最終日 鳴門海峡 1/4
久々にベッドで眠ったせいか、寝覚めは悪くない。振られたショックで寝つけなかったらどうしよう、と床に就いたときには思ったものだが、わりとあっさり眠りに落ちてしまった。
窓辺で朝日を浴びながら、ヨガのような太極拳のような動きをしていた姉が振り返る。
「起きた? うどん行くで」
早めに荷造りを済ませてチェックアウトする。讃岐のものでないとはいえ一昨日に一度、そして昨日は三度も食べたというのに、なぜか渚の胃袋もまたうどんを欲していた。
香川の空気を吸い水を飲み、そしてうどんを喰らうことで、早くも体がうどん県民仕様にトランスフォームしつつあるのではないか。
ささやかな恐怖を覚えつつ、早朝の県道10号を東へ走った。風が多少強いものの、空は穏やかに晴れている。
「同じ香川県内でもうどん屋が多いとこと少ないとこあるよな」
「アンタもそう思う? ウチもこの辺りから東は極端にうどん屋少なくなるなと思ったんよ」
「食文化的に徳島のほうへ寄ってるってこと?」
「かもしれんし、旅行ガイドに載ってるうどん屋が少ないだけって線もあるし」
難しい顔で浅い考察を展開していると、目当ての店が見えてきた。
プラチナ製麺所という、香川を中心に展開するチェーン店だ。
「これが最後の飯になりそうやけど……何にする?」
「俺らが昨日、最後に食ったんはしょうゆうどんやったよな?」
「うむ」
「じゃあぶっかけの中にするわ」
「ウチもそうしよかな……おろしぶっかけにしとく?」
「いや、普通のぶっかけで」
渚は毅然とした声で主張する。昨日の大根がまざまざと眼前に蘇り、苦笑が漏れた。
どうにか二つ並んだ席を確保し、腰を落ち着ける。まだ七時すぎであるにもかかわらず、店内は満席に近い混み具合だ。
「姉貴、それはさすがに取りすぎやろ」
唇を歪めながら楓の器を指差す。この店はセルフの薬味が充実しており、ネギ・天かすはもちろん、ショウガ・ゴマ・わかめ・いりこまでラインナップされている。姉は麺がほぼ隠れてしまうほどの量をトッピングしていた。特にわかめと天かすが多い。
「まあタダやしええんちゃう?」
姉は悪びれもせず不敵に笑ってみせた。
「それにほら、山盛りにしてる奴おるで」
首を巡らせると、確かにうどんそのものよりボリューミーな盛り方をしている輩も少数見受けられた。
(俺ももうちょい取るべきやったかな……)
己の貧乏性が嫌になる。
10号から国道11号へ合流し、さらに東進する。
「最後のうどんも美味かったな」
「おう……でも姉貴、そこそこ食っとったけどだいじょうぶなん? 今日は船乗るんやろ」
これから向かう鳴門の観潮船、そして高松から神戸へのフェリーの二回。
「だいじょぶだいじょぶ。来るときは酔わんかったし、なにより酔い止め持っとるから」
引田市街を過ぎるとまた海が見えた。交通量は多いが流れは悪くない。
一週間ぶりの徳島へ入り鳴門スカイラインへ折れると、一転して山道となった。
「あんまり海見えへんな」
「この先に展望台があるから、そこでゆっくり見れるわ」
高い橋から小さな海峡を見下ろしつつ島田島へ渡り、四方見展望台へ立ち寄る。その駐車場の一角で、二人はとんでもないものを目にしてしまった。
「これは……」
「いともたやすく行われるえげつない行為……」
そこにはおびただしい量のゴミが捨てられていた。節分の豆かというくらい辺り一面にばら撒かれている。
楓は踵を浮かせてその間を縫うように歩き、実況し始めた。
「タバコ、タバコの箱、ゴム手袋、空き缶、ペットボトル、スリッパ、発泡スチロールの箱、割れた鉢植え、灯油を移し替えるやつ……うわ、パソコンのモニターまであるわ」
「へっ! きたねえ珊瑚礁だ」
渚は片目を細めて唇を歪め、喉の奥から低い声を出した。
「デカ長、ホシは地元のモンでゲスか?」
「この鉢植えやモニターはそうやろうけど、ほかは旅行者のもんかもしれへんし……分からんな」
渚のノリをまるっきり無視し、楓は冷静な口調で答える。
ため息をついて立ちつくす以外にできることは何もなく、再びカブに跨がった。
ゴミのインパクトのせいか、ウチノ海の美しい景観にも素直に感動できない。大毛島に渡り、高速の高架に沿って蛇行するように進んだ先に、エスカヒル・鳴門があった。
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○鳴門海峡
1.3キロメートルという狭い幅と複雑な海底地形のために、最大で直径20メートルにもなる渦が発生する。
その激流はイタリアのメッシーナ海峡、カナダのセイモア海峡と並ぶ世界三大潮流とされている。
展望台、遊歩道、観潮船と様々な角度から渦を見物できる。
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「おおう……めっちゃ長いな」
このエスカヒルは、その名のとおりエスカレーターで丘に上がり、鳴門海峡が一望できるという施設なのだが。
シースルー仕様のエスカレーターはとてつもない長さだった。そこで渚は、唐突な既視感に襲われた。
「んん? どっかで乗ったわこれ……どこやろ」
「……海遊館?」
「それ!」
大阪港にほど近い水族館、海遊館を最後に訪れたのは、小学校の遠足だったはずだ。
最初に上る長いエスカレーターは、目玉のジンベエザメの次に強く印象に残っている。一定の速度で斜め上へと滑っていくエスカレーターが、どこか異世界へ誘われるような違和感を渚の心に刻んでいたわけだ。
そして今、同じような長いエスカレーターに運ばれながら、姉の背中越しに行く手を眺めている。エスカレーターのステップや手すり、それを覆う壁や屋根の骨組みが、漫画の集中線のように前方の一点に向かって伸びている。
さすがに当時のような違和感を覚えることはないまでも、徐々に頭がくらくらしてきた。ゆっくりと後方へ流れていく柱のひとつに張られた紙が目に入る。
『転落に注意! 手すりを必ずお持ちください。』
自分だけではないのか、と少し安堵していると、楓が急に振り返った。
「なんか気持ち悪いんやけど」
「まったくやな、姉の顔が見てみたいわ」
「アンタの面のことちゃうわ! つーか普通そこは親の顔やろ」
まくし立てた楓は俯くように体を丸め、手すりに体重を預ける。
「ちょっ、だいじょうぶなん?」
万一の事態に備え、渚は片足を一段下のステップに移し、グッと踏ん張った。だが幸い何事も起こらず、二人は果てのないように思えたエスカレーターの終点に到着した。




