009 不愉快
学院時代からオデットは容姿と声に秀でいており、下級貴族子息だけでなく上級貴族子息にも声をかけられる時があった。
そんなオデットのまわりには同じ男爵令嬢達が取り巻きのように集まってったのだ。
男爵令嬢でありながら存在感を示しており、セレスもまたそんな姿を羨ましく思っていた。
オデットが変装をしているレオンハルトに声をかけていた。
「……」
しかしレオンハルトは何の反応もしない。
まるでオデットなど見えていないかのようだった。
セレスは慌てて席へ戻る。レオンハルトは皇族。世界を統べる大帝国の皇子なのだ。
セレスやオデットのような下級貴族など闇に葬るなど容易い。
「オデット、その方は!」
「セレス!? なぜここに。もしかしてこのお方はあなたの連れなの?」
連れなんて容易い言葉を出すことはできない。殿下と呼んでしまうとここにレオンハルト皇太子殿下がいることがバレてしまう。
セレスは混乱してしまっていた。
「ああ、セレスティアは俺のパートナーだ。さぁ席に戻るといい」
「ふ~ん、本当にセレスの連れなんだ。へぇ、ロデリック様に捨てられて泣いて引きこもっているかと思ったのにやるじゃない」
「……」
「しかしびっくりするほどの美形じゃない。ねぇ、名前を教えて頂けませんかぁ」
オデットはセレスの席、レオンハルトの対面の席に座る。
完全にセレスを侮っており、セレスの制止も聞かない。
「わたくし、オデット・ヴェルナーといいますのよ。この通り、声に自信がありますの」
オデットの一人称はあたしだが、人に良く見せる時はわたくしという一人称を使う。
オデットはちらりとセレスを見る。セレスのような声とは違うことをレオンハルトに強調しているのだろう。底意地の悪い所を見せる。
「実は皇立楽劇団の入団できるほどの実力ですのよ。セレスでは到底入ることのできない。唯一無二、最高位の帝国楽劇に演じることができるのです」
「オデットさん、ヨノエル様とお会いになれたとか。どんな話をされたのか早く聞きたくて」
「ベルモント伯爵家の方々もおられるのですよね。わたし、アレクサンダー様の大ファンなのです」
「帝国楽劇場で演じるオデットさんを早く見たいです。私達、男爵令嬢ではなかなかチケットが入手できなくて」
オデットの取り巻き達が羨ましそうに呟く。
皇立楽劇団とは貴族しか入団できない楽劇団であり、トップスタァである皇女ヨノエルを筆頭に有名な上級貴族の子息、令嬢が名を連ねる。
皇立楽劇団に入団して大きな栄誉を得た下級貴族もいて、オデットはそれを狙っている。
そして取り巻き達はそのおこぼれのためにオデットに付き添っていた。
出演者には招待チケットがもらえるのでそれを狙っているのだろう。
「ヨノエル様は本当に美しかったわ。セレス、羨ましい? あなたもヨノエル様のファンだったもんね。あなたみたいな声じゃ一生かかっても会えないだろうけど」
「……先日、帝国楽劇では出てなかったじゃない。まだ見習いの立場ならあまり大げさなこと言わない方がいいと思うけど」
「は?」
オデットの清楚な声に怒気が含まれた。セレスはレオンハルトに招待されて帝国楽劇を観賞している。その上演にオデットの姿はなかった。入団したては研修生という形となるため正所属ではなかったりする。それでも難易度はかなり高いが。
「うるさい! あたしはこの声でプリマドンナに上り詰めるのよ! ヨノエル様の下で一流の演者になってみせる。ねぇ、こんな耳触りな声のセレスよりもあたし達と」
オデットは手を伸ばし、レオンハルトの手の甲に触れる。その時だった。
「誰が触れていいと言った」
「ひっ!」
その声は今までセレスに語りかけてきた穏やかな声ではない。
重く響くその声の主こそ、大帝国の敵を葬りさってきた【鉄血の獅子】レオンハルトそのものだ。変装をしているためレオンハルト本人であると気付いてはいないが、その眼光にオデットを含む、取り巻きの令嬢達も血の気が引く。
「いつまでそこに座っている」
「へ……」
「そこはセレスティアの席だ。邪魔だどけ」
