004 求めるのはセレスの声
皇立楽劇団は劇団員が八十名ほどしかいない帝国最高峰の楽劇団だ。
全員貴族であり、入団は狭き門である。
(オデットはいないわね……)
入団したばかりのオデットの姿は見られなかった。恐らく研修生ということで練習に励んでいるのかもしれない。
帝国楽劇とは歌と劇が組み合わせた舞台劇のことでこの大帝国では最も人気のある貴族の興業とされている。
音楽もまた舞台の後ろで皇立管弦楽団が奏でており、その音色は研ぎ澄まされている。
そしてこの舞台を最も彩るプリマドンナが現れた。
「ヨノエル様!」
セレスはその人物の登場に身を乗り出すほどの行動を取る。
そんな様子にレオンハルトは軽く笑みを浮かべて、同じく視線を向ける。
ヨノエル・フォン・シュテルンライヒ・アーデルライト。
この皇立シュテルネンライヒ楽劇団の主席楽員であり、トップクラスの女性俳優の称号である【プリマドンナ】を超えた劇団員の中で一番の称号である【トップスタァ】と呼ばれていた。
そしてレオンハルトの実姉にして皇女であった。
ヨノエルの声が流行を生み出すと呼ばれるほどその声は清流のように美しい。
帝国貴族の心を打つ素晴らしい実力を持っている。
セレスもまたヨノエルの大ファンであり、彼女のグッズを揃えてるほどであった。
ヨノエルの登場により場は一変。
世界に誇る帝国楽劇がまた大きな歴史を生み出すのであった。
帝国楽劇はおおよそ二時間ほどを1公演としている。
セレスにとってはあっという間の二時間だった。
「ぐすっ……ぐす……」
「感極まってしまったのか」
「はい、本当に凄くて……ヨノエル様が本当に美しくて」
「確かに姉上は大した演者だと思う。皇女だからストレートであの位置にまで来れたかもしれないが、皇女じゃ無ければどんな形であの場に立ったのだろうな」
「普段のヨノエル様はどのようなお方なんですか。とてもお優しいとか、気品があるとか」
「……」
レオンハルトは一瞬石化したように動きを止めて、瞬きを何度か繰り返した。
やがて手を組んで、頭を何度か動かして……。
「ああ、理想の姉上だ」
「なんでそんなに考えこんでたんですか」
「現実は知らない方がいいということだ」
血の繋がりがあるから分かるということだろう。
セリスにも外面完璧な内面は……な兄がいるため深く聞くことは止めた。
帰りの馬車の中、セレスは楽劇の余韻に浸っていた。
昨日は婚約者と親友に裏切られたが、新しい一歩を踏み出せるように感じた。
「その様子だと楽劇に満足いったという感じかな」
「初めての時も本当に凄かったのですが、今回はさらにグレードアップしていて、歌も演技も本当に素晴らしかったです。 皇立管弦楽団の演奏も深みが出ているように思えます」
「姉上が入団してから皇立楽劇団の活躍は歴代最高と言ってもいい、外国から客人にも評価は高く、帝国を象徴する演目と言っても良い」
「シュテルネンライヒに帝国楽劇ありだと思います」
「……」
言葉を続けていたレオンハルトが黙り込む。
セレスはその様子の変化に若干戸惑った。
「本当にそうだろうか?」
「え……」
「シュテルネンライヒ大帝国の総人口はおおよそ一千万。貴族はおおよそ0.5%の五万人ほどとされている。そして帝国楽劇はその五万人しか見ることができない。残り99.5%の平民は帝国楽劇の素晴らしさを見ることも感じることもできないのだ」
帝国楽劇場は貴族でなければ入ることができない。
そこで演じる皇立楽劇団も貴族だけで構成されている。
かろうじて皇立管弦楽団の中には非常に優秀な平民も混じってはいるが、貴族と平民の境というものは存在している。
「俺は帝国軍の総司令として貴族達だけでなく平民の騎士も率いて敵軍と戦った。平民の騎士達と言葉を交わしたよ。帝国のために戦う彼らは帝国の象徴たる帝国楽劇に触れることすら叶わない。それはおかしくないだろうか」
レオンハルトの言葉には強い想いがあった。
セレスもまた貴族令嬢である。帝国楽劇の観覧も使用人達を表に待たせていた。
