第一日 徳島・室戸岬 4/6
少し移動し、道の駅「東洋町」にカブを停めた。
「岡山に『瀬戸内町』ってあって、えらい大きく出とるな、とか思てたけど」
「比べもんにならんスケールのデカさやな」
小ぶりな建物の裏には、これまたこぢんまりした海水浴場が広がっている。
「まあそれはさておき、お待ちかねの鰹をいただきますか」
高知といえば鰹。万一にも食べ逃してはいかん、とフライング気味だが押さえておこうという魂胆だ。
だが建物に入る直前にふと思い至った。
「そういえば鰹って今獲れるんやろか? 冷凍もんやったらどないしよ」
「ふっ、名物の旬を調べ忘れるとは、アンタもまだまだやのう」
鼻で笑う姉に、渚はげんなりして言い返す。
「姉貴みたいなオタクと一緒にされてもなあ……」
「拙者はオタクではござらんのでwwwコポォ」
「化石みたいなオタクやん」
オタク曰く、鰹の旬は年に二度ある。三月から五月の初鰹(上り鰹)、九月から十一月の戻り鰹(下り鰹)だ。上りは太平洋を北上する鰹で身が引き締まっているのに対し、下りは南下してくるもので脂がたっぷり乗っている。
「鰹は回遊魚やから、当然各地で旬がちょっとずつ違うんよ」
「各地?」
「漁獲量一位の静岡とか二位の宮城やな」
「高知一位ちゃうんや」
「実はそうなんよ」
ちなみに消費量は高知がダントツ、と姉は得意満面で知識をひけらかす。地のものを消費するのが高知で、他県に出荷しているのが静岡や宮城だとか。
「要するに今は初鰹ってことやろ。早よ食いに行こ」
これ以上付き合ってられん、とばかりに渚は話を切り上げた。
会計を済ませた二人はプラスチックのパックを手に、外のテーブルへ着いた。中の食堂で定食をいただくよりも、冷蔵ケースに並んでいる持ち帰り用のパックを買うほうが得だと気づいたわけだ。
「これで五百円て安いよな……?」
手書きのラベルが貼られたトレーには分厚く切られた鰹が重なり合うように並び、赤茶色の艶を放っている。
「安いはずやろ……多分」
付属のタレをトレーの隅に広げる。ともに魚を買うことなど滅多にないため、いまひとつ相場が分からない。
だが一口食べた途端、その疑念は吹き飛んだ。
「おおっ……」
「美味っ」
味音痴の渚にも分かるほどに、鰹それ自体の質が違った。
「なんやろ、鮮度がちゃうんやろか」
「かもな」
脂が乗っていない分、味も戻り鰹に引けをとるのかと思っていたが、そう単純な話でもないようだ。脂の甘さが控えめな代わりに、鰹本来の野趣溢れる旨みが口いっぱいに広がった。
「マグロの赤身と大トロみたいなもんか」
「確かに大トロのほうが値は張るけど、かといって赤身が味でも劣るとは限らんわな」
個人の好みにもよるのだろうが、二人の舌にはよく合っていた。ともに満足げな表情で、弾力に富む鰹を噛みしめる。
「鰹を食っとるとさあ……」
割り箸を一度置いて、渚は静かに口を開いた。
「命をいただいてるって感じがするんよな」
「いや、何を食ってもそうやんか」
「せやけど……鰹って血の味がするやろ?」
楓はタレのかかっていない鰹に箸を伸ばし、そのまま口に運んだ。
目を伏せて確認するように咀嚼したのち、顔を上げわずかに頷く。
「なるほど、血の味やわ」
「海でのんびり泳いでた鰹をとっ捕まえて殺して食べて、それが自分の血肉になってるっつーか……」
「我々は命あるものを食べなければ、一日とて生きていけない。ほかの生きものを殺すことで自分らの命が成り立っとる、罪深い存在なんやな」
「……本来すごい含蓄のある言葉なんやろけど、姉貴が言うと台無しやな」
「やかましいわ」
その後はひたすら55号を南下した。右手に険しい山、左手に青い海という構図も見飽きてきた頃、渚は道路脇の敷地へカブを乗り入れた。
マリンファームというこぢんまりした施設だ。
「なんや小っさいな。なんでわざわざこんなとこ寄るん?」
「入館無料やで」
「へえ、海洋深層水について学べるんか! 最高やんけ」
清々しいまでの掌返しを披露する姉に続き、建物に入った。ゴールデンウィークだが人は少なく、職員さんと挨拶を交わす。
入口近くの展示を眺めていると、ほどなくして職員さんのほうから話しかけてくれた。海洋深層水とこの施設についての簡単な解説に耳を傾ける。
海の水はある一定の規則的な流れに従って移動している、つまり海流があるというのは多くの人が知るところとなっているが、海の表層と深層でその流れは変わってくる。室戸は比較的沿岸に近いところで急に水深が深くなっており、そこで深層からの海流を取り込むことができる。そうして採水されたものが海洋深層水であり、マグネシウムやカルシウムといったミネラルを多く含むため、一度に大量に飲むと腹を壊す。だが飲む量をうまく加減すれば、便秘の解消に役立つうえ、栄養まで摂れるとのことだった。
職員さんに礼を述べ、館内を見て回る。海洋深層水がメインだが、深海生物の展示にも力を入れているようだ。取水口から深層水と一緒に吸い込まれることが時折あるらしい。中でも目を惹かれたのがオオグソクムシだった。
「♪グッソクッムシー、グッソクッムシー」
姉と距離を置いて口の中で呟きながら、ダンゴムシをそのまま引き伸ばして脱色したような体を観察する。近づいてきた楓もグソクムシに視線を注いだまま、小声で言った。
「なあ、東京かどっかにグソクムシラーメンを出してた店があるらしいで」
「は?」
「これをラーメンにぶっ込むんやて」
「……えっ?」
「だから、グソクムシラーメンやって」
「……これ、食べる? ラーメン? 店で?」
「なんでカタコトになるんよ」
目の前のこれが食べ物であると、脳が認識してくれない。
「待ってや、『出してた』てのは何? 食った客が次々と奇病にかかったり発狂したりで店がなくなったってこと?」
「怒られるやろ。単に期間限定メニューやったってだけよ」
「ほーん……」
もしもこの辺りの店でグソクムシを出していたら、楓は是が非でも訪ねていくだろう。一般に流通していないということに、渚は感謝の念を覚えずにはいられなかった。




