001 アニメ声の令嬢
帝都で有数の格式高いレストラン『ラ・コロンヌ』。
天井には豪華なシャンデリアが輝き、壁には帝国の歴史を描いた絵画が飾られている。
貴族たちが社交の場として利用する、由緒ある店だ。
セレスティア・ハルモニアは遠征から帝都に戻った婚約者を出迎えるためにドレスを新調し、髪を丁寧に結い上げ、彼との再会の食事を心待ちにしていた。
今日という日のために何日も前から準備をしてきた。
今日の夕方に『ラ・コロンヌ』で。
そのような手紙が送られてきたからだ。
先に入店したセレスは婚約者であるロデリック・アイゼンガルガが来るのを待っていた。
そしてようやく現れたロデリックにセレスは明るく声をかけた。
「お帰りなさいませ、ロデリック様」
精一杯の言葉にロデリックの表情は一瞬歪む。
「……相変わらずの声だな」
「え……」
セレスの困惑と同時にロデリックの隣から、女性の声が響く。
セレスの笑顔が固まった。
「まあ、ロデリック様。お疲れでしょう?」
鈴を転がすような澄んだ美声。
まるで清流のせせらぎのような透明感のある声。
「オデット……?」
セレスは目を見開いた。
目の前の令嬢はオデット・ヴェルナー。
貴族学院時代からの友人だ。
セレスは子爵令嬢で、オデットは男爵令嬢。
セレスより格下の家柄ではあったが二人は趣味が同じでウマが合い仲が良かった。
「どうしてオデットが」
嫌な予感にセレスの声が震える。
「貴族騎士の慰労会でロデリック様と仲良くなったのよ。ねえ、ロデリック様?」
「セレス」
ロデリックが重々しく口を開いた。レストラン中の視線が集まる。
「正直に言わせてもらう」
ロデリックは周囲を意識しているのか声を大きくした。
「君の貴族の品格が感じられない声を聞くたび耳が腐りそうになる」
はっきりとしたその言葉にセレスの頭の中は真っ白になってしまった。
「学院時代から作ったような声って馬鹿にされたものね」
挑発するようなオデットの言葉だったがそれは全て事実だった。
セレスは生まれつき声にコンプレックスを持っていた。
子供のような甲高く耳触りな声。子供の頃から貴族院を出るまでずっとその声で苦労してきたのだ。
しかしオデットはいつもその横で。
「セレス、あなたの声は個性的で素敵よ」
「気にすることないわ」
と励ましてくれていた。そんな彼女が今、目の前でセレスを辱める。
「ロデリック様は私のような清らかで気品のある声色が好きなのよ」
オデットは澄んだ声を上げ、ロデリックに寄り添う。
ここ帝国ではオデットの声のような凜々しく綺麗な声が尊ばれる傾向にある。
ゆえにセレスの声は受け入れられなかった。
「同じ子爵家同士。君は容姿も作法も申し分なかったが……とにかくその声だけは耐えられなかった」
子爵家のロデリックと婚約が決まってからそれなりに時間は経ち、何度も交流を重ねてきたがいつもそんな気持ちだったのか。
セレスは愕然としてしまう。
「婚約は解消させてもらう」
ロデリックの言葉が、セレスの意識を引き戻す。
セレスはテーブルを叩いて立ち上がった。
「急にそんな話を今ここでするなんて!」
大声を上げてしまいレストラン中の視線が集まることになる。
その声に周囲の貴族たちがざわめいた。
「何、今の声……変じゃない」
「婚約を破棄されたみたいだけど……あの声じゃなぁ」
「あの声で通りが良すぎるなんて……男の気持ちも分かるもんだよ」
セレスの声を馬鹿にするような言葉に顔から火が出そうになるほど恥ずかしかった。
「令嬢としてもう少しまともな声は出せないのか?」
ロデリックはぶっきらぼうに言う。そんなこと言われなくても分かっていた。
だが地声を変えることはできない。セレスは歯を食いしばって婚約者の言葉を耐えた。
「可哀想に……」
オデットが慈悲深そうに首を傾げる。
その表情。その仕草。学院時代、いつも見ていた優しい表情。
「セレス、あなたは辛かったわよね。ずっとその声で」
対するオデットの声は完璧に美しかった。
帝国で最も美しい声を持つと言われるヨノエル皇女殿下を模倣して鍛えているだけはあった。
「あたし、ずっと思っていたの。セレスは本当に可哀想だって」
友人として励ましてくれていたあの言葉。
「生まれつきあんな声だなんて。きっと毎日が辛かったでしょう。夜会でもずっと壁にいて、だって品の無い声をまき散らすわけにはいかなかったから」
同情ではなく見下しだったのだ。
「ロデリック様のような素晴らしい騎士には、それに相応しい女性が必要なの。分かるでしょう?」
「でもあなたは男爵令嬢でそんな簡単な話じゃ」
「っ!」
オデットの顔つきが醜く歪んだ。セレスをオデットが妬んでいた理由、そこが見えた気がした。
「オデットは皇立楽劇団への入団が決まった。帝国貴族なら誰もが知っている帝国最高峰の楽劇団だ」
セレスももちろん知っている。帝国貴族のみが所属できる楽劇団だ。その全員が一流の劇団員であり、入団は非常に狭き門だ。セレスも憧れたことはあった。
