表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エンド・オブ・ザ・江戸・ピリオド  作者: ありんこ。


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/12

妖しい女





障子を静かに閉めると、その場に一拍、立ち尽くした。


 


……意外と、大人しい。


 


正直、もっと荒れるかと思っていた。


喰っていないとはいえ、鬼だ。満月の夜に血の匂いに酔った妖が、人のふりをして静かに眠っている――そんなもの、普通はあり得ない。


 


それにしても、あの姿……。


 


脳裏に、昨夜の光景が蘇る。


 


気を失っているはずなのに、あの“異形”は確かに何かを放っていた。


紅い髪。額に浮かぶ二本の角。


満月に照らされながらも闇のように沈んだその姿は、美しいのに、どこか恐ろしかった。


 


妖しい――いや、違うな。


妖艶で、それでいて、あれはどこか“狂っている”。


 


まるで芯の部分だけが、氷のように冷たい。


“殺す”という行為を、身体の奥で覚えているような――そんな女だった。


 


……もし、理性を飛ばした状態で剣を交えることになったら。


 


思わず、背筋がひやりと冷える。


 


だが同時に、喉の奥をなぞるような高揚が湧き上がる。


 


……どのくらい強いんだろうね。


 


それは、僕にとってごく自然な感情だった。


善悪よりも先に来る、“強さ”への興味。


それが相手に血を流させることになっても、構わない。


 


「……ま、今はその気配、ないけど」


 


口元にうっすら笑みを浮かべながら、廊下を進む。


 


向かったのは屯所の一室。


近藤さんと土方さんが、帳面を前に話し込んでいた。


 


「入りますよ」


 


軽く障子を開けると、土方さんが顔を上げ、眉をひそめた。


 


「……総司か。報告か?」


 


「うん、例の鬼……目、覚ましたよ」


 


「そうか。様子は?」


 


「思ってたより大人しいね。少しふらついてたけど、ちゃんと話はできた」


 


部屋に入り、柱にもたれかかるように座る。


 


「名前は“月夜魅つくよみ”。夜に出て、月に魅せられて、それで人を喰う……なんて話があるなら、そのまんまって感じの名前だね」


 


近藤さんが、わずかに目を見開く。


 


「……月夜魅」


 


「本人は“喰ってない”ってさ。あの夜も、血の匂いに酔って倒れただけだって」


 


土方さんが無言で煙管に火をつける。


煙がゆっくりと部屋に広がった。


 


「今は黒髪で、角もない。……見た目だけなら、ただの女だよ」


 


「だからって、気を抜くな」


 


「分かってますよ。……けど、ちょっと気になるね」


 


「何がだ」


 


「理性の奥に、何か溜め込んでる」


 


 


二人の視線が、こちらに向く。


 


 


「殺したくて震えてる、って感じじゃない。――むしろ逆だね」


 


 


「……逆?」


 


 


「殺さないように、ずっと我慢してる。そんな空気だった」


 


 


それは、言葉というより直感だった。


 


鬼でありながら、“喰らわない”選択をし続けてきた者の、歪んだ静けさ。


 


 


近藤さんが低く唸る。


 


「……会議にかけよう。山南にも意見を聞く」


 


「それがいいと思いますよ」


 


土方さんも短く頷いた。


 


「じゃあ僕は、見張り役ってことで」


 


「軽口叩くな」


 


睨まれる。


 


けれど、ひらりと手を振って受け流す。


 


「大丈夫ですよ。万が一の時は、ちゃんと斬りますから」


 


 


そう言った時、


 


 


自分でも分かるくらい、目の奥に“期待”が滲んでいた。


 


 


 


 


 


ぎぃ――と、障子がわずかに開く。


 


僕の手に繋がれた縄が、音もなく座敷へと引き込まれていく。


 


視線が、一斉に集まった。


 


その先にいるのは――


 


 


両腕を後ろ手に縛られ、胴に太い縄を巻かれた月夜魅さん。


 


 


縄の感触が、妙に冷たい。


そして、重い。


 


笑っているつもりでも、きっと顔は引きつっていた。


 


 


座敷の空気は、外よりも冷たい。


いや――それ以上に、張り詰めている。


 


並ぶのは壬生浪士組の主だった面々。


 


正面に近藤勇。


その隣に土方歳三。


 


少し下がった位置に山南敬助。


 


さらに脇には永倉新八、斎藤一。


 


そして――


 


上座に、あぐらをかく男。


 


芹沢鴨。


 


その両脇には平間重助と野口健司。


何もしていなくても、空気を濁らせるような連中だ。


 


 


「……こいつが、その鬼か」


 


 


芹沢が鼻で笑う。


酒の匂いが、遠くからでも分かる。


 


「へぇ……噂の妖ってやつかと思えば、ただの上玉じゃねぇか」


 


 


その視線が、舐めるように月夜魅さんをなぞる。


 


 


彼女は顔を伏せたまま、何も言わない。


 


ただ、肩だけがわずかに強張っていた。


 


 


「静かにしていただけますか」


 


 


土方さんの声が、低く空気を裂く。


 


「ここは遊郭ではない。処遇を決める場だ」


 


「へいへい」


 


杯を傾けながら、芹沢は笑う。


 


「で?どうするつもりだ、近藤」


 


 


近藤さんは腕を組み、しばし沈黙したのち、口を開いた。


 


 


「この者には、現行犯の証拠がない。ならば我々の監視下に置く。

屯所で女中として働かせ、様子を見る」


 


 


 


「……ふうん?女人禁制の壬生浪士組で?」


 


 


芹沢の口角が、ゆっくりと歪む。


 


 


「じゃあ俺のところに置けよ。人手が足りねぇんでな」


 


 


その場に、嫌な空気が広がる。


 


 


「鴨さん、それは“女中”じゃなくて“慰み者”だろ」


 


 


永倉さんが吐き捨てる。


 


 


「慰み者? まさか。ただ保護してやろうって言ってるだけだ」


 


 


月夜魅さんへ向けられる、粘ついた視線。


 


 


「なあ?」


 


 


 


「くだらねぇ……」


 


 


土方さんの声が、低く落ちる。


 


 


「お前の“保護”がどういう意味か、俺たちは知っている」


 


 


「じゃあ交渉だ」


 


 


芹沢は、土方さんを無視して言った。


 


 


「今回はそっちに任せる。ただし――」


 


 


「そいつが“理性ある鬼”だと証明されるまで、何かあった時の責任はそっちだ」


 


 


 


「……つまり?」


 


 


 


「次に血に酔って暴れたら、その時は俺の好きにさせてもらう」


 


 


 


ざわり、と胸の奥が揺れる。


 


 


 


「……引き受けよう」


 


 


近藤さんの声が、静かに響いた。


 


 


「だが、それまでは手を出すな」


 


 


 


「分かってるさ。約束くらい守る」


 


 


 


――“きっとな”。


 


 


 


そう言い残し、芹沢は立ち上がる。


 


 


平間と野口が、その後に続いた。


 


 


 


「……やっかいな奴だ」


 


 


土方さんが煙を吐く。


 


 


 


僕は、手に残る縄の感触を意識しながら、


 


 


そっと、月夜魅さんへ視線を向けた。


 


 


伏せられた黒髪。


 


 


何を考えているのか、まったく分からない。


 


 


 


 


この日、


 


 


彼女は正式に壬生浪士組の監視下に置かれることになった。


 


 


男ばかりの屯所で、


 


ただひとりの“女中”として。


 


 


 


そして同時に――


 


 


芹沢鴨という獣が、


 


影の中で牙を研ぎ続けている場所で。


 


 


 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