020 ソノーラ魔法
壇上の女性がリディア・ノイマンという名前らしい。リディアの経歴を確認すると皇立音楽院を卒業と書かれている。
「皇立音楽院って大帝国で一番格式のある音楽学校ですよね」
「ええ、ほとんどが貴族。よほど優秀じゃないと平民は入れないわ。皇立管弦楽団に入るには最低条件と言われてるくらいよ」
「凄い方なんですねぇ」
(そんな方がどうしてこんな所で……。ソノーラ魔法? ノイマン家って聞いたことがあるわ。子爵家以上ではない。おそらく……)
「準備ができたみたいです!」
突然、ホールの照明が落ちた。
いや、正確には 壁のランタンが消されたのだ。 舞台にだけ光が残る。
リディアの姿が闇の中に浮かび上がる。さっきまで騒がしかった観客たちが 静かになった。 皆が期待に満ちている。リディアが両手を広げた。
「皆様。本日はお越しいただきありがとうございます」
柔らかな声。でもホール全体に響く。
「これよりソノーラ魔法による小編成オーケストラの演奏をお届けいたします」
魔法陣がリディアの足元に浮かび上がり、様々な色の紋章がリディアの周囲に具現化する。
そして音楽が始まった。
清らかで美しいヴァイオリンの音色。続いてチェロの低音。フルートの軽やかな旋律。ホルンの力強い響き。リディアはたった一人で オーケストラ全体を再現していた。
「すごい……」
セレスは息を呑んだ。 音がホール全体を満たす。
皇立管弦楽団の演奏に比べればその域に達していない。しかし一人の女性がここまでのオーケストラを奏でることは常識ではありえなかった。親密で心に直接届くような音楽。観客たちは聴き入っている。子供たちも静かに座っている。パンを食べていた男性も手を止めていた。みんなリディアの音楽に魅了されていた。
(魔法の音楽がここまで凄いなんて)
セレスは涙が溢れそうになった。ふと見上げるとリディアの表情が見えた。
美しかった。真剣ででも幸せそうで音楽を愛していることが伝わってきたのだ。
最後の音が消え魔法の効果は消えてしまった。 一瞬の沈黙。
そして拍手が起こった。
「ブラボー!」
賞賛する声が響き、観客たちが立ち上がった。 スタンディングオベーション。
リディアは深く頭を下げた。
その素晴らしい音楽に 涙を拭う人もいた。 セレスもリーゼも拍手をする。
「ママ、あのお姉さんかっこよかったね」
「ええ。これだけのものが銅貨10枚で聞けるんだから皇立管弦楽団はもっと凄いのでしょうね」
「っ!」
(リディア・ノイマンの演奏の凄さを皆、理解してないんだわ。銅貨10枚どころのクオリティじゃない。この音楽なら普通に貴族街で演奏をしても人が入るレベルよ)
なのにどうしてこんな区民会館でコンサートを行っているのか。
セレスは立ち上がる。
「お嬢様、どうしたのですか?」
「ちょっと話を聞いてくる。リーゼはエミールと待ってて」
「お、お嬢様!?」
セレスは足早と舞台袖の方へ向かう。
セレスの……セレス達が望んでいるものをリディア・ノイマンを持っているかもしれないから。
セレスが舞台袖から奥の控室の方へ向かうと先ほど初老の男性がいた。
「申し訳ありません。ここから先は関係者以外は」
「すみません。リディアさんとお話をさせてもらえませんか!」
「ですが……」
「皇立管弦楽団に匹敵する演奏力。びっくりしました。どうしてそれだけ実力のある方がここにいるのかどうしても聞きたくて!」
セレスは大声でまくしたてるように話す。
すると控室の扉が開いた。
リディア・ノイマンが表に現れた。
ブルーサファイアのミディアムヘアーが印象的な女性。近くで見るとさらに美しく見える。
「あなた貴族の令嬢ね」
「分かりますか」
「平民の恰好はしてるけど、見ればすぐ分かるわ。それに皇立管弦楽団を聞いたことがある令嬢なんて貴族くらいなものよ。爺、その方をこちらへ」
初老の男性はぺこりと礼をして、セレスの控室へ通す。
迎えられたセレスはリディアに座るように招かれる。
「えっと……初めまして。私はセレスティア・ハルモニア。ハルモニア子爵家の令嬢です」
