040 父と兄と娘
「お父様、失礼致します」
「……」
執務室にいたのはセレスとヴィルヘルムの父であるアルフレヒト・ハルモニア。
ハルモニア子爵家当主であり、この地方を治める領主である。
彼が当主を務めてからハルモニア市の人口は増え、収益も上がっており、その様々な施策にはまわりからの領主の評価は高い。
本人に至っては厳格、真面目で不正を許さない良き領主といえる。
子供達からすれば怖い父親といえるが。
「ようやく戻ってきたか」
威厳のある声。セレスは先手を打つためすぐに頭を下げた。
「申し訳ありません! 此度の婚約破棄の件、お父様から帝都貴族と関係性を強めるための婚約と言われていたのに成し遂げることができませんでした。ハルモニア家の格を下げるようなことをしてしまいました」
「……」
「どのような処罰も……。出て行けとおっしゃるならすぐにでも」
「誰がそんな報告をしろと言った」
父の声に並べられたセレスの言葉が止まる。
アルフレヒトは手に頭をやり、大きなため息をついた。
「おまえが帰省をする度に私が何を言ったか覚えているか」
その質問にセレスは手を組んで考える。季節の変わり目に帰省はしていたが、特に思い当たる所がない。
「え……と帝都でしっかりやれとかでしたっけ」
「違う。上手くやれているか。悩んでいないか……おまえを心配する言葉をかけていたはずだ」
「そうでしたっけ。そんな記憶まったく……」
「父上が口ベタで素直に伝えられないことはセレスもよく知っているだろう」
「確かに」
「ごほん!」
強い咳にセレスとヴィルヘルムは視線をアルフレヒトに戻す。
「おまえ達の母が亡くなってもう八年。亡くなる前に一つだけ約束して欲しいと言われた」
セレスの母である子爵夫人。八年前に亡くなってから後妻を迎えてはおらず、アルフレヒトは独り身のままでいる。
「子供達の幸せだ。家のためであっても、本人達が幸せでなければ意味がないと残してあいつは逝ってしまった。ヴィルヘルムには子爵家の跡取りとしての教育を」
アルフレヒトはヴィルヘルムを見て、セレスに視線を向ける。
「セレスには帝都の貴族に嫁ぐことを求めた。だがおまえ達が幸せでなければ約束を違えてしまう。セレスが帰省の度に暗い顔をしていたのは分かっていた。リーゼからも報告を受けていたからな」
「え!」
「おまえが誰かに似て頑固で我慢をするからな。リーゼならば心情を吐くと思っていた」
セレスの侍女であるリーゼ。定期的にセレスの身辺をアルフレヒトに報告をしていたようだ。
本当にセレスを心配する内容ばかりだったという。
「貴族院に入り、卒業して今日まで四年。おまえは帝都に馴染めていない。そうだな」
「……はい」
貴族院に入り、自分の声があまりに人と違っていることを痛感し、セレスは閉じこもるようになった。
社交場にも顔を出せず、屋敷で泣いていることも多かった。
そして極めつけは婚約破棄である。
「アイゼンガルガ子爵家の婚姻は地方貴族であるハルモニアにとって重要な側面を持っていた」
元婚約者ロデリックの家は帝都で力を持つアイゼンガルガ子爵家である。
帝都と繋がりが薄かったためセレスとロデリックを結婚させることがハルモニアの未来に繋がるということで話が始まったのだ。
「しかしアイゼンガルガ子爵家はここ数年、良い噂を聞かん。セレスを嫁がせるか正直悩んでいた。こちらから婚約破棄も考えていた」
「そうだったのですか!」
「だがロデリックと関係が良いのであれば未来を考えてもいいのだが、あの若造!」
アルフレヒトは急に机を叩き、怒りを露わにする。
「ふざけおって! 婚約者がいる身で他の女に手を出し、婚約破棄をした! ハルモニア家を侮辱しおったのだ」
「セレス、父上は今回の件、完全に向こうに否があると思っている。そこを気に病むことはない。まぁ、もう少し相談して欲しかったのは同意見だ」
「ごめんなさい」
セレスは目に涙を浮かべていた。こんなにも家族に愛されていたことを理解していなかったのだ。
二人の心配が嬉しくてたまらなかった。
「セレス」
アルフレヒトは声を上げる。
「ハルモニアに戻ってこい。おまえの輝く場所は帝都ではなく、ハルモニアだと分かった」
「え……」
続けてヴィルヘルムが言葉を繋ぐ。
「セレスに頼みたい仕事があるんだ。セレスが貴族院に行く前に提案した事業、ハルモニアティーの販促、丘陵地帯の開拓、アウレアの蜂蜜の産業や孤児院の教育計画に予算がついて本格的に動かしていくと決めた」