もしこの件がなければオデットの栄光をおめでとうと喜んだことだろう。
「プリマドンナになれば男爵令嬢なんて目ではないほどの栄光を得られるわ。少なくともそんな気持ち悪い声の子爵令嬢なんかよりもね!」
「っ!」
セレスは立ち上がる。
「……わかり、ました」
セレスはやっとの思いで声を絞り出した。その声も震えている。
「婚約破棄、お受けいたします」
立ち上がろうとして足が震えた。そのまま動いたため椅子にぶつかりグラスが倒れる。
水がテーブルクロスに広がる。
「大丈夫よセレス」
オデットが優しく声をかけた。
「きっと、あなたにも良い出会いがあるわ。そんな声でも受け入れてくれる方がいたらの話だけどね」
その言葉が最後の一撃だった。
セレスは震える足でレストランの出口から外へと出た。
余りの悔しさに涙が出て、貴族など関係なく足早くこの場から逃げ出してしまった。
(ロデリック様もオデットもみんな私を見下してたんだわ)
声にハンデがあるため社交場でも上手く交流できず、活躍できそうになかったこともあり、父に頼んで領地のことを学んだりして自分に出来ることをたくさん増やしたつもりだった。
遠征任務で家を留守にしがちなロデリックと結婚してからは支えようと思っていたのに…。
セレスは涙を浮かべ、夜の帝都の貴族街を逃げるように走った。
生まれつきの声。
変えられないこの声。
全貴族から馬鹿にされるほど悪いものなのだろうか。
気づけば足は隠れ丘へ向かっていた。
帝都の貴族街の中には自然公園の区画がある。その奥には知られていない秘密の場所があった。
衣服が汚れるため貴族達が近づかない草原だ。
セレスは幼い頃からこの場所が大好きだった。
ここでなら誰にも声を聞かれない。誰にも声を馬鹿にされない。
「もう……もう嫌……!」
セレスは思い切り叫んだ。
「どうして……どうして私の声はこうなの!」
月明かりの下小動物たちが心配そうに集まってくる。
リスが小鳥が野うさぎが。
この子たちはセレスの声を嫌がらない。
むしろ喜んで寄ってきてくれる。
「ねぇ、みんな聞いてくれるかしら!」
セレスは地声より少し低めの大人の声で話しかけた。
「私ね、今日ね、婚約破棄されちゃったの。しかもレストランで、みんなの前で」
今度は甲高いまるで幼女の声で話し出す。
セレスは側に寄るリスを両手に持ち上げた。笑顔だが涙の跡の残る目尻が光る。
「それでね。友達だと思ってた子に裏切られたんだ」
今度は少年の声だ。高さを維持しつつも声色を変化させる。
「大丈夫、私は平気だよ」
嘘だった。
全然、平気じゃない。
「どうしたらいいのかねぇ」
今度は老いた声で野うさぎに話しかける。
そして最後にそれらの変化を解き地声を披露した。
「あなたたちは私の声を嫌いにならないわよね。私を裏切らないわよね」
セレスは地声を誤魔化すためにたくさんの声色を何年も練習してきた。
幼女の声も少年の声も老婆の声も大人の女性の声も、どんな声でも出せるようになったがベースとなる地声は変えることができず、その声に皆、笑い蔑む。
最後にオデットの言葉を思い出した。
(きっと、あなたにも良い出会いがあるわ。そんな声でも受け入れてくれる方がいたらの話だけどね)
セレスは立ち上がり、大声を上げる
「そんな人いるわけないじゃない! 私の声なんて……誰も好きになってくれない」
涙がまた溢れてきた。その時だった。
「その声を探していた!」
男性の声が響く。
突然の声にセレスは飛び上がるほど驚く。
振り返り、見上げると木の上に男性がいたのだ。
その男性は満面の笑みを浮かべ木の枝から落下し地面に落ちた。
セレスの目の前に男が倒れ込む。
「だ、大丈夫ですか!?」
咄嗟に駆け寄って、そして凍りついた。
月明かりに照らされた顔。金髪と印象的な金色の眼で整った顔立ち。思わず見惚れてしまうほどその顔は美しかった。セレスはその顔に見覚えがあった。
社交場で遠くから何度か見たことがある。
それはシュテルネンライヒ大帝国。第一皇子、レオンハルト・フォン・シュテルネンライヒ・アーデルライト。
【鉄血の獅子】の二つ名を持つ戦場で無数の敵を屠った冷酷非情の皇子であった。
「さっきまでサボリで木の上で眠っていたのだが複数の声が聞こえた。もしや君が」
月明かりで眠る皇子をセレスは起こしてしまったのだ。
【鉄血の獅子】の眠りを妨げることは不敬に値するに違いない。セレスは恐怖で足がすくむ。
そして思わず大声を上げた。
「人違いですぅぅぅ!」
セレスは走り出し、レオンの前から走り去っていく。
そのあまりの早さにレオンは見送る。
「聞き間違いか……? いや、そんなはずはない」
その表情に大きな笑みが浮かんでいた。
「ようやく見つけたぞ。俺のプロジェクトに相応しいヒロインの声の持ち主!」
レオンハルトと出会ったことでセレスティア・ハルモニアの名優への道が今開かれる。
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