「あら、子爵家の方なのね。わたしはリディア・ノイマン。ノイマン男爵家の者よ。格下の爵位の者が失礼なことを言ったわ」
「気にしないでください。地方都市の爵位ではありますし」
子爵家と男爵家。単純に言えば子爵家の方が位が上だが、事はそう単純ではない。
帝都に住む男爵家は新興貴族もあれば古くから上位貴族に仕える男爵家もある。
そして地方貴族もまた同様。ゆえに子爵家、男爵家の中でもパワーバランスはあり、男爵家であっても伯爵家レベルに尊重されている家系も少なくはない。
男爵令嬢のオデットが上位の貴族のセレスに気安く話すのは住んでいる場所や家のパワーバランスもあったりする。
「年齢は私が下なのでこのままでお願いします」
「ありがとう。それでセレスティアさんは何を聞きに来たのかしら」
聞きたいことは山ほどあったが、まずは一つセレスは尋ねることにした。
「ソノーラ魔法と言いましたが、あの魔法はいったいなんなのですか?」
「音魔法の一種よ。あなたも貴族なら、魔法の成り立ちは習っているでしょう。音色に特化したのがソノーラ魔法よ。実用性はほとんどないと言ってもいいわ。習得している人はわたし以外見たことないし」
「こんなに凄い音を奏でられるのに。どうして習得者が少ないのですか?」
「簡単な話よ。楽器があるのに魔法でわざわざ奏でる必要はないということ」
皇立管弦楽団でも魔法で音楽を奏でている人はいない。皆、楽器を使って音を出していた。
リディアはパンフレットをセレスに見せる。
「わたしは皇立音楽院に進学くらいには楽器を奏でられたんだけど、あそこには天才しかいなくて……埋もれちゃったのよ」
「でも卒業はできたんですよね。このパンフレットにはそう書かれてますし」
「ええ、楽器の才能が無くてこのままじゃ卒業に必要な単位が習得できない。だからわたしはソノーラ魔法に手を出したのよ。そっちの才能には恵まれていたみたいだから」
苦肉の策だったのかもしれない。
「そして私はソノーラ魔法を使って、卒業公演を行った。主席卒業だったのよ。凄いでしょ」
「本当ですか!? だったら皇立管弦楽団に……」
その言葉にリディアは微笑むのみだった。その表情は諦めの感情が色濃く見える。
「楽器が弾けない者には用はないって言われたわ。実際に音楽院の先生たちからもソノーラ魔法を極めたのは凄いが君を受け入れる楽団はないとはっきりとね」
「そんな! あれだけの楽器を魔法で奏でられるじゃないですか。ピアノから管楽器や弦楽器まで……それは確かに楽器の方が音色は良いのかもしれませんが」
「結局はそこなの。楽団では万能より、一つの楽器に特化した者が喜ばれるから」
「……」
セレスも分かっていた。ソノーラ魔法は優れているがそれでも皇立管弦楽団には敵わない。一人では限界があるのだ。
「結局どこの楽団にも所属できなくて……。でも音楽を奏でるのは好きだったから区民会館を借りてコンサートをしたのよ。たくさんの人に聞いてほしかったから利益度外視でやってるしね」
「そういうことだったんですね」
リディアもまた苦労したことがよく分かる話だった。
ソノーラ魔法は画期的な技術だ。しかしまだこの大帝国では受けいられることはない。
早すぎたと言っていい。
「これからも続けていくんですか?」
「ええ、せっかくたくさん勉強したんだからソノーラ魔法の第一人者になるつもりよ。またわたしのような子が現れた時に受け皿になってあげられる楽団を作りたいの」
「ソノーラ魔法による楽団ですね」
「そのためにソノーラ魔法を広めたいのだけど難しいわね。区民会館で何度かやったけど、噂は大きく広がらなかったわ。今回みたいにあなたのようなお忍びの貴族令嬢を見ることもあったけどね」
せいぜいセレスのような物珍しさに行く貴族令嬢くらいなものだろう。
文化を変えるレベル流行を生み出すには上位貴族まで話が上がらねばならない。
ふぅとリディアはため息をつく。半場諦めの気持ちがあるのかもしれない。
だが。
「リディアさん。一緒に来てほしい所があるんです。あなたのソノーラ魔法を欲しているプロジェクトがあります」




