最終日 鳴門海峡 2/4
そこから建物内を徒歩で移動するが、妙に人が少ない。「INFORMATION」と掲げられた小さな案内所からは、積み上げられた段ボールが顔を出している。さらに進むと両開きのガラス戸で仕切られた部屋があったが、そこから見える内部は薄汚れた物置のようだった。
「仮にも『世界三大スポット』のひとつやのに……」
「諸行無常の響きありってとこやな」
好き勝手なことを言い合っているうち、展望台へ到着した。
「おおっ……」
一気に視界が開けた先に、力強く伸びる大鳴門橋と、その向こうの濃い緑に覆われた淡路島が現れた。
エスカ酔いと寂れた建物で重くなった足取りと心持ちが、一気に軽くなる。
「なんか……明石海峡大橋を短くしたみたいやな」
「わかるわ」
展望台から隣の展望デッキへ移動する。
「でもそんなに距離ないよな。頑張ったら淡路島まで泳げそう」
「渦に飲まれて魚の餌やろ」
現に橋の下では、ひっきりなしに白波が立っている。なるほど、いかにも潮の流れが速そうだ。
「あれ、こっからどうやって帰るんやろ」
展望台と展望デッキの間にはオートロックのドアがあり、エスカレーター側からデッキ側へは通行できるものの、それを逆に進むことはできなくなっている。
「こっちちゃうの?」
渚は遊歩道のような階段の道を指差した。弾むような足取りでそこを降りながら、上りとは一転して元気を取り戻した楓が言う。
「明石では激しい潮流に揉まれて育ったタコが美味いっていうやんか? 鳴門側は鯛が名物らしいで」
「ほーん……もうちょい時間あったら食いたいとこやけどな」
二人とも今日中に海を渡ってそれぞれの自宅まで帰らなければならないため、昼前には解散することになっている。
「大塚国際美術館も見たかったんやけどな」
「俺ら絵とか興味ないやろ」
「でも国内でも二番か三番目にでかい美術館やで? 有名な絵もようさんあるらしいし、一回ぐらい低みの見物と洒落込みたいやん」
渚は旅行ガイドにあった記事を思い出す。
「あれって陶板……やっけ、全部コピー品なんやろ? わざわざパチモン見に行くんもアレやんか」
「ウチらトーシロが見たところでモノホンかレプリカかなんて絶対分からんやん。そんならいっぺんにいろんな絵見れたほうが得ちゃうん?」
「なるほど……」
そうこう言っているうちに、駐車場の近くまで戻ってきた。
「えっ? これ階段でも行けたってこと?」
「みたいやな」
カブに戻った渚は、キーをシリンダーに挿しながらこぼした。
「さーて、いよいよ次でラストやな」
一週間にわたる四国周遊の旅も、これで幕を閉じる。最後は観潮船に乗り込んで、間近で渦潮ウォッチングをすることになっているのだ。
楓は長々しいエスカレーターを恨めしそうに振り返りつつ、ハンターカブのリアボックスを開けた。
「そろそろ酔い止め飲んどかんとな」
天を仰ぎながら、頭上に掲げたPTP包装を破る。だがその錠剤は姉の口角付近に着地し、そのまま頬と肩を滑り落ち――側溝へと飲まれた。
「っ……!」
息を呑む音が楓の口から漏れる。慌ててグレーチング越しに側溝をのぞき込むが、どうやってもサルベージはできそうもない。
横で見ていた渚は、腰を屈めた姿勢のまま固まっている姉を見て思い至った。
「もしかして今の、最後の一錠やったん?」
「……うん」
「高松から乗る船の分は?」
「帰り道のどっかで買えばええかなと思って……」
楓が持っていた酔い止めの箱を確認する。六錠入りのようだが、今ここで残数が一錠になっていたのは不運としかいいようがない。
「この辺りはドラッグストアとかないよな……街の方まで戻ろか」
「いや、別にええわ」
「ええって……」
「今から買いに行ってる暇はさすがにないし……乗船時間は三十分ぐらいやろ? 気合でなんとかするわ」
気合でどうこうなるものなら、去年のフェリーであのような事態にはなっていないはずなのだが。
そう言おうとしたが、下唇を噛んで決意めいた表情を向ける姉を見て、渚は言葉を呑み込んだ。
「ほんまに酔わへんねんな?」
「ウチは船酔いしない たぶん酔わんと思う 酔わないんじゃないかな まちょっと覚悟はしておけ」
「覚悟って……スタンドバイミーのアレみたいな大惨事は勘弁してくれよ」
観潮船の乗り場は来た道を少し戻ったところにあり、三階建ての船が係留されてゆったりと波に揺られていた。
「おお、わりとデカいやん。これやったらそこまで揺れへんやろ」
「せやな……」
振り返ってみると、楓の顔からは早くも血色が失せ始めていて、声にもハリがない。
「……そもそも無理に乗る必要ないやんか。ここで待っといたら?」
「いや、それはできん。乗る」
やはり変なところで頑固な姉だった。
チケットを買い船に乗り込むと、間もなく出航時刻となった。堤防を離れた船は、大鳴門橋の方角へと海上を滑り始める。船内に響く機関の音が大きくなるにつれ、船の速度も上がっていった。
「ウチは一階におるから、またあとでな」
「上のほうが眺めええんちゃうの?」
「なるべく海面に近くて、船首と船尾の中間辺りの席が揺れにくいんよ」
楓は手すりをしっかり握りつつ、ゆっくりと座席へ向かっていった。