ハルモニア子爵家では平民達もまとめて皆、家族のように思っているが、その感覚を捨てきることはできない。
楽劇の感動を筆頭メイドのリーゼに伝えたが、本当は一緒に見れたら良かったのにと思っていた。
「姉上の演者としての名声は自国にも伝わっている。しかしその演技の凄さを平民は知らないのだ。ほとんどの平民はトップスタァであるヨノエルの凄さを言葉でしか知らない」
レオンハルトは話を続ける。
「だから俺は帝国楽劇とは違う、誰でも楽しむことができる興業を考えた」
「興業ですが……」
「ああ、それが俺が起こすプロジェクトだ。そして」
レオンハルトはまっすぐとセレスを見る。
「そのプロジェクトのヒロイン役をセレスティア・ハルモニア。君にやってもらいたい」
「私がですか!? でも私はどこにでもいるただの貴族令嬢で」
「そんなことはない。今日一日君と話していて確信した。君の声は俺の想う理想のヒロインに相応しい」
声のことを言われてセレスはドキリとする。
彼女の人生は声に振り回されたと言ってよい。
子供染みて、令嬢には相応しくない声、高音で甲高い、耳触りな声。不自然で作り物といわれ貴族の品格が感じられないとも言われたのだ。
小さい頃から貴族院に入るまで。そして婚約破棄。全て声が絡んでいた。
「私の声にそのような力があるわけが……」
「ある! あの月明かりの夜、仕事を放り出してあの丘の樹の上で休んでいた俺は運命を感じたのだ。あの声の持ち主であるセレスティア。俺には必要だ!」
「でも!」
セレスは大声を上げる。皇子に対し不敬であることも理解している。しかし言わずにはいられなかった。
「子供染みて、令嬢には相応しくない声と言われました」
「違う、愛らしく人を惹き付ける魅力のある声だ」
「高音で甲高い、耳触りな声とも言われています」
「唯一無二の声、この世に二つとない、特別な声だ」
「不自然で作り物の声とも言われました」
「表情が見えなくても、感情が伝わってくる。声に命が宿ったと想っている」``
「ヨノエル様のような清流のような凜々しい声じゃないんです」
「俺が欲しいのは姉上と同じ声じゃない。姉上すらも凌駕する君の声だ」
全てを否定し、セレスの声を肯定するレオンハルトの言葉に救われたような気がした。
セレスは最後にこう呟いた。
「私、この声が原因で婚約破棄もされて、貴族院時代からの親友に絶縁をされました。そんな私の声を信じられないんです」
「そんな奴らよりも俺を信じてくれ。帝国の皇子である俺が君の声をヒロインにしてみせる」
ここまではっきりと帝国皇子の名を使ってまでセレスを望んでくれていた。
セレスの目尻には涙が浮かんでいる。今まで受けて来た屈辱が晴れていくようだった。
「君は普通の令嬢とは観点が違うようだ。それに使用人の扱いから平民に対して偏見もかなり低いように思える」
今日一日一緒にいたのはセレスの資質を見極めていたのかもしれない。
もしレオンハルトの望む声を持っていたとしても平民を無碍に扱うような令嬢だったら見捨てていたことだろう。
「そんな君だからこそ俺のプロジェクトに参加して欲しいんだ」
気付けば馬車はハルモニア家屋敷に到着していた。
レオンハルトが声を上げる。
「セレスティア。明日の13時、予定はあるだろうか」
「特に約束はありません」
レオンハルトは懐から紙を取り出し、セレスに手渡す。
「このプロジェクトは極秘に進めて行かなければならない。だから、このプロジェクトに参加の意思があるなら明日、ここの住所に書かれた場所に来て欲しい。参加しなくても構わない。君の意思だからな。だが」
レオンハルトは続けた。
「俺は君に参加して欲しいと想っている」
少し寂しげに話す姿は鉄血の獅子という二つ名に重ならない。
セレスはドキドキしたままレオンハルトの馬車を見送ることになる。
今日はとても楽しかった。
だからこそレオンハルトの言うプロジェクトをよく考えなけれなならない。
「こんな私の声がヒロインになれるなら……」
セレスの意思はすでに決まっていた。




