第一日 徳島・室戸岬 6/6
一度通り過ぎたキャンプ場へ戻る。
「ここの水道は飲まれへんからな」
管理棟で料金を支払ったのち、渚は姉に下調べしていた情報を伝える。
「ああ、水のストックは十分あるから構わんけど……この風はだいじょうぶなん?」
依然としてびうびうと吹きつけている風が、楓のポニーテールだけでなく渚の短髪をもなびかせている。
「いや、風予報では夜には多少収まるはずなんよ」
「でもここって山ん中というより尾根に近いやろ。その分風の影響も強くなるんちゃう?」
「んー……まあそうかも」
そこまでは考えが及ばなかった。
「アンタ耳栓は持っとんの?」
「ああ、耳栓もアイマスクも持ってきたで」
「じゃあ何とか寝れそうか……」
だが二人の前には、もっと大きな問題が立ちはだかっていた。荷物の搬入を始めて間もなく、楓はテントを抱えたままその場で膝を折り身を屈める。
「なあ、これって鹿のふんチョコやんな……」
辺りを見回すと、あちらこちらに黒い粒状のものが散乱しているのが分かった。
「ふんチョコって何?」
「奈良銘菓」
限りなく無表情に近い顔で答える姉。
「とりあえずチョコが落ちてへんとこ探そうや」
黙って頷いた楓と分かれ、地面を凝視しながら辺りを歩き回ったのだが。
「ないわ」
「同じく」
密度の差こそあれ、テントサイトには満遍なく黒いものが転がっていた。
渚は短く息を吸い込む。
「誰やこんなとこにチョコ撒いたんは!」
「そうやそうや、もったいないやろ!」
「……」
「……」
二人は顔を見合わせ、顎を突き出し猪木になった。現実から目を逸けようと試みたが、このキャンプ場が鹿のクソまみれだという事実はどうやっても揺るがない。
これは腹を括るしかないようだ。
「なあ、レジャーシート持っとるんやろ?」
「あるで」
「助かったな」
前回の旅においてキャンプは三回行った。その二回目以降、地面のコンディションによっては泥や芝生の草がテントに付いてしまうからと、百均のレジャーシートを敷いた上にテントを張るようにしていたのだ。
レジャーシートを犠牲にすることで、テントにウンコが付着するのを防ぐことができる。
「靴は……」
「致し方なし」
明るいうちはまだしも、日が落ちてから地面のウンコをすべて躱して歩くのは不可能だ。
比較的ウンコ密度が低いところを見つけた。覚悟を決めて設営作業に入った渚だが、強風と数か月のブランクのためか思うように捗らない。苦戦しつつ二本あるポールの一本をセットし、もう一本にかかる。
そうしているうち、乾いたリズミカルな音が聞こえてきた。数メートル離れた姉の方へ目を移すと、小さなトンカチを手にペグを打っている。
「そうか、ペグ打たなあかんのやな」
「ブラックジャックも『風が強いときにボンカレーを作るときは、ペグを打ちつつ設営するとうまい』とか言うてたで」
「混線しすぎやろ」
そうツッコんで立ち上がった途端、一段と強い風が吹き抜け、設営中の渚のテントが宙に舞った。歪な形のテントは風をモロに受け、くるくると向きを変えながら押し流されていく。
クソまみれの地面を転がりながら。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーー!」
声にならない声を上げた渚は、半泣きであとを追い駆け出す。
「ぶははははは!!」
楓が大笑いすると同時に腰を上げた拍子に、その肩からショルダーバッグが滑り落ちた。
「ははは……は……?」
無情にも、バッグはウンコの上へと着地を決めていた。
「くぁwせdrftgyふじこlp」
艱苦糞闘した二人は、トンカチとペグを用いてどうにかテントを張ることに成功する。ウンコのにおいはほとんどしないものの、精神衛生上多大な悪影響があるということで、テントサイトを離れ駐車場で弁当をいただくことになった。
「はあ、ほんまクソやわ」
「まったく、見渡す限り一分の死角もなくクソやな」
本来ならば、このキャンプ場を選んだ渚が詫びの言葉のひとつでも口にするべきなのだろう。だが涙目になってクソローリングテントを追いかけているのを大笑いされた手前、素直に反省する気にもなれない。あのあとクソショルダーバッグを手に呆然と立ち尽くす姉を指差して爆笑してやったが、それでも精神的ショックから立ち直るにはまだ時間がかかりそうだった。
「……」
言葉少なに回鍋肉弁当をつつく姉の姿を横目でうかがう。こんなキャンプ場に連れてきたことに、もっと怒ってしかるべきなのではないか。それとも怒る気力すら湧いてこないのか。
弁当を食べ終えた二人は、早々と寝支度を済ませてそれぞれのテントへ引っ込んだ。渚は先ほど撮った展望台からの写真、波打ち際の写真、徳島ラーメンの写真を選別し、とある人物へラインで送る。久々の寝袋に顎を埋めながら、早く朝が来ますようにと願った。




