第五日 松山・石鎚山 3/8
松山市街を抜けた二人は、道の駅「天空の郷さんさん」でじゃこカツをいただき、山あいの快走路を走り抜ける。
「もう今治は切るんやな?」
風の中、楓がポツリとこぼした。
「ああ、さすがにずーっと海沿いっていうのもアレやからな。ここらで山を走ろうかと」
「ほーん……お、ちょっと停まってええ?」
そう言いながら楓は広くなった路肩へ停車した。渚も道端へカブを寄せる。
「すんごい色しとるで」
ガードレールの向こうは緩い崖になっていて、五メートルほど下に渓流が見える。それだけなら平凡な山道の風景なのだが、その川の水が見慣れない青緑に染まっていた。
楓がスマホを取り出しながら呟く。
「誰かが上流で大量のアリエールぶちまけたんかな」
確かに洗剤の色にも似ているが、せっかくの風情が台無しだ。
「いやでも……ほんまにすごい色合いやわ」
エメラルドグリーンとでもいうべきだろうか。鮮やかな色彩をたたえながらも、この距離から川底が見えるほどに透明度が高い。
「これは普通の青やなくて……あっちの碧やな」
「ああ、魔法少女とか薬師とか裸ジャージの碧やろ」
その碧色に魅せられた二人は県道12号を逸れ、面河渓へ立ち寄った。「仁淀ブルー」で有名な仁淀川の上流にあたる渓谷だ。
駐車場へカブを停め、遊歩道を散策する。先ほど停まったところよりも川が浅いせいか、碧さは少々弱まったものの、その透明度は凄まじい。太陽が反射しているところを除けば、川底の岩の亀裂まではっきりと視認できる。
「魚おらんのかな?」
「んー……」
水中へと目を凝らすが、その姿は見えない。岩の陰にでも隠れているのだろうか。
「水が綺麗すぎると逆に魚も棲みにくうなるんかもな」
適当なところで折り返し、駐車場へ戻る。その途中で楓は立ち止まり、またも川を見つめていた。
「そんなに魚見つけたい? 晩飯にするんか?」
「いや。行きは気づかんかったけど、この岩……っつーか崖、すごくない……?」
川面に向いていると思われた姉の視線は、対岸の垂直な岩壁に注がれていた。楓と同じ方へ目を向けた渚も、それに圧倒され嘆息する。
「ああ、歴史……もとい地球史を感じるな」
崖の高さは三十メートルくらいだろうか。力強い断面を見つめていると、その巨大さと迫力で遠近感が狂ってくる。岩石の種類すらも分からないが、貫禄と年季の入り具合は存分に伝わってきた。きっと人類が火を使い始める遥か昔から、ここに居を構え碧い清流を見守ってきたのだろう。
県道へ復帰し石鎚スカイラインを疾走する。迫る山並みから時折顔をのぞかせる石鎚山は、まだかなりの雪を残していた。
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○石鎚山
1,982メートルの標高を誇る西日本最高峰。
だが土小屋登山口の標高は1,500メートルほどあるため、そこから登ると二時間少々で山頂へ立つことができる。
日本七霊山のひとつとされ、古くから多数の修験者が行を積んでいる。
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「だいぶ寒なってきたな」
また路肩に停まり、冬用の上着を着込んだ。今回のツーリングは海沿いの道がメインであるため、出番があるかどうか怪しいところだったが、持ってきておいて本当に良かった。
昼間は三十度近くあったはずの気温も、体感ではすでに十度そこそこまで下がっている。カイロを開けようかと思い始めた頃、石鎚スカイラインの終点、土小屋へと到着した。
「予定より早よ着いてもたな」
まだ四時にもなっていない。今夜はこの近くの乙事主キャンプ場に泊まることになるかと思っていたが、時間に余裕があるのなら一考すべきだ。今日までのペースで行くと徳島の鳴門方面を周る時間がほぼ取れず、このままでは徳島の想い出が初日のラーメンのみになってしまう。
「姉貴、もうちょい進もうや」
「んー……この先キャンプ場はあるん?」
ここからはUFOラインこと瓶ヶ森線を通り国道194号へ合流する予定なのだが、そのルート上には存在しない。
「トンネルを愛媛側へ抜けてちょっと行ったとこに一か所あるけど……最悪野宿も視野に入れるべきかと」
「野宿か……」
楓は眉根を寄せて考え込んでいる。
「四国は熊の心配はないんよな……?」
「おうよ」
近年人里への出没や死傷事件が取り沙汰されている熊だが、四国ではほぼほぼ見ることはない。徳島と高知の県境、剣山周辺に二十頭から三十頭ほどが棲息しているとされている。極端に数が少ないため、逆に保護の対象となっているのが現状だ。ここ愛媛で遭遇する可能性は限りなくゼロに近いといえる。
渚はあくまで穏やかに、だがしたたかな意志を込めて姉を説得する。
「そもそも連休中やし、下手にキャンプ場泊まったらまた周りがうるさくて寝れんかもしれんで?」
「あー、その可能性もあるわな」
現に二日目に泊まったキャンプ場は、眠れないほどというわけではないものの、パリピ客がやかましかった。迷いを見せる姉に渚はさらに続ける。
「残りの行程は明日と明後日の昼前まで……あと一日ちょっとしかないわけやん?」
「せやけどな……」
「明日はうどん巡りするんやろ? 今日のうちに距離稼いどきたいやん」
「確かにそうやけど、アンタの体力はどうなんよ?」
「ぐっ……」
姉の率直な問いかけに、渚の目は一瞬揺らいだ。フィジカルで姉に引けをとっている今、自信をもってだいじょうぶだとは言い切れない。
「そら万全とは言いがたいけどな、さすがにそこまでヤワやないで」
もちろん体調を崩さない保証などどこにもないが、精いっぱい虚勢を張ってみせる。
「ふむ。ほな行ってみよか……あ、ウチトイレ行っとくわ。アンタは?」
「んー……」
ひっきりなしに人が出入りしているトイレに目を遣る。
「俺はええわ」
「じゃあちょいと鞄持っといて」




