第二日 高知 1/5
目覚めは最悪だった。というより、いつまで眠っていていつから覚醒していたのか定かでない。
原因はやはり風だ。夜になって少しは弱くなったものの、それはテントをひっきりなしにはためかせていた。
風下に頭を向け、耳栓をしっかり装着して横になったものの、たまに訪れる突風はテントの布地を破らんばかりに吹きつける。音も相当なものだが、風を受け大きく変形したテントが体のどこかに触れてしまうため、そのたびに眠りが妨げられるのだ。
結局、昨日寝袋に潜り込んでからおよそ九時間、ずっと夢と現の間をさまよっていた。寝不足で目が半分も開かない顔をテントから出したのは、ちょうど日が昇ろうかという頃合だった。
「おお……」
太平洋の彼方から顔を出す太陽。その黄金色の光に目を射られ、渚は己の中の穢れが浄化されていくような感覚を味わった。
「ふう……」
そこで辺りに視線を移し、渚は自分の置かれている状況を思い出す。その場所から視認できるのはごくわずかだが、朝日を受けて輝く大地には数限りないウンコが転がっているのだ。
自分は幾千幾万のウンコとともに日の出を拝んでいる。そう思った瞬間、多少癒された心もたちまちささくれてしまい、怒りの二度寝を決め込んだ。
「渚、ぼちぼち起きや」
「んー……」
テントの入口から顔をのぞかせた姉の声に起こされた。
「あら、もう七時半か」
風が徐々に収まったのか、日の出以降は普通に眠れたようだ。
「やっぱ寝られへんかったん?」
「そらまあな……姉貴はどうなんよ」
「いや、普通に眠いで。でもこれ以上ウンコと添い寝すんの嫌なんよ」
「気色悪い言い回しすんなや」
ウンコを考慮に入れずとも、眠気に任せてこれ以上横になっていると今夜の寝つきに影響する。重い体に鞭打って、渚はテントから這い出した。
テントを片づけ荷造りをしている最中、渚は切り出した。
「姉貴、初日からすまんかった」
本当は昨日のうちに言っておくべきだったのだろうが。
「ええよ別に。ウチもこんなキャンプ場初めてやし、予想もつかんようなトラブルも旅にはつきもんやろ?」
「ん、まあ……」
今回の失態をもっと責められるかと思いきや、意外にも楓の声は穏やかだ。
「でも風は事前に調べときや」
「むぅ……」
ウンコはともかく、風については弁解の余地がない。だがそれ以上追及されるようなことはなく、姉は話題を変えてくれた。
「それで、今日はどこに泊まるん?」
「それなんやけどな……」
渚はツーリングマップルをめくり、四万十川のほとりにあるキャンプ場を示した。
「ほう、そこまで行くんか。悪くない」
二人して天気のアプリを開き雨と風を確認したが、ともに心配なさそうだ。
「さて、行こか」
室戸サンセットラインを北へ抜けた二人は、国道55号に復帰し道なりに走る。
「そう言うたらアンタのカブ、サイドスタンドでも普通に停めれるようになっとるな」
「ああ、そうなんよ」
クロスカブは純正のサイドスタンドがどうにも頼りなく、去年の北海道ツーリングでは不便な思いをさせられた。大荷物の荷重にサイドスタンドが耐え切れないのではと、面倒でもセンタースタンドを使わざるをえなかったわけだが。
「士別かどっかで出逢った兄さんにアドバイスもらったやろ? あれから調べてみてんけど、社外製の丈夫なスタンドに付け替えたんよ」
「効果あったん?」
「おうよ。ちょい高かったけどええ買い物したわ」
安芸漁港に立ち寄り、日本一高い防波堤を目の当たりにした。
「日本一か……」
「日本一ぜよ……」
付近に看板などは見当たらず、防波堤そのものに「海面より16.0m」などと書きつけられている。確かに手前に浮かぶ漁船の数倍の高さがあるのだが、そもそも防波堤というものに馴染みがない二人には「なるほど」としか思えなかった。
「これはやっぱ南海トラフ対策として造られたんやろか?」
「あ、そうか」
楓の指摘にハッとさせられた。
南海トラフ地震が起こった際、大きな津波の被害が予想されているのは「静岡・愛知・三重・和歌山・徳島・高知」といった太平洋沿岸部だ。
「でもこんな一部だけ高いの造ってもあんま意味ないんちゃう?」
「……せやな」
東日本大震災当時、二人はまだ小学生と幼稚園児だった。はっきりした記憶は少ないものの、テレビで繰り返し流れていた津波の映像はよく覚えている。あれを超えるような津波は、果たして来るのだろうか。
香南市に入ってから県道14号へ折れた。
「姉貴、昨日聞き忘れてたんやけど」
「んー?」
「なんでわざわざ香川経由してきたん? 淡路島走るほうがずっと早いやろ」
「アンタ調べてへんかったん? 原付って上沼島経由では本州と四国を行き来できへんのよ」
上沼島というのは淡路島を指す。姉は以前から淡路島のことをそう呼んでいて、理由を問うたところ「淡路島は上沼恵美子の領地やから」とほざいていた。
「……行き来できへん?」
高速道路となっている橋を通行できない、というのは理解できるが。
「まさか……上沼に行くフェリーがないってこと?」
「然り」
楓は深く頷いた。
そんなことがあるのだろうか。淡路島より大きな島はこの界隈には存在しない。いつかネットで見た「島旅特集」のような記事には、人口数百名ほどの小さな島でも、地域住民や観光客のために定期航路が設けられているとか書かれていた。
橋があるとはいえそこを通れない者もいるのだから、当然定期船が就航しているものだと思っていたが。
「厳密にいうと、明石・上沼間はフェリーが出てるけど、上沼・鳴門間にはないんよ」
「マジで!? じゃあ車やでかいバイク以外の人はどうすんの?」
「歩行者はバスで、チャリはトラックでの配送サービスがあるとかないとか……でも原付は為すすべなしなんよ」
「何やそれ……いの一番にそこを快傑しとけや」




