01:今日も、また一歩
材料を買い足してから早速作製に取り掛かり、コーティングを安定させるためにまた日数を使って、週末も近い木曜日の朝。
主にアニマ用として作ることになったスーツがひとまず出来上がったので、早速空き部屋で着てもらうことにした。
飛行を主機能とする機械に乗るわけでもなく、娯楽作品的な意味ではあるが──パイロットスーツでいいかという流れになったそれは、半袖の擦り傷を防ぐ服とスパッツを一体化させて、更に体に密着させたような形状だ。
匂いの強くなりやすい汗やフェロモンを分泌するらしいアポクリン汗線という器官は、ほとんどが胴体に存在していて、手足には無い。アニマの体でも大差ない事は、名前を知った際に流れで確認済みである。
単にアポクリン線と言う場合は、細胞の一部が壊れて分泌物を漏出する様式の器官を指し、汗腺であるとは限らない。細胞が壊れないならエクリン線、細胞全体が壊れるならホロクリン線と言ったりもするが、それは関係ない話か。
アポクリン汗腺は胴体を除けば耳の周囲にも存在しているが、耳の裏をしっかり洗うだとか、耳垢をちゃんと掃除するぐらいはしているので、その程度なら露出していても問題はないと思われる。
コーティングによって水分を通さず、首元、袖口、足ぐりは密着しており長時間の着用には向かないが、丸一日着たままというわけでもないので、こちらも問題はないはずだ。
股間部分はやや余裕がある形状で、【固定】によって布の縁を張り付けてある状態なので、緊急時でも俺かアンナが居れば大丈夫である。
「ど、どう、ですか?」
「いや、それはむしろ俺の方が聞きたいんだが……見た目は良い感じだな」
「ありがとうございますっ」
体の線はそれなりに出ているが、特に硬めにしてある箇所もあるので、骨格と大まかな肉付きぐらいしかわからない。また、白一色ではあるものの、しっかりと着色した白に耐水性も持たせたので──今日のアニマが嵌め、履いているどちらも白い長手袋や長靴下とは違う、着ていても透けない安心感がある。
背中側にあるファスナーのエレメントと呼ばれる噛み合う部分は裏表とも左右から布が覆い隠すようになっていて、更にオープンファスナーという左右に分離できるファスナーを採用している。首筋で左右を合わせた後、スライダーを引き下げて袋状の部分に突っ込ませる、という形だ。
一人での着替えは異様に難しい構造ではあるものの、アニマの柔軟性があれば可能な程度である。まぁ、今回は普通に手伝ったし、チョーカーまで俺が巻いたのだが。
「それで、着た状態での違和感は?」
「ええと……特には、ないですね」
「そうか? それなら……いや、脚を伸ばしてても違和感がないのか?」
「あ、確かに太ももが後ろから押されるような感じで、ちょっと気にはなりますけど……これはおかしなところじゃないですよね?」
「…………まぁ、そうだな」
「えと……そういうところはそういうところで言うべきだったんですね。すみません」
「いや、俺の聞き方が悪かったよ。色々動いてみて、おかしなところがないかと、抵抗が強すぎる所なんかがあったら言ってくれ」
「はいっ」
比較的簡単なヨガのポーズ各種、前後左右の開脚の他には、背中側から上げた足を頭の上で掴む、ビールマンポジションと言うらしいポーズ。
ビールマンの名前の元はデニス・ビールマンという女性フィギュアスケート選手で、名前を最初に聞いた時は男かと思ったが、Denis、Dennisであれば男性名、Deniseと最後にeが付く場合は女性名なんだとか。
いや、語源はともかく。左右が逆でもこのポーズはとれていたし、スーツも特に破れたりはしていないようなので、柔軟性は問題ないと判断して良さそうだ。
「じゃあ、次は耐久性のテストですかね? このスーツと、私のっ」
「……まぁ、そう、かな」
「あの鎧で実践する前に、部屋の中で試せるだけ試した方が良いと思いますから……空気の圧縮でどうでしょう?」
「そうだな、俺もその辺が妥当だと思う。早速作るよ」
「お願いします」
「おう。アニマはその間に、保護具持っておいで」
「はいっ。あ、私が回す輪はいつも通りで良いんですけど……」
「うん?」
直径二メートルほどの輪を作ろうとしたところで、アニマから何やら物言いが──
「今日は、乗ってみていただけませんか?」
「…………」
「だ、だめでしょうか……?」
「…………クッションも、ちゃんと持ってくるように」
「はいっ」
輪ができるなりアニマは早速置かれたクッションの上で四つん這いになり、機嫌の良さそうな鼻息を鳴らしながら、尻尾もゆらゆらと振りつつ輪の内側に手足を付け、俺を待つ体勢に入った。
俺はアニマの背に跨るような形で、回転しない俺用の足場をアニマの体の横に作って、空気圧を使う補助装置で膝を伸ばす方向に支える。筋力はほぼ使わないが、アニマの背中に掛かる体重は本来の一割を切る程度だ。