「は、はい!」
オデットは飛び上がるように席から離れた。
「オデット、この方は私達とは比べものにならないくらい高貴な身分の方だから失礼なことをしては!」
「そ、そういうことは早く言いなさいよ! 行きましょう」
慌ててオデット達はこの席から離れていってしまった。
セレスはレオンハルトが怒っていると思い、大きく頭を下げた。
「殿下、申し訳ありません! 知り合いがとても失礼なことを」
「……」
「皇子殿下に対する不躾な対応を心よりお詫びします。オデットはあんな感じですがヴェルナー家の方々は」
「セレスティア」
「はい……?」
「座ろうか」
そのレオンハルトの言葉は先ほどと打って変わって優しかった。
セレスは椅子に座ろうとすると。
「そこはさっきの無礼な女が座った所だ。こっちに来るといい」
「え……とここじゃなくてですよね」
「そうだが」
四人席の一番奥に座っているレオンハルト。今までは対面に座っていたがオデットが座ってしまったため、違う所に座るように言われる。その対面の隣に座ろうとしたがレオンハルトが手招きをし、隣に座るように迫ってきた。
セレスは冷や汗を流して立ち止まる。断るわけにはいかない。そもそも断りたくなかった。
「し、失礼します」
「ああ、これでもっと君の声を近くで聞けるな」
(声を聞きたいだけでこんなことされたら身が持たない!)
レオンハルトはセレスが近づくことで声を楽しんでいるようだが、セレスにとっては完全無欠で優れた顔立ちのレオンハルトが眼前近くにいることに動揺を隠せなくなっていた。
「どうしてあの無礼な女のことで謝ったんだ。君が謝る必要はないだろう」
「やっぱり知り合いだったからでしょうか」
「君の声を侮辱し、婚約者も奪ったのだろう?」
「自分でもバカだと思っています。でもオデットだけだったんですよ。こんな声の私に声をかけてきたのは」
耳触りだ。頭がおかしくなると言われて、小さい頃からのけ者にされてきたセレス。
構ってくれるのは家族だけだった。
そんなセレスに対抗意識を持ちながらも声をかけてきたのはオデットだけだったのだ。
帝国楽劇という共通の趣味があったことも大きい。
ロデリックも婚約者でなければセレスに声をかけてくることはなかっただろう。
「あの女を忘れさせるほど君の声が素晴らしいと知らしめればいい。少なくともプロジェクトメンバーは皆、君の声を認めている」
「殿下」
「ふむ、それだな。俺はこれから君のことをセレスと呼ぶ。そして俺のことはレオンと呼んでほしい」
「え!?」
いきなりの愛称で呼ばせることになり、セレスは慌ててしまう。
自分は子爵令嬢で相手は皇族。セレスにできるはずがない。
「さぁ。呼ぶんだセレス」
眼前に近づかれ凄まれてしまう。セレスは観念した。
「レオン様……」
「様もいらないぞ」
「無理です! お父様やお兄様に怒られてしまいます!」
「そうか。ふっ、俺を愛称で呼ぶ女性は家族を除けばセレスだけだ。俺の想いを覚えておいてくれ」
とんでもない愛の言葉にセレスは顔を真っ赤にさせてしまう。
(レオン様はきっと私の声を肯定してくださっているんだわ。でも!)
ここまで歯の浮きそうな言葉を投げかけるとは思わなかった。
セレスは口が緩んでしまいそうになるのを我慢する。
レオンはスプーンを手にし、デザートをすくいセレスの口元に向ける。
「どんな声を聞かせてくれるのか。楽しみだわ!」
(身がもたない!)
嬉しくも緊張する一時を過ごすのであった。
「そろそろ帰ろうか」
カフェを出て、通りでレオンは考え込む。
「レオン様、どうされたのですか?」
「ああ、さっきの無礼な女のことを思い出してな」
出る時、近くの席でオデットは大きな声を出していたことを思い出す。レオンはもうオデットの名前を覚える気はないようだ。
「断られるかもしれないが頼んでみるか」
レオンはセレスの方をちらりと見る。
「あの人ならきっとセレスを気にいると思う」
「どなたのことでしょう……なんかとんでもなく驚く予感がします」




