002 鉄血の獅子からの誘い
「はぁ……」
セレスは起床と共に大きなため息をつく。
昨日は本当にたくさんのことがあった。
ロデリックとの婚約破棄に親友の裏切り、最後には皇太子と出会い不敬なことをしてしまった。
先が思いやられるとそう思う度にセレスの口からため息が漏れた。
「お嬢様、ため息の数だけ幸せが逃げていくのですよ」
「そうは言うけどね、リーゼ」
子爵令嬢であるセレスには当然専属メイドがいる。
リーゼ・ベッカー。19歳のセレスよりも二つほど年上で身分は平民となる。
幼い頃からセレスに仕えているため姉のように慕っており、リーゼもまたセレスを主として身を捧げている。
「ねぇリーゼ」
「はい、なんでしょう」
「私の声って……素晴らしいと思う?」
「へ?」
昨日の夜、月明かりの丘の下。レオンハルト皇子にセレスは声を褒められた。
何て素晴らしい声だと言われたのだ。
(私の声なんて貴族らしくない、作り物の声って言われてるし……。小動物の鳴き声と間違えたのかも)
婚約者から貶された声を褒められるとは到底思えなかったからだ。
目の前のリーゼはニコリと笑う。
「ええ、お嬢様は他には無い素晴らしい声をお持ちです。小さい頃から言ってるじゃないですか」
「……うん」
リーゼは本心で言っているのだろうが、専属メイドだからこそ耳が慣れているのだとも思っている。
だからこそセレスは自分の声に自信が持てなかった。
結局がそれが原因で婚約破棄をされているのだから。
「お嬢様、早くお着替えを致しましょう。良い天気ですし、このような洋服はいかがでしょうか」
「ええ、お願いするわ」
「……セ、セレスお嬢様!」
突然、セレスの部屋に屋敷で働くメイドの一人が飛び込んできた。
リーゼはその様子に表情を歪める。
「お嬢様を前に失礼ですよ」
リーゼは働く歴が長いため、他のメイド達の指導役でもあった。
「申し訳ありません。で、ですがお嬢様にお客様が」
「私に客? オデット……はないわね。いったいどなたかしら。少し時間を頂けないか伝えてくれる?」
子爵令嬢とはいえ、この声と社交場での人気の無さから訪ねてくる人も大した人物ではないだろうとセレスは考えた。
しかしメイドは小刻みに顔を横に振っている。
「あ、あの……。乗ってきた馬車に皇室の紋章が描かれていて、レオンハルト皇子と名乗っているんですが」
その言葉にセレスは血の気が引く思いを感じた。勘違いだ。そんなはずがない。でも本当だったら。すぐに身だしなみを整え、ハルモニア子爵家、帝都別邸の屋敷で一番大きい客間へと向かう。
「大変お待たせ致しました!」
セレスが大きな声を出して、突入した。
本来貴族としてあるまじき行為だが、一刻も早く応対をしなければまずいことになると考えていた。
ソファに腰かけていた。大帝国皇子、レオンハルトは軽く手を挙げる。
「こちらも早朝に面会の約束も無く来たんだ。気にしなくていいさ」
「つ、つまりそれは」
セレスはぞっとした表情を浮かべ、即座に跪き頭を下げた。
突然の行動にレオンハルトは動揺する、
「昨夜は不敬な対応を申し訳ありません。私の命だけでどうか! ハルモニア家の命はどうか……。連座だけはお許しくださいませ!」
「君は何か勘違いしてないか。はぁ……帝都での俺の噂がこういう形で広まっているのか」
3ヶ月前に周辺国との戦争で総司令官でありながらレオンハルトは最前線で戦い、多くの敵を葬ったという。
無表情のまま敵を斬り、血で軍服を濡らす所からついた二つ名は【鉄血の獅子】
冷酷非道という噂が帝都では広まっていた。それは畏怖と強さの象徴として次期皇帝としての器を示していた。
膝をつくセレスは見上げるとため息をつくレオンハルトの姿が見える。
(帝国一の美男子と噂されるだけあって、ため息一つも魅力的だわ)
元婚約者であるロデリックも顔立ちが良く女性人気が高かったが、レオンハルトはその比ではない。
レオンハルトの鍛えられた引き締まった体。高い鼻筋 、切れ長の目 、端正な輪郭 、薄すぎず厚すぎない唇。完璧すぎて現実の人間とは思えない美しさだ。
冷酷非道であってもその美しさは帝国令嬢から高い人気を誇る。
(だから遠くから見てる分には嬉しいんだけど……)
こうやって相対すると冷や汗しか浮かばない。セレスには家族に被害が及ぶことだけは避けたかった。
「俺は君に害するつもりで来たわけじゃない。ハルモニア家は派手さはないが、着実な経営 で領民からの信頼が厚いから皇家としても評価しているんだ」
レオンハルトか口からハルモニア家の評判を綴られる。
「領地のハルモニア市は他の市と比べて識字率も高く、どういう手腕でそうなっているか聞かせて欲しいくらいだ」
「ありがとうございます。ハルモニアは父の方針で特に学問に力を入れております。平民達も正しく文字を読むことが出来れば商売意欲の向上にも繋がりますし、考える力を養うことができます」
「ほぅ。ハルモニア子爵家の認識を改めないといけないな。君もよく現状を把握している」
「も、申し訳ありません。出来すぎたマネしてしまいました」
褒められてはいるが、声のせいで社交界でまともに活躍できないので領主である父を手伝っているだけの話でそう大したことはしてないとセレスは思う。帝都での流行や動きを子爵領地に伝えることがセレスの役目なのだ。
セレスは恥ずかしさに顔を赤くする。
「改めて話をしよう。セレスティア・ハルモニア。君には俺が起こすプロジェクトのメンバーになって欲しい。その誘いのためにここへ来た」
「私がですか。ですが私には特別な力など。貴族院も無難な成績で卒業しましたし」
「君のその声。それがプロジェクトの大きな武器となる」
「声!? なるほど、そういうことですか」
「どうやら分かってくれたようだな」
話がまとまったとレオンハルトは安堵するが、セレスの瞳から大粒の涙がポタポタと流れ始めて、状況は一変する。
「ど、どうした」
「私のような変な声は生物兵器として好都合ですもんね。分かりました。帝国令嬢として敵を倒す兵器となります」
「その使い方は想定してなかったが、考慮する余地はあるか? いや人道的じゃないな」
「婚約破棄の原因の声ですから敵の百人や千人倒して見せます!」
「婚約破棄!? 何を言っている」
レオンハルトはセレスに落ち着くように言って、ごほんと1度咳払いをした。
「君と俺で認識の齟齬があるようだ。仕方あるまい、昨日に初めて会ったわけだからな」
レオンハルトは立ち上がり、柔和な笑みを浮かべて手をセレスに差し出す。
その背中に花が広がっているようで思わず見惚れてしまいそうであった。
次の言葉もまたセレスの感情を大きく揺さぶることになる。
「セレスティア。俺とデートをしてくれないか。君のことを知った上で協力を願いたい」