「でもそれは次期子爵であるお兄様の仕事じゃ」
「大きなプロジェクトをいくつも抱えていて手が足りないんだ。セレスは普通の令嬢と違って、施政に適正があるのをみんな知っている。だからセレスの言うことなら聞いてくれるだろう」
母を早くに亡くしたこともあり、セレスは小さい頃から父や兄の手伝いをすることが多かった。ゆえに子爵家の重鎮達もセレスの手腕を理解しているのだ。
そのため普通の令嬢よりも物の見方のピントがずれていることがあった。
これが貴族院での暮らしやロデリックからの婚約破棄にも繋がっている。
「僕の婚約者……。セレスも知っての通り、彼女は来年からハルモニアに嫁いでくれる。家政や社交は彼女に任せるつもりだ。セレスは自分のやりたい仕事をすればいい」
「お義姉さまが来てくださるのですね」
ヴィルヘルムの婚約者は帝都やハルモニアからも少し離れた伯爵家の令嬢である。
降家という形にはなるが伯爵家でも三女であること、皇子の側近を打診されるほどの実力者であるヴィヘルムに期待してということもありかなり大きな結婚イベントとなっていた。
セレスとも親交が深く、セレスのことを義妹として可愛がっており、仲も良好である、
もしセレスがハルモニアに帰ってきたとしても問題はないはずだ。
さらに続けてアルフレヒトが声を上げる。
「結婚なら領地の男爵家を紹介する。降嫁となるが、おまえを無碍にするものなどいまい。アイゼンガルガ子爵家に嫁ぐよりよほど良い」
ハルモニア子爵家の領地はそれなり広く、近隣の小さな街は子爵家の家臣である男爵家が守っている。関係性はそれこそアルフレヒトが生まれる前からなので家族ぐるみでの付き合いもあった。
セレスの幼馴染みと呼べる子息だっている。
「私は……」
魅力的な提案だった。
帝都も嫌いではなかったが、嫌な思い出もたくさんある。
ハルモニアに戻ればみんながいる。好きなことができる。きっと順風満帆な未来が待っていることだろう。
セレスの父と兄は厳しいが家族に対して確かな愛情は持っている。セレスもそれは理解していた。
でも思い浮かぶのはレオンの姿だった。
『セレス、トップスタァに匹敵するプリマステラになれるはずだ。俺はセレスの声を信じている』
(そう、あの時レオン様に願われたこと。今の私の目指す目標となっている。今はもっとたくさんの人にこの声を届けたい)
セレスは手を強く胸に当て、顔を上げた。
「私は帰りません! なぜならアニメ界のプリマステラになりたいから!」
「……」
アルフレヒトもヴィルヘルムも目をぱちくりとさせる。そしてアルフレヒトは一言。
「アニメとは何だ。プリマステラ? トップスタァなら分かるが……」
(そうだ! アニメのことを説明しないと! でもお父様もお兄様も帝国楽劇はそこまでなのよね……。お義姉様とは趣味が合うから理解してくださるのだけど)
「それがセレスと殿下を繋ぐプロジェクトのことか」
ヴィルヘルムの言葉にセレスは視線を向ける。
「アイゼンガルガ子爵家から婚約破棄の謝罪状が来た時、ウダウダの言い訳が並べられていたが……最後に一言、皇族と関係を持っているなら最初に教えて欲しかったと書かれていた。調べてたら皇族から何か言われたらしいな」
(あの時の件だわ)
ロデリックが遠征を理由に両家の婚約破棄をじらしていた。
結局レオンが動いたことで早急に事が進むようになったと聞いている。
「子爵家は皇族との繋がりは無いに等しい。皇帝陛下への挨拶も上位貴族の後ろについているだけだしな」
「僕も在学中は殿下と親しかったが、卒業後は連絡をほとんど取っていない。そう軽々、手紙を送れる相手ではないんだ」
実際に小さな地方子爵家が皇族と連絡を取れる手段なんて無いに等しい。
なのにアイゼンガルガ家からその名が上がった以上、理由を調べるのは当然だった。
「そして今回セレスの帰省にまさかの殿下がついてきた。これは確実だろう。いくら変装とはいえ、僕と父上はかなり困ったんだぞ」
「ソウデスネ」
前代未聞の話に昨日はパニックになったらしい。
「セレス、改めて殿下との関係を報告してもらうぞ。そしてアニメとは何だ。帝都で何をしようとしている」
「えーと」
どこまで話していいのかセレスは混乱してしまっていた。
アニメに理解を示してもらうにはどうすればいいかセレスは考える……。口を出そうとしたその時。
扉が突然開いた。
「それは俺が説明するとしよう」
「レオン様!」
「監督である俺の役目だからな」