アニマが回し始めた輪は幅一メートル、直径二メートルほどの大きさで、俺の【固定】の力で固めた空気による、とても頑丈なもの。安全面への対策として、アニマの手と足から膝までも保護具越しに同じ材質の鎧を纏わせている。
この輪は俺が細かく操作を切り替える装置に繋がっていて、外の空気を吸い込みながら断熱状態で圧力が加わっていき、一部分だけ熱が通るように【固定】で固められている空気を通じて、圧縮空気が入っている『魔力容器』に熱だけを伝える。
その中に溜まっている魔力は熱を魔力に変換する方法をよく学習しており、常温程度まで手早く温度を吸収しながら魔力へと変換し続けている。
結果として、圧縮された空気はほぼ常温のまま、窒素酸化物なども生じさせずに圧力が高まっていき、余った熱も魔力として再利用できる形になるわけだ。
以前は圧力も魔力に変換できるかとは思ったのだが、温度が下がっていることを確認してしまったので、結局は熱からの変換と大差ないものとみなしている。
便利な自家発電──発魔? 装置であり、正直なところ、魔力で輪を回転させても魔力的には収支が結構なプラスになる無料機関になるのだが、アニマが楽しめているならそれで良しとする。
我ながら、どんどん駄目な方向に突っ走っている気がするなぁと思わなくもないが、最低限のバランスだけは失わないように。
「……えと、ご主人様」
「どうした?」
「もっと体重を掛けてくださっても、大丈夫ですよ?」
「……それは、ちょっとなぁ。俺は別に、疲れることをしてるわけでもないし」
「うっ……あ、でも、私が歩く時の抵抗は鎧の時より軽いですから、もう少し何かがあった方がテストとしては良いと思いますっ」
「…………道理では……ある、かな?」
確かに負荷が軽いというのなら、何か手を加えた方が良いだろう。
「じゃあ……?」
「そうだな。ギア比をちょっと変えて、輪を回すのに必要な力を増やそう」
「……ぇー」
「鎧を動かす時の負荷に近付けるなら、こうした方が良いだろ?」
「それは、そうですけど……むぅぅ……」
今回は着ている物がそれなりに硬く、露出も少ないので何やら物足りないようだが、これでよかったと思う。
内容が不満だったのかくすぐりにきたアニマの尻尾を捕まえ──絡みつかれたので、丁寧に引き剥がす。
くすぐり返してみても効かなかったが、むしろアニマは効かなかった事で落ち込んだ。
負荷が増したのに加速したアニマをなだめ、頭を撫でながら髪を弄りつつ揺られながらのんびり過ごし、一時間ほど輪を回し続けた。
魔力も圧縮空気も十分に溜まってきているし、アニマも頭からの汗が顔や首筋を伝っている。
「そろそろ、終わろうか」
「はぁぃ……」
圧縮空気をきっちり隔離し、俺は足場も崩して先に降り、アニマを立たせてクッションを退ける。
続いてアニマも輪から降りて、手袋や靴下が吸った汗を確認して、少し驚いているようだ。
「多少のは今更だが、まぁ、ちょっとぐらい拭っとこうか」
「あ、はい、ありがとうございます」
「それで、肝心の隠したい匂いの方は?」
「そっちは……そうですね、大丈夫なくらいだと思います」
「そっか」
輪を崩しながら内側に溜まった汚れを小さな容器に集めると、緑と黒の毛が合わせて数本混じっていた。汗は殆ど手袋と靴下が吸っていたようで、僅かなものである。
「これは直接ゴミ袋行きでいいとして……まだ昼だけど、風呂入ろうか」
「わかりましたっ」
妙に元気になったアニマの手足の鎧を外し、自分の着替えを各自で運んで、俺は服を脱いでから風呂場に入る。
一足先に風呂場に入っていたアニマはほぼそのままの服装で髪を垂らし、椅子の前に座って待っていた。
「じゃあ、スーツから脱がせるよー」
「はい、お願いします」
「んじゃ早速……」
椅子に座り、まずはアニマのチョーカーを外してから、背中の中央辺りにあるファスナーの引手を探って、上に引き上げて左右に分離する。
空気に触れたスーツの中からは、中々に濃厚な匂いが漂ってきた。
「ふえあっ!?」
「うん?」
アニマが妙な声を上げたので鏡を見てみると、顔の赤みがどんどん増して恥ずかしそうな表情に変わっていくアニマの顔が映っていた。
つまり、獣人族的には想像以上に濃いフェロモンのような、アニマとしては恥ずかしい匂いが遮断されて溜まっていた、ということなのだろう。
汗をかいてからさほど時間も経っていないせいか、嫌な汗臭さは薄く、どこか甘く感じる匂いだ。これは──
「あ、あのっ、ご主人様、じっくり考察されるのは、ご勘弁願えればと……」
「それもそうか。流すよ」
「はい、お願いします!」
シャワーヘッドをシャワーフックから外し、スーツと体の隙間に流し込むように湯を掛ける。
アニマは俺が掛ける湯に合わせて少しずつスーツを脱いでいった。
「あの、ご主人様?」
「うん?」
「その、お願いばっかりで申し訳ないんですけど、一つよろしいでしょうか……?」
「全然構わないから言ってみて」
互いに全身を洗い終えたところで、アニマからのお願い。
