第二日 高知 2/5
原付の不遇を嘆いている間に、桜づつみ公園へ到着した。屋外ステージを有する広い公園だが、ここの目玉は別にある。
ギネスにも登録されている、世界一のうんていだ。全長102メートル、持ち手の数は四百本になるとか。
「なんでこんなん作ったんやろ……」
遠目ではモノレールの線路のように見えていた。だがそれはレールなどではなく、斜面にどこまでも延びる太い主柱から、細いバーが水平方向に突き出しているものだ。
「めっちゃ長い鰻の骨みたいやな……」
首を巡らせしげしげと眺める渚に、楓は持ちかけた。
「なあ、負けたほうが昼飯奢りってのはどう?」
「昼飯? 別にええけど」
「よっしゃ」
拳を握る姉を尻目に、渚は内心ほくそ笑んだ。楓はスポーツの経験がほとんどなく、体力・運動神経・若さ、すべてにおいて自分のほうが上なのだ。負ける理由が見つからない。
うんていのスタート地点にはすでに列ができていたが、そのほとんどが子どもだったため、二人は少々浮いていた。
「うんていって小学校以来やってへんよな?」
前後の子どもにぶつからないよう小さく両肩を回しながら、楓が尋ねる。
「ああ」
「よし、そんなら条件はイーブンや」
どうもかなりの真剣モードらしい。ひとつ前の低学年くらいの女の子がそっと振り返り、不思議そうな視線を送ってくる。横並びになっている姉弟はぎこちない笑みを作ってみせたが、女の子はふいと目を逸らして前方に向き直ってしまった。
やがて列が進み、二人の番が回ってくる。
「アンタは先攻後攻どっちがええ?」
「『攻』って何やねん。ぶら下がったまま蹴り合うんか?」
有利であろう後手を姉に譲ってやろうと思い、渚は余裕綽々で先手を選んだ。
「よっ……」
最初のバーを摑み、そっと足場を蹴る。足にかかっていた体重が腕に移り、肩関節がわずかに軋んだ。
「っ……!」
一瞬、これからどのように体を動かせばよいのか分からなくなった。だがこれはうんていなのだ。当然腕を動かさないことには前に進めない。
右手を二本目のバーへと伸ばす。それを摑んだ直後、半ば無意識のうちに左手がバーから離れた。体が振り子のように前後する。前側の頂点に達したところで、左手が四本目のバーへ向かった。
(そうか……!)
体の奥底に眠っていた感覚が蘇った。
反動による体の振れを抑えようとするのではなく、それを利用しなるべく遠くのバーを摑む。これがうんていのコツだ。一本ずつ細かく刻むより体力も時間も節約でき、結果として距離が伸びるわけだ。
(なるほどなるほど……!)
偶数のバーを順に摑み、前へ前へと進んでいく。そのまま順調に行けるかと思われたが、そう甘くはなかった。
うんていのところどころには、スタート地点からの距離を示すパネルが掲げられている。二十メートルのパネルの辺りから、かすかな肩の違和感が明確な痛みに変わっていたのだ。全体重が肩関節にかかる機会など、普段の生活ではまずない。
不慣れな運動をしたことだし仕方がない、と三十メートルを前にしてリタイアした。だがこれだけ進めば姉に敗れることはないだろう。
渚が満足げに振り返ったのと、楓がスタートを切ったのはほぼ同時だった。何を思ったか、楓は律儀にバーを一本ずつ摑み、少しずつ前進し始めた。
「いやいや、それは……」
明らかに効率の悪いやり方だ。きっと数メートルで根を上げるだろう。だが渚がそう思っている間にも、姉はゆっくり着実に距離を伸ばしていく。よく見ると体幹はほとんど揺れておらず、ほとんど腕の力だけでうんていを攻略しているようだ。
「嘘やろ……」
気がつけば二十メートルを過ぎていた。さすがに苦しいのか、楓は歯を食いしばりながらもペースを落とさない。脱落したところに留まっていた渚は、慌てて道を空けた。
「はい……三十、メートル!」
パネルの直下で楓は手を離し、軽やかに着地した。呆然と口を開けたままの渚に向かって、さも愉快そうな笑顔を見せる。
「ゴチになりまーす!」
渚は未だに現実を受け入れられず、姉の方へ視線をさまよわせていた。だがその目はまるで焦点が合っておらず、楓の声もどこか遠くから聞こえてくるようだ。
「なあに、ウチの運動神経のなさには定評があるからな。最初から力業で乗り切る作戦やったんよ……なあ、どうしたんアンタ」
得意顔を寄せてくる楓に、渚は正気を取り戻した。
「ルパンか?」
「は?」
「ミッションインポッシブルか?」
「はあ?」
「姉貴の変装やろ。体力ない姉貴があんな芸当できるわけないからな」
そう言って楓の両頬をつまみ、左右にぐいと引っ張ってみる。
「いふぁふぁふぁふぁ……痛いやろボケ!」
渚の脇腹に手刀が食い込んだ。
「うぐっ……変装ちゃうやと……。じゃあドーピングか?」
「いや、普通にウチの持てる力を発揮したっていう線はないん?」
「けど、姉貴のどこにそんな体力が……」
「ふっふふ、今のウチの仕事知らんやろ?」
「えっ、車か何かの部品を作る会社の……事務仕事やろ?」
北海道から帰還したのち、正社員ではないもののフルタイムの職に就いたと言っていた。
「まあ、あとでゆっくり聞かせたるわ」
楓はうんていに背を向け、駐車場へと歩き出した。渚もあとに続きながら、額に浮き出た汗を拭う。
そのとき、掌から鉄の匂いが立ち上るのを感じた。ずいぶんと懐かしい匂いに、ノスタルジーが喚起される。
公園の遊具で遊ぶなどいつ以来だろうか。初めて逆上がりができたとき。登り棒のてっぺんまで到達したとき。あのころ味わった純粋な喜びが、渚の胸を掠める。
「おーい、置いてくでー」
振り返り立ち止まっていた渚は、姉の声で再び歩みを進めた。




