第四日 西予・佐田岬 5/5
駐車場まで引き返してきたとき、ある小さな看板が渚の目に留まった。
「姉貴、これっ……!」
「えっ? うわ……!」
二人して目を剥き声を詰まらせた。
『押し売りにご注意ください 粗悪な商品を高値で買わされたという問い合わせが増えています。』
看板に並ぶ文言の最後には、自治体名が明確に刻まれている。
「行政にマークされるレベルやったんか、あのババア……」
「最初にこれ見つけとったらなあ……」
一度収まりかけた怒りが再度こみ上げ、二人は地団駄を踏んだ。
九州に背を向けるかたちで来た道を走り、半島の付け根辺りの「室伏公園キャンプ場」に到着した。夏休みシーズン以外は利用料も予約も不要という気前の良いキャンプ場だ。
だがヘルメットを脱いだ瞬間、二人は無料である理由を知ることになった。蚊が異常に多いのだ。
「姉貴、虫除けあったやんな?」
「ああ、持っとる持っとる……」
楓はリアボックスを開け、ボストンバッグの中身をゴソゴソ探り始めた。だがなかなか目当てのものが見つからないようだ。その間にも、無数の小さな黒い影がプンプンと二人の周囲を取り巻いている。
「あれ、確かに入れたはずやけどな……これちゃうやろ、ああこれでもないし」
ついにはバッグの中のものをポイポイと辺りに放り投げだした。
「ピンチのときのドラえもんか!」
「おっ、あったわ」
楓はスプレーの缶を掲げ、わさびっぽい声を上げる。
「てってれてっててー、ててーん♪ 霊感商法撃退スプレーッ」
「これで怪しい壺とかハンコを買わされずに済むな」
「都会で一人暮らししてるOLに売れるかもしれん」
「その詐欺のほうがずっと性質悪うないか?」
何の意味も生産性もない会話を交わしつつ、二人は露出している肌のすべてに虫除けスプレーを塗り付ける。
これで一息つけるかと思ったものの、視界を蚊が飛び回る状況に変わりはなかった。今までにない速さでテントを張り終え、荷物を中へ避難させる。
「はああ……」
テントのファスナーを閉めたところで、ようやく一息つくことができた。そこで気づいたが、ところどころ蚊に刺されている。
(塗りムラがあったんか……虫除けの効かん個体がおったんか……)
「渚、飯にしようや」
テントの外から声がしたかと思うと、買い物袋を提げた楓がファスナーを開け踏み込んできた。
「狭いやん。自分のテントで食えばええやろ」
「一人で食うん寂しいやんけ」
楓は素早く体を潜り込ませファスナーを閉める。
「ほら、やっぱ狭いがな」
「気にしなさんな。起きて半合寝て一合とか言うやん」
「なんで寝てるほうが腹減っとるんよ」
テント越しの日光とランタンの灯りの下、袋からコンビニ飯を取り出す。そのとき渚はふと気づき、姉の方へ手を伸ばした。
「ちょっと借りるで」
「おい待てや」
抗議の声を無視して無駄に長いポニテを引き寄せ、日に焼けザラついた髪を観察する。
「ほら、蚊巻き込まれてようさん死んどるで」
「え、嘘やろ……うわ、うわあ……」
自身の髪を見つめドン引きする楓。
「ばっちいなもう……」
ウェットティッシュを取り出してポニテを拭き始めた。
「自分のテントでやれや!」
「あ? このテントもウチのもんやろ!」
「初日にくれたやんけ! もう所有権は俺にあるわ」
「せっかく寝袋とマットも貸したってんのに、ちょっと図々しいんちゃうか?」
狭いテントの中でぎゃあぎゃあとまくし立てる姉弟。
「……まあ、弁当開ける前でよかったわ」
「かもな」
会話が途切れたところで渚は急に冷静になり、手にしたチキンカツ弁当を眺めながら尋ねた。
「それ外して水洗いできへんの?」
「アホか」
「じゃあいっそ表へ出てトリプルアクセルしまくったら、そこら中の蚊という蚊を一網打尽にできるやん」
「天さ……アホか」
もそもそとコンビニ飯を平らげ、楓は自分のテントへ戻っていった。
渚はスマホを開き、またぞろ写真の選別に入る。佐田岬から望む九州、法華津峠にて姉に撮ってもらった自分の写真、そしてテナガエビ。間違っても楓が写り込んでいないことを再度確認し、送信ボタンをタップした。
『今日は好天に恵まれ、四国最西端から九州を拝めました。大宮さんはいかがお過ごしですか?』
走っている間に推敲を重ねた文言を続けて送る。写真は三枚、メッセージも簡潔に。少々硬すぎる気もするが、書き言葉ならそれほど不自然でもあるまい。それに今の二人の距離感を考えると、これぐらいが適切なようにも思える。
「はあ……」
ラインの画面を上へスクロールし、今日何度目になるか分からないため息をもらした。真理は初日と二日目に送った写真には簡素な返信をよこしてくれたものの、昨日送った三枚の写真と短文には、未だ既読すらついていない。
(あれ、そもそも毎日ライン送られるってのはウザいんか? いや、でも一日一回なら別に……)
ネットで調べてみても得られるものはあくまで一般論に過ぎず、結局のところ彼女自身の心情は一ミリも分からない。いつだったか、去年の夏に北海道へツーリングに行ったこと、今年もまた訪れる予定だということを語ったときは、悪くない反応を示してくれたのだが。
今回のツーリングの土産話や写真をきっかけに、また二人で話す機会を増やせたら、とは思っている。だが、この先二人の距離は縮まるのか。もしかすると今後は開いていく一方かもしれない……。
「ああぁぁ……」
受け入れがたい現実から逃げるように、渚は寝袋に潜りふて寝を決め込んだ。