俺が二人にしてほしい事があれば当然のように応えてくれるので、多少重なっても気にならない。
「ありがとうございます。その……アポクリン汗腺でしたっけ、取り除いて頂けませんか?」
「……良いのか?」
「思ってたより濃く漂うのはわかりましたし……ご主人様に伝わり難いだけでならまだしも、他の男性を誘いそうなのは嫌ですから」
「あー、それは確かに俺も嫌だな」
「はい。なので腋の辺りを全部と……他は、一部を?」
「それは構わないけど……その部位には何か理由があるのか?」
「そうすれば、背中が大きく空いたスーツでも大丈夫ですよね、なんて。あははは……」
「…………確かに、配置的には、そう、なるか」
「なので、お願いしますっ」
「……まぁ、いいか。じゃあ、横になって」
「はいっ。……えーと、ご主人様の邪魔をしない体勢は……あ、見ない方がいいですよね? では、お願いしますっ」
「……」
アニマは俺が特に何を言うまでもなく仰向けになって、タオルで目を覆い、両手を頭の上に伸ばした。
施術中は見た目が少しばかり衝撃的かもしれないし、変に動いて失敗してもよろしくないとは思うものの、アニマの場合はここまでしなくても大丈夫な気はするのだが。
とりあえず、あまり待たせるのもなんなので、施術する部位に触れながら緩く【固定】を掛けて体内の構造を把握した。続いて施術する部位から周囲に繋がる神経細胞の線を一部だけ【固定】で固めて、局所的に麻酔と同様の効果を与える。
施術についても、摘出する部位を上手く【固定】で固めれば出血も無しに引き抜けるし、傷の修復と殺菌は回復魔法を使えば可能。予め脱毛を施してあった腋にも痕は残らないし、もしシミが残っても後から簡単に抜ける。
犬や猫に過剰な体毛の処理を施している姿を少し連想しかけたが、アニマの希望通りであるし、取り除いたものを捨てても再生は可能なので、遠慮する必要もない。
アニマも時折震える以外はしっかり我慢できていたので、施術はあっさりと終了した。
「終わったよ」
「ありがとうございますっ」
「どういたいしまして。……?」
「……」
終わったことを伝えるとアニマは礼を口にしたが、それ以上動く気配がない。麻酔代わりの【固定】を解除しそびれたかと改めて触れてみたものの、特にそんなこともなかった。
「……アニマ?」
「……」
再度呼び掛けると、アニマは口元をムニムニと動かして、頬を赤く染めながら少しだけ顔を逸らした。
なんというか、返事を無理やり飲み込んだような動きだった。
少し湯で温まり直してから上がり、スーツの上にシャツを着たアニマと共に寝室へ戻ると、テレビを見ていたアンナはこちらに視線を向けた。
「……あら? アニマちゃんのそれは、お風呂で着替えたんじゃなかったの?」
「再挑戦だってさ。普通の服と違って洗濯までしなくても汚れは取れるし、水気もすぐ取れるから問題ないと思うけど……」
そういえば、アニマからはまだ聞いていなかった。とりあえず、アニマに視線を向けて回答を促してみる。
「はい、よく嗅がないとわからないぐらいには綺麗になってました」
「へぇぇ……って、よく嗅げばわかるの?」
「それはわかりますけど、普通のお洗濯物と同じか少し少ないぐらいですよ?」
「ああ、そのぐらいなのね」
「そのぐらいです」
「……まぁ、汚れについて問題がなくても、何日も同じのを着続けたりするのは避けるようにな」
「はいっ」
「ええ、それはいいけれど……何で?」
「……健康のため? 少なからず圧迫される物だし、内側も時々は乾かした方がよさそうだからな」
皮膚呼吸が阻害されて死に至る、という話は都市伝説らしいが、エコノミー症候群等のように血流が滞って血栓ができても困るし、嫌気性細菌などが繁殖する可能性もないとは限らない。
「回復魔法でどうにかなるんじゃないの?」
「どうにかなるけど、使わないといけない状態にほいほいなられても困るよ」
「……それもそうね」
アンナはそれで納得したのか、野生動物の特集を流しているテレビ画面に視線を戻した。
一方アニマは無防備、でもなく、俺の脚の間に座ってPCに向かっているが、スーツの硬い感触が俺の前面に当たっている。
髪でも弄ってやろうかと思ったところで、視界の端でアニマの猫のような耳がピクリと動いた。
「……あれ?」
「ご主人様? どうかしましたか?」
「いや……」
アニマの耳からも少なからずフェロモンが出ていたとすると、俺は今まで相当頻繁にそれを嗅いでいた、ということになるんだろうか?
意識して嗅いでみれば、風呂場で嗅いだ匂いも薄く混じっている気もする。
「? ……はっ!?」
「……あ、意識はしてなかったのか」
「は、はい。え、えと、こっちは……」
目の前でそわそわと荒ぶる耳を見ていると、少し笑えてくる。
「今まで通りでいいよ」
「はい……あうぅ……」
静かに悶えるアニマが落ち着くように、ゆっくりと頭を撫でた。




