ、大きく息を吐くと、両腕でゴシゴシゴシっと涙を拭い、完全にいつもの調子で謂った。
「ムキー、何、謂ってるの、ケースケ。がんばったのは、ケースケもでしょ。だから、ケースケの分はいずなが出す。良いでしょ?」
「う、うん」
「それに、其処迄、謂ってくれるんなら、いずな、副賞も欲しいな」
「副賞?」
「ムキ。それは、明日もいずなと一緒に回る事。学校祭の間は、いつもいずなと一緒にいる事!」
「も、も、勿論だよ。明日も、明後日も、明々後日も」
「ムキー、学校祭は明日までだよ」
「あ、そうか。だったら、僕も副賞がほしいな。あのね、キャトルまで、おてて繋いでも良い?」
「…うん」
「やったー。じゃあ、キャトル行こう。あっ、でも、キャトル近いからな。そうだ、日本平経由キャトルってのは如何?」
「ムキー、調子に乗らないの。何キロあると思ってんのよー」
手を繋いだ二人の影が、逆光の夕日の中から伸びて来た。
「行った?」
講堂の玄関口。大きな石の柱の影から祐子が聞く。
「うん。行ったみたい」
柱の影から正太郎が顔を出す。二人は帰ろうとしたら、いずなと敬介が居たので、咄嗟に、柱に隠れてしまったのだ。
「何だったんだろうね」
「さあ」
二人は家に向かって歩き始めた。正太郎は祐子に、今日のお礼を謂いたかった。
「祐子ちゃん。あのね、今日は、いろいろありがとう。すごく楽しかった」
「ううん。お礼を謂うのは私の方だよ。本当に楽しかった。ありがとね」
正太郎は祐子の弾けるような笑顔を見て、或るお願いをする気になった。
「あのね、祐子ちゃん、…渋川橋東の交差点まで、手を繋いでも良い?」
「…うん。…うれしい。…でも、家まですぐだから、清水駅経由でも良いよ」
清水駅は家とは正反対である。発想が敬介と全く一緒である。尤も、恋する少年少女の発想なんて、みんなこんな物かも知れない。それに対し、正太郎は、照れ乍ら謂った。
「そうだ、だったら、駅前のマックで優勝おめでとう会やってかない? それなら、合法的に駅経由になる」
「うん」
満面の笑みを浮かべた祐子がそう答えると、二人は踵を返し清水駅に向かって歩き出した。二人の手は堅く結ばれていた。学校祭初日の夕暮れ時の事である。祐子の頭の中には、夕日の中で先程聞いたヤスベエの、カノン・フラメンコの美しくも情熱的な旋律が去来していた。祐子は、ふと、立ち止まり、後ろを振り返った。
「如何したの?」
正太郎が不思議そうな顔で尋ねる。祐子は嬉しそうな顔で、まじまじと二人の影を見つめていた。そして、夕日を受けて伸びた、手を繋いだ二人の影を見て、また一段と二人の距離が、縮まった事を自覚した。
「ううん。何でもない」
ニッコリ笑った祐子は、正太郎の手を優しく、そして、確りと握り締めた。黒南風が紫陽花の花を微かに揺らしている。二人は、雀色に黄昏た町並みの中を、夕日に向かって歩き出していた。
六助と一平の要請で、陸上部主催のリレー大会に出場した高志と凛子。激戦を制し見事優勝を勝ち取ったのは果たして…? そして、面々の織り成す恋模様の行方は? 次回、学校祭編の完結編。『第7話 百鬼夜行と七転八倒』。お楽しみに。




