060 危機
(なんで私、すぐ頷かなかったんだろう)
セレスは自分の判断に落ち込む。
ハルモニアとして考えるならその提案を間違いなく受けるべきだった。
セレスが元々帝都に来たのは上位貴族と関係性を結び、地方の領地の活性化に努めるためだ。
ジュリアンと婚約し、結婚したとする。
帝都の伯爵家と婚姻を結ぶことでハルモニア子爵家の立場は大きく変わる。
元々婚約していた子爵家に比べたら段違いだった。
ジュリアン自体も顔立ち良く、声は断トツでセレス好み。
心優しく声に対する理解もある。次男のシャイセントは苦手だが他の家族はセレスにも好意的だった。
セレスにとって憧れであるアレクサンダーやクララと家族になれることが魅力的だといえる。
だが。
(脳裏に浮かんだのはレオン様の顔だった)
セレスは首を振ってその考えを打ち消す。
(レオン様は次期皇帝の皇子だわ。そもそも一緒になれるはずがない。例えプリマステラになれたとしても)
次期皇帝とはそれほどまでの人物だ。例えハルモニア子爵家でレオンと親密になったとしてもその先は無いに等しい。
(どちらにしろ第二回上映会で結果を出さなきゃ。ふがいない演技をしたらジュリアンのさっきの話だって無しになるかもしれないし)
ちゃんと考えて回答をしよう。キィっと音がして扉が開く、ジュリアンが戻ってきた。
そう思って笑みを浮かべたセレスの表情が突如曇る。
「あ?」
そこにいたのはジュリアンの兄であるシャイセントであった。
「へへっ」
「なんですか……」
シャイセントは嫌な笑みを浮かべてセレスに近づく。その顔は赤く、足元も御没いている。
(かなり酔ってる……)
「名前なんだっけ……。ジュリアンの女か。こんな所で何してやがる。へへっ、ここは特別な人間しか入れねぇぞ」
「……招待を頂いたのです」
「嘘はよくねぇなぁ」
シャイセントは突然、セレスの肩に振れる。
セレスは凄まじい嫌悪感に身震いする。
「地方の田舎娘にしちゃ良い体してるじゃねぇか。オデットも顔はいいが細すぎるんだよな」
「掴まないでください! わ、私はジュリアンのパートナーですよ」
力が強く逃げられない。両手で押さえられてしまい、まったくびくともしなかった。
「ジュリアンの奴生意気なんだよ! 俺の果て舞台を邪魔しやがって、ぶるぶる震えてたらいいのにあの野郎」
「シャイセント様が煽ったからでは」
「なんだと!」
「っ!」
力強く押し倒されて、セレスはバランスを崩す。
「まぁいい。ジュリアンが悪いんだ。あんたが体で返してくれねぇとな」
「こんな所で!? そんなことしたらベルモント家は」
「うるせぇ! 地方の田舎者の言葉など誰が聞くかよ。俺に逆らえるやつなんていねんだよ!」
そうやっていろんな女性を手にかけてきたのだろう。
セレスは目を瞑り耐えることにした。暴れて傷つけたりしたら大きな問題になるし、家やジュリアンに迷惑をかけると思った。
(でも……抱かれるなら好きな人としたかったな)
その時だ。
「ふざけるなあああっ!」
「あ? ごふっ」
突然の拳にシャイセントの体が吹き飛んだ。
そしてセレスの前を誰かが守るように遮る。
その誰かとは……。
「ジュリアンてめぇ!」
そう、慌てて戻ってきたジュリアンであった
飲み物を捨てて飛び出してきたからか。燕尾服にはこぼした跡が残っていた。
「俺は新星公演の主演だぞ! 顔を殴りやがってどういうつもりだぁ!」
「それはこっちのセリフだ。よりによってセレスに手を出すなんて」
「うるせぇ! 弟が兄を見下してんじゃねぇ!」
(どうしよう二人とも激昂してる。誰か止められる人を呼ばなきゃ。殴り合いなんてなったら……)
セレスは立ち上がる。
「っ!」
さっき押し倒された時に足を捻ったようで痛みを発する。これでは走って人を呼べない。
それならまわりを見渡す。当然ながらまわりに人はいない。
我慢してダンスフロアまで戻ろうかとした矢先、奥の扉から誰かが現れたのだ。
セレスは痛む足を引き摺って、その人のところへ向かう。
「すみません!」
「あら……」
「誰か呼んでもらえませんか。あの二人を止めたいんです!」
セレスの目の前にいる人物は女性だった。
深いフードを被っていて、顔がよく分からない。でもセレスにとっては誰でも良かった。
シャイセントとジュリアンの喧噪を止められるなら。
「呼ぶ必要はないでしょう」
「え……。その声」
「わたくしが止めれば良いのだから」
女性はたたたと素早い走りで二人に近づく。
そして殴り合おうとした二人の間合いに入る。
(すごく早い! 並の動きじゃないわ)
女性はシャイセントとジュリアンの腕をはたき落とし、バランスを崩させた。
そのまま足払いをかけて、二人は地面に倒れてしまう。
「いたた……」
「くそっ、誰だ!」
シャイセントは酒の影響かまだ怒りに震えていた。
すぐに立ち上がり、転ばせた女性に掴みかかろうとする。
しかし女性の舞うように足を動かすとシャイセントは再び、情けなく転んで倒れてしまう。
立ち上がろうとした所、胸を足で踏まれる。
「げほっ!」
肺に衝撃を与えられて、咳き込む。
女性は足を上げてシャイセントを解放する。
「このわたくしに掴みかかるなんて不敬にもほどがある。そうじゃない、シャイセント」
「そ、その声はまさか」
セレスは女性に近づく。
「ヨノエル様っ!」




